第九百八十八話 冬陽祭(二)
巡回任務は、順調そのものだった。
水穂市御影町内を見回るだけの任務だ。
この半年、大規模幻魔災害やら大規模戦闘が立て続けに起き、その渦中にいることの多かった幸多だが、巡回任務の平穏さには、なんだか心が温まるような気さえするのだ。
「隊長、気を抜きすぎでは?」
「そう?」
幸多は、義一の指摘に慌てて背筋を伸ばしながら、そんな風に返す。
実際、気が抜けていたのは間違いない。
オロバス軍迎撃戦という大激戦を経た導士たちは、多かれ少なかれ、やりきったという感覚を与えたに違いなかったし、それは幸多にも当てはまることだった。戦後の様々な出来事も、半ば上の空だったのは幸多だけではあるまい。
さすがに、合同葬儀には、そのような感覚では参加できなかったが。
三百五名もの導士が戦死したのだ。
幸多たちは生き残れたものの、それは運が良かったからにほかならない。釦一つの掛け違いで、命を落としていた可能性があるのだ。
幸多が、あるいは、小隊のだれかが。
死は、だれよりも近い隣人である――とは、だれの言葉だったか。
導士ならば常に肝に銘じておくべき金言である。
義一の指摘も、どのような任務であれ、緊張感をもって当たるべきだという彼なりの気遣いだろう。気を抜いた瞬間、命を落とす可能性があるのが、導士の任務なのだ。
そう思い至ると、幸多は、意識を変えた。
幸多が身に纏うのは、闘衣だ。第二世代闘衣・天流。その胸元には、星印と勲章が輝いている。星印の形状からわかるのは、幸多が輝光級一位に昇格したということだ。先の戦いにおける活躍が評価されたのである。
当然の結果だ。
殻石を破壊して階級が上がらないのであれば、途方に暮れるしかないだろうし、だれもが頭を抱えるのではなかろうか。
幸多だけではない。真星小隊全員が、同様に評価されている。義一は輝光級二位、九十九兄弟は閃光級二位にそれぞれ昇格しており、導衣の胸元の星印はどこか誇らしげだ。
そして、破殻星章である。
殻石を破壊し、〈殻〉を崩壊に導いたものにのみ授与される勲章は、現状、真星小隊の四人しか持っていない特別な代物だった。それはそうだろう。だれもが成し遂げられるようなことではない。
もちろん、幸多は、この勲章が自分たちだけの力で勝ち取ったものだ、などとは想っていない。
自分たちが〈殻〉の深部へと特攻することができたのは、星将や導士たちが敵軍を引きつけてくれたからにほかならないのだ。
そうでなければ、幻魔の大群に包囲され、殲滅されるだけのことだろう。
それでも、勲章は胸を張って掲げておくべきだ、という美由理の助言に従い、幸多は闘衣に、義一たちは導衣につけている。
勲章とは、導士の戦歴であり、戦果そのものなのだ。
故に、胸を張って輝かせておけ、と、美由理はいうのだ。
だから、というわけではないが、真星小隊の一行がただ歩いているというだけで、御影町の人々が集まり、遠巻きながらも四人を見守った。声援を送ってくる人もいれば、携帯端末で撮影するものもいる。画像や動画をネット上に上げるものもいるが、それらはレイライン・ネットワークを管轄するシステムによって検閲され、然るべき処置が為されるため、なんの心配もいらなかった。
システム。
戦団の根幹にして、央都の中枢たる統合情報管理機構。
それがつい先日、ノルン・システムからユグドラシル・システムへと切り変わったらしいという話を聞いた。
つまり、ノルン・システムとユグドラシル・ユニットの統合試験が成功し、ユグドラシル・システムへと再構築されたということだ。
システムの再構築には、多大な時間と労力がかかったようだが、それだけの価値があることは疑いようもないだろう。
ノルン・システムでさえ、双界全土の情報管理を一任できるほどの代物である。その完全な状態であるユグドラシル・システムが完成したとなれば、戦団は、さらなる力を手にするのと同義なのだ。
それが、完成した。
戦団は、双界全土のみならず、央都周囲一帯の情報の掌握を開始しているという。
レイライン・ネットワークで結ばれた地域の情報は、いままでよりもより多く、そして詳細に入手できるはずであり、それによって近隣の〈殻〉の内情すらも把握できるかもしれないとのことだった。
