第九百五十六話 決着
破壊と復元の反復。
それは即ち、死と再生の反復でもある。
その場にいるだれもが、死にゆく肉体を強引に再生させることで命を保っている。
幻魔は、魔晶核が存在する限り、魔晶核から魔力が供給される限り、魔晶体を再生し、復元し続ける。わずかな傷から致命的に等しい損傷までも、容易く、一瞬のうちに回復するのが幻魔の幻魔たる所以だ。
幻想にして魔性の存在。
それが幻魔なのだ。
一方、人間たちは、命を磨り減らし続けている。
幻魔のような生まれながらの怪物とは違い、生物には細胞分裂の回数に限度がある。人間の再生は、治癒魔法によるものであり、自己治癒力を飛躍的に向上させることによって成り立っている。そして、それは細胞分裂を加速させているということであり、まさに命を削っているということにほかならない。
伊佐那美由理、朱雀院火倶夜、麒麟寺蒼秀、天空地明日良、そして妻鹿愛。
五星杖とも呼ばれる五人の星将たちのだれもが、己が命が削られていく音を聞きながら、魂すらも灼き尽くさんばかりに星神力を放ち続けていた。
「わたしがっ……このわたしがっ……! 人間如きにぃっ……!」
途切れることなく連続する爆砕の嵐の中、エロスの絶叫が聞こえた。それは星神力を奔流として渦巻かせ、爆発を押し退けんとしていく。抵抗しているのだ。この終わることのない破壊と再生の振幅からどうにかして脱却しようとしている。
「斃されるなど……あり得ない……! あってはならない……!」
「そうさね」
愛は、星象現界・愛女神の結界、その中心にあって、エロスの断末魔に等しい叫び声を聞いていた。
「そうやって人間を見下し続けた結果がこのザマさ」
「おのれ……!」
エロスの目が、愛を見据えた。終わらない破壊の渦の中で、傷ひとつない人間を見つけ出したのだ。その人間が、その人間こそが、この戦闘における要だと瞬時に理解する。そして、理解したときには、行動に移っていた。
直後、愛の足元の地面が割れたかと思えば、大量の光線が立ち上ってきた。エロスの星象現界・愛染女王だ。
「愛っ!」
美由理は、愛が空中高く打ち上げられる様を目の当たりにして、叫んでいた。無数の光線が愛を包囲し、全周囲から押し潰し、圧殺しようとする。だが、愛の表情に変化はない。
冷静に、冷徹に、そして冷淡に、鬼級幻魔を見つめていた。
「同情はしないよ」
愛の目は、確かにエロスの魔晶体が崩壊を始めるのを見ていたのだ。無数の光線が視界を遮り、意識そのものを席巻するかのように圧迫してくるが、関係ない。エロスは、敗れ去り、滅び去る。
なにも恐れることはない。
「だって、それが因果応報って奴だろ?」
愛は、全身を切り刻もうとする無数の光線が、皮膚に触れる寸前に力を失う様を見た。そして、光の粒子となって分散していくのは、力の源が失われたからだ。
エロスが、滅びた。
世界が破綻するのではないかと思わせるほどの爆砕の連鎖が止んだことが、それを伝えてきている。火倶夜と明日良が攻撃の手を止めたということは、つまり、そういうことだ。
エロスに吹き飛ばされ、激しく流転していた視界が突如として安定したのは、愛が美由理に抱き留められたからだ。
美由理は、愛の顔を覗き込み、ほっとしたような表情をしていた。
「無事……のようだな」
「助かったよ、みゅー」
「わたしに当てつけるのは違うだろ」
美由理は、憮然としながらも愛の体温を感じ取っていた。ただただ安堵する。愛は、戦団にとっては重大な戦力であるが、それ以上に美由理にとって大切な親友である。愛を失うということは、その両方を失うということにほかならない。
そんなことは、あってはならない。
地上に降りながら破壊の中心を見遣れば、火倶夜が力なく座り込んでいた。その眼前にエロスの死骸がある。魔晶核を破壊され、絶命した鬼級幻魔は、物言わぬ亡骸と成り果てたのだ。
そして、そんな幻魔の様子を確認する余裕もないほどに消耗しているのが、火倶夜だ。
