第九百八十話 縮図
定期検診を終えた幸多は、その足で本部棟の大食堂に向かった。
当初の予定では医務局棟の個室で眠っている統魔の様子だけでも見に行くつもりだったのだが、統魔は今日の午前零時頃に目覚め、退院してしまったため、その必要がなくなったのだ。そして統魔は、健康状態を確認した後、第九軍団の任地へと飛び立ってしまったという。
幸い、奏恵と直接逢って話し合う時間は取れたということで、幸多は少しは安堵したのである。
奏恵が統魔のことをすごく心配していたからだ。それこそ、食が細くなるくらいの心労が奏恵を襲っている様を目の当たりにすれば、幸多も母にどれほどの心配をかけてきたのかと、己の振る舞いを見直すきっかけとなった。
統魔は、生まれながらの魔法士であり、優秀無比の導士だ。これまで母に不安を抱かせるような事態は一度もなかった。
一方、幸多は、どうか。
魔法の使えない完全無能者が、最新兵器を駆使ししてどうにか戦い抜いてきているものの、何度となく負傷し、そのたびに奏恵に心配させてきたのではないか。
奏恵を苦しめているのは、自分なのではないか。
幸多は、考え込んだものだ。
だからといって、幸多の戦い方そのものを変えることはできない。幸多は、F型兵装を頼りに戦うことしかできないのだ。それが魔法士以上に過酷な戦いだということは、百も承知だった。
そして、その結果、奏恵に心痛を強いることになるという事実も、了承している。
そのように覚悟して、この道を歩んできたのだ。
歩みを止めれば、導士であることをやめれば、奏恵や家族の心労も少しは減るのだろうが、そうはいってもこの世界において、絶対的な安寧などありえない。
今日もどこかで幻魔災害が起きているかもしれないし、幻魔の軍勢が攻め寄せてきているかもしれない。
それら幻魔の軍勢が央都に押し寄せてくるのを食い止める防波堤こそが、境界防壁であり、導士たちなのだ。
そんな導士の一員として、幸多は戦い続けることを選んだ。
その結果、母が苦しみ、悲しむことになるのだとしても、だ。
統魔も、そうだろう。
言葉にしなくても、わかる。
幸多が大食堂に辿り着くと、戦務局作戦部の情報官たちが彼の到着を今か今かと待ち構えていた。彼女たちは、幸多を一番奥の席に招き寄せると、想像以上の大騒ぎを始めた。
こうした機会は、これまで何度となくあった。
幸多が戦団本部に用事があり、時間さえあれば、どこからともなく集まってきては、毎回のように騒がしくなるのだ。
計倉エリス、松田詩音、木村加奈子、在家アリカらは、戦団に所属する魔法不能者なのだ。
魔法不能者とは、なんらかの事情で魔法を使うことのできない人間の総称である。
魔素を魔力へと練成することができなかったり、律像を形成することができなかったり、真言を発することができなかったりと、魔法不能障害と呼ばれる症状はいくつもある。
幸多のように魔素を一切内包せず、生産する機能を持たないものは、彼以外一人としていないが。
そんな情報官たちが事あるごとに幸多を良くしてくれるのは、当然、幸多が魔法不能者だからだ。
魔法不能者が戦闘部の一員として活躍したことは、戦団の歴史上存在しない。
幸多が、魔法不能者初の戦闘部導士なのだ。
故に、戦団の様々な部署で働いている魔法不能者たちにとって、幸多の存在ほど心強く、輝かしく、誇らしいものはないという。
「きみは魔法不能者の希望なのよ」
計倉エリスのその言葉は、彼女の本心だ。
エリスたちのような魔法不能者が戦団で働いているのは、この魔法社会においては、魔法士こそが主役であり、魔法不能者など無用であるといわんばかりの風潮があるということも大きい。
央都政庁は、魔法不能者差別を根絶するべく、様々な政策を打ち出し、社会に呼びかけている。それによって魔法不能者への差別は少なくなっているのは事実なのだが、一方で、決してなくなることはないのだろうという現実もある。
人間とは、そういう生き物だ。
魔法の発明と普及、発展と進歩は、人類全体を魔法士という超人へと進化させた。一方で、生まれつき魔法を使えない人間たちは、旧人類などと揶揄され、否定さえ、見下されてきたのである。
魔法がどれだけ優れたものであり、万能に近い技術なのだとしても、人間の本質そのものが変わるわけではない。
差別や偏見は、人類が生まれ持った宿業なのだ、という。
そんな人類に宿業をどうにかしたい、社会を変革したい、などという意志も意欲も持ち合わせてはいないのだが、それはそれとして、社会の在り様に抗いたいという気持ちがエリスにはあった。
魔法士こそが社会の根幹にして主役であるという現実に立ち向かうには、魔法士たちをも操れる立場になればいい。
つまりは、戦団の一員に、だ。
戦団は、魔法不能者を積極的に登用していた。魔法士は、魔法の習熟、研鑽に時間を割く必要があるが、魔法不能者にはその時間が不要である。そのため、特定の分野においては魔法士よりも魔法不能者のほうが秀でているという事例は、古くよりよくあることだった。
もちろん、極まった魔法士にはどう足掻いても敵わないのだが、しかし、同じ魔導強化法を受けた人間である。強化された身体能力や頭脳を魔法以外のことに割り振れば、魔法士に匹敵するかそれ以上の成果を出すことができるのは道理だ。
