第九百六十六話 戦いの終わり方(五)
「これは……どういうつもりかな?」
城ノ宮明臣が、おもむろにわかりきったことを問うたのは、ただの事実確認に過ぎない。
戦いが、終わった。
オロバス・エロス連合軍は、殻主たちの消滅によって瓦解し、二つの〈殻〉が地上から消え去った。数多の幻魔が支配から解放され、自由の身となったことだろう。
そうして誕生した広大な空白地帯は、周囲の〈殻〉による領土争奪戦の舞台となるはずだ。
戦団側の損害は大きく、損失を埋めるには相応の時間が必要となるだろう。
勝利の余韻に浸っていられるのは、末端の導士たちだけだ。
戦団上層部などは、この戦いの事後処理に奔走していることだろうし、大いに頭を悩ませているに違いない。
それは、いい。
問題は、いま彼の周囲で起きていることだ。
明臣は、導士たちに取り囲まれていた。
副長たちに連れられて境界防壁に帰投し、真星小隊と別れた直後のことである。
第九軍団副長・八咫鏡子と第十軍団副長・平塚光作が、明臣の進路に立ちはだかり、彼らの部下が彼を取り囲んだのだ。
防壁拠点内の一角。
導士でごった返しているということもあり、注目を集める羽目になってしまった。
「いわねば、わかりませんか?」
「いや」
平塚光作の申し訳なさそうな表情を見て、明臣は軽く手を振った。理由など、聞かずともわかりきっている。わからないわけがない。
身に覚えがありすぎる。
「情報局副長・城ノ宮明臣、あなたには戦団本部への出頭命令が出ています。応じないのであれば、この場で拘束することになりますが」
「……応じない理由もないよ」
「では、いますぐ戦団本部へ参りましょう」
「いますぐかね。ご覧の通り、消耗し尽くしているのだが」
「移動中の車内でなら、いくらでも休んでくださって結構よ」
冬の風のように冷ややかな声が、明臣の耳朶に突き刺さった。向き直れば、白衣の技術者が彼を睨み据えている。
日岡イリアである。
最新技術の結晶であるカラキリを台無しにされ、残骸の回収すらできなくなったことに激怒しているようにも見える。実際それもあるのだろうが。
(それだけではあるまい)
明臣は、胸中、彼女に同情を禁じ得なかった。
明臣自身、己の暴走には呆れている部分がないではなかった。
サタンへの復讐は、このようなことで果たされるものではない。
それくらい、理解できないはずがないのだ。
「相変わらず、うちの隊長はやることなすこととんでもないんだよなあ」
真白が天井照明の柔らかな光に目を細めたのは、治療所でのことだった。
防壁拠点内の各所に設けられた簡易治療所は、どこもかしこも戦いを終えたばかりの導士たちで溢れかえっていて、治療所前の通路には順番待ちの待機列ができているほどだ。
真星小隊が、待機列をすっ飛ばして治療を受けることができたのは、待機中の導士たちに先を譲られたからにほかならない。
それだけ、皆、真星小隊の活躍に興奮し、感謝しているのだ。
幸多は、そんな導士たちの厚意にこそ感謝しつつも、順番待ちすることにこだわったのだが、導士たちの意志の強さに根負けする形で、治療所に押し込まれたのである。
「その隊長に付き合ってるあなたも大したものよ」
医務局の導士は、真白の身体検査と治療を終え、彼の体に問題がないことを確認すると、起き上がるようにいった。
真白は、寝台から起き上がると、大きく伸びをする。あくびが漏れた。心身ともに消耗し尽くしている。いまこうして動き回れるのは、興奮状態にあるからだ。
精神が、昂揚している。
「ま、おれらだけだよ、隊長についていけるのはさ」
真白の自信と確証に満ちた物言いには、導士も口元を綻ばせた。まるで親に褒められた子供のような明るさがあったからだ。
真白が治療所を出ると、隣の部屋から黒乃が出てきたところだった。
「ちょうどだな」
「……兄さん」
黒乃は、真白に呼びかけられて、ようやく兄の存在に気づいた。俯けていた顔を上げ、兄の顔を視界に収めると、心の底から安堵する。
検査や治療が兄と別室になっただけで不安になるのが、黒乃という人間なのだ。そして、兄の顔を見ただけで不安が吹き飛ぶのもまた、黒乃なのである。
そんな弟の不安定さを理解しているからこそ、真白はことさら笑顔を向ける。
「なんで別々の部屋になるかなあ……」
「そりゃあ仕方がねえよ。この人集りだぜ?」
「それはそうだけど……」
黒乃が相変わらず不満そうにいう様を見て、真白は苦笑するしかない。黒乃の精神性は、あの死闘を経てもなお変わっていない。
