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第九百三十八話 渦巻く(二)

『わたしは、お父様とお母様のようにりたいのです』

 過ぎ去りし日、いまや永遠に失われた時間の向こう側で、そのように決意を告げてきた愛娘まなむすめの顔は、燦然さんぜんと輝いていた。

 他者と競い合うことが嫌いで、傷つけ合うなどもっての外であり、口喧嘩すらしたくないと常々いっていた幼子おさなごが、あっという間に大きくなり、立派な導士になっていく様を見届ければ、彼としても認めるしかなかったのだ。

 本当は、嫌だった。

 嫌に決まっている。

 最愛の一人娘だ。

 彼と妻の子が一人だったのは、央都政庁の人口増加政策に反抗するとかそういう意図は全くなく、戦団の導士としての職務をまっとうするためにほかならない。子を一人設けることすらも考え抜いた末の結論だった。

 職務に専念するというのであれば、人生の全てを戦団に捧げるというのであれば、子を成すことすらも熟考に熟考を重ねなければならなかった。

 子供のためにどれだけの時間を割いてやれるのか。

 そもそも、親として子供を育てられるのか。

 彼の立場を考えれば当然の苦悩があったし、その痛みは、妻にも共有されていた。

 それでも子を成したのは、正解だった。

 日流子ひること名付けたその子との時間は、掛け替えのないものだったし、至福の日々だった。

 幸福とはこんなところにあったのか、と、改めて認識したものだ。

 そして、そんな家族のためにこそ、職務に死力を尽くそうと奮起したのだ。

 それも、いまや過去のものと成り果てた。

 最愛の妻は死に、最愛の娘も死んでしまった。

 妻も娘も、幻魔に殺された。

 同じ幻魔に。

城ノ宮(じょうのみや)副長、聞こえているのなら返事をしたまえ』

「ええ、聞こえていますよ、局長殿。こちらは戦場ですので、常に瞬時に返事をするというわけにも行かないでしょうが」

『なぜ、きみが戦場にいる。きみは技術創造センターにいたはずだ』

「はい。つい先程まで、ですが」

『なぜ、そこにいる?』

「気がついたら、境界防壁内にいたんですよ」

『なんだと? なにをいっている? そんな言い訳が通ると本気で思っているのか?』

「言い訳など、とんでもない」

 明臣あきおみは、二十二式戦闘装甲車両カラキリの運転席にあって、通信機越しに聞こえてくる上司の苦情を聞いていた。手は、操作機に触れている。神経接続による操作は、極めて直感的な車両の操縦を可能としており、特別な訓練がなくとも思い通りに動かすことができた。

 さすがは戦団技術局が誇る最新鋭機というべきか。

 西方境界防壁内防壁拠点を出発すれば、すぐ目の前に戦場が広がっている。

 明臣は、およそ三千名の導士が、命をけた戦いを繰り広げる地獄のような戦場の真っ只中へと、なんの躊躇ちゅうちょもなく突っ込んでいったのだ。多種多様な魔法が乱舞し、怒号と悲鳴が散乱する激戦区を突き進み、最前線へと向かっていく。

 当然、呼び止める声もあったし、緊急停止命令も発せられた。だが、彼の操作するカラキリを止める手立てなどあろうはずもない。

 目的地は、決まっていた。

 皆代幸多みなしろこうた率いる真星しんせい小隊の居場所だ。

「本当に、そうなんですよ。本当に」

『なんだと……』

 上庄諱かみしょういみなの動揺が伝わってきたのには、珍しいこともあるものだと思わずにはいられなかった。どのような事態、状況に直面しようとも、即座に冷静さを取り戻すのが情報局長なのだ。

 そんな局長らしからぬ反応には、明臣も同情しないではなかったが。

 理由は、明白だ。

 明臣が嘘をついていないからだ。

 明臣の発言が言い訳なのだとすればあまりにも下手すぎたし、そんなものが通るはずがないことくらい理解できない部下ではないと諱は知っている。

 諱ほど、明臣のことを理解しているものはいない。

 故に、このような発作的な、反射的な行動にも理解を示してくれるだろう。

『復讐か』

「おそらくは、そうなのでしょう」

 まるで他人事ひとごとのように答えたものの、実際のところ、そのようにいうしかなかった。

 明臣自身、なぜ、自分が戦場のただ中にいるのかと疑問に思うのだ。

 なぜ、戦闘要員でもなければ、戦務局の一員でもない自分が、戦場の真っ只中を駆け抜けているのか。

 幻魔の怒れる咆哮ほうこうが魔法となって降り注ぎ、導士たちが構築した魔法壁を破壊していく。ガラス細工のように砕け散る魔法壁をすぐさま再構築し、応戦する導士たちの勇姿が通り過ぎていく。彼らがいままさに命を燃やし、幻魔と死闘を繰り広げている中を疾駆しているのだ。

 ありえないことだ。

 あってはならないことだ。

 だが、気がつけば、防壁拠点内にいて、戦闘装甲車両カラキリが目に止まった。カラキリに乗り込み、起動させるのは難しいことではなかった。情報局副長なのだ。ノルン・システムを操作するなど、造作もない。

 そして、戦場に乗り込めば、もはや彼を止めることはできなかった。

 そう、明臣にすら、己を止める手立てはない。

(わたしは、なにをしている?)

