第九百七十三話 城ノ宮明臣(一)
城ノ宮明臣がこの幻想空間上に構築された護法院の議場に召喚されるのは、必ずしも珍しいことではない。
明臣は、情報局副長である。
情報局長・上庄諱の右腕にして腹心であり、次期局長候補筆頭と名高い人物なのだ。
もっとも、年齢的に考えれば、自分よりも若い人材こそが次期局長に相応しいと考えており、仮に諱が局長の座を退いたとしても、そのころには明臣も引退の時期が差し迫っているのではないか、と想像することが多かった。
諱と明臣の年の差は、たった八歳である。
百四十六年生まれの諱に対し、明臣は百五十四年に生を受けた。若い頃ならばまだしも、この年齢ともなれば大した差ではない。
もちろん、魔導強化法によって調整された明臣たちの肉体は、魔法の存在しなかった旧時代とは比較にならないほどに壮健であり、若々しく、まだまだ働き盛りだった。
だから、諱が引退するのだとしても何年も先の話なのだろうし、諱の正式な後継者が見つかるまでの数年くらいは、代行として情報局長を務めるのも悪くない、などと考えたこともないではない。
しかし、今回のことで、そのような将来は潰えたに違いなかった。
戦団本部への出頭を命じられた明臣は、当然のことながら、抵抗など一切しなかった。
此度の暴走に呆れ果てているのは、ほかならぬ自分自身なのだ。
常に冷静沈着で、あらゆる状況に対応できるのが城ノ宮明臣という人間だったし、だれもがそのように褒めそやした。諱も、そんな明臣だからこそ、腹心として心底信頼し、側に置いてくれていたはずだ。自負もあれば、矜持もあった。
しかし、一時の感情に身を任せ、暴走してしまえば、これまで積み上げてきた実績も誇りも自負も、なにもかもが吹き飛んでしまうものだ。
暗澹たる闇の中に投影された己の幻想体を見る。城ノ宮明臣という人間を寸分違わず再現された幻想空間上の肉体。情報局副長らしく制服に身を包んだそれは、闇に浮かぶ複数の仮面に見据えられている。
竜、麒麟、栗鼠、雀、鷺、馬、鶴を模したような七つの面。それらが戦団創設者たちであり、戦団の長老たちの化身だということは、明臣ならずとも知っていることだ。
護法院。
戦団内における法の頂点に君臨する機構であり、戦団を統御する存在。
「情報局副長・城ノ宮明臣。きみがなぜ、この場に呼ばれたのかについて、存分に理解していることだろう」
「はい」
明臣は、ただ、真っ直ぐに竜の面を見つめた。その向こう側に神木神威がいるのだという事実が、明臣の意識を貫く。
神木神威。
戦団総長にして、戦団最高戦力。
竜級幻魔に匹敵する、ただ一人の人間。
規格外の魔法士であり、理外の存在。
人間に存在する人外。
彼が動けば、それだけで魔界は混沌と化す。鬼級幻魔を容易く撃滅し、〈殻〉すらも一撃の元に滅ぼし、だが同時に己も滅びに曝される。
故に、その力を使うことが禁じられているのが、神威なのだ。
神威が自由に動くことさえできれば、その絶大無比な力を振り回すことができるのであれば、央都を取り巻く状況は一変するのだろうが。
そうしていれば、彼の妻も娘も死なずに済んだのではないか――。
「きみは、技術創造センターから境界防壁内に転移し、カラキリに乗り込み、戦場に飛び出したそうだが、どういう意図があってのことなのだね? ここに至るまでに何度も聞いたのだが、要領を得ないのだよ。もう一度、説明してくれたまえ」
「……さて、どうしてなのでしょう」
「質問しているのは、こちらだ。城ノ宮明臣。情報局副長としてのきみの手腕、実績は理解している。上庄局長が右腕として重用しているということもな。だが、だからといって、きみの暴走を見過ごしていい理由にはならない」
「その通りだ。城ノ宮副長。きみは、なぜ、あのような真似をした。情報局副長たるきみを動員する理由もなければ、命令も出ていなかった。きみは、技術創造センターで、ユグドラシル・システムの再統合実験に専念しているべきだった。システムの再統合こそが、きみにとっての最優先事項だったはずだ」
「はい」
明臣は、ただ、頷くことしかできない。返す言葉もないとはまさにこのことだ。異論もなければ、反論のしようもないのだ。
