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第九百四十五話 渦巻く(九)

「どいつもこいつもくっだらねえことにこだわりやがってよぉ」

 どこまでも深く沈み込むような闇の中、うんざりとしたような声だけが反響する。無限の広がりを見せる暗黒の世界にあって、その声が持つ強大な力が、空間そのものを震わせるのだ。そして、空間に満ちた魔素と響き合い、跳ね返って大合唱となっている。

 それでも、彼は構わない。

「そんなだからサタンも怒りっぽくなるんだろうが」

「〈憤怒ふんぬ〉ってそういう意味じゃないと思うし、サタン様だよ」

 彼の嘆息たんそくにすぐさま訂正が入ってきたものだから、そちらに半眼を向けた。

 彼がたたずむ闇の片隅からそちらを見遣れば、禍々しくも機械的な光が散乱しており、眩しさに目を細める必要に迫られる。

 実験室の狭い箱庭の中では、先程から様々な機材が複雑怪奇に動き回り、試行錯誤を繰り返している。

 終わることのない実験。

 完成することのない発明。

 かいのない疑問。

 そんな言葉が、彼の脳裏のうりに浮かんでは霧散した。

 どうでもいいことだ。

 研究者がなにを考えているのかなど、彼には到底想像できることではない。赤の他人、自分とは無縁で無関係な幻魔に過ぎない。

(いや……)

 胸中、首を横に振る。

 完全に無関係とはいえないという事実に思い至ったからだ。

「おれ様はいいんだよ。そーゆー存在なの」

「どーゆー存在なの? 疑問だね。教えてよ、バアル」

「だーかーらー、おれ様はベルゼブブだっつーの。バアル・ゼブルは死んだんだよ」

「それもまた疑問なんだよね」

「疑問ばっかだな、おまえ」

「それが多分、ぼくのよすがなんだと思う」

よすが……よすがねえ」

 ベルゼブブは、この機械仕掛けの実験室にあってただ一つ彼が持ち込んできたふかふかのソファの上に寝そべったまま、頭上に視線を戻した。

 ここは、アーリマンが殻主かくしゅたる〈クリファ〉にして闇の世界ハデス。その一角にある研究施設は、〈強欲ごうよく〉を司る悪魔マモンの領域であるが、ベルゼブブは自分の部屋のように出入りしていたし、自由に使っていた。

 そのことに不満を口にするのは、いつだってアスモデウスだけだったし、マモンはなんとも思っていないらしい。

 マモンにとって重要なのは研究であり、疑問への解なのだ。

 だから、ベルゼブブがここにいることに疑問が生じないのであれば、どうだっていい、とでもいうのだろうし、そんなマモンだから彼もまた、気安くいられるのかもしれない。

「馬鹿じゃねえの」

 憮然ぶぜんとつぶやけば、マモンが端末を操作する手を止めた。

 マモンの周囲には、無数の映像板が浮かんでおり、それらに大量の文字列が絶え間なく書き込まれ、怒涛の如く流れていた。研究と実験に関する膨大な情報の洪水。ともすれま飲み込まれ、我を忘れてしまうのではないかというほどの情報量だったが、マモンはそれらの情報を容易く処理し、実験を積み重ねている。

 機械仕掛けの幻魔や幻魔人間を凌駕りょうがする発明を目指しているのだ。

「そうかな……?」

「だってよお、サタンの命令もなしに勝手に飛び出すなんざ、馬鹿で愚かでどうしようもねえだろが。おれ様たちゃあ、サタンのしもべだぜ? サタンの計画のために生み出された、サタンのこまなんだよ。駒が意志を持って勝手に動き回るなんざ、サタンだって鬱陶うっとうしいことこの上ないだろうぜ」

「好き放題暴れ回ってたきみがいうかな」

「おれ様はいいんだよ」

 当然のように自分のことは棚に上げるベルゼブブの反応を受けて、マモンは苦笑するほかなかった。わかりきった、当たり前の反応。

 だが、つぎに紡がれた言葉は、マモンに疑問を生んだ。

「それが、おれ様だったからな。多分、おまえもそうなんだよ」

「うん?」

「おれ様とおまえは、特別ってことだ」

「特別? ぼくたちが? どうして?」

「どうしてもこうしても、少し考えりゃあわかることだろ」

 ベルゼブブは、手にした書物を雑に放り投げると、ソファに座り直した。書物は、彼の魔法によって書棚に収まっている。

 見れば、マモンがこちらを見つめていた。翡翠色の髪が、実験室の発する光を浴びて、あざやかに輝いている。

「アーリマンの野郎も、アザゼルの奴も、おまえの大好きなアスモデウスも、サタンが創造した悪魔だ。サタンの計画に必要な駒としてな。それでも足りないと考えたサタンは、人間から鬼級幻魔を生み出そうとした。けれども中々上手く行かない。そりゃあそうだろ。鬼級幻魔なんざ、そう簡単に発生するもんじゃねえ。いまでこそこの世界中に溢れかえっているが、それでも幻魔の総数に比べりゃ、限りなく少ないもんだ」

