第九十三話 幻想への招待
「で、結局今日もまたおまえは登校してきたわけだが、本当に戦団に入ったのかよ」
圭悟が幸多の座っている椅子を足で軽く蹴ったのは、登校後、教室に落ち着いてからのことだった。周囲にはいつもの面々がいて、その中心には幸多が座っている。彼は、少しばかり困ったような顔を圭悟に向けた。
「昨日証拠を見せただろ。なんで疑うのさ」
「そうよそうよ、かっこよかったでしょ、導衣姿の皆代くん」
「似合ってましたよねえ」
「凄かったね、第三世代導衣、流光! 世代を重ねるごとに洗練されていく意匠、その極致が流光の細部にまで現れてる……! いまや導士の誰もが当然のように身につけてるわけだけど、流光の凄いところは――」
などと、蘭が興奮気味に導衣に関する説明を始めるのを見て、幸多たちは少しばかり距離を取った。
幸多が、青春の終わりを感じた翌日のことである。
幸多は、当然のように登校し、校門前で四人と合流した。そのとき、圭悟は、なぜかひとりで派手にこけていた。
「でも、本当に学校に来ててもいいの? 少し心配」
「入団はしたし、配属先も決まったし、なんなら師匠だって決まったんだけど、ぼくの場合、本格的な活動は来週からなんだってさ」
だから、今週は目一杯休んでいい、と、伊佐那美由理がいっていた。
美由理は、幸多が対抗戦決勝大会まで猛練習を続けていたということも把握しており、少しは体を休ませるなり、羽を伸ばすなりするべきだ、などと忠告するようにいってきたのだ。
そのため、幸多は、今日と明日、明後日の後三日は、ゆっくりすることができる。
そして、来週の月曜日、つまり七月一日から、美由理による本格的な指導が始まる、ということまで決まっている。
圭悟が、幸多の発言を聞き逃さなかった。
「師匠? なんだそりゃ、聞いてねえぞ」
「いってないからね」
「そういえば、入団式が執り行われたっていうことと、皆代くんたちの配属先くらいしか報道されていなかったっけ」
「まあ、大々的に発表するようなことでもないんだろうし」
「そうか? 師弟関係って結構公表されてるような」
圭悟が食いついてくる。
確かに、それも事実だ。
実際、軍団長ほどの立場の導士となれば、その師弟関係は公表されるものだった。例えば、第九軍団長麒麟寺蒼秀と皆代統魔の師弟関係などは、この上なく有名だ。
麒麟寺蒼秀は雷属性、統魔は光属性を得意とするため、雷光師弟などと呼ばれたりもする。そして、雷光師弟を一つに纏めた関連商品が、結構な種類存在しており、かなり売れているらしい。
師弟売りと言う奴だ。
「公表はされてるけど、発表はされないでしょ」
「まあ、そうか。そうだな。で、誰なんだよ、おまえなんて弟子に取る物好きはよ。まさか伊佐那美由理様とかいうんじゃねえだろうな」
「そのまさかのまさか、伊佐那美由理軍団長だよ」
幸多は、圭悟の冗談めかした口調を受けて、軽々しく応答して見せた。
すると、圭悟が、凍り付いた。
「……冗談だろ」
「うっそ……」
「すっご……」
「本当なのですか……?」
驚愕したのは、圭悟だけではない。真弥も紗江子も蘭さえも、吃驚仰天といった反応を見せた。
「うん、本当」
幸多が真顔で頷けば、一同はさらに大声を上げた。
「ええええええええええええ!?」
教室に居合わせた生徒全員の視線が五人に集中するほどの驚きぶりには、さすがの幸多も苦笑するほかなかった。驚かれるのはわかっていたとはいえ、だ。
それからしばらくは、幸多が美由理の弟子になったことについての話題で盛り上がった。その話題に聞き耳を立てている同級生も少なくなかったが、幸多は、特に気にしなかった。
幸多と美由理の師弟関係は、たとえ戦団が公表しなくとも、誰かが発表しなくとも、いずれ判明することだ。
