第九百三十九話 渦巻く(三)
二十二式戦闘装甲車両カラキリが、オロバスの〈殻〉の中を全速力で駆け抜けていく。
オロバスの〈殻〉の名称は、戦団側は知らない。故にただオロバス領と呼称されている。
そんなオロバス領だが、だだっ広い平坦な地形が広がる東部と、起伏に富んだ地形が入り乱れる西部に分かれているということまでは判明している。
導士たちの命懸けの調査のおかげであり、その調査結果によって記された地図に沿う形でカラキリは突き進む。
カラキリは、自動操縦ではなく、操縦席に座る城ノ宮明臣によって操縦されていた。彼は、全神経を集中させるようにしてカラキリの車体を制御し、数百万の幻魔が蠢くオロバス領、その地獄のような光景の中を走らせているのである。
まさに地獄だ。
主戦場を突破し、〈殻〉内に飛び込めば、情報通り平坦な地形が広がっていた。だが、そんなことはどうでもいいと思ってしまうのは、白と黒の津波が押し寄せてきたからだ。それが大量の幻魔だということは、確認するまでもなく理解できた。
霊級、獣級、妖級――闇属性、光属性の幻魔が入り乱れ、統率などどこかに置き忘れられているかのように殺到してきていた。
ウィルウィスプが群れを成して進路上を埋め尽くせば、その上空をカラドリウスの編隊が飛翔し、マンティコアたちが黒い霧を散布しながら進軍している。ウェンディゴが大地を揺らしながら迫りくれば、ヴァンパイアとサキュバスが様々な魔法で攻撃してくるのだ。
一方のカラキリは、真星小隊一同が屋根に登り、防衛網の構築を行っていた。併走する五十機のクニツイクサとともに、だ。
幸多が二丁の飛電改、二丁の雷電改で前方に弾幕を張り巡らせれば、クニツイクサが全周囲に弾丸をばら撒き、幻魔の接敵を許さない。弾丸の許す限りの弾幕だが、これも長続きはしないだろう。
後一時間も持てば良いほうだ。
真白の堅牢強固な魔法壁は、カラキリの屋根上を中心に展開する結界であり、カラ霧を移動要塞へと作り替えるが如くだった。飛来する攻撃魔法の数々を受け止め、弾き飛ばし、跳ね返していく。クニツイクサたちが幻魔の攻撃を受けることなく銃撃に専念できるのは、まぎれもなくその恩恵だった。
それは、黒乃と義一も同じだ。
二人は、弾幕の無視して迫りくる霊級幻魔を撃破しつつ、遠距離から飛来する魔力体の迎撃に意識を割いた。妖級幻魔の攻撃魔法とて真白の魔法壁は寄せ付けないが、集中砲火を浴びればその限りではない。さすがの真白も、持ちこたえられなくなるだろう。
魔法壁が破損し、維持することもかなわなくなれば、その時点でこの部隊は壊滅的被害を受けることになる。
『とんでもない方たちだな』
「全く、同感です」
松波桜花は、機動戦闘大隊長・姫路道春が思わず漏らした感嘆に大きく頷いた。
機動戦闘大隊クニツカミは、百機のクニツイクサを擁する戦闘部隊だ。この西方境界防壁防衛戦の最中、既に五十機近い数のクニツイクサが大破、あるいは機能停止に追い遣られている。
残すところ、五十一機だけだ。
しかし、当然ながら操者に一人として負傷者は出ていないし、皆、肉体的どころか精神的にもなんの問題もないという報告が入っていた。
機械の体を遠隔操作しているに過ぎないのだから、当然といえば当然だったし、聞くまでもなくわかりきっていたことではあったのだが。
そして、だからこそ、実感するのだ。
カラキリを駆って戦場に突っ込んできた情報局副長・城ノ宮明臣の凄まじさもそうだが、当然のようにカラキリに乗り込むだけでなく、屋根上からオロバス軍に立ち向かう導士たちの姿は、勇壮にして果敢というほかなかった。
彼らは、生身だ。
生身の人間である以上、その体にクニツイクサが機能停止に陥るのと同等の損傷を受ければ、ただでは済むまい。
今作戦に動員された導士の中から、既に百名以上の死傷者が出ているという情報もある。
それが生身を曝して戦うということだ。
神座の操縦席に腰を据え、落ち着いて戦うことのできるクニツカミの操者たちとは、なにもかもが違うのだ。
