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第九百七十一話 それぞれの終戦(三)

 地上が、静寂を取り戻しつつある。

 もちろんそれは、地上の極一部の地域の話に過ぎず、全体を見れば、どこもかしこも相も変わらず混沌たる有り様であり、騒乱と闘争に満ちているのだが。

 かつて人類によって地球と名付けられた星が魔界と化してからというもの、どれほどの年月が経ったのだろうか。

 魔天創世まてんそうせいによって幻魔の世が開かれる以前からこの天地を我がものとしていたのが幻魔たちであり、魔界と呼ばれるようになってからというもの、この世界の覇権を巡る闘争は、激化の一途を辿っていた。

 連日連夜、飽きることなく闘争が繰り返されており、何十日、何百日もの間、戦い続けている〈クリファ〉もあるほどである。

 闘争こそが幻魔の幻魔たる所以ゆえんなのではないかと思うほどだ。

 鬼級幻魔の本能に刻まれた領土的野心は、常に火が点き、紅蓮ぐれんの炎となって燃え盛っている。故に、どこもかしこも戦乱の火種ひだねが消えることはなく、日夜大地をがし、天をも染め上げているのである。

 そんな魔界にあって、ようやく静けさを取り戻しつつあるのは、つい先程まで激戦を繰り広げていた人類生存圏である。

「これで……しばらくは落ち着くかな」

「ガブリエルとウリエルを差し向けたんだ。落ち着いてもらわなければ困るだろう」

「まあ、その通りだね」

 ルシフェルは、苦笑とともにメタトロンの顔を見た。いつも通りの冷ややかな表情を浮かべた熾天使してんしは、彼の腹心らしくそこにあった。

 ここは、ロストエデン。

 人類がその栄光を誇るように作り上げた空中都市、その残骸ざんがいを元とするルシフェルの〈殻〉であり、ルシフェルの放つ光によって包まれた天使たちの楽園である。

 ロストエデンには、ルシフェルとメタトロン以外にも数多の天使たちが住んでおり、戦いを終えた天使たちが羽を休める姿が散見された。最下位の天使から、熾天使に次ぐ階級である智天使に至るまで、ルシフェルの下に集った数多の天使たち。

 天使型幻魔、ともいう。

 この場にガブリエルとウリエルの姿がないのは、地上に派遣しているからだ。

 そしてそれによって、地上が落ち着き始めているというメタトロンの指摘は、当たっている。。

 鬼級幻魔オロバスとエロスが滅び去り、その〈殻〉が空白地帯と化した。それによって近隣の〈殻〉が軍勢を差し向けてくるのは自然の理そのものだが、しかし、人類生存圏のことを思えば、近隣の〈殻〉の拡大ほど厄介なことはない。

 人類生存圏には、安定していてもらわなければならない。

「ふたりが眼を光らせてくれている限りは、央都は安心だろうね」

「安全なのは、西方だけだ」

「わかっているよ」

 ルシフェルは、メタトロンの警告にも似た言葉に笑い返す。

 どうやらメタトロンが立腹らしいということは、ここに帰り着いたときからわかっていた。

 白銀の熾天使は、いつになく強い光を帯びていたのだ。

 彼自身がアザゼルとの戦いによって負傷したことに怒っているはずもなるまい。それはメタトロンの不注意であり、メタトロン自身の失態なのだ。

 彼がルシフェルに怒りを向けるとすれば、それは、彼自身にはどうしようもないことに対してだ。

「ここにサタンが来た」

「……なるほど」

 合点がてんが行く。

「この一連の流れは、サタンにとっても想定外のことだったようだね」

「……まったく、馬鹿げている」

「わたしもきみの意見に賛同するよ」

 馬鹿げている。

 なにもかもが馬鹿げている。

 が、どうしようもない。

 ルシフェルは、再び眼下を見渡した。

 ここはロストエデン。超高空を揺蕩たゆたうう空中都市から地上の様子を知るには、魔法を使うしかない。そして、その手の魔法は、天使の得意技だった。

 魔法の目によって地上を見渡したルシフェルは、ウリエルの〈殻〉と、ガブリエルの〈殻〉が、天使たちによって幻魔都市としての形を成していく様を見た。

 ウリエルは、〈殻〉にオノゴロと名付けたのだが、その理由はわからないらしい。本能がそう命名させたに違いなく、そしてその本能とは、よすがと紐付いているものだということは、いうまでもない。

