第九百七十五話 夢の終わりは全ての始まり
長い。
本当に長い。
ただただ長い。
嫌になるほどに長く、うんざりするほどに繰り返されている。
夢。
夢。
夢。
何度となく同じ場面が繰り返される、夢。
その全てを最初から最後まで見届けなければならなかった。
幸福の始まりから終わりまでを、何度も、何度も、嫌になるくらい何度も。
ついには感覚が麻痺してしまうのではないかと思えてきたのは、いつ頃からだったか。いや、いっそのこと、麻痺してくれたほうが良かっただろう。だが、そうはならなかった。
最初こそ絶叫したものの、いまでは、ただ、淡々とその場面を見ている自分に気づいていた。
最愛の父が幻魔によって殺される場面。
特別指定幻魔壱号こと鬼級幻魔サタンの出現と、それに伴う父・幸星の死。
その瞬間まで、四人家族は幸福の頂点にいたはずだ。父も母も統魔も幸多も、誰一人として不幸などではなかったはずだ。
幸せだった。
ただただ、幸せだったのだ。
だのに。
「どうして」
噛みしめるようにつぶやいて、拳を握り締めれば、サタンの幻影が黄金色の光線に撃ち抜かれた。誕生日会の場にサタンが現れた瞬間のことだった。黒く禍々しい怪物の胸を貫いた光線は、瞬く間にその全身灼き尽くしていく。
だが、止まらない。
サタンは、子供たちを突き飛ばすことで自分に注意を向けさせた幸星を捉え、その体内に取り込んでいったのだ。それが空間転移魔法などではないことは、一目瞭然だった。肉体がぐにゃりと歪み、ずたずたに破壊されていく様は、幸星が断末魔の声を上げることもできずに即死したことを理解させた。
その光景を目の当たりにした統魔や幸多、奏恵が、幸星の生存の可能性に縋らなかったのは、縋りようがなかったからだ。
一縷の望みもなかった。
肉体が徹底的に破壊され、魔法で復元することすら不可能だと確信させた。
その瞬間が、網膜に焼き付き、脳髄に刻みつけられた。
サタンが姿を消し、その場に残されたのは、絶望に呑まれた三人の姿だけだ。
その光景を見るのは、これで何度目なのだろう。
何十回、いや、何百回以上、この場面を繰り返し見ている。
「無駄だよ」
聞き知ったけれども、忘れてしまった声は、そんな風に告げてくる。
「過去に介入することなんてできるわけがない。たとえそれが夢であったとしても、きみが現実として受け入れている以上、改変することはかなわないんだよ」
「受け入れている……?」
「だって、そうだろう」
ふと気づくと、幸星の血にまみれたテーブルの上に人影があった。
「きみは、この日を始まりとした。きみの。ぼくたちの。すべての」
闇そのものような衣を纏った少年が、真っ赤な瞳で統魔を見つめていた。赤黒く輝く双眸は、統魔のそれに近く、けれども全く異なる代物だった。
少なくとも、人間のそれではない。
「だから、この日、このとき、この瞬間を否定することはできない。本来なら都合良く改変できる夢の中であっても、それだけは、決して」
声が、耳に馴染む。
ああ、と、統魔は思い出した。
「きみは、ぼくたちは、この日、すべてを始めたんだから――」
それは、幸多の声に似て非なるものだった。
目を見開くと、淡い光が視界に飛び込んできて、それすらも異様に眩しく感じた。痛みすら覚えるほどだった。それがたとえ錯覚なのだとしても確かに感じたのだから、彼は苦い表情をする。そして、表情を動かすことにも違和感を覚える。
意識が、判然としない。
長い間、夢を見ていたような気もするし、一瞬の出来事だったような気がしないでもない。
自分がいま、どこでなにをしているのか、まるでわからない。
不確かな、浮遊感としかいいようのない感覚が、彼を包みこんでいた。
体が妙に重いのは、長時間寝ていたからなのか、それとも、別の理由があるからなのか。頭が回らないから、想像もつかない。
視線の先には、見慣れた天井がある。天井照明の青白くも柔らかな光が、次第に目に慣れてきていた。戦団施設の一室だろう。そしてこの清潔な匂いは、医務局棟の中ではないかと思わせる。脳が、少しずつ回転を始めているようだ。
