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第九百四十六話 渦巻く(十)

 それは、ただ一点を除けば、彼のよく知る人間の姿をしていた。

 ただ、一点。

 その一点さえなければ、彼ですら見間違うのではないかというくらいの似姿。瓜二つといっても過言ではあるまい。

 その一点とは、まさに幻魔げんま特有の赤黒い目だ。眼球そのものは人間や数多の動物と似ているが、虹彩がまるで違うのだ。幻魔以外の生物が同じ色の虹彩をしていたとしても、そこに漂う禍々しさを真似することはできまい。

 この世のものとは思えないほどに禍々しく、邪悪そのものが宿っている。

 それでいて淡く輝きを湛えているのだから、馬鹿げている。

 だが、そんな赤黒い光を帯びた瞳の奥を覗き込むのは、彼ですら躊躇ちゅうちょしなければならなかった。

 悪意が渦巻いている。

 悪意。

 そう、悪意だ。

 それは悪意の化身であり、諸悪しょあく権化ごんげといっても過言ではない存在だった。

 名を、サタンという。

 人類が制定した幻魔の等級においては鬼級に位置し、戦団が特別指定幻魔壱号と定めた存在。

 〈七悪しちあく〉のおさにして、悪魔たちの王であり、災禍の具象、破壊と殺戮さつりくの化身。

 混沌そのものであり、滅びの形だ。

 そして、メタトロンが見ているその姿は、皆代幸多みなしろそっくりそのままであり、故に彼は、目を細めるしかないのだ。

 悪魔たちの長らしく漆黒の衣を纏ったサタンは、メタトロンの心中などどうでもいいといわんばかりに下界げかいを見下ろす。

 ここは、遥か天上。

 頭上には無窮むきゅうの青空が広がり、雲一つ見当たらない。雲は全て眼下にあるからだ。少し天を仰げば、すぐにでも宇宙に手が届くのではないかというほどの高度。故に地上からは察することはできず、触れることもできない領域。

 ロストエデン。

 天使長てんしちょうルシフェルが主宰する〈クリファ〉にして、旧文明の遺物とでもいうべき空中都市の残骸。人類がかつて万物の霊長であると主張していた時代の名残は、人類に取って代わり、天地の支配者となった幻魔たちの巣窟と変わり果てたのだ。

 その廃墟同然の神殿の中にあって、サタンは異様なほどの存在感を放っていた。

 それは彼の力を持っても抗しきれないほどの魔力であり、魔素質量であり、重力だ。存在そのものが星神力で構成されているのではないかというほどの密度には、さすがのメタトロンも手を出せるわけもなかった。

「どういうつもりだ?」

「それはぼくの台詞じゃないかな?」

 サタンが当然のように皆代幸多の声で問い返してきたものだから、メタトロンは無意識に渋面を作っていた。本来であればこのような状況であっても眉ひとつ動かさないはずのメタトロンの鉄の精神を容易たやすく揺るがすのは、さすがは悪魔たちの王というべきか。

「どうして、ルシフェルを止めなかったんだい? これじゃあ契約違反だよ」

 サタンの眼差しの先、遥か地上ではオロバス領と人類生存圏を巡る戦いが激化しているところだ。

 オロバス率いる数百万もの幻魔の軍勢に対し、人類側はたった数千人足らずの戦力で対抗している。それでも良く持ち堪えていたといえるだろう。

 旧世代の人類ならば、とっくに撃破され、滅ぼし尽くされているころだ。

 だが、現世代の人類は、戦団は、持ち堪えた。

 これより先、余程のことでもなければ、敗北することはあるまい。

 まるで神が奇跡を演出しているかのようにして、天から地上へと膨大な光が降り注いでいた。数多の光線は、一つ一つが様々な階級の天使たちであり、それらは、オロバス軍が誇る圧倒的戦力差を覆すにたるだけの力を持っていた。

