第九百六十八話 いつか聞いた声(二)
きっと、間違いなく始まりはそれだ。
統魔は、草原の先を見遣り、どうしようもなく絶望的な気分になった。
これが夢なのだとしても、これ以上先に進みたくはなかった。
夢ならば、甘く優しい、望み通りの光景を見せてくれればいいものを、どうやらそういうわけにはいかないものらしい。
それこそが夢だということは理解している。
脳が見せる幻想であり、妄想であり、想像であり、空想の世界。
良い夢も、悪い夢も、無差別に、無作為に襲い来る。
では、これは悪夢なのか。
「そうじゃないよね?」
問われて、口を噤む。
草原の先には、一軒家があった。決して小さくはない。むしろ、一般家庭が持つには大きすぎるくらいの家だ。しかし、山の麓に広大な土地を手に入れた夫婦は、子を設けると、その一軒家を中心とする敷地内をこそ、世界の中心とした。
敷地の内側に楽園を築き上げることで、我が子が外界と触れ合う機会を極力減らそうと努力したのだ。
いずれ、その子供が箱庭の楽園を飛び立つ日が来ることは理解していながらも、素直で純粋すぎる幼子が、思わず外界に飛び出し、傷つき、嘆き、絶望する可能性を憂慮したのだ。
だから、物心ついてもなお暫くの間は、その子供が敷地の外に出ることはほとんどなかった。
皆代家。
皆代幸星を大黒柱とするその一家は、妻の奏恵と一人の息子、幸多の三人家族だった。
幸多を箱庭に閉じ込めておきたかったのは、極めて単純な理由であり、純粋な親心からだ。
完全無能者である幸多にとって、魔法社会の現実は、あまりにも辛く険しく厳しいものに違いないからだ。
だから、幸星も奏恵も、子育てに際し、魔法を一切使わなかった。
統魔が家族に加わるまでは。
今から十一年と少し前のことである。
統魔は、皆代家の一員となった。
そのころには統魔の存在は、多少なりとも世に知られていた。が、幸多のほうがもっと有名だったはずだ。
完全無能者として生まれ落ちたからには、知られない理由がないのだ。
魔法不能者は、千人に一人という割合で生まれるとされているが、完全無能者などという存在が誕生したことは、魔法が発明されてからというもの、記録されたことがなかった。
魔法不能者の中でも例外中の例外であり、歴史上最初に確認された完全無欠の魔法不能者。
それが幸多だ。
故に幸多の誕生は、央都のみならず、双界全土で取り上げられるほどのニュースとなり、世間を騒がせた。
とはいえ、魔法不能者そのものは、巷にありふれている。
魔法の誕生と発展、普及によって、全人類が魔法士となったころから、魔法が使えない人間がいることもまた、確かな事実として認識されていったのである。
魔法不能者が人間扱いされない時代もあった、という。
魔法が身体能力の延長と考えられた魔法社会において、魔法を使えないというのはそれだけで異様であり、異常であるとされたのだ。
それも遠い昔。
いまや、魔法不能者であっても社会から排除されることもなければ、差別を受けることは少なくなった。
少なくなっただけで厳然と存在し、完全無能者たる幸多が、魔法士の子供たちに興味本位で傷つけられることも確かにあったのだが。
それは、それとして。
皆代家は、幸福な家庭だっただろう。
少なくとも、統魔は、そう確信している。
「だったら、見ていきなよ」
聞き知り、聞き慣れた声がいうように、その幸福な過去の記憶を元に作り出された夢の世界を見ることそのものは、苦痛などではなかった。
むしろ、浸りたいくらいだ。
ここには、全てがあった。
安らぎも、穏やかさも、健やかさも、楽しみも、喜びも、嬉しさも、尊さも、幸せも、なにもかもがここにあった。
そして、痛みも、苦しみも、哀しみも、怒りも、嘆きも、絶望も、すべてがここから始まるのだと確信もする。
「おれは」
統魔は、立ち尽くし、その一軒家を見つめている。
ついこの間帰ったときに見たのとほとんど変わらない外観だが、家の外を遊び回る子供たちの姿は、数年前のものだ。
いまから六年と少し前。
まだ十歳になってもいない統魔と幸多が、広い広い庭の中を走り回っている。統魔が飛行魔法で飛び回れば、幸多が必死になって追い縋り、飛びかかる。
幸多の身体能力の高さは、そのころから圧倒的だった。統魔が全速力で飛行しなければすぐさま追い着かれ、地上に引きずり下ろされてしまうほどだ。だから統魔は、速度を緩めず、幸多も対抗して速度を上げる。