導士たちへの尊敬の念ばかりが、桜花たちクニツカミの隊員たちの心を燃え上がらせる。
戦団への、戦団を構成する導士たちへの見方、意識の持ち方が変わってきたのだとしても、なんら不思議ではない。
この地獄の様相を呈する戦場のただ中を生身で突き進む導士たちの姿は、鬼神も恐るべしというほどのものといってもいいのではないか。
桜花は、カラキリに併走しつつ、血路を切り開くべく前方への集中射撃を行い続ける。
「まだ、見えないのかね!」
カラキリを操縦する明臣の意識もまた、前方に集中していた。幸多たちのおかげでどうにか進路を確保できているものの、このままでは雲霞の如く押し寄せる幻魔の群れによって飲み込まれ、身動きひとつ取れなくなる可能性があった。
なればこそ、一刻も早く殻石の位置を特定する必要があるのだが、しかし、それができるのはこの戦場では伊佐那義一ただ一人だ。そして、それを可能とする真眼が真価を発揮するには、魔素の流れを視る必要があった。
『まだ、もっと深く……!』
義一の声が、明臣の耳に響く。
前方、視界を埋め尽くすのは、大量の幻魔だ。数多の弾丸、無数の攻型魔法がどうにか幻魔を吹き飛ばし、血路を切り開いていくのだが、カラキリが全速力を出していられるのも時間の問題のように思えた。
カラキリは、〈殻〉の東部から中心部へと向かっている。
星将と鬼級が死闘を繰り広げる地点へ、だ。
となれば、幻魔の数が増大するのも当然のことだろう。
オロバスは、央都侵攻に際し、その全戦力を動員したわけではない。〈殻〉を防衛するために必要な戦力は残していたのであり、それらがいまや激戦地と成り果てた〈殻〉の中心部へと殺到しているのだとして、なんらおかしくはない。
むしろ、正しい。
オロバスの命令にせよ、そうでないにせよ、幻魔たちは動き、怒濤の如く押し寄せてきている。
それらに対し、一個小隊とクニツイクサの五十機だけでは心許ないのは、端からわかっていたことだ。
暴走。
明臣は、今まさに己が暴走しているのだと理解し、認識し、けれども自嘲ひとつせず、ただ、幻魔を睨み付けていた。
(日流子……!)
愛娘への想いが、彼を駆り立てている。
遥か眼下、形勢は逆転したといっていいのか、どうか。
若干、戦団側が押しているかのように見えた戦況は、いまや幻魔側に大きく傾き始めていた。
最初から戦力差は圧倒的だったのだから、形勢が逆転した、などとは口が裂けてもいえることではあるまい。ただ、想定通り、想像通りの結果になりつつあるというだけのことだ。
オロバス軍には、数百万の幻魔がおり、三体もの鬼級幻魔がいた。
それに対し、戦団が動員したのは三千人に満たない導士と、クニツイクサと呼ばれる機械兵器百機、そして三名の星将だけだ。
星将はさらに二名追加されたようだが、焼け石に水にほかならず、戦況は悪化の一途を辿っている。
戦団にとって予期せぬことがいくつか起こったからだ。
ひとつは、鬼級幻魔が三体いたということ。
ひとつは、それら鬼級幻魔が星象現界を体得していたということ。
そして最後のひとつは、そう――。
「アーリマンめ」
天使長ルシフェルが、静かに口を開いたのは、星象現界の中で繰り広げられていた戦闘が、予期せぬ乱入者によって崩壊寸前に至ったからだ。
バルバトスの魔晶体を介して戦場へと現れたのは、〈七悪〉が一柱、〈傲慢〉のアーリマンである。
闇そのものが人間に擬態したかのような姿をした悪魔は、星象現界によって、杖長たちを一瞬にして打ちのめし、皆代統魔を拘束せしめた。皆代統魔の星霊たちも、彼の星象現界によって封殺されている。
「あれは……」
ウリエルは、アーリマンの左手に具現した星装に目を止めていた。
異形にして長大なる矛は、大地の支配者にこそ相応しい代物であり、事実、アーリマンは、大地を自由自在に操ることで杖長たちを制圧せしめていた。
「天之瓊矛」
ウリエルは、呻くようにいった。