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第九百九十三話 透明な存在(三)

 敷地内に進むものの、厳重に敷かれているはずの警備体制など最初から存在していないかのようだった。だれに呼び止められることもなければ、警報装置が鳴り響くこともない。

 小さな、本当に小さな研究施設だ。

 だが、敷地の広さが即ち研究施設としての重要性を意味しているわけではないことは、考えるまでもないことだろう。

 重要防衛対象から外された戦団関連施設だ。なにが隠されているのか、わかったものではない。

 なにより、透明な存在を名乗る少年と深く関係しているというのだ。

 幸多こうたには知る由のないなにかが秘されているに違いなかった。

 研究所内には、裏口から入った。裏口の扉も、幻影の少年がなにかをするまでもなく開き、幸多たちを招き入れている。

 研究所内には、職員どころか警備員の姿すら見当たらなかったが、人っ子一人いないわけではない。天井照明が降り注ぐ通路もそうだが、どこもかしこも明るく、人気に満ちている。

 もう夜の闇が迫る頃合いだというのに、だ。

『しばらくすれば閉鎖される予定ではあっても、まだまだ稼働中なんだよ。処分を撤回してもらうためには成果を上げなくちゃならないものね。研究員たちは皆、寝る間も惜しんで働いているというわけさ』

「なるほど」

『まあ、睡眠時間を削ったところで成果がでなけりゃ、なんの意味もないんだけどね』

「うん……」

『可哀想だとか、そんなことを思う必要はないよ。戦団だって無尽蔵に資金があるわけじゃないんだ。不要と判断した研究機関にまで、資金を注ぎ込む理由はない。そして、この計画は凍結するべきだ。無駄で無意味な犠牲を払い続けたことの戒めとしてね』

「無駄で……無意味……」

 幸多は、自分だけに聞こえているのであろう少年の声に反応しながら、部下たちのことを思った。義一ぎいち真白ましろ黒乃くろのも、この状況の意味不明さに混乱さえしているのではないか。

 それは幸多自身も同じなのだが、しかし、幸多には幻影の少年が見えている。だから、受け入れられる。幻覚でも幻聴でも妄想でも空想でもなく、彼は、確かに存在しているのだ。そして彼の意思を、感じ取ることができている。

 だから、戦団の研究施設への潜入などという暴挙ぼうきょを行っている。露見すればただでは済まない。

 そして、だからこそ、幸多は一人で飛び出したのだ。もし万が一、事が露見した場合を考えれば当然の判断だった。

 義一たちを巻き込みたくなかったのだ。

 しかし、だ。むしろ幸多のそんな振る舞いが義一たちを心配させ、このような行動に駆り立ててしまったのだとすれば、もはや道行きを共にするよりほかはない。

 幸多は、覚悟を改めたものである。

 細長い通路を歩くと、昇降機に辿り着いた。扉が自動的に開く。まるで少年の到着を待ちわびていたかのようだった。

 少年に続いて幸多が乗り込めば、真白たちもすぐに続く。扉が閉じ、昇降機が音もなく動き出す。

 地下へ。

「なるほど。地上の施設が小さいのは、偽装か」

「偽装?」

「本命は、地下の巨大な研究所といったところだろうね」

御明察ごめいさつ

 少年が、義一の推察に微笑した。そんな少年の反応が珍しいから、幸多も義一声をかける。

「当たってるってさ」

「やっぱり」

 義一には、思い当たるところがありすぎたから、当たったところで嬉しくともなんともなかった。むしろ、悪い予感ばかりが増大していて、胸騒ぎがした。

 ここが戦団関連施設で、しかも重要防衛施設に認定されておらず、義一の記憶にすら存在しない場所だというのが、どうにも不自然だ。

 そして、透明な存在。

 幸多にしか認識のできないその少年は、いったい、なにものなのか。

 戦団の研究成果ならば、その研究とは、どのようなものなのか。

 目眩さえ覚えそうになる一方、義一の半身もまた、嫌な感覚に囚われているようだった。

 既視感。

 やがて、昇降機が目的の階層に到着したのは、数分後のことだった。

「いくらなんでも深く潜りすぎじゃないか?」

 真白の疑問ももっともだったが、そんなことは、当然のような気がしてならないのは、義一だからかもしれない。

 昇降機の扉が開くと、真っ暗な通路がお目見めいえした。その通路の天井、壁、床を青白い光線が走っている。まるで脈動しているかのように明滅しているのは、電力供給が足りていないからなのか、それとも。

(既視感……)

