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第九百七十四話 城ノ宮明臣(二)

 無明むみょうの暗黒に包まれていた護法院ごほういんの議場とは正反対の真っ白な空間は、目に痛いばかりの光に満ちていた。

 あちらが暗澹あんたんたる絶望の現在いまを投影しているのであれば、こちらは希望に満ちた未来を想像させる――というのは、言い過ぎかもしれないが。

 予期せぬ場面転換によって目の当たりにしたその幻想空間をすぐさま受け入れたのは、彼にとって見慣れた風景そのものだったからだ。

 護法院の議場と同じく、この幻想空間もまた、会議の場である。

 彼の。

 彼らの。

「どうもこうもないよ」

 明臣あきおみは、機械的に加工された声の憤慨ふんがいとも疑問とも諦観ていかんともつかない発言に対し、そのように返答した。

 真っ白な世界。床も壁も天井も、なにもかもが白一色に塗り潰された空間。影すらも白く染め上げられていて、白以外の色彩が入り込む余地が見当たらないほどだ。その空間の真ん中に配置されているのは円卓であり、これもまた真っ白だ。差し色の一つもなければ、わずかな陰影すら見いだせない。

 潔癖なまでの白さは、この空間を創造した人物の趣味に違いなかった。

 潔癖なのだ。

 その潔癖さ故に組織に入り、今日に至るまで使命を遂行してきた人物は、円卓に座し、こちらを見据みすえている。

 ただし、視線はわからない。

 というのも、座っている人物の姿もまた、真っ白だからだ。

 空間や円卓に溶け合うのではないかというほどの白さは、その人物のみならず、この場にいる全員の幻想体がそのように設定されていた。

 当然、明臣の幻想体もだ。 

 わずかに輪郭がわかる程度。

 護法院とは違うのだ。護法院の議場には、彼は城ノ宮(じょうのみや)明臣本人そのものの幻想体で召喚され、仮面の長老たちによる審問しんんもんを受けたのである。審問というよりは、決定事項を伝えるための機会に過ぎなかったようだが。

 そういう意味では、こちらのほうが審問と呼ぶに相応しいのではないか。

 明臣は、真っ白な円卓に腰掛けた三人を順番に見遣り、息をいた。

 ひとりは、真正面の席に座している。真っ白な幻想体は、人の形こそしているものの、個人を特定できるような特徴らしい特徴はなかった。ただし、立場を示すための赤い布が首に巻かれているため、それがだれなのかは一目瞭然だった。

 その正体を知るものにとっては、だが。

 そしてそれは、この場にいるものであれば知っていて当然の知識であり、故に隠す必要もない代物だった。

 なのに、姿を隠している。

 万が一の可能性を考えれば、当然の処置だ。

 二人目は、明臣から見て左斜め前の席に座り、卓上に肘を置いている。立場を示す青い布は、腕章のように巻いてあった。想像に過ぎないが、こちらに胡乱げな眼差しを向けているに違いない。

 三人目は、右側に座し、明臣に顔を向けていた。黄色い布を胸のポケットから覗かせているのが、らしいといえばらしいのかもしれない。

 明臣は、灰色の布を手首に巻き付けている。

 かつて幻想体にそのように設定したからであり、幻想空間から幻想空間への転移に際し、その設定が読み込まれたのである。

 そして、この会議場へと召喚された。

 明臣は、勢揃いとはいかない会議場の有り様に目を細めたものの、それも致し方のないことなのだろうと理解もする。

 この場に全員が揃うことは、ありうべかざることだ。うに組織としての機能は失われ、末端の細胞だけがからくものたうち回っているというのが現状なのだ。

 それでもどうにかして生き続けているのは、いずれ組織を再興させようという意志があるからなのではない。

 組織の存続よりも、使命の遂行を重視し、そのために全力を尽くしているだけだ。

 だから、末端の細胞だけでも生きていられる。

 このたった四人でも、活動していられる。

「わたしは、わたしの心のおもむくままに行動しただけだ。そしてそれは、戦団の導士なれば、だれもが胸に秘めたるものといていいはずだ。幻魔滅殺げんまめっさつ。それだけが、わたしを突き動かしているのだから」