 光が、地上に降臨する。

 その先触れとして降り立った天使長やら熾天使してんしやらに追従するようにして、降り注ぐのだ。

 戦況は、覆される。

 天使たちの介入によって。

「最初に介入したのは、どちらだ」

「……確かに。そうなんだよね。そういわれると、困るんだよねえ、本当」

 サタンが苦笑を浮かべるのが、メタトロンには気に食わなかった。

「でも、それが悪魔というものだろう? 奈落ならくのように底なしの情けに満ちたぼくたちは、時には、このように衝動的に行動してしまうんだ」

「契約違反だとしてもか」

「そうだね。だから、今回のきみたちの契約違反は不問にしてあげよう」

「随分と……上から目線だ」

「当然だと思うけど」

 サタンは、小さくわらうと、メタトロンを一瞥いちべつした。天使長の腹心たる白銀の天使は、サタンの態度よりもその姿形にこそ不快感を示している。

 想像通り。

 想定通り。

「とはいえ……少々やり過ぎたということは、認めるよ」

「だから、ここまで出張ってきたのだろう」

「そうだよ。その通り。なんでもお見通しというわけか」

 さすがは、と、言いかけて、サタンは口をつぐんだ。

 地上の情勢は、激変しつつある。

 天軍の介入によって、加速度的に。


「あなたが来ると思っていたわ」

 だれとはなしに投げかけた言葉に反応がないことは、はなから承知しょうちだった。

 だが、相手が聞いていないわけがないということも理解している。

 アスモデウスは、エロスの〈殻〉シャングリラの中枢にあって、遥か彼方の戦場の光景を見ていたのだが、いつまでもそのままではいられなかった。

 敵意が、アスモデウスの首筋に突き刺さる。

 いまこの瞬間にでも滅ぼし尽くしたいという欲求が、確かにそこにあった。故に、うずく。全く同感だからだ。

 そちらに目を向けるまでもなく、それがなにものなのか彼女には手に取るようにわかった。

「アーリマン相手にルシフェルが降りてきたというのなら、わたくしには、あなたしかいないものね?」

 玉座に腰を下ろしたまま、右斜め後ろを振り向けば、そこに光があった。眩いばかりの光を放つそれは、まさに女神そのもののように美しく、絢爛けんらんにして優美なる存在だった。

 熾天使にして、水の大天使。

 白百合を連想させる衣を纏い、六枚の翼を広げるその姿は、ある意味では見慣れたものだった。

「ガブリエル」

「アスモデウス……」

 ガブリエルは、豪奢ごうしゃな玉座に腰掛けた悪魔を真っ直ぐに見つめていた。見慣れ、見知った悪魔の表情は、最初から何一つ変わらない。変化も成長も知らない幻魔らしく、生まれた瞬間から同じだ。

「あなたが、彼らを?」

「エロスたちのこと? 違うわ。今回の全ての黒幕は、アーリマンよ。実際にエロスたちに接触したのは、彼の下僕げぼくのようだけれど」

「下僕……バルバトスといいましたね」

「ええ。アーリマンがサタン様を超えるために生み出した鬼級幻魔よ」

「サタンを超える……」

 ガブリエルが信じられないという顔をしたものだから、アスモデウスは、苦笑するほかなかった。思った通りの反応だったからだし、彼女自身、そう思わざるを得ない部分があったからだ。

 サタンに作られた存在であるアーリマンが、サタンを超えることなど不可能なことくらい、アスモデウスにだってわかりきっている。

 いや、アーリマンも理解していたはずだ。

 しかし、それでも。

「彼は、〈傲慢ごうまん〉を司る悪魔。そのように作られてしまった。そして、そうである以上、〈傲慢〉にも創造主を超えようとするのは、道理でしょう?」

「……それで、今回の騒動を?」

「見ればわかること。聞くまでもないでしょうに」

 アスモデウスは、ガブリエルから戦場の風景を映し出した魔法球へと視線を戻した。

 戦場は、天軍の介入によって、混沌そのものと化していた。

 天から降り注ぐ膨大な光が、地上を埋め尽くす雲霞の如き大軍勢を飲み込み、圧倒していく。白と黒の洪水が、莫大すぎる光に押し潰され、崩壊していくだけだ。

 ただでさえ、熾天使たちの介入によって戦団側に有利な状況になりつつあったというのに、天軍の全戦力が動員されたとなれば、戦いの趨勢すうせいは決まったと見るべきだろう。

 エロス・オロバス軍は、敗れ去るしかない。

「アーリマンは、サタン様を超えようとした。けれども、間に合わなかった。あなたたちの介入によって、ね」

「わたくしたちが介入しないはずがないことくらい、わかりきっていたでしょう」

「ええ。そうね。その通りね。わかりきっていたことよ」

 道理であり、当然の帰結だ。

 アーリマンの此度こたびの所業は、だれが見てもやり過ぎだった。

 たとえ、人類の動向を静観せいかんするのが天使たちの役割なのだとしても、このような方法を取られれば、介入せざるを得ない。

 黄金の天使が暗黒の悪魔と対峙する様を見れば、一目瞭然いちもくりょうぜんだった。

 いつ如何いかなる時も冷静沈着であるはずの天使長の顔に、焦りが見え隠れしている。

 このままアーリマンを放置することは、さすがのルシフェルにもできなかったのだ。故に彼はみずから率先して介入した。

 天軍そのものを動かし、人類の守護者らしく振る舞ったのだ。

 戦場が、光に満ちていく。

「でも、仕方がないじゃない」

「仕方がない?」

「だって、そうでしょう。そういう風に作られたんですもの。あなたも、わたくしも」

 アスモデウスが艶然えんぜんと笑いかければ、ガブリエルは、その優美な顔を崩さずに見つめ返す。

 時代が動いている。

 まるで、渦を巻くように。


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