ひとつ気になることがあるとすれば、ヴェルザンディたちと連絡が取れないということだが。
『システムとして再統合されるということは、多分、そういうことなのよ』
ヴェルザンディが名残惜しそうに幸多の手を取り、発した言葉は、いまも記憶に残っていた。
それも半月以上前のことだ。
女神たちとともに行った最後の訓練。
あれから半月。
季節は変わり、月が変わり、町の景色も様変わりした。
冬陽祭の輝きが、町を彩り、人々を包みこんでいる。
「どこもかしこも煌びやかだなあ、おい」
「これが冬陽祭なんだねえ」
「観光客?」
「うっせ」
部下たちが言い合うのを聞きながら、幸多は、考える。
冬陽祭の眩いばかりの飾り付けが施された町並みは、平穏そのものだ。毎年恒例の冬の行事は、町全体を幸福感に包み込む。
だれもかれもがこの柔らかな嘘に包まれ、平穏を謳歌するのだ。
(柔らかな嘘……)
幸多の頭の中を過ったのは、イリアの言葉だった。
『平穏、安寧、幸福……なにもかもが嘘にまみれている。この世界のどこにも本当の平穏なんてありはしないし、安寧を享受できる場所なんてないでしょう。幸福だって、そう。柔らかな嘘が、なにもかもを包み込んでいるだけ』
精密検査中、イリアは、よく幸多に自分の考えを聞かせてくれた。彼女がなにを考え、なにを想い、なにを望んでいるのか、その一端を知ることができる数少ない機会だった。
だから、定期検診も精密検査も、嫌いではなかったのかもしれない。
イリアのことをもう少し知りたいと想うのは、彼女が心の内に抱え込んだなにかが垣間見える気がしたからだ。
それは気のせいかもしれないし、一方的な勘違いなのかもしれない。
それでも、幸多は、イリアが自分に向ける眼差しの向こう側に救いを求める少女を見たのだ。
『皆それをわかってる。わかっていても、受け入れるしかない。だって、そうでしょう。泣いても喚いても、この絶望的な現実が変わるわけじゃないんだもの』
イリアは、絶望しているのだ。
この世界に。
この現実に。
だから、手を差し伸べたいと想った。イリアを救ってあげられる方法があるのなら、なんとしてでも成し遂げたいと望んだ。
イリアには、大恩がある。
幸多がこうして戦ってこられたのは、イリアの発明があればこそだ。イリアがもたらした技術革新と、第四開発室が推し進めてきた窮極幻想計画。
それがあればこそ、幸多は、数多の幻魔を討ち斃してこられたのであり、今日まで生き残ってこられたのだ。
イリアがいなければ、そもそも、戦闘部に入れなかった可能性が高い。
幸多の全ては、イリアがあってこそ、なのだ。
例えば、そう――。
「ありゃあ」
「うん、幻魔だ」
真っ先に真白が異変に気づいたのは、視線の先に起きた出来事だからだ。土手から見下ろす町並み、その真っ只中に炎が吹き上がった。
『幻魔災害の発生を確認! 獣級幻魔ガルムが五体、早急に撃滅してください!』
情報官からの通達が耳朶に届くよりも早く、真星小隊は動いている。義一が法機を取り出して飛び立てば、真白が召喚した法機には黒乃も飛び乗って二人乗りになる。さながら流星のように空を駆け出した三人だが、それよりも早く、幸多は現地に到着していた。
転身機によって鎧套・武神弐式を召喚、装着し、脚力の全てを込めて跳躍したのだ。
一足飛びに現着した幸多は、倒壊する建物群から噴き上がる熱気と黒煙の狭間から、ガルムたちの双眸が赤黒く輝くのを見て取った。禍々しいばかりの殺意が、熱となって渦を巻く。
「斬魔」
二十二式両刃剣・斬魔改を召喚し、握り締めたときには、ガルムたちの咆哮が響いていた。それは怪物たちの真言であり、爆炎が地を這い、周囲の建物ごと幸多を飲み込んだ。
だが、幸多には直撃しない。
「隊長、早すぎ!」
真白が怒鳴りながらも防型魔法を完成させ、ガルムの炎を防いだのだ。さらに、黒乃が放った氷の刃がガルムを両断する。
「破断氷刃!」
「閃飛電!」
義一の生み出す強烈な電流がガルムたちを打ち据え、行動を阻害した直後、幸多の斬魔が無数に閃く。
獣級幻魔の巨躯は、一瞬にしてばらばらになった。
戦闘は、終了した。
『さすがは真星小隊。見事な手腕だね』
ささやかな拍手と賞賛の声が、幸多の耳朶に響いた。