やがて幸多が統魔に追い着いたのは、統魔が幸多を煽るために高度を落としたからであり、そこを見逃さなかった幸多が統魔に飛びかかって捕まえたからだ。二人して草原の中に落下して、声を上げた。
家の中から飛び出してきた幸星は、土まみれになった二人を捕まえて、困ったような顔をした。いつだって穏やかで、決して怒ることのない幸星は、理想的な父親だっただろう。
統魔が皆代家に馴染めたのは、そんな父といつだって笑顔を絶やさず、笑い転げてさえいる母親のおかげだった。
いつだって両親の愛に包まれていた。
包まれていたいと思った。
いつまでも。
永遠に長く。
けれども、この世に永遠なんてものはないこともまた、どこかで知っていたように思う。
いつものように土まみれになった息子たちを見て、奏恵が大笑いしながらも、二人を風呂場に連れていく。体についた土を落とすくらい、魔法を使えばすぐに終わるのだが、幸多の手前、両親が魔法を使うことはなかった。
統魔だけだ。
統魔だけは、幸多の前でも平然と魔法を使ったし、幸多に対しても魔法を使った。
それが統魔なりの幸多への愛情表現だということは、幸多だってわかってくれていただろう。
そしてそれは、幸多がいまもなお真っ直ぐな性格の持ち主だということからも明らかだ。幸多ほど真っ正直で真っ直ぐな人間を、統魔は知らない。
幸多は、ひたすらに真っ直ぐだった。真っ直ぐすぎて心配になったのは、統魔だけではないはずだ。幸星も奏恵も、幸多の将来を多少なりとも案じていたようだ。
この真っ直ぐさでは、いつか現実と激突し、折れてしまうのではないか。
折れてしまえば、二度と戻らなくなってしまうのではないか。
それほどの真っ直ぐさだった。
けれども、そんな心配は一切いらなかった。少なくとも、いまのところは、幸多が折れる気配はない。これだけ厳しい現実に直面し、何度となく激突しているのにも関わらず、幸多はいまもなお、真っ直ぐだった。
鋭すぎるくらいに真っ直ぐで、つい、目を細めたくなるほどだ。
光り、輝いている。
夢。
これは、夢。
あの日の。
始まりの。
終わりの。
「夢」
「そう、夢」
「どうして?」
「それはきみが見たがったからだろう? だから、見せてあげてるんじゃないか」
聞き覚えのある、けれども忘れてしまった声は、統魔に夢の続きを見せようとしてくるのだ。
統魔は、目を逸らすことができなかった。目を瞑ることも、背けることも許されない。
見ていなければならない。
これからなにが起こるのか、全てを理解しているというのに、だ。
それは魔暦二百十六年六月五日に起きた。
六月五日は、二人の誕生日だった。
統魔と、幸多の。
二人は同年同日に生まれた。血の繋がりはないが、双子のようだとよくいわれるのは、仲の良さもそうだが、生年月日が一緒で、背格好も似ていたこともあるだろう。さらにいえば、家族として暮らす間になんだか全部が全部、似てきていたのだ。
両親は、統魔がここまで幸多と仲良くなるとは思っていなかったようだし、統魔自身、そう想っていた。
まさか、幸多に自分の心の全てを明け渡すほどになるなどとは、考えてもみなかった。
本当の兄弟よりも兄弟らしく、本当の家族よりも家族らしく。
皆代家の一員になれて良かったと想わなかった日はなかったし、その日だって、そうだった。
前日の夜から、この日のことが楽しみで仕方がなかったのだ。
兄弟二人の誕生日。
血よりも濃く深い絆で結ばれた家族の、一生の想い出となる日。
幸星がこの世を去った日。
決して忘れることのないその出来事が、なぜ、この幸福に満ちた夢の世界に形となって現れるのか、統魔には理解ができなかった。
夢ならば甘美なものを見せてくれ、と、叫びたかった。
草原のただ中に用意されたテーブルと椅子は飾り立てられ、テーブルの上には色鮮やかにトッピングされたケーキと、統魔と幸多の大好物ばかりが並んでいた。
この日の主役は、統魔と幸多であり。だから二人は派手派手しい格好をしていたし、楽観的としか言いようのない様子だった。
幸福の絶頂だったのだから仕方がない。
二人だけではない。
幸星も奏恵も、幸福の真っ只中にいたのだ。
あの日、あのとき、あの瞬間、それが起こるまでは。
だから、統魔は、きっと、絶叫していた。