 ベルゼブブに説明されるまでもないことだが、それは事実だ。

 鬼級幻魔の数は、この地上に満ちた幻魔の総数から見た場合、極めて少ない。もっとも多いのがもっとも脆弱な霊級で、つぎに獣級、妖級と等級が上がるごとにその数は少なくなっていく。

 鬼級は、霊級の何万分の一どころの比率ではないくらいに少ないといわれているくらいだ。

 実際のところは、わからないが。

「だから、既存の鬼級幻魔を利用する方針に切り替えた。その第一号がおれ様だ」

「第二号が、ぼく……」

「まあ、おまえは、アスモデウスの実験が上手くいったおかげもあるけどな」

 アスモデウスの幻魔製造実験が成功し、誕生した鬼級幻魔こそ、マモンの元となった存在だ。それは名も名乗ることを許されず、己がなにものであったのかもわからないままサタンによって悪魔へと作り替えられた。

 大いなる計画の駒たる悪魔へと。

 マモンへと。

「ともかく、だ。おれ様とおまえは、サタンからしてみりゃ大事な大事な実験体にして成功体なんだよ。ほかの悪魔とは違うのさ」

「そう……なのかな?」

 マモンは、ベルゼブブがなにもかもわかりきったようにいってくるのが理解できず、困惑した。疑問ばかりが増大し、解を求めたくなってしまう。

 しかし、彼の言いたいことはわからないではなかった。

 いまこの〈殻〉には、マモンとベルゼブブの二人しかいないからだ。

 だれもがサタンの命令を無視している。

 そんな有り様をサタンが許すだろうか。


「やはり、行ってしまったか」

 メタトロンは、ひとり、眼下を見下ろしていた。

 ルシフェルが殻主たる〈殻〉ロストエデンの遥か眼下には、広大な魔界の赤黒い大地とどす黒い大海が広がっている。死せる海は、常に荒れ狂い、渦を巻いているのだが、そんな海の一点に彼の視線は定まっていた。

 かつて日本列島と呼ばれた小さな島国。いまやどこもかしこも幻魔の領土と化し、何億、何十億もの幻魔が跳梁跋扈ちょうりょうばっこする魔界の一端と成り果てたそのさらに片隅で、いままさに人類が存亡そんぼうけた戦いを繰り広げている。

よすがすがってはならない。そういったきみが。きみたちが」

 ルシフェルもいなければ、ガブリエルもいない楽園には、当然のように光源がなかった。頭上から降り注ぐ太陽の光だけが、この〈殻〉を照らしている。

 ルシフェルは、地上に降りた。降りてしまった。強大な力を持った鬼級幻魔が、その影響力を考えもせずに飛び降りたのだ。

 真っ先に地上に降りたのはウリエルだが、本来制止しなければならない立場のはずの天使長までもが行ってしまえば、この楽園が混乱に包まれるのも当然だった。

 もっとも、天使の大半は、ルシフェルに連れて行かれてしまっているのだが。

 故に、彼だけがこの場にいる。

「仕方がないんじゃない? 全部が全部、計画通りに行くわけじゃないんだからさ」

 不意に背後から飛んできたのは、聞き知った少年の声だった。

 メタトロンは、即座に振り返りながら飛び退き、距離を取った。無数の律像りつぞうが、白銀の天使の周囲に展開する。破壊的な魔法の設計図。真言しんごんを唱えた瞬間、対象を殺し尽くすという殺意に満ちていた。

「そう警戒する必要はないだろう、メタトロン。ぼくときみの仲じゃないか」

「サタン」

 メタトロンは、冷ややかに告げた。

 見知った少年の姿をしたそれは、やはり、よく知る存在だった。〈七悪〉の一柱にして、悪魔たちの王。

 鬼級幻魔サタン。

 なぜ、どうして、などという愚かな質問はしない。

 サタンもまた、この状況を快しとは思っていないことなど、わかりきっているからだ。


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