第九百六十五話 戦いの終わり方(四)
草薙真は、右手を開き、閉じた。握りしめ、指先の感覚を確かめる。生体義肢は、神経接続技術の飛躍的な発展により、接合した瞬間から違和感なく動いていた。意識する必要がないのだ。
強く念じることも、動かそうと考える必要性もない。
故に、体の一部を欠損することに恐れを抱き、戦場で尻込みするような導士は少ない。
だれもが勇奮し、幻魔の群れの只中へと飛び込んでいく。
死地へ。
あの激戦の最中、草薙小隊の隊員たちは、真を含め、度々傷を負った。霊級、獣級だけでも数多といたというのに、多数の妖級が立ちはだかったのだ。まさに死闘の連続であり、九死に一生を得た、というようなことが何度となくあった。
真たちが余裕を持って戦うことができるようになったのは、天使たちが降臨し、戦況が激変してからである。
それまでは一瞬たりとも気の抜けない、緊張感に満ちた戦いが続いていたし、だれがいつ死んでもおかしくなかった。
四人全員が生き残った。
それだけでほっとする。
小隊長のせめてもの責務を果たすことができたのだと、安堵する。
だれか一人でも失うような結果に終わっていれば、いまこうして拠点内の一角で、ゆったりとはしていられなかったのではないか。
そんなことを考え込んでしまうのは、部下を失った小隊長や、小隊長と死に別れた隊員たちの姿を目の当たりにしているからだ。
境界防壁内の、防壁拠点。
央都四市の周囲に配置された十二の衛星拠点よりもさらに外周を巡るように聳え立つのが、境界防壁である。護法の長城とも呼ばれるそれは、まさに長大な城壁そのものであり、城壁内部は拠点として利用できるように設計されている。
防壁拠点内には、戦闘を終えたばかりの導士たちで溢れ返っており、勝利の余韻に浸るものもいれば、戦死した同僚や部下のことで悲嘆に暮れるものもいる。自身の戦果を誇るものもいれば、己の不甲斐なさを嘆いているものもいる。
導士たちの様子は、そのように多様だ。
真のような今年戦団に入ったばかりの新人たちは、これほどまでの大戦闘を経験したことがないということもあり、生き残れただけでも良かったと想っているものが大半ではなかろうか。
小隊長の真は、そういうわけにもいかないのだが。
「あの死闘を生き延びられたんだ。素直に喜ぶのは悪いことじゃない」
「そりゃあそうだ。おれたちだってこれほどまでの規模の戦闘は、今回が初めてだったんだぜ?」
「戦団は長らく外征を行ってこなかったんだもの。当然だよねえ」
真の周囲で談笑しているのは、羽張四郎、布津吉行、村雨紗耶の三人である。いずれも今回の戦いで体の一部を欠損し、生体義肢を取り付けている。
草薙小隊の四人だけではない。
数多くの導士が、同様の施術を受けなければならない状態であり、医務局の出張所は大繁盛だ。医務局の導士たちは、戦闘中でさえ引っ張りだこだったのだが、戦いが終わってからこそが本番だといわんばかりに走り回っていた。
そんな導士たちの奮闘には、感謝しかない。
医務局や技術局が後方から支えてくれているから、戦務局は戦闘に専念できるのである。
「今回は外征ではなく、央都の防衛ですが」
「そうだけど、似たようなものじゃないですか、隊長」
「まあ……そうですね」
オロバス軍の侵攻から央都を防衛するための戦いは、オロバス領内への攻撃となり、最終的にはエロスの〈殻〉すらも消滅する結果となったのだ。
この地上から、オロバスとエロス、二体の鬼級幻魔が支配していた〈殻〉が消滅した。
外征の戦果といっても差し支えないのではないか
ただし、央都は、人類生存圏は広がらなかった。
戦団上層部としては、オロバス領の跡地である空白地帯をなんとしてでも手に入れたかっただろうが、この満身創痍の戦力ではあの地を確保することなど土台無理な話だった。
元々、今回の戦いは、オロバス軍を撃退することが目的である。
だが、バルバトスが現れ、エロスが参戦したとなれば、オロバスを撃滅することでこの戦いそのものを終わらせる以外に戦団が勝利する方法はなかったといえよう。
オロバス・エロス連合軍が央都方面への侵攻を諦めるのだとすれば、殻主が滅び去ることくらいだろう。
故に、戦団は、さらなる星将の投入を決断したのであり、五星杖の勢揃いと相成ったというわけだ。
その果てに、戦団は記録的な大勝利を収めることができた。
同時に二体の鬼級を撃ち斃し、二つの〈殻〉を滅ぼしたのだ。
快挙といっていい。
