第九百四十一話 渦巻く(五)
雷光が、乱舞する。
轟然と吹き荒ぶ嵐に乗って、破壊的な雷はさながら舞い踊るように戦場を蹂躙し、押し寄せる雲霞の如き幻魔の群れを打ちのめしていく。
無論それは、ただのついでだ。
目的は、周囲の雑魚の一掃などではない。
斃すべき敵は、ただ一体。
鬼級幻魔エロスのみ。
「無駄よ、無駄! ぜーんぶ、無・駄! あなたたちはただの人間で、わたしは幻魔! 万物の霊長たるわたしが、劣等種である人間如きに滅ぼせるはずがないでしょう!」
エロスの艶やかな声が哄笑となって響き渡り、光の刃となった無数の頭髪が星神力を帯びて戦場に吹き荒れる。虚空を縦横無尽に駆け巡る数多の光線が、蒼秀と明日良の魔法を粉砕し、寄せ付けない。
だからといって諦める二人ではない。
何百体にも増大したエロスの攻撃は、今までとは比較にならないほどに苛烈だ。
二人を包囲した数百体ものエロスが、その数千倍、数万倍といっても過言ではないくらいの飽和攻撃を仕掛けてきている。
耐え凌ぐだけでも困難を極めるのではないか――そう思えたのだが。
「どうやら、なんとかなりそうだね?」
愛は、星象現界・愛女神の維持に全力を注ぎながら、熾烈を極める戦いを見守っている。
愛女神は、影響範囲内の対象の傷を瞬く間に治癒し、再生し、復元する治癒系補型魔法の究極形とも呼ばれるものだ。その効力を発揮するには、範囲内に対象を収める必要があり、そのためにも愛は、戦場のど真ん中にいなければならなかった。
愛の展開する星域は、決して狭くはない。しかし、四人の星将たちが戦っている相手は、鬼級幻魔なのだ。彼らを星域の範囲内から逃さないように位置取りをし、常に確認と把握に努めなければならなかった。
万一のことがあれば、作戦そのものが瓦解する。
いや、戦略そのものが、か。
愛は、自分が帯びた使命の重みを認識し、息を吐く。
星象現界の発動中である。
超高密度の魔力――星神力の塊である愛は、幻魔には格好の的だった。当然、大量の幻魔が押し寄せてくるのだが、それらは大抵の場合、彼女に接敵するまでもなく消滅した。
蒼秀や明日良の攻撃に巻き込まれたものもいれば、エロスの攻撃の巻き添えになったものも少なくない。
美由理、火倶夜、オロバスの攻撃が幻魔を飲み込むことも多かった。
時折、愛自身が対応しなければならなかったが、問題ではない。
少なくとも、星象現界発動中の彼女が、妖級以下の幻魔に後れを取ることなど、あり得ない。
たとえ二重殻印の上位妖級幻魔であっても、だ。
故に、注意するべきは、死闘を繰り広げている六名の魔法使いたちであり、その魔法が流れ弾として飛んでくることだった。
そして、愛は、彼女の胴体を真っ二つにするかのような軌道で迫ってきた光線を左手で受け止め、握り潰した。理解する。
「なるほどね」
エロスは、星象現界の能力によって、無数の分身を生み出した。分身たちは、エロス本体と見分けがつかないほどにそっくりだったし、本体と同様に星象現界を駆使した。
その時点で、こちら側の圧倒的不利だと思ったのだが、どうやらそうではなさそうだった。
確かに何千体ものエロスが光り輝く髪の毛を無数の鞭のように閃かせ、虚空に何百万もの光線を走らせる様は、圧倒的だ。いや、実際に圧倒されている。
分身それぞれが星神力の塊であり、光線もまた、星神力だ。髪の毛一本一本が妖級幻魔を絶命させるに足る威力を持ち、それらが天地を引き裂き、戦場を切り刻んでいる。空間そのものが切断されているのではないかと思えるような光景だった。
蒼秀も明日良も回避しきれず、直撃を受けることも少なくなかった。
愛女神の結界の中でなければ致命傷になったことは、二度や三度では済むまい。
愛女神の力が、二人の損傷を一瞬にして軽傷へと変化させ、さらに負傷そのものをなかったことへとしていく。
それによってどうにか対応していた二人だったが、エロスの分身が思ったほどではないと気づけば、すぐさま攻勢に転じたようだった。
なぜ、二人がこれほどまでに攻撃に全力を注ぐことができるのか、愛にはわからなかった。しかし、分身の攻撃を片手で受け止められたことで、把握した。
