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第九百七十話 それぞれの終戦(二)

「この長城……」

 蒼秀そうしゅうが、左右に伸びる境界防壁きょうかいを見回すようにしながら、大きく息を吐いた。防壁の上方に作られた歩廊ほろうからは、護法の長城がどこまでも続いているように見えなくもない。

「どうにか守り切ることができたな」

 頭上、赤々と燃える空模様は、いまにも夜の闇が迫っているようには見えなかった。吹き抜ける風は冷たく、高空を巡る雲の数も多くはない。西の彼方、地平の果てに沈みゆく太陽は、その傾きの深さに反比例するようにして輝きを強め、世界を照らしているのである。

 夕日に照らされているのは、境界防壁だけではない。

 数時間前まで熾烈な戦いが繰り広げられていた戦場も、いまや広大な空白地帯と化した〈殻〉の跡地もまた、燃え盛る陽の光にさらされている。

「長城への直接攻撃もあったそうだけど、無事だったのは副長たちのおかげだって」

 火倶夜かぐやは、歩廊の柵に上体を預けながら地上を見下ろしていた。強化樹脂製の柵は、火具夜程度が全体重をかけたところで折れる心配はない。

 当然のことだが、眼下に広がる戦場跡に導士の姿は見当たらなかった。生者も、死者も、一人残らずこの防壁拠点への帰還を果たしている。たとえその亡骸から肉体の大半が失われ、ほんのわずかしか残っていなかったのだとしても、確実に回収して見せるというのが、戦闘部の決意のようなものだった。

 戦闘部の導士たちは、いつだって死と隣り合わせだ。

 まさに決死の覚悟で戦っているし、いつ戦場で死んだとしてもおかしくないとだれもが想い、理解している。織り込み済みといっても過言ではない。

 故に、その亡骸だけでも回収することがせめてもの救いとなると信じているのだ。

 そんなもので死者の魂が慰められ、残された生者たちの悲しみが消え去るというわけではないが。

 一方、クニツイクサの残骸は、戦場の様々な場所に散らばっているはずである。いくらかは回収したものの、激戦の最中に破損し、散逸した全部品の回収など、到底不可能だった。だれもが消耗し、疲弊ひへいしている。

 火倶夜たちだって、そうだ。

 この場に集まった五人の星将せいしょう全員が、疲労困憊ひろうこんぱいだった。

「ああ」

 美由理みゆりは、火倶夜の言にうなずき、魔界の有り様に目を細めた。

 火倶夜の言にあるとおり、第九軍団副長・八咫鏡子やたきょうこと第十軍団副長・平塚光作ひらつかこうさくが戦場に出ず、境界防壁で待機していたのは、万が一に備えてのことだった。

 オロバス・エロス連合軍が、光都こうとを襲撃したときのような予期せぬ戦術を用いてきた場合に備え、二名の副長を境界防壁に待機させておいたのである。

 星将は、戦場に突出し、鬼級の相手をしなければならなかった。

 その相手がオロバス一体ならば、大きな問題にはならない。杖長たちで対応可能だろう。

 しかし、戦場ではなにが起こるのかわからないものである。

 故に、副長を長城防衛に回すのは正しい判断だったのだ。

 事実、副長たちの活躍もあり、長城は無傷のまま終戦を迎えることができたのである。

 長城への、境界防壁への直接攻撃を防ぎきり、幻魔の接近を阻んだのが副長たちなのだ。

 そんな副長たちに擬態ぎたいした悪魔が、美由理の脳裏のうりよぎった。

 アザゼル。

 〈嫉妬〉を司る悪魔は、幸多を殺そうとしたというのだが、天使型幻魔メタトロンの介入によって撃退されたというのだが。

 美由理には、幸多のことが気になって仕方がなかった。

「で、空白地帯は空白地帯のままなのはなんでだ?」

 明日良あすら怪訝けげんな顔でオロバス領跡地を睨み付けた。彼がそう思うのも無理からぬことだったし、ほかの星将たちも同じ意見だった。

 オロバス領は、滅び去った。

 殻石クリファイトの破壊により、〈殻〉そのものがこの地上から消滅したのだ。そして、支配者の存在しない広大な空白地帯が出現した。となれば、近隣の〈殻〉が、殻主かくしゅたちが、己が本能の赴くまま、野心と欲望に突き動かされるまま、軍勢を差し向けてくるはずである。