「……あなたは、自分の立場というものがわかっているのかしら?」

 青い布の人物が、冷ややかな声を投げかけてきた。これまた機械的に加工された声だが、女の声だとわかるのは、正体を知っているからに違いない。

 その見えざる視線もまた、冷徹れいてつ極まりないことは想像にかたくない。表情もきっと、氷のように凍てついているのだろう。

 彼女の親友たる、氷の女帝の如く。

「わかっているとも。いったはずだ。わたしは、引退すると。灰の賢人けんじんとしての立場を降り、ただの導士になる、と。そのための後継者も用意した。升田春雪ますだはるゆきは、いまのわたし以上に灰の賢人に相応しい人材だ」

「……そうね。彼は、近い将来、灰の賢人としてあなたの役割を受け継ぐことになるでしょう。でもそれは、近い将来のこと。いますぐに、というわけにはいかないわ。それが困難だということは、あなた自身が一番理解しているはず」

「ほかの賢人ならばある程度融通が利く。しかし、灰の賢人は、その継承に細心の注意を払わねばならない。調停者ちょうていしゃなのだ。もはや組織としての体裁ていさいをも失った我らが辛くも生き延びているのは、調停者たる灰の賢人の尽力があればこそだ。きみの長きに渡る労苦ろうくは、よく理解しているつもりだ。きみが最愛の妻を失い、それでも賢人としての立場を、使命を放り出すことなく、身をこなにして働き続けてくれていたこともだ。そのおかげで、我々は計画を進めてこられた」

「ええ。まったく、その通りよ。でも、その計画が、あなたの行動一つで台無しになるかもしれないとなれば、わたしたちも黙っているわけにはいかないわ」

 賢人たちが、明臣の心情を理解しながらも、そのように述べてくることもまた、わかりきっていたことだ。まるで心の中に土足で踏み込んでくるかのような暴挙だが、それも致し方がない。

 そういう組織であり、そういう立場である。

 そして、明臣もまた、そのようにこれまでやってきたのだ。

 いまさら、自分だけが特別扱いされるべきだ、などと主張はしない。

 同じ体組織に構成し、のたうち回るようにして生きている細胞たち。

 同胞はらから

「……あなたの気持ちもわかりますよ、灰の賢人。妻子を幻魔に殺されたとなれば、賢人としての使命に拘泥こうでいなどしていられないのでしょう。幻魔と見れば、討ち滅ぼしたくなるのでしょう。ですが、こうなる可能性があることくらい、わかりきっていたはずです。あなたは、灰の賢人。大いなる調停者。わたしたちが受け持つ計画の全容を理解した上で、賢人としての役割を受けたはず。全てを始めたあの日、あなたは、なにもかも失う可能性すらも理解したのではなかったのですか?」

 黄の賢人の加工された声が、純白の空間に響き渡る。幾重にも反響しているように聞こえて、実際にはそんなことはなく、明臣の耳朶じだに染みこんできていた。

 鼓膜に突き刺さり、脳髄のうずいに刻まれていくその言葉の数々が、彼の心の痛みを増大させていくのである。

「ああ。そうだとも。すべてを理解し、受け入れ、使命を負った。灰の賢人として、調停者として、この地上に上がってきたのだ。全ては人類の未来のため。人類復興のため。幻魔殲滅のため」

 そのためならば、あらゆる犠牲を払う覚悟をしなければならなかった。

 あらゆるものを犠牲と切り捨て、代価として払う覚悟をしなければならなかった。

 それはたとえば、同僚であり、部下であり、あるいは家族であるのだとしてもだ。

 だから、彼は、だれとも深くは関わらず、孤独で在り続けようとしていたのだ。

 だが、そうはならなかった。なれなかった。

 明臣は、人を愛した。

 自分以外の他人が、好きで好きで堪らなかった。平穏な日常を謳歌おうかする一般市民が、常に死と隣り合わせの日々を送る導士たちが、家族が。

 だから、許せなかった。

 平穏を脅かす存在だ。

 このわずかばかりの人類社会を混沌で飲み込もうとする存在が。

「真に正しき世界のために」

 明臣は、拳を握り締め、告げた。

 真言しんごんのように。


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