 カラキリの進路上に展開する導士たちが慌てて飛び退く様を目の当たりにしながら、自問する。導士たちの布陣を乱し、戦況を混乱さえさせながら、一体なにをしようとしているのか。

 自分がなにを望み、なにを求め、なにを為そうとしているのか。

(日流子……)

 脳裏のうりに浮かぶのは、愛娘の姿ばかりだ。

 日流子は、恐府きょうふ侵攻作戦の前哨戦ぜんしょうせんで命を落とした。

 彼女は、戦団最高峰の導士の一人だった。

 星将せいしょうにして軍団長という、導士にとって至上の名誉めいよを受けていたばかりに、死んでしまった。

 日流子が導士としての、魔法士としての才能がなければ、戦死することはなかったのか。

 いや、それは違う、と、彼は考える。

 仮に才能がなかったのだとしても、日流子は、必ず戦団に入り、戦闘部への配属を願ったはずだ。自分には明臣や日流女ひるめのような能力がないから、せめて戦闘部の導士として、戦士として幻魔を討伐するというのが彼女の望みだった。

 魔法士としての才能が開花し、導士として戦功を積み重ねていった結果、軍団長にまで上り詰めただけであって、仮に才能がなければ、それまでの過程で命を落とした可能性は高い。

 ああ、と、彼は叫びたかった。

 叫んだところでどうにもならないことは、彼が一番良く理解している。

 死んだものは蘇らない。

 死は、絶対だ。

 覆しようのない絶対の結果。

 では、ならば、どうすればいい。

 どうすれば、この心は救われるのか。

 明臣が最前線に到達したのは、堂々巡りに巡る疑問の渦の最中だった。

 そして、真星小隊一同をカラキリに乗り込ませたのは、そうするのが一番だと判断したからにほかならない。

 戦場は、混沌としている。

 そして、戦況は悪化の一途を辿っている。

 当初、敵の鬼級幻魔はオロバス一体だけだった。しかし、戦団としては、オロバスの背後にはエロスの存在が見え隠れしていたし、オロバスが窮地きゅうちに陥れば、必ずや関与してくるに違いないと見ていた。

 そして、そのためにこそ、次善策として第八軍団長・天空地明日良てんくうじあすらと医務局長・妻鹿愛めがめぐみの投入が予定されていたのだ。

 だが、特定四号が現れ、さらにアーリマンが出現したとあれば、話は別だ。

 しかも、アーリマンの力は、極めて強大であり、杖長じょうちょうだけでは足止めにもならないのではないかと思えるほどだったし、事実、その絶大無比な力によって杖長たちが壊滅的な被害を受けているという報せが、いままさに作戦司令室を揺るがせていた。

 情報官の悲鳴が、明臣の耳朶にこだましている。

 だからこそ、走らせる。

「ここからは〈から〉の中だ。どこへ向かえばいい? どこに殻石かくせきがあるのかね?」

 明臣が問うたのは、義一ぎいちに対してだ。

 明臣がカラキリを駆り、最前線の真星小隊を拾ったのは、龍宮戦役りゅうぐうせんえきの成功体験があったからにほかならない。真星小隊のたった四人でムスペルヘイムを崩壊へと導いたという事実が、明臣を駆り立てた。

 この戦場の混沌を収束させるには、オロバス軍を崩壊させる以外にはない。

 そしてそのためには、ただオロバスとエロスの幻躰げんたいを破壊するだけでは意味がないのだ。

 オロバス領の、〈殻〉の核たる殻石を破壊する。

 それ以外に道はない。

「え、ええと……まずはオロバスを探さないことには……」

「オロバスを!?」

 義一の説明を受けて明臣が素っ頓狂とんきょうな声を上げたのは無理のない話だと、幸多は、カラキリの上部ハッチを開きながら思った。上部ハッチを開放すれば、どす黒い魔界の空が視界いっぱいに広がる。

 カラキリの前方には、主戦場にも匹敵する数の幻魔が蠢いている。

 それら大量の幻魔による攻撃は、導士が数多といた戦場よりも余程苛烈なものとなってカラキリを襲うだろう。

「た、隊長?」

「そりゃあそうするしかねえよな」

 不安げな黒乃くろのの声と、うんうんと納得する真白ましろの声に押されるようにして、幸多は、カラキリの屋根に上った。

 視界を流れるオロバス領の景色は、禍々しいとしか言い様がない。〈殻〉全体に漂うどす黒い瘴気は、空白地帯でもそう見られるものではなかったし、闘衣とうい鎧套がいとうを着込んでいるのにも関わらず、全身の皮膚がちりちりと痛んだ。

 高濃度の魔素が、この〈殻〉を覆っている。

 故に、完全無能者の肉体は、破壊され続けているのだ。それでも生きていられるのは、分子機械のおかげというほかあるまいが。

 そんなことを考えていると、無数の幻魔の咆哮が周囲に轟いた。光弾やら黒い稲妻やら、無数の魔法が、カラキリに殺到してくるのが見える。

 併走するクニツイクサの銃弾がそれらを撃ち落としていくが、圧倒的に足りなかった。真白の魔法壁があっても物足りないかもしれないくらいの弾幕だったのだ。

 幸多はすかさず銃王弐式じゅうおうにしきに着替えると、両腕に飛電改ひでんかいを握り締め、千手せんじゅ雷電改らいでんかいを装備させた。

 遥か彼方で無数の閃光が交錯こうさくし、巨大な氷塊が聳え立った。

 美由理みゆりたちが、鬼級と死闘を繰り広げているのだ。


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