「ん……?」
声が間近で聞こえて、統魔は、わずかに頭を上げ、視線をそちらに向けた。自分の胸元。そこにルナの顔面があった。
「なにやってんだ?」
「あ……」
寝惚け眼のルナは、統魔の顔をじろじろと見つめると、ようやく状況を理解したようだった。がばっと上体を起こすなり、統魔が寝かされている寝台に飛び乗ってきたかと思うと、徐ろに抱きついてきたのである。
「起きた起きたやっと起きたあああああ!」
「なんなんだ?」
なにやら感極まったのか目に涙すら浮かべるルナの様子に、統魔は、呆然とするほかなかった。
ここが医務局棟内の一室で、統魔が長時間に渡って眠っていたことは、想像に難くない。ルナの反応からも明らかだ。しかし、ルナの喜びようは統魔の想像を絶するものがあり、故にきょとんとするのだ。
「おおっ、隊長、やっと気がついたのか!」
「統魔くん、おはよう!」
「真夜中だけどね!」
「じゃあ、おそよう?」
「そういう問題ではないのでは?」
ルナが号泣したまま抱きついてくるのを持て余しながら、統魔は、寝台の周りに部下たちが物凄い勢いで集まってくるのを見ていた。
室内には、いたらしい。
しかし、香織がいうように真夜中ということもあり、半分寝ているか、それぞれなにかしら別のことをしていたようだった。
統魔は、部下たちが安心しきった表情でこちらを見ている光景に対し、ちょっとした疑問を口にした。
「えーと……これはいったいどういうことだ?」
「二十日間……」
統魔が、愕然としたのは、当然の反応だっただろう。
寝台の上で上体を起こした姿勢の統魔は、ルナが全身で甘えてくるのを受け止めながら、部下たちから自分の身になにが起こり、あれからなにがあったのかをつぶさに聞いたのだ。
それによれば、統魔は、アーリマンとの戦闘中に意識を失ったのだという。ルナの機転によって救出されたものの、意識不明の重体のまま終戦を迎えた統魔は、速やかに境界防壁拠点に搬送された。
防壁拠点での検査では命に別状はないと診断されたものの、全く意識が戻る気配がなかったため、葦原市の戦団本部へと移送するべしと判断された。そして、この医務局棟の一室に移されたのだ。
医務局長・妻鹿愛直々の診断を受けたというが、その検査結果は良好そのものだったようだ。やはり生命状態になんの問題もなく、意識が戻らないのは、消耗しすぎた結果なのではないかと診断された。
そうして、統魔が意識不明のまま、二十日が経過した。
つまり、統魔が長い間夢を見ていた気がするのは、気の所為などではなかったということだ。
「ずっと、眠ってたのか……おれ」
「はい。あまりにも安らかに眠っておられましたし、命に別状はないということでしたので、心配こそしていませんでしたが」
「アザリンの嘘つきー。ずっと心配してたじゃん!」
「えーと……」
「そうだよ、皆して心配してたでしょ! 副隊長だからってかっこつけなくたっていいよ!」
「別に格好付けているわけでは……はあ」
香織とルナの迫力に根負けしたかのように字が息を吐く。そして、思い詰めたような顔を統魔に向けた。
「お二人の仰るとおりです。隊長が意識を取り戻すまでの二十日間、毎日、心配で仕方がなかったのは事実です」
「……どうやら、相当心配をかけたみたいだな」
「本当よー! わたしたち、寝る間も惜しんで看病に来てたんだからね-!」
「寝る間も……そうか。それは……済まないことをしたな」
「謝らないでください。わたしたちがここにいるのは、わたしたちの意志です。だれに命令されているわけでも、強制されているわけでもありませんから」
「うんうん。そうだよね」
「そうだな」
「みんな……」
統魔は、字やルナ、剣たちの顔を見回して、胸が熱くなってくるのを認めた。
いい部下に恵まれたものだと心底想ったし、果報者だと思わざるを得なかった。
ここまで隊長想いの部下など、そうはいないのではなかとすら思ったものである。
そして、統魔は、それからこの二十日間にあったことを聞いた。