第九十四話 幻想への招待(二)
魔暦222年6月29日土曜日。
その日は、朝から雲一つない快晴であり、今朝、ネットテレビで見た天気予報でも、雨が降る心配は皆無だった。
今の時代、天気予報の的中率は99%といわれている。残り1%の例外は、幻魔災害等による局地的な異常気象が原因だったりするのだから、100%と言い換えても問題はないだろう。
それくらい、天気予報は信頼できるものだ。
もっとも、それは予報する範囲が央都内、人類生存圏内という極めて狭い範囲だからこそ、というのもあるという話だったが、幸多にとってはそんなことはどうでも良かった。
幸多は、今日はいつも以上に早く起きた。
親友たちと出かけることが昨日急遽決まったからだ。
出かけるに当たって、普段着の中からどのような組み合わせがいいのかと頭を悩ませることになった。昨夜の内に決まらず、故に早起きして、また苦悩した。幸多は、自分のファッションセンスのなさにはある種の自信があった。
統魔にも壊滅的といわれ、母の奏恵にも天災的だと何度笑われたものかわからない
それは、圭悟たちにもだ。
法子は、奇抜な服装も悪くないと逆に気に入られもしたが、彼女の価値観を規準にしてはいけないのだろう。法子も、幸多寄りのファッションセンスの持ち主だった。
とはいっても、そこまで趣味の悪い衣服を選んでいるわけもないはずなのだ。何がいけないのか、幸多には皆目見当もつかない。
今日は、黒と白の生地が幾重にも交差したような上下で纏めた。季節感たっぷりの爽やかさを演出したのだ。鏡を見て確認したが、悪くはなさそうだった。
少なくとも、幸多はそう認識した。
そして、家を出て、集合場所の央都地下鉄道網本部前駅に向かった。
午前九時頃、幸多が駅前に辿り着くと、既に全員揃っていた。
魔法士たちにとって、ちょっとした移動は一瞬といっても過言ではないくらいのものだ。
「皆代くん、おはよー!」
元気よく挨拶してきたのは、真弥だ。相変わらずの明るさを際立たせるような水色のワンピースがよく似合っていた。手に提げた白の鞄から、拡縮式法器の先端が覗いている。
ここまで空を飛んできたのだろう。
「おはようございます、皆代くん」
いつも通り丁寧にお辞儀をしてきたのは、ゆったりとした純白のブラウスに藍色のロングスカートを身につけた紗江子だ。
「いつも以上に奇抜で決まってるな」
などとからかうようにいってのけるのは、圭悟。彼は真っ赤なシャツに藍色のパンツという格好である。圭悟も法器を鞄から覗かせていた。
「米田くんにはいわれたくないんじゃないかなあ」
蘭が、苦笑交じりにいった。彼は、青みがかった黒の上下に身を包み、大きめの鞄を背負っている。
「んなこたあねえよ、なあ?」
「なんでわたしに聞くかな」
「真弥ちゃんが一番センスがあるからかと」
「そう? じゃあ、圭悟は五点。もちろん百点満点でね!」
「なんでだよ!」
「ぼくは?」
「んー……二十点かなあ」
「やった、圭悟くんより高い」
「どう考えても忖度まみれの採点で喜んでじゃねえ!」
圭悟の全力の抗議は、審査員である真弥にはまったく届かなかった。
そんなやり取りをした後、央都地下鉄道網本部前駅への階段を降り、改札に携帯端末を翳し、列車乗り場へと通り抜けた。乗車賃は、各人の口座等から自動的に引き落とされるため、わざわざ乗車券を購入する必要がない。
乗り場には、常に二名以上の導士が待機しており、警戒の目を光らせていた。
幻魔災害が発生した場合に備えてのことだ。
この決して広いとはいえない閉ざされた空間で万が一幻魔災害が発生した場合、一般市民が逃げ惑い、大混乱に陥るだろう。そんなとき、現地に導士が待機していなければ、どうなるか。導士たちが現地に到着したときには、阿鼻叫喚の地獄絵図になっていることは想像に難くない。
