第九百四十二話 渦巻く(六)
「なんちゅー戦いだよ、ありゃあ……」
真白がただただ圧倒され、呆然とするのも無理のないことだった。
二十二式戦闘装甲車両カラキリが、オロバス領を縦断するようにして激走している最中。
カラキリの置かれている状況というのはは、決して芳しいものではない。
真星小隊と数十機のクニツイクサだけでは、オロバス領内に待機していた大量の幻魔を捌ききるのは、元より不可能に近い。
それでもなんとか強引に前進を続けている。
前方に攻撃を集中することで血路を切り開き、包囲網を突破、全力疾走で幻魔の群れとの距離を離す。しかし間もなく包囲され、激戦を繰り広げる。その繰り返しだ。
堂々巡りのような死闘の中で、一体、また一体とクニツイクサが戦線を離脱していくのも致し方のないことだろう。
敵の数が、あまりにも多すぎる。
何千、何万という幻魔が、この車両に群がってくるのだ。
それらを殲滅しきることなどできるわけもない。
ただ、血路を切り開くことだけに集中するしかなかったし、それだけでよかった。
『地獄への片道切符かな』
などといったのは義一だが、冗談でもない。
片道切符で十分なのだ。
目的は、殻石の破壊。
それさえ果たすことができれば、帰り道の心配をする必要はないはずだ。〈殻〉が消滅すれば、オロバス軍は崩壊するに違いないからだ。
殻主を失った幻魔たちは、指揮系統の消滅によって混乱するものだったし、仮に冷静に判断できるようになったとしても、まずは、己の安全の確保のために動くというものだろう。
実際、ムスペルヘイムでもそうだった。
それでも多数の幻魔に追いかけられたものだが、この〈殻〉には、幸いにも頼れるものたちがいた。
星将である。
殻石の破壊にさえ成功すれば、星将たちが鬼級との戦いから解放される可能性が高い。
少なくとも一人くらいは、この特攻隊の救援に駆けつけてくれるのではないか。
それくらいは、期待してもいい。
真星小隊は、まさに死へと向かっているのだ。
この死地そのものの〈殻〉の真っ只中には、膨大極まりない星神力が吹き荒んでいた。
複数名の星象現界によって、〈殻〉の中心部付近に絶大としか言いようのない星神力が集中しているのだ。それらは嵐のように渦を巻き、なにもかもを飲み込んでいく。
極大の雷光が螺旋を描き、破壊的な竜巻が唸りを上げ、無数の光線が乱舞する。破壊が破壊を呼び、爆砕が爆砕を生む。
その戦闘模様こそが、真白が呆然とする原因だ。
星将たちと鬼級幻魔の戦いの凄まじさについては理解しているはずだったが、しかし、以前にもまして破壊的なのは疑いようがなかった。
星将たちの力が増しているからというのもあるだろうし、周囲への被害を全く考慮していないというのもあるのかもしれない。
ここは、オロバスの〈殻〉の中だ。
遠慮する必要はなく、出し惜しみする意味もない。
蒼秀も明日良も、美由理と火具夜も、あらん限りの力を振るい、鬼級と死闘を繰り広げているのだ。
このままではオロバスの〈殻〉が跡形もなく消え去るのではないかと思うほどだったし、それならばいっそのこと、そうなってしまえばいいと思わなくもないのだが、そんなことを考えている場合ではない。
「義一?」
「ああ、うん。視えた」
義一は、幸多の問いに頷きながら、遥か左前方を見遣っていた。
そこでは、やはり目に痛いほどの星神力が満ち溢れ、衝突し合っているのだが、その一つが戦場から遠く離れた方向に向かって伸びているのがわかった。
巨大な氷塊が無数に乱立し、爆炎が舞い踊って大爆発が連続する。物凄まじい咆哮とともに黒い波動が天を衝き、闇の星神力が柱となって聳え立った。
まるで神話の一場面を目の当たりにしているような、そんな感覚の中で、義一は真眼に全神経を注ぐ。その間、攻撃も防御もできなくなるが、そればかりはいかんともしがたい。
『幸多くん、聞こえてるわよね?』
「イリア博士? は、はい、聞こえてます!」
『……良かった。ちゃんと、通じているのね』
「通じ……あ」
幸多は、通信機越しのイリアの声に多大な安堵が混じっているのを感じつつ、彼女の言葉の意味を理解した。
カラキリは、いま、〈殻〉の真っ只中を突き進んでいる。
全周囲を大量の幻魔に包囲されながら、どうにか進路を切り開き、前進し続けた結果、ついに〈殻〉の中心部に近づきつつあったのだ。
ということは、つまり、レイライン・ネットワークによる通信が不調に陥ったとしてもおかしくはないということだ。
恐府攻略の最中、戦団の今後の活動方針における最大の懸念にして問題点として浮かび上がったそれは、仮にノルン・システムをユグドラシル・システムとして完成させたとしても、解決されないものだった。
なぜならば、世界中を巡るレイライン・ネットワークそのものが機能不全に陥っているからこそ起きた問題であり、ネットワーク自体を修復しなければ、根本的な解決にならないからだ。そして、ネットワークの修復作業を各地の〈殻〉に潜り込んで行うことなど、できるはずもない。
しかし、いま、幸多の耳には、イリアの声が鮮明に聞こえていた。
だとすれば、オロバス領内のレイライン・ネットワークは、機能不全に陥っていないということなのではないか――という幸多の想像は、外れていた。
『城ノ宮副長が勝手に乗り込んで戦場に飛び出すだなんて事態、想定外も想定外だけど、もう、こうなってしまった以上は致し方ないのよね。本当、どうしてだれもいうことを聞いてくれないのかしらね。どう思う、幸多くん』