真白も、そういう部分がないとはいわないが。
隣にぴったりとくっついてくる弟をわずらわしそうにしつつも、実際にはそういう風には思っていないのが真白なのだ。
しばらくすると、別の治療所から義一が出てきた。彼は、いつものように仲良さそうに寄り添う双子を見て、微笑んだ。仲の良さなら、九十九兄弟にかなうものはいないのではないかと思うほどだ。そして、それが微笑ましくもあり、羨ましくもある。
「なんの問題もないってさ」
彼はそういって、真白たちの元へ歩み寄った。
真星小隊と城ノ宮明臣の五人は、アザゼルの急襲を受けた際、幸多を除く四人は意識を失うほどの重傷を負った。しかし、アザゼルが去り、真白たちが意識を取り戻したころには、全身の傷が癒えていた。
幸多の話によれば、天使型幻魔メタトロンの治癒魔法のおかげなのだという。
幻魔の手によって治療されるというのはあまり良い気分ではないものの、満身創痍かつ意識不明の状態で放置されるよりは遥かにマシではあったはずだ。
実際、あのまま放置されていれば、たとえ副長たちの救援が間に合ったとしても、なんらかの後遺症が残ったとしてもおかしくはないというのが、医者の下した結論だった。
そんなことを考えながら、導士でごった返す通路を歩いていると、通路脇の椅子に腰掛けた幸多の姿を見つけた。
「隊長――っと」
「どうしたの?」
「取り込み中みたいだしな」
真白は、不思議そうな顔をする黒乃に対しそのように言葉を濁すと、義一に目を向けた。義一も頷き、踵を返す。
幸多は、草薙真と話し込んでいたのだ。それも満面の笑顔で、だ。
草薙真が幸多の親友だということは、知っている。
対抗戦でしのぎを削り、雌雄を決した相手であり、同期入団の導士でもある。そして、同時期に輝光級三位に昇格し、小隊長となった間柄なのだ。
なにかと話が合うのかもしれない。
そんな二人が会話しているところに真白が声をかければ、幸多は、当然真白たちに意識を割くだろう。せっかくの親友との時間を奪うのは、あまり良いことではない。
互いに導士である。
あのように話し合える時間というのは、貴重なものだ。
「おれたちは導士だからな」
「うん?」
「いつ死んでもおかしくねえだろ」
「……そうだね」
真白のどこかぶっきらぼうな言い方は、彼がこの戦いで命を落とした導士たちのことを軽んじているからではないということを黒乃は理解している。
自分たちも、いつ命を落としても不思議ではない。
今回だって、そうだ。
何度も絶体絶命の窮地に陥ったし、死線を潜り抜けてきた。意識を失うほどの痛撃を喰らってもいる。生き残れたのは、奇跡に等しいのではないか。
黒乃は、兄の手に触れ、握り締めた、真白は鬱陶しそうな顔をしたものの、決して振り解くようなことはしない。
兄の体温と命の鼓動を感じ取り、ほっとする。
生きている。
そのことが、ただただ嬉しい。
幸多もきっと、真の無事を心底喜んでいるのだ。
それならば、二人の時間を邪魔するのは悪い、と、真白が考えるのも理解できなくはなかった。
黒乃としては、幸多の命も感じたかったのだが、それは後でいくらでもできるだろう。
義一は、後ろを振り返り、幸多が真と笑い合っている様を一瞥した。幸多の屈託のない笑顔は、見ているものを幸せにしてくれる。
だから、義一も頬を綻ばせた。
「凄い戦いだった」
「うん。凄い戦いだったね。ぼくたちには立ち入る隙なんてなかったよ」
「ああ。まったく」
幸多と真の会話は、星将たちと鬼級幻魔の戦闘に及んだ。
真は、遠目に見遣ることしかできなかったものの、主戦場から遠く離れた〈殻〉の中心部から吹き荒ぶ星神力の膨大さには、圧倒されたものだった。
あれが星象現界のぶつけ合いであり、星将級の、鬼級の戦いなのだ、と、身を以て知ったのだ。
己の師である朱雀院火倶夜の実力に疑いを持ったことはない。圧倒的な魔法技量の持ち主であり、その星象現界・紅蓮単衣鳳凰飾の破壊力足るや筆舌に尽くしがたいものだということも理解している。
だが、真との訓練では、その真価を発揮させられていないというのが動かしがたい事実なのだ。
訓練の相手が真なのだから、火倶夜が全力を発揮しないのは当たり前の話である。
そして、故にこそ、火倶夜の全力を目の当たりにすれば、真も絶句するほかなかったし、己の実力不足を感じずにはいられなかった。
「あれが星将なんだな」
真は、しみじみといった。
網膜には、上天に至る火柱が燃え盛っていたし、そこに瞬く〈星〉が煌めいていた。