このように、戦団は、央都各所に戦闘部の導士を配置していた。
央都四市に重要拠点たる基地があり、それぞれの市内各所に無数の駐屯所が設けられ、常に小隊を巡回させ、また、各所で警戒させている。
そうまでしなければ、いついかなるとき、いかなる場所で幻魔災害が発生したとしても、即座に対処することなどできないからだ。
そして、幻魔災害は即座に対処しなければ、その被害は加速度的に拡大するものだ。
もっとも、地下鉄道網内で幻魔災害が発生した例は、いまのところ一度もなかったが。だからといって、安心はできまい。万が一は、いつだって起こりうる。
また、地上に鉄道網を敷かないのは、幻魔災害によって線路を破壊される可能性が少なくないからにほかならない。ただでさえ地上の交通機関は、幻魔災害によって度々破壊され、混乱に陥るというのに、鉄道網までもが使えなくなるような事態は極力避けたいというのが、鉄道網を地下に敷いた事情のようだ。
そんなことを幸多たちは話ながら、六両編成の列車に乗った。
そして、それほどの時間を必要とせず、目的地へと着いた。
目的地は、八尺瓊駅である。
八尺瓊駅は、大和市八尺瓊町の地下鉄駅だ。
幸多たちが住んでいる葦原市と大和市の間には、当然のように空白地帯が横たわっている。
空白地帯は、央都四市それぞれを包み込むセフィラ結界の外のことであり、幻魔が跋扈する領域でもあるのだ。故に、一般市民が自由に往来することは許されない。戦団の導士ですら、空白地帯の移動は、上からの命令や指示、任務でなければ許されることではない。
しかし、地下鉄道網を用いれば、そうした問題に直面することなく、空白地帯を突破できるのだ。
地下鉄道網を用いるもう一つの、そして最大の理由がそれだ。
央都は、央都四市と呼ばれるように四つの市によって構成されている。央都の中心にして中央たる葦原市、葦原市に次いで誕生した出雲市、大和市、水穂市の四つの市である。それら四つの市は、隣り合っているわけではなく、それぞれの市の間に空白地帯が横たわっている。
前述の通り、空白地帯は、幻魔が蠢く領域であり、人間にとって安全性の極めて低い場所である。
そんな場所に道路を敷くことなどできるわけもなく、故に地下に活路を見出したのだ。
四つの市を結ぶのは、なにも地下鉄道網だけではない。
央都大地下道と呼ばれる広大な道路が、四つの市を結んでいる。この道路は、央都の大動脈とも呼ばれていたりもする。
当然のことだが、央都大地下道の各所にも戦団の駐屯所があり、常に導士たちが待機していて、警戒に当たっている。
万が一、地下空間で幻魔災害が発生すれば大問題だ。
地下鉄道網とは異なり、大地下道では、何度となく幻魔災害が発生し、そのたびに大きな被害が出ているという事実もあった。だからといって地下道を利用しないわけにはいかないし、地上にいれば絶対的に安全というわけでもないのだから、どうしようもない。
この世界には、安全な場所など、存在しない。
とはいえ、地下鉄道網は、比較的安全といえた。列車が走る空間は、長大とはいえ、決して広くはなく、幻魔が入り込んでくる可能性が少ないからではないか、と考えられている。
一方、大地下道は、地下鉄道網よりも圧倒的に広く作られている。もし万が一幻魔が現れたとき、対処しやすいように、という理由からだそうだが。
などという講釈は、蘭が暇潰しがてらに話してくれたものだ。
幸多たちは、蘭の話を聞きながら本部前駅から八尺瓊駅へと移動したというわけだ。
改札を出ると、携帯端末を見つめながら、所在なげに突っ立っている少年がいた。
怜治だ。彼は、淡い水色のシャツに長ズボンという格好で、鞄を肩から下げていた。
「おはよう、怜治くん」