しかも、オロバス領は、ここのところ央都の脅威として顕在化しつつあった。今回の戦いで、もし仮に、オロバス軍を撃退することができたのだとしても、常にオロバス領を監視し、警戒し続けなければならなかっただろう。
その上で、オロバス領方面に戦力を割り当てなければならなかったはずだ。
〈殻〉が滅び去ったことで、当面、その心配はなくなったはずだ。
少なくとも、空白地帯を巡る争いが落ち着くまでは、放って置いても問題はないはずである。
そういう意味でも、今回の勝利は大きい。
「結果的に大大大大大勝利だよねえ」
「ああ、本当に素晴らしいとしか言い様がない」
「草薙小隊も誰一人欠けることなく戦いを終えられたしな」
「それは……本当に」
本当に良かった、と、真は、部下たちの顔を見回して、つぶやいた。
輝光級三位に昇格し、火倶夜に指示されるまま小隊を組むことになった真にとって、彼らはいまや掛け替えのない存在だった。初めての部下であり、たった数ヶ月の付き合いではあるが、その数ヶ月が濃密だったのだ。
小隊としてほとんど常に一緒に行動してきたのだ。鍛錬も研鑽も、任務も日常も、三人のうちだれかは常に側にいた。
そうすることで小隊としての連帯を高められるのではないか。
小隊長たるもの、部下の能力だけでなく、性格、性質までも把握しておくべきだと真は考えていた。そのために行動をともにすることを多くした。
いまでは三人のことは、ほかのだれよりも理解しているはずだ。
だから、彼らが生き残ってくれたことに心底感謝しているし、三人が部下で良かったと想うのだ。
「真くん!」
不意に真の思考が停止したのは、予期せぬ声が耳朶に突き刺さったからだ。声がした方向に目を向けると、導士たちでごった返す治療所前の通路が騒然となっていた。
「幸多くん……」
思わず椅子から腰を浮かせた真は、そのまましばらく視線をさ迷わせた。治療所前の通路、そこに充ち満ちた導士たちの注目を浴びている一人の少年がいる。
第七軍団の制服を着込んだ彼は、周囲の導士たちから次々と投げかけられる賞賛や感謝の声に応えながら、こちらに向かってきていた。
その姿は、真の目には、光り輝いているように見えた。
「あれって」
「今作戦の英雄様だな」
「今作戦も、だろ。龍宮戦役でも大活躍だったが、今回もとんでもない活躍だったんだ」
「うんうん。真星小隊には頭が上がらないよねえ。しかも隊長とは、相思相愛だもの」
「確かに」
好き放題言い合う部下の声が聞こえてくるが、真の意識は、人混みを強引に突破してきた幸多に集中していた。
幸多は、周囲の導士たちから声をかけられるだけでなく、肩を叩かれたり、背中を触れられたりと、大人気だった。
その理由は、羽張たちが話した通りだ。
彼が龍宮戦役の英雄であり、今回の勝利の立役者だからだ。
彼の戦績にあやかりたいと思う導士は、決して少なくないはずだ。
幸多は、今年戦団に入ったばかりの新人である。しかも、真と同じく途中入団なのだ。そんな導士が半年足らずでこれほどまでの戦果を上げるなど、普通考えられることではない。
超新星と謳われた皆代統魔以上の戦果ではないか。
もちろん、皆代統魔は、幸多以上に規格外の存在であり、将来戦団を背負って立つ人材だということは、真もはっきりと理解し、認識しているのだが。
それはそれとして、導士たちに囲まれている幸多の姿は、常に称賛の中心にいる皆代統魔に匹敵するくらいに眩しい。
「無事だったんだね!」
幸多は、満面の笑みを浮かべて、真に駆け寄った。
真はなんとか立ち上がって格好を付けたものの、幸多が抱きついてきたものだから、危うく相好を崩してしまいそうになった。
真にとって幸多は光そのものだ。いつだって鮮烈な光輝を放つ存在であり、自分を導いてくれる唯一無二の人間なのだ。だから、彼の体温を感じ取って、安堵する。
体温とは、命だ。
命が発する熱が、彼が確かに生きているのだと主張している。
「……幸多くんこそ、無事で良かった」
「ぼくはまあ、みんながいたからさ」
「それはおれも同じだよ。小隊全員で踏ん張って、どうにか生きて帰ってこられたんだ。もちろん、きみのおかげだが」
「ぼくは、ただ、やれることをやっただけだよ」
そしてそれは、必ずしも自分だけしかできないことではない、と、幸多はいった。
幸多が謙遜しているわけではなく、本当に想ったことを素直に言葉にしているのだということは、真には理解できた。
だからこそ、目が眩むほどに輝かしいのかもしれない。