伊佐那美由理が、新人導士を側に置いているとなれば、それ以外に理由がないからだ。軍団長の側にいるのは、大抵は副長か、杖長だ。軍団長が小隊を組むことがあったとしても、新人導士を編成することは基本的にあり得ない。
そういう状況証拠の積み重ねによって師弟関係が判明することも少なくなかったが、判明したからといってなにか問題があるわけでもなく、故に幸多は、軽々しく師匠の存在を公言したのだった。
圭悟もそうだが、真弥も紗江子も蘭でさえ、幸多に師匠がつくとは思っていなかったし、その師匠がまさかあの伊佐那美由理だとは、想定外にもほどがあった。
まさに驚天動地の出来事といっていい。
伊佐那美由理と言えば、星将就任以来、一人として弟子を取ってこなかったことで有名な人物だ。己の研鑽と鍛錬のためという理由に誰もが納得したのは、彼女の魔法士としての技量の高さ、実力の凄まじさ故だ。
伊佐那美由理は孤高の存在であり、近寄りがたい氷の女帝である――だれもがそう想っていたし、信じてさえいた。
なのに、魔法不能者の幸多を弟子に取るなど、考えられるわけもなかった。
皆が、幸多に伊佐那美由理と会ったのか、会ったのだとしたらどんなことを話したのか、師弟関係になった理由は、などと様々なことを聞きたがった。
幸多も、そうした友人たちからの質問には、答えられる範囲で答えた。
そして時間が過ぎ、授業を終え、放課後になった。
今日も、対抗戦部は休みだった。
幸多たちが、学校から帰る準備をしていると、圭悟が教室の出入り口を見遣った。
「あれ、怜治じゃねえか。なにしてんだ、あいつ」
「こっちを窺ってるわよ。あんなに一緒になって青春したのに、相変わらずの距離感よね」
「負い目があるからね、どうしても」
「もういいっていってんのにな」
「こっちは良くても、あっちはさ」
幸多は、怜治の心情を察して、いった。
対抗戦部の一員となってくれただけでも十分すぎるくらいだというのに、怜治も亨梧も不満をほとんど漏らすことなく、二ヶ月余りの猛練習に付き合ってくれたのだ。それどころか、決勝大会でも存分に働いてくれた。
幸多は感謝こそすれ、わだかまりもなにもないのだが、しかし、彼らの立場に立ってみれば、そういうわけにもいかないのかもしれない。
彼らが、それだけ彼らが不器用で律儀な人間だという証明でもあるのだろうが。
下校準備を終えた圭悟が、鞄をぶら下げるようにしながら、廊下の怜治に向かっていく。
「なんだよ」
「用があんのはてめえじゃねえ」
「んだと?」
圭悟は突っかかったが、怜治はまるで無視した。
怜治の目は、幸多を見ていた。その真っ直ぐな視線は、彼がなにかを思い詰めているようにも思えた。
「皆代幸多、いや、皆代さん」
「さん!?」
幸多は、怜治の発言を受けて、思わず吃驚した。圭悟が冷ややかにいってくる。
「そこ、驚くところか」
「いや、驚くでしょ、同い年だし、この間まで呼び捨てだったしさ」
「呼び捨てにしてたのは、その……正直に謝る。ごめんなさい、許してください」
「なんなの、急に……」
幸多は、平身低頭といった怜治の有り様に、憮然とするほかなかった。
これまでの彼からは考えられないような豹変ぶりだったからだ。
「まさか本当に導士になるなんて、思ってもいなかったんだよ」
怜治がそんな本心を聞かせてくれたのは、場所を教室から学校の外に移してからのことだった。
つまり、家路だ。
部活動に勤しむ一部の学生以外の、ほとんどの学生が家路についている。
天燎高校とは、そういう学校だった。部活動はいくつも存在し、それなりに在籍者もいるのだが、熱心に部活動を行っている学生というのはほんの一握りだ。
天燎高校は、天燎財団系企業と深い関わりを持ち、それら企業に就職するためにこそ通学している学生が大半なのだ。授業が終われば速やかに帰り、別の勉強を行う。それが一般的な天燎高校の生徒というものである。