幸多が呼びかければ、彼はこちらに気づいた。ぺこりと頭を下げてくる。
「お、おはよう、皆代さん」
「いや、だからなんでだよ」
幸多は、憮然として見せた。昨日から彼の反応がおかしい。
「そのほうがなにかと後腐れなさそうだし……」
「いや、あるよ、そっちのほうが絶対あるよ」
「じゃあなんて呼べば?」
「いままで通りでいいってば」
幸多は、怜治のどこか卑屈そうな言動にいい加減腹が立ってきた。むしろおちょくっているのではないか、とさえ思えてくる。
「……そっか、そうか……じゃあ、皆代、で」
「うん、そのほうがぼくも気楽でいいし」
「そうだよね、わたしたちが幸多様、なんて言い出したら、気持ち悪いもん」
「でも、皆代くんが統魔様みたいに大活躍したら、そう呼んでしまいそうな気がします」
「それはそれでおもしれえな」
「面白くないけど」
「おもしれ」
「うっざ」
幸多は、すぐ調子に乗る圭悟に吐き捨てるようにいって、怜治の後を歩いた。
幸多たちは、昨日怜治がいっていたお礼を受けるため、というよりは体験するため、この八尺瓊駅を訪れたのだ。
八尺瓊町には、かの有名なゲームソフト開発会社サークルドリームの本社がある。
北浜怜治は、サークルドリームの社長にして総監督・円マドカと血縁関係があり、円マドカは、天燎高校が対抗戦を優勝したことを自分のことのように喜んだのだという。そして、怜治に連絡を取ってきたということだった。
怜治は、自分の家族の喜びようと、親族である円マドカからの連絡によって、自分が大きなことを成し遂げたのだと理解した。そして、自分を対抗戦に誘ってくれた圭悟と、その最大の原因となった幸多に感謝したのだ。
対抗戦は、央都市民にとっていまや夏恒例の一大行事だ。高校生たちの一夏の青春模様であり、青春群像であり、青春決戦である、とは、怜治がマドカから聞いた話だが。
怜治は、マドカほどの人間をも感動させることができた対抗戦の素晴らしさを改めて実感するとともに、自分も優勝に貢献できたことを想いだし、震えたものだった。
そして、なぜ自分がそのように成し遂げることが出来たのか、と考えた。
考えれば考えるほど、皆代幸多の姿が浮かび上がった。
彼は、魔法不能者だった。魔法士にも敢然と立ち向かう、怜治の知らない種類の魔法不能者。
そして、魔法社会の現実に立ち向かう反骨心の塊のような男だった。
そんな彼の努力に魅せられたからこそ、怜治も戦い抜くことができたのではないか。
いや、できたのだ。
怜治は、確信した。
幸多でなければ、幸多が対抗戦部の中心にいなければ、少なくとも怜治は成し遂げられなかっただろう。
だからこそ、幸多には、なにかお礼をしたいと想った。迷惑を掛けたお詫びを兼ねて、お礼をしたい。感謝を示したい。
そのことをマドカに相談したのが、事の始まりだった。
マドカは、対抗戦部の皆を会社に呼んだらいい、と気楽にいってきたものだから、怜治は驚きつつも、それは妙案だと思った。
サークルドリームの名作、エターナルウォーシリーズを知らない央都市民はいないはずだ。
マドカは、対抗戦優勝記念に現在鋭意制作中のエターナルウォーシリーズの最新作を触らせてくれるという。
これならば、幸多へのお詫びとお礼に十分なのではないか。
そう怜治は考え、実行に移そうとした。
幸多は、導士になった。
いまでこそ任務についていないようだが、それもいまだけのことだ。そのうち任務ばかりで学校に出てこれなくなる日が来るのは、目に見えている。
導士として戦い続けるとは、そういうことだ。
そして彼ならば、決して諦めることなく戦い続けるだろう。
それがどれほど困難な道であっても、だ。
だからこそ、と、怜治は想ったのだ。
いまだけだ。
いまだけしか、彼に感謝を伝える機会はない。
そんな気がしてならなかった。