分身は、確かに凶悪無比だ。敵が少なければ少ないほど、分身が多ければ多いほど、物量で圧倒できること間違いないだろう。しかし、分身の繰り出す光線の乱舞は、本体のそれよりも明らかに威力が下がっていた。だから、蒼秀と明日良の二人は、直撃すらも構わないといわんばかりに分身の攻撃を黙殺するのだ。
そして、殺到する無数の光線を切り裂き、打ち砕いていく。
エロスの本体、あるいは分身の頭髪は、肉体から切り離されるたびに新たな分身を形成した。戦場にエロスの分身が満ち溢れるまで時間はかからない。
それも、魔素質量の限りなく低い分身ばかりが、視界を埋め尽くしているのだ。
人間ですら魅了しかねないほどに妖艶優美な女魔ではあるが、何万、何十万もの数となれば、噎せ返るような色気に吐き気すら覚えてもおかしくはない――そんな、愚にもつかないことが愛の脳裏に浮かぶほど、蒼秀たちの戦況は悪くはなかった。
「なにをしているのかしら? そんなことをしても、なんの意味もないわ! 頭を垂れ、平伏し、許しを請いなさい! そうすれば、考えてあげてもいいわ! あなたたち、使い道がありそうだものね!」
エロスの高笑いは、終わらない。
数十万体ものエロスたちが唱和し、光り輝く頭髪で嵐を起こす。破壊と殺戮の嵐。
その災禍の中心で、明日良が目を細めた。その瞳の奥に輝くのは〈星〉であり、怒りだ。際限のない怒りが、彼を突き動かしている。
「なんでまた、許しを請わなきゃならねえんだ? わかるか、蒼」
「さあな。幻魔の世迷い言に付き合っている暇はない」
「だな」
明日良は、蒼秀からのわかりきった返答に頷き、拳を握り締めた。六本の腕の全ての拳で、迫り来る光の刃を殴りつけ、打ち砕き、さらにエロスの分身を増やしていく。
エロスの数が増えれば増えるほど、二人に殺到する攻撃は苛烈なものとなり、捌ききれる量ではなくなる。攻撃そのものが飽和し、戦場全体が崩壊していくかのようだ。
そして、エロスの分身自身の攻撃が、別の分身を斬りつけ、あるいは、光線同士が切り裂き合って、さらに分身を増加させていくものだから、分身の数は増える一方だった。
もはや分身の増加を止める手立てはない。
だが、それでいい。
蒼秀は、雷光となって光線の狭間を駆け抜け、エロスの本体へと肉迫した。エロスが嘲笑する。
「窮鼠猫を噛む、とでも?」
「それほど追い詰められてはいないな」
「口だけは達者ね。それで、この状況、どうするつもりなのかしら?」
「どうもしない。どうにかしなければならないのはおまえのほうだろう」
蒼秀は、エロスの腹を殴りつけようとして、無数の光線によって遮られたため、その場を飛び離れた。全身を切り裂かれ、血が噴き出す。光線の一撃は、星装の防御を容易く突破するほどの威力があるのだ。
ただし、それは本体の場合だ。
分身は、数が増えすぎた。
そして、それによって一撃一撃の威力が並の魔法程度にまで落ち込んでしまっている。いまや分身の光線が蒼秀に直撃しても、掠り傷にしかならなくなっていた。そして、掠り傷程度ならば、愛女神のおかげで一瞬にして塞がっていった。
明日良が、何千万体ものエロスの分身に包囲されながらも微動だにしないのは、避ける必要がないからだ。
注意するべきは、本体からの攻撃だけでいい。
本体の攻撃は、簡単に見分けがついた。
魔素質量が段違いだ。
「おまえの星象現界、確かに強力で厄介な能力だ。だが、厄介なのはおまえ自身にとってもだったようだな」
「なにを……!」
エロスは、視界を埋め尽くす分身たちが全く以て成果を上げられていないことにいまさらになって気がついた。分身の数は、いまこの一瞬の間に倍増した。増えれば増えるほど、加速度的に増えていく。
そして、分身一体一体の能力が、激減していく。
一体ならば鬼級同然の力も何億体もの数となれば、妖級にも遠く及ばないほどのものとなり、獣級以下といっても過言ではなくなっていたのだ。
故に、さらに増えていく。
明日良が巻き起こす嵐が、蒼秀が轟かせる雷光が、分身たちの頭髪をつぎつぎと切り裂き、灼き尽くしていくからだ。
分身の攻撃は、もはや人間たちを傷つけることすら敵わなくなっていた。