 事実、戦団がすみやかに撤収したのは、数多の幻魔が接近しているという報せがあったからだ。

 四方八方から、オロバス領へと殺到する幻魔の大群は、死闘を終え、消耗し尽くした導士たちでは対応しきれるものではあるまい。

 星将たちですら命の危険を感じるほどの状況だった。

 命からがら境界防壁に辿り着いたといっても過言ではない。

 それなのに、だ。

 いま、明日良たちが見渡している空白地帯では、戦闘らしい戦闘も起こっていなかった。

 戦団とオロバス・エロス連合軍の激戦の痕跡こんせきが生々しく残ったままの状態であり、そこに新たになんらかの力が加わった様子もない。

「〈殻〉が一つ消滅したのなら、その空白地帯を巡って相争うのが幻魔ってもんだろ。それなのに、なんだってんだ?」

「それがわかりゃ苦労しないんだけどね」

 めぐみは、肩をすくめた。風に揺れる白衣は、夕日を浴びて、赤々と輝いている。

 明日良の疑問ももっともだったし、愛も同感なのだ。

 オロバス領の周囲には、いくつかの〈殻〉がある。

 まず、北西にエロスの〈殻〉があった。オロバス領よりも遥かに規模の大きな〈殻〉だったが、これもまた消滅している。

 エロスが怒り狂った果てに星将たちを殺戮さつりくするべく、力の制限がある幻躰げんたいであることを止め、殻石を解放したからだ。それによって〈殻〉が消滅したのだが、それそのものは、エロスにとって問題ではなかったのだろう。

 オロバスのかたきち、戦団の戦力を殲滅せんめつした後に元の〈殻〉を回復すればいい。

 あるいは、オロバス領の跡地を己が新たな〈殻〉としたのか。

 それは、ともかく。

 エロスとオロバスの〈殻〉が消滅したことによって、広大な空白地帯が出現したのである。

 オロバス領の北東に位置する〈殻〉は、鬼級幻魔セベクの領土だ。これはオロバスの〈殻〉と同規模の〈殻〉である。

 西にはアガースラの〈殻〉が、南西にはルサールカの〈殻〉がある。このふたつの〈殻〉は、オロバスやセベクとは比較にならないほどに小さく、故に突如出現した広大な空白地帯を目の当たりにすれば、いても立ってもいられなくなるのではなかろうか。。

 実際、大量の幻魔が、オロバス領跡地に押し寄せていたのだが。

「空白地帯を包囲してはいるようだが」

 美由理は、遥か遠方まで目を遣り、霊級や獣級の大軍勢が広範囲に渡って展開している光景を見ていた。旧オロバス領の北東方面、つまりセベク領を進発したのだろう幻魔の群れ。だが、それら幻魔の群れは、旧オロバス領に接近こそすれ、目の前の空白地帯に足を踏み入れることすらできないといった有り様だった。

「まるで結界かなにかに阻まれているようだな」

「結界……まさか」

「まさか?」

『そう、そのまさかよ』

「イリア? なにかわかったのか?」

 不意に話に割って入ってきたのは、日岡ひおかイリアである。彼女の通信機越しの声は、鮮明にして冷ややかだった。

『ええ。とんでもないことがわかったのよ』

「とんでもないこと?」

「なんだそりゃ?」

『オロバス領の跡地は、ウリエルの〈殻〉になったわ』

「うん?」

「なに?」

「ウリエルの……〈殻〉?」

『外から見ただけじゃわからないでしょうけれど、あの空白地帯の中心には、ウリエルがいるのよ。熾天使してんしの内の一体がね』

 イリアの衝撃的な報告は、さらに続く。

『そして、エロスの〈殻〉の跡地は、ガブリエルの〈殻〉になっているみたいよ』

「はあ?」

「天使たちの狙いはそこだったということか?」

『それは……どうでしょうね』

 星将たちが驚きを隠せない中、イリアは、淡々と続けていった。

『彼らは、人類の守護者を自称しているわ。もちろん、そんな言葉を信用する道理はないけれど、同時に、わたしたちを助けてくれたという事実もある』

本荘ほんじょうくんを殺そうとした天使もいたが」

『……本荘さんが人類にとって有害な存在だったのなら、それを排除しようとするのは、人類の守護者として正しいことじゃないかしら』

「やけに天使の肩を持つじゃねえか」

『別に天使を受け入れたわけじゃないわ。あくまでも一般論よ』

「では聞くが、一般論として、この状況をどう見る?」

『そうね。天使たちが本当に人類の守護者なら、わたしたちの味方をしてくれるというのであれば、この状況は好都合としか言い様がないでしょうね』

 イリアが小さく息を吐く。

『オロバス領は、央都の西における最大の敵だった。なんといっても央都侵攻の意図を持ち続けていたもの。だから撃破できたことは、戦団にとってもこの上なく大きな出来事だった。その結果誕生した空白地帯が仮にセベクやアガースラの〈殻〉になってしまった場合、せっかく排除した脅威が復活することになりかねない。いいえ、セベクの領土が拡大するなんていう結果だけは、なんとしても避けるべきだった』

 セベクがオロバス以上の戦力を手に入れれば、両度拡大のため、央都侵攻を企みかねない。

『そこへ、ウリエルとガブリエルの〈殻〉が誕生した。天使たちが、人類に味方してくれるのなら――いいえ、たとえ積極的に人類に与してくれなくとも、ただそこにいてくれるだけでとてつもなく大きいのよ。抑止力になり得る』

「抑止力……」

「なるほど、確かにねえ」

 ガブリエルとウリエルの〈殻〉が存在するだけで、そこに数多の天使たちがいるというだけで、近隣の〈殻〉は、動きにくくなる。

 戦団にとって、人類にとって、これほど大きな援護はないといってもいいのではないか。

 天使が、人類に牙をかない限り、だが。


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