戦団最高火力と謳われるのが紅蓮の魔女・朱雀院火倶夜である。彼女こそが戦団が誇る最強の矛であり、最凶の杖なのだ。故に今回の作戦に投入されたといっても過言ではなかったし、実際、火倶夜の火力があればこその勝利なのはいうまでもなかった。
「エロスの配下だった幻魔も、晴れて自由の身の上だな」
「自分から従属した連中も少なくないんじゃないかと思うけどね」
「だろうな」
蒼秀は、愛の意見に頷きながら、〈殻〉の影響が失われ、ただの空白地帯と化した戦場から幻魔が逃散していく光景を眺めていた。
オロバスに臣従していた幻魔の大半は、既に戦場を脱している。未だこの地に残っていたのは、二重殻印の幻魔ばかりだ。二重殻印は、やはり、オロバスとエロスの合作であり、両者の支配下にあることの証明だったということだろう。
片方の殻主が死んだだけでは、殻印は消滅せず、支配されたままだったのだ。
だが、エロスも死ねば、二重殻印が存続する理由はない。
二重殻印持ちだった幻魔たちも、己が意思の赴くままに戦場からの離脱を始めている。
さらにエロスの〈殻〉が在った方角、つまり北西から大量の幻魔がこちらに向かって押し寄せてきているという報告もあったが、それらがこの空白地帯に到達することはあるまい。
エロスの支配と庇護を失った幻魔たちは、混乱の中で自分たちの身の振り方を考えなければならなくなったということだ。
そして、天使たち。
数百万を超える天使型幻魔の大軍勢は、未だこの空白地帯に留まり、幻魔の動向を見守っているようだった。戦場から抜け出そうという意志があればともかく、そうではなく、目の前の人間を殺そうという幻魔には容赦はしないといわんばかりだった。
天使型は、まさに人類の守護者の如く振る舞っている。
信用はできないが、利用価値はある――と、見ていいものか、どうか。
天使型の介入がなければ、この勝利もなかったのは疑いようのない事実なのだが。
「もう、くったくたよぉ」
「さすがにな」
腰が抜けたように座り込んだまま立ち上がろうともしない火倶夜に対し、明日良も同意するほかなかった。星象現界を長時間維持し続けていただけでなく、星神力を限界近くまで絞り出したのだ。
もはや、精も根も尽き果てかけている。
意識が保っているのが奇跡のようだ。
「だが、鬼級を二体、撃破することができたのは大きい」
「しかも、そのうち一体は、央都に隣接する〈殻〉の主だろ? これで、央都はさらに広くなるんじゃないか」
「どうだかね」
愛は、地上に降り立った美由理の腕の中から解放されると、素早く火倶夜に歩み寄った。すると、火倶夜がそれを見越していたかのように、愛に縋り付いた。彼女ならばこの肉体的、精神的な消耗を多少なりとも癒やしてくれるだろうと考えたからだ。
「央都を拡大する上で重要なのは、殻石の霊石化だよ。それができなかった以上、この地は混沌に飲まれるだけなんじゃないかね」
「混沌に飲まれる……か」
言い得て妙だ、と、美由理は周囲を見回しながら頷いた。
まさに混沌そのものが動き出しているのを肌で感じる。
つまり、オロバス領の近隣の〈殻〉が、この突如出現した広大な空白地帯を放って置くはずがないということだ。
戦団が、それら幻魔の大軍勢に対抗するためには、この地に大戦力を配置しておかなければならない。そしてそれは困難を極めるだろう。
今回の約三千名の動員ですら、限界に近いものがあったのだ。
当然、今回の戦いで消耗し尽くした導士たちをこの地の守護に当てるのは、問題外だ。既に現界近くまで酷使しているというのに、この地に雪崩れ込んでくるであろう大量の幻魔を相手に戦い続けられるわけがなかった。
この地は、間もなく混沌の坩堝と化すだろう。
その前に撤収しなければならない。
その一方で美由理は、幸多たちのことが気になったものの、心配してはいなかった。
真星小隊の安全を確保するべく、副長たちが動いているという話だったからだ。