実際、戦団が魔法不能者を積極的に採用しているのは、そういうところにある。
戦闘部以外では、だが。
戦闘部に魔法不能者が採用されないのもまた、当然の理屈だった。魔法を使えなければ幻魔と戦えないのだから、当たり前としか言い様がない。
そんな中、突如として出現した超新星が、幸多である。
彼は、ただの魔法不能者ではない。完全無能者という稀有な存在であり、魔法不能者の中の魔法不能者というべき存在だった。
幸多は、魔法不能者でありながら戦闘部への配属を願い、聞き入れられたという点でも異様だったが、そもそも、戦団に入るまでに多数の獣級幻魔を撃破しているという事実こそ、異常というべきだっただろう。
身体能力だけで幻魔を斃してきたのである。
通常、ありえないことだ。考えられないし、想像だにできない。
そんな魔法不能者など、聞いたことも見たこともなかった。
情報官たちにとってだけでなく、戦団で働く魔法不能者の集まりである〈鉄の杖〉会員たちにとって、衝撃的な出来事の連続だったのだ。
幸多は、戦果を積み重ねていった。
それもこれも、技術局の最新兵器があればこそではあったが、それだけでは決して言い表せられない大活躍の数々は、社会的にも絶賛されるものだった。〈鉄の杖〉会員たちが感動し、噎び泣くのも無理からぬことだろう。
いまや幸多は、戦団有数の戦果を誇る英雄といっても言い過ぎではないのではないか。
「英雄だなんて……それは言い過ぎですよ」
幸多は、情報官たちに囲まれ、褒め称えられることに照れくさくなった。
幸多が〈鉄の杖〉なる互助会の存在を知ったのは、戦団に入ってしばらくしてからのことだ。
外部の人間には決して知ることのできない、戦団内部の互助会は、〈鉄の杖〉以外にもいくつかあったが、〈鉄の杖〉は、魔法不能者の職員が連帯を強くするべく結成されたらしい。
いま、〈鉄の杖〉の話題の中心は、幸多の活躍に関することばかりであり、幸多は、そんなことになっているとは想像だにしていなかった。
戦団にはたくさんの魔法不能者が働いているということは、知っている。
戦団本部を歩いていると、時折、声をかけられるのだが、ほとんどの場合、魔法不能者だった。
そうしている内に幸多の中で、自分が魔法不能者にとっての希望になっているのだという自覚が芽生え始めていた。
いまも、そうだ。
多数の情報官が満面の笑顔で話しかけてくれるというだけで、彼女たちの心の支えになれているのだと感じるのだ。それが独り善がりの傲慢な考えなどではないことは、この幸福に満ちた空間から伝わってくるというものだ。
「なにあれ」
大食堂に足を踏み入れるなり、金田朝子の目に止まったのは、だだっ広い食堂の片隅を占拠する集団である。
当然ながら戦団の制服を身につけた女性たちが何人もいて、一人の少年を取り囲んでいるのである。
そのテーブルには大量の料理が並んでいて、それを一人黙々と食べている少年には、思い切り見覚えがあった。
友美が、朝子の肘を引っ張る。
「幸多くんだよ」
「じゃああの取り巻きは、ファン? まあ、彼に熱烈なファンがいてもおかしくないけど」
「情報官には魔法不能者が多いって話だし、そうなんじゃない」
もちろん、幸多のファンだから魔法不能者というのは短絡的な考えだが、幸多を取り囲んでいる計倉エリスらが魔法不能者だということは、有名な話だ。
そして、彼女たちが幸多に飯を奢っているのであろう様を見れば、彼の大ファンであることは明らかだ。
「幸多くん、大活躍の連続だもんね」
「わたしたちも負けてらんないわ」
「まさか、彼に勝ち目があるとでも?」
不意に涼やかな声が聞こえてきたものだから、金田姉妹は、背筋を正し、背後を振り返った。そこには第六軍団長・新野辺九乃一の姿があり、二人して想わず大きく仰け反ってしまう。
「そんなに驚くこと?」
九乃一は、金田姉妹の隣を擦り抜けるようにして、大食堂の奥へと歩いて行く。
朝子と友美は、慌てて九乃一の後を追った。九乃一がまさかたった一人で大食堂を訪れるとは思わなかったということもあれば、その可憐さに目がやられてしまったということもある。
まるで絵に描いたような美少女が、そこにいたのだ。
九乃一は、中性的というよりは女性的な容貌であり、その容姿を際立たせるようにして女物の衣服を好んで身につけていた。いま、九乃一が着込んでいる制服も、女性用だ。
「ど、どうして軍団長がここに?」
「ここは戦団本部だよ。軍団長がいるのは、普通のことだろうに」
「そ、それはそうなんですけれども……」
「な、なんていいますか、軍団長には似つかわしくないかなあ……って」
「そうかな?」
「「は、はいい」」
金田姉妹が異口同音でいってくるものだから、九乃一は苦笑を禁じ得なかった。
軍団長が大食堂に足を運ぶことくらい、珍しくもなんともない。
しかし、考えてみれば、確かに九乃一がここで食事をするというのは、あまりないことかもしれなかった。
そして、今回、彼がここにいるのは、いま幸せそうな顔で料理にありついている英雄に興味があったからだ。
皆代幸多は、〈鉄の杖〉の面々と食事をしている。
そんな彼らと離れた席にいるのが大量の魔法士たちであり、魔法不能者たちの様子を覗き見しているのである。
その様は、この魔法社会の縮図といってもいいのではないか。
なんとも異様で、気味の悪い構造だ。