戦いが始まった当初、明臣は、技術創造センターにいた。情報局の人間として、ユグドラシル・システムの再統合実験に関わるのは当然だったし、そこに全ての意識を集中していたのも事実だ。
ユグドラシル・ユニットの入手から今日まで、ユグドラシル・システムの完成をこそ、戦団は待ち続けていた。
ユグドラシル・ユニットとノルン・シリーズがユグドラシル・システムとして再統合されれば、それだけで戦団と央都にとって大きな一歩となるのは間違いないのだ。
不完全なノルン・システムではなく、完全無欠のユグドラシル・システムのほうが優秀なのは、いうまでもないことだろう。
そしてそのために、技術局も情報局も総力を結集し、全力を上げていたのだ。
明臣自身も、そうだった。
システムの完成のため、全てを費やしていた。
だが、気がつくと、防壁拠点の格納庫にいた。目の前にカラキリがあり、乗り込んでいたのだ。そして、管理者権限を駆使し、起動した。
彼は、その事実だけを淡々と説明した。自分でもなぜそうしたのかが理解できない、とも。
「……ふむ」
神威は、明臣の冷静すぎるほどの表情を見つめながら、息を吐いた。城ノ宮明臣のひととなりは、よく理解している。上庄諱の右腕であり、何十年もの間戦団を支えてくれた人材なのだ。総長たる神威が知らないわけもなかった。
いつだって歯に衣着せぬ発言をするという点においては、諱とよく似ている。だから馬が合うというのもあるだろうし、理解し合えるのかもしれない。
そんな明臣には、最愛の娘がいた。城ノ宮日流子である。先の第五軍団長であり星将であった彼女は、妻を失って以来、明臣にとって唯一の心の支えといって良かったのだろう。明臣は、日流子に膨大な愛情を注いでおり、日流子もまた、その愛に応えていた。
城ノ宮親子の仲の良さは、戦団内でも有名だった。
そんな愛娘を戦団の作戦によって失ってからというもの、明臣は、起きている時間のほとんど全てを仕事に費やすようになったという。元々仕事人間といわれるほどに仕事に熱中する類の人間だったが、日流子を失ってからはその傾向がより顕著なものとなったようだ。
諱が心配し、休むように命令しても、数時間後には職場に復帰しているという有り様だ。
仕事に打ち込んでいなければやっていられないのではないか、というのが諱の推察であり、実際、そうだったのかもしれない。
最愛の妻と娘を幻魔に殺されたのだ。
その痛みや哀しみ、怒りと憎しみは、時間とともに膨れ上がる一方だったのではないか。
その結果が、このような事態を招いたのだとすれば、その責任の所在について考えなければならないのが神威という人間だった。
明臣は、戦団にとって必要不可欠といっても過言ではないほどの人材だ。これまでも、そしてこれからも、彼の才能、実力は、大いに役立ってくれることだろう。
だからこそ、と、神威は長老たちと意見を纏め上げたのである。
「……情報局副長・城ノ宮明臣。きみには、六ヶ月間の謹慎処分を言い渡す」
「謹慎……ですか」
「そうだ。謹慎だ。きみは、数十年もの長きに渡り、戦団に貢献してくれた。戦団情報局は、いまやきみなくしては成立しえないそうじゃないか」
「それは……言い過ぎでしょう」
明臣が苦笑すると、栗鼠の面がわずかに揺れた。諱が首を横に振ったのだ。
「きみがこの数十年間、大して休みも取らず、働き詰めだということは我々も常々危惧していたところだった。特にここのところのきみを見ていれば、此度の暴走も想像に難くなかった。もっときみに注視し、きみを休ませておけばよかったと反省している」
「局長……」
「この謹慎は、もちろん、きみの暴走行為に対する処分であるが、同時にきみの心身を休ませるために必要な処置だと考えている。きみは、働き過ぎたのだ。少しの間、戦団のことなど考えず、休みたまえ」
諱の言葉が、結論だった。
明臣に反論を述べる機会は与えられなかったし、そもそも、そのようなものを持ち合わせてはいなかった。護法院の議場から明臣の意識が転移する。
暗澹たる闇に満ちた幻想空間から、目に痛いばかりの真っ白な幻想空間へ。
「六ヶ月……か」
明臣が、小さくつぶやけば、嘆息が聞こえた。
「まったく、どういうつもりなのか」
機械的に加工された声が、幾重にも響いた。