つまり、部活動に熱中していた幸多たちは、天燎高校の中でも奇異な、異分子のような存在だったと言うことだ。さらに部活動の目的が対抗戦なのだから、白い目で見られるのも、当然だった。
最終的には、高校全体を熱狂させるに至ったのだが。
「まあ……そりゃあ、そうか。そうだわな」
「うーん……」
「んだよ、納得しろ」
圭悟は、幸多の不満に満ちたうなり声に苦笑した。彼の気持ちもわからなくはないが、しかし、怜治の言い分のほうが正しい。
魔法不能者が本気で導士になろうなどと思っているとは、とても信じられることではない。
「ぼくは最初から本気だったけど……」
「てめえが本気でも、だれも信じねーっつの」
「そりゃあ……そうかもしんないけどさ。ぼくだってやれることはやってたつもりなんだけどなあ」
「だからすまんって、許してくださいよ」
「だからどうして謙るのだ」
「導士様だから」
「あのねえ」
「そうかそうか、そういやそうだ、幸多様は導士様だったな。そりゃあ怜治も頭を垂れるわけだ」
「圭悟くんまでそんな風に言う。いったいぼくはどうしたらいいのさ?」
「冗談だよ、冗談。そうむくれんな。で、怜治。てめえはなんでまた、教室まで顔を見せに来たんだ? いまさら謝りたかっただけ、なんていわねえよな」
「あのな、おれはおまえと違って真面目なんだよ。謝りたいのが先にあって、だな」
「だれが不真面目大王だ」
「だれもそこまでいってないでしょ。事実だけど」
真弥が圭悟をからかえば、圭悟が彼女に掴みかかろうとして、紗江子に制される。いつもの光景は、青春の残光のようにも感じ取れて、幸多は、言葉を失うかけた。
こうした光景が見られなくなるのは、やはり、寂しい。
けれども、彼らの日常を守るために幻魔と戦うという選択が間違いではなかった、とも、想うのだ。圭悟たちの青春を護り、人生を護る。そのためには、もっと強くならなければならなかったし、だからこそ、伊佐那美由理という最強の師匠を得られたことは、幸多にとって心強いことこの上なかった。
怜治が圭悟たちのやり取りを眺めながら、憮然と口を開く。
「話を進めても、いいか?」
「どうぞ」
「……まあ、その、なんだ。あの日、おれは曽根さんに従うしかなかったからとはいえ、皆に迷惑を掛けちまった。そのことは、悔やんでも悔やみきれねえし、謝ってそれで済む話じゃあねえ」
「だからそれは、もう終わったことだよ、怜治くん。きみと亨梧くんが助けてくれたから優勝できたんだし、導士になれたんだ。頭を下げるのなら、ぼくのほうだよ」
それは、偽らざる幸多の本音だった。
怜治も亨梧も、圭悟に巻き込まれたとはいえ、最後まで付き合う義理などどこにもなかったのだ。途中で逃げ出したとして、それを責める権利は幸多たちにはなかった。
なのに二人は逃げず、最後まで戦い抜いてくれた。それだけでも、感謝するほかないというのに、これ以上なにを求めるというのか。
求めるものなど、なにもなかった。
しかし、怜治は、それでは納得できないようだった。表情からもそうした意思が伝わってくる。
「でもよ、それだけじゃあ、おれの気持ちが収まらねえんだよ。おれは、とんでもないことをしてしまったんだ。ひとを傷つけ、それを笑いものにして、それで良しとしてきた。それなのに、おまえらは、おれたちを……おれを、受け入れてくれた。仲間として、一人の人間として」
「ちょっと大袈裟すぎるよ」
「だけど、それも確かな事実なんだよ、おれの中では!」
怜治は、叫ぶようにいった。
それはまるで、魂が発する慟哭のように聞こえて、幸多は、彼と正面から向き合うことにした。その言葉を聞き入れる以外に道はないと想ったのだ。
「だからさ、せめてもの礼をさせてくれ。おれがおれという人間として、北浜怜治として一つでも誇れることができた、そのお礼をさ」
彼の目は、夕日を浴びているからではなく、その内心から溢れる心の光によって輝いているように見えた。