 ルシフェルがそうであったように。

 メタトロンがそうであったように。

 アーリマンが、アザゼルが、そうであったように。

 天使も悪魔も、よすがから逃れる術はない。

 そういう生き物であり、そういう存在なのだ。

 故に、この度の戦いが起きた。

 サタンも予期せぬアーリマンの暴走は、アーリマンの本能の根底にあるよすがが招いたものに違いないのだ。

「とはいえ……計画が破綻はたんするような真似だけはしてもらいたくないな」

 ルシフェルのささやくような言葉を聞いて、メタトロンは静かに頷いた。


「まったく、どいつもこいつもわかってねえな」

「なんでそんなに偉そうなの?」

「おれ様はいいんだよ、おれ様は」

「なにが?」

「はあ? 一から説明しないと駄目か?」

「……まあ、わかるけど」

「しょうがねえなあ、説明してやるか」

「説明したいだけじゃ?」

「うるせえ!」

 背後から雑音のような会話が聞こえてくるが、彼は、黙殺した。

 ベルゼブブとマモンが相変わらず仲良くやっていることそのものは、問題ではない。たとえそれが耳障みみざわりな会話であっても、無視すればいいだけだ。

 問題なのは、いま、目の前にいるものたちだ。

「……言いたいことが山ほどあるんだけど、わかるかな」

 サタンは、三体の悪魔を見つめていた。

 ここは、ハデス。闇の世界とも呼ばれるアーリマンの〈殻〉の中だ。無明むみょうの暗黒によって支配された領域には、光という光がなかった。どこもかしこも闇ばかりであり、闇の中に輝いているのは、悪魔たちの赤黒い瞳だけだ。

 アーリマン、アスモデウス、アザゼル。

 三体の悪魔が、サタンの魔力によって拘束され、空中に固定されているのだ。

 その様を、サタンは玉座に腰掛け、見つめていた。ただ、真っ直ぐにその視線を注いでいるのである。彼の視線には魔力があり、見つめられるだけで破滅的な痛みが悪魔たちを襲った。

 だが、悪魔たちは、身動みじろぎ一つできなければ、苦悶くもんの声を漏らすことも許されない。反応ひとつ、許可されていない。ただ、苦痛に苛まれ続けている。ともすれば意識が消し飛びそうなほどの苦痛。だが、決して意識が途絶えることはないという確信がある。

 意識を失えば、痛みを感じずに済む。

 サタンの怒りは、そんな逃げ方を許すわけがなかった。

「きみたちは、ぼくのこまだ。この大いなる計画の重要な駒なんだよ。駒が自分の意志を持って動いたら、ゲームにもならないだろう? それとも、きみたちの頭の中じゃ、駒が勝手に動くものなのかな?」

 サタンが常ならざる怒りをもって悪魔たちを罰しているのは、火を見るより明らかだった。

 故にベルゼブブは声をひそめるどころか口を閉ざしたし、マモンは、ベルゼブブの背後に身を隠した。サタンがこれほどまでに怒っているのを見たことがなかった。

 サタンは、〈七悪しちあく〉においては〈憤怒ふんぬ〉を司る。

 とはいえ、常に怒り狂っているわけではない。むしろ、なにがあれば怒るのかというくらいには寛容かんようだったし、冷静沈着だった。

 計画を遂行することが全てであり、それ以外のなにもかも些事さじであるといわんばかりの鷹揚おうようさは、悪魔たちの王に相応ふさわしい。

 だからこそ、ベルゼブブもマモンも、サタンが激怒している様子を目の当たりにして、震えるのである。

 その怒りは、悪魔という生命体を根底から消し去りかねないほどに凶悪無比だった。

 事実、アーリマンもアスモデウスもアザゼルも、抵抗一つできず、拘束されている。その上で、破滅的な痛苦に耐え続けているのだ。

 反論は許さず、意見も許さず、反省することも、後悔することも許さない。

 ただ、罰し続けている。

 だが、それも致し方ないと思わざるを得ないのが、ベルゼブブであり、マモンだった。

 ふたりにしてみれば、アーリマンたちがしでかしたことの重大さを考えれば、サタンからの罰がこの程度で済んでいるのは温情としか言いようがないのではないかと思えてならなかった。生温すぎるといっていい。

 サタンがいったとおりだ。

 悪魔たちは、サタンにとって手駒に過ぎない。

 大いなる計画に支障をきたしかねないほどのことをしでかした彼らだが、彼らを失えば、大いなる計画が頓挫とんざこそしないものの、遅延ちえんするのは間違いない。故に、罰するだけに留めているのである。

「まあ、きみたちに自由を与えたのはぼく自身なんだけどね」

 サタンが、困ったような表情をして、悪魔たちを解放する。これ以上罰したところでどうにもならないと悟ったのだ。

 空中から床に落ちたアーリマン、アスモデウス、アザゼルは、息も絶え絶えといった様子でサタンを仰ぎ見た。全身がばらばらになっていないのが不思議なくらいに、体内を激痛がのたうち回っている。

 そんな悪魔たちを見据えるサタンの双眸そうぼうは、闇よりもくらく、血よりもあかく輝いていた。


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