「えーと……」
『ねえ、幸多くん。今度わたしの愚痴に付き合ってくれるかしら』
「これが終わったら、喜んで……」
『本当に!? 嬉しい……!』
なにやら狂喜乱舞しているようなイリアの反応を受けて、幸多は、どのような表情をするべきなのか困り果てた。イリアが性も根も尽き果てたかのような態度だったから了承してしまったのだが、安請け合いはするものではなかったのではないか。
無論、イリアの労をねぎらいたいという気持ちは、常に抱いている。
幸多は、イリアがいなければ、まともに戦場に立つこともままならなかったはずだ。彼女の天才的な頭脳と発明の数々が、完全無能者の幸多をして一人前の戦士に仕立て上げているといっても過言ではない。
幸多が引き金を引きながら、幻魔を打ち倒しながら膨れ上がらせるのは、イリアや第四開発局への感謝の気持ちばかりだった。
幻魔と対等以上に戦えるようになっただけでなく、撃滅するだけの力を得られたのは、どう考えてもイリアたちのおかげだ。
いまも、そうだ。
カラキリに殺到する幻魔は後を絶たない。それらに対し、ただただ弾幕を浴びせ続けるのが幸多の役割であり、とにかく前方にカラキリが突破できるだけの穴を開けることに意識を集中させている。それがなせるのは、第四開発室が遂行する窮極幻想計画とF型兵装があればこそだ。
もちろん、血路を開くべく、力を振り絞っているのは幸多だけではない。
黒乃も、最大威力の攻型魔法を次々と発動させていた。光の渦でバイコーンを吹き飛ばし、闇の刃でヴィゾーヴニルの腹を貫く。妖級幻魔サキュバスやヴァンパイア、ウェンディゴにも強力無比な魔法を叩き込み、進路を確保してみせた。
やはり、真星小隊の最大火力は、黒乃なのだ。
そんな黒乃の活躍に負けてはいられないと、真白も奮起している。防手たる真白は、隊の要であり、この作戦の根幹といっても過言ではなかった。
真白が幾重にも構築した堅牢強固な魔法壁があればこそ、幸多たちも攻撃に専念できるのだ。
それでも、そうしている間にも、一体また一体とクニツイクサが脱落し、操者たちが申し訳なさそうな声を残していった。
『御武運を!』
『不甲斐ない!』
『境界防壁で待っています!』
通信機越しから送り届けられる様々な声は、幸多たちを励ました。
物量の上で圧倒的に負けているのだ。
だが、これでもまだまだ増しなほうなのだろう。
本来ならば、〈殻〉内の幻魔が全てこの一団に殺到してもおかしくはない状況だった。〈殻〉への侵入者なのだ。排除のため、オロバス軍の精鋭が動いたとしても不思議ではない。しかし、この特攻隊に押し寄せてきているのは、〈殻〉に残存する戦力のほんの一部に過ぎない。
おそらくは、この〈殻〉の主戦場たる星将と殻主の戦いに動員されているからだ。
実際、神話のような戦いの中に数多の幻魔が見え隠れしていたし、それらがなんの役にも立たず、無意味に滅ぼされていく光景は、無常というほかなかった。
戦団ならばまず取らない作戦だが、そんなことをいっても仕方がない。
『それは……ともかく。カラキリよ、カラキリ』
「はい?」
『カラキリは、イワキリの改良型というわけではないのよ。イワキリは、輸送車両の名の通り、輸送に重きを置いた代物で、カラキリは戦闘装甲車両。戦場での運用こそ、カラキリの役目なのよ』
「はあ?」
『イワキリは、岩を切るようにあらゆる地形を走破するからそう命名された。じゃあカラキリは、というと、〈殻〉を切るのよ。〈殻〉をね』
「〈殻〉を……切る」
『〈殻〉を攻略するために解決しなければならない問題が山積みだった。そのうちの一つを解決するために考案され、開発されたのがカラキリなのよね。こうしてきみとの通話が全く途切れないのも、カラキリに搭載された機能のおかげなのよ』
イリアの淀みない説明を聞きながらも、幸多の意識は進路に集中している。幻魔との戦闘に全神経を注ぎながらも、イリアの声を聞き逃すことはない。
それは、幸多の昔からの得意技だ。
『そして、カラキリのもう一つの最大の特徴は、義一くん』
「はい。わかっていますよ」
義一は、不意にイリアから話を振られるなり、想定していたといわんばかりの反応の早さで車両内に戻った。
そして、助手席に乗り込むと、備え付けの端末を操作し、神経接続を行う。
義一は、もう一人の真眼の持ち主である麒麟とともにカラキリの開発計画に関わっており、あらゆる機能に精通していた。いまから自分がなにを為すべきなのか、彼ほど理解しているものはいまい。
彼の眼は、魔界の空にかかる橋を見ていた。それはオロバスの固有波形を帯びた魔素が放物線を描いているということであり、その終端にこそ、殻石があるのだ。
それが第三因子・真眼の能力であり、この力があればこそ、殻石を破壊しうるのである。
そして、カラキリに搭載された神経接続機器により、義一が真眼を通して視ている映像をカラキリ内の幻板に出力すれば、彼自身が口頭で説明する必要がなかった。
それは、操縦席の明臣も理解していることだ。
故に明臣は、カラキリの速度を上げた。
だが、しかし、その直後、カラキリは立ち往生してしまった。
何億体ものエロスの分身が、主戦場から押し出されるようにしてカラキリの進路上にも満ち溢れたのだ。
分身の数に、そしてその妖艶さに気圧され、言葉すら失ったのは、真白だけではあるまい。
光り輝く頭髪が無数の鞭のように閃き、虚空に光線を描く。
斬撃が、嵐の如く吹き荒んだ。