 義一は、胸中でつぶやき、半身の同意を得た。

「いかにも戦団の重要研究施設って感じだ」

「そうなのか?」

「うん。そうだね」

「そうなんだ……?」

 九十九つくも兄弟には、義一と幸多の感想がまるで理解できなかった。

 幸多と義一は、ほぼ同時に戦団本部中枢深層区画を連想したのだ。

『……最重要といっても過言じゃないんじゃないかな』

「そのわりには防衛対象に入ってなかったみたいだけど……」

『まあ、研究内容が研究内容だからね』

 幻影の少年は、ささやかすぎる青白い光に照らされながら、幸多たちを先導した。

『きっと、人目に触れさせたくなかったんだと思う』

 少年の発言は、幸多にさらなる覚悟を強いるものだった。

 しかし、いまさら引き返すことはできない。

 なにより、幸多は、少年のことが気になっていた。幸多に発見された瞬間、少年は、驚きに満ち溢れた表情をしていたものだ。その驚きがよろこびに変化するまで時間は掛からなかった。

 彼にとっての世界が激変する瞬間を目の当たりにしたのだ、と、いまならば理解できる。

 その瞬間まで、彼は、孤独だったのだ。

 だれにも認識されることのない、まさに幽霊のような状態で、ずっと過ごしてきたのであれば、幸多に認識された瞬間のあの表情も理解できようというものだ。

 彼を孤独から解放できるのは自分しかいないのかもしれない。

 それがひとがりな思い違いなのだとすれば、それはそれでいい。そうでないのであれば、彼のためになにかしてあげられることがあるのではないか。

 そう考えた末に辿り着いたのが、ここなのだ。

「戦団本部の地下にもこんな感じの通路があるんだよ」

「あれは、リリス宮殿の名残だけどね」

「リリス宮殿の?」

「リリスは、バビロンという名の〈クリファ〉を主宰していた。そして、己が名を冠する宮殿を作っていたんだけれど、宮殿の地下にはバビロン全土を巡る通路があったんだよ。迷宮染みた地下通路は頑丈にできていてね、戦団はそれを人間用に改装して、使っているというわけさ」

「へえ」

『さすがは伊佐那いざな義一。博識はくしきだね』

 そうささやく幻影の少年が義一を見る目は、羨望せんぼう憧憬しょうけいに満ちたものだった。

 幸多は、そのことがふと気になった。真白や黒乃、幸多を見る目とはまるで違うのだ。

 なにか、感じるものでもあるのだろうか。

 通路は複雑に絡み合っている迷宮めいたものであり、その点でも戦団本部の地下を連想させた。少年の案内がなければ確実に迷子になっていただろう。

 この研究所の職員たちは、道に迷ったりしないのだろうか、と、一瞬考えてしまったものの、携帯端末に案内させればいいだけだと気づき、幸多は一人納得した。

 やがて、少年が立ち止まったので壁際に目を向ければ、扉が固く閉ざされていた。扉は、大半の設備同様、魔紋認証まもんにんしょうで開くようになっているのだが、少年が扉に手をかざすと、それだけで開いていった。

 少年が、この研究施設において強い権限を持っていることは、ここに至るまでに存分に理解できている。

 だから、驚きはない。

 だが、透明な存在を名乗る少年が、どうやってそのような権限を得たのかは、不明なままだ。

『ここだよ。この奥で、待ってる』

「待ってる? だれが?」

『ぼくが、だよ』

 少年は、儚げな微笑みを幸多に向けると、先に室内に足を踏み入れた。彼の行動に合わせるようにして、暗闇に包まれていた室内に光が灯る。天井から降り注ぐ青白い光は、見慣れた柔らかさを持っていた。

 幸多が、少年に続いて室内に入れば、義一たちも恐る恐る続いた。

 黒乃が最後に室内に入ると、扉が急に閉まった。

『ばれると困るからね、ぼくも、きみたちも』

 少年は、幸多にそんな風に説明して、室内を見回した。

 真っ白な部屋だった。

 潔癖すぎるほどの白さは、通路の薄暗さと正反対に等しく、目に痛いくらいだ。天井照明の青白い光を反射して、きらきらと輝いてさえいる。

 天井も、壁も、床も、なにもかもが白一色なのだ。

 そんな真っ白な世界にあって、殊更ことさらに異様なまでの存在感を示すのが、様々な機材だ。

 室内には、多数の機材が設置されており、それらは表面上白く塗装されているのだが、しかし、どうにも異物感を拭えなかった。無数の配線が壁や床を這うようにして、所狭しと駆け巡っている。まるで迷路のようだ。

 それらがどのような機能を持ち、どのような意味を為すのか、幸多には想像もつかない。機材の中には、医務局棟で見たことがあるものも、あるのかもしれないが。

『こっちだよ』

 少年に促されるまま、幸多たちは室内の奥へと向かった。


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