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第九百三十四話 アーリマン

「アーリマンだと――」

 美由理みゆりは、衝撃的な報告に口のを歪ませながらも、空を蹴った。後方に飛び退き、ハヤグリーヴァの蹴撃しゅうげきを躱す。ただの蹴りだ。しかし、その威力は、身体能力を限りなく強化した魔法士のそれよりも遥かに強烈だった。空を穿つ打撃が衝撃波となり、美由理を吹き飛ばしたのである。

 無意識に前面を庇うべく交差させた両腕が、衝撃波を受けてへし折れる。激痛が神経を駆け巡り、脳細胞を刺激した。目眩めまいすら覚えるほどだった。

「美由理!」

「案ずるな、折れただけだ」

「それなら良かったわ!」

 火倶夜かぐやが、致命的とさえいえる報告にむしろ安心したのは、当然のことだろう。全身から噴出させた星神力を猛火に変え、燃え盛る火の鳥となってオロバスへと突っ込んでいく。

 そして、美由理の粉々に砕かれた両腕は、つぎの瞬間には元通りに戻っていた。血みどろだったし、導衣もぼろぼろだが、骨も肉も皮も、筋繊維の一本一本までもが完全無欠に復元している。

 もちろん、めぐみ星象現界せいしょうげんかいの力だ。

 星象現界・愛女神ラヴ・メガミックスは、展開空間内にいるものたちの損傷をあっという間に癒やし、完治させる。

 軽傷であろうと、重傷であろうと関係がない。

 鬼級幻魔の強力無比な一撃も、致命傷に繋がるような攻撃も、愛女神のおかげで耐えられるし、回復できるのだ。 

 だからこそ、彼女が最前線へと送り込まれた。

 鬼級幻魔二体を相手にするのであれば、最低でも六名の星将せいしょうが欲しいところだが、央都防衛網を維持する必要がある以上、動かせる星将には限りがある。

 情報局からの通達によれば、境界防壁の各方面に幻魔が殺到しているという。それはおそらく、戦団の戦力をこの戦場に集中させないための策略なのではないかと戦団は見ていた。。

 この戦いを引き起こしたのは、オロバスなどではなく、バルバトスの主たるアーリマンなのではないか。

 そして、アーリマンは、この戦いに勝利するために打てる限りの手を打ったのではないか。

 いままさに央都近隣から境界防壁へと攻め寄せる幻魔の群れが、それだ。だとすればそれらをアーリマンの仕業と考えるべきだ。

 確かに境界防壁の存在は目立った。

 空白地帯に突如として出現した長城である。近隣の〈クリファ〉を支配する鬼級幻魔たちから見ても目障りなのは間違いないし、空白地帯に潜む野良幻魔たちにとっても鬱陶うっとうしいことこの上ない存在だろう。

 だが、しかし、それら幻魔が一斉に動き出し、同時に攻撃してくることなど、本来ありえないことのように思えた。

 戦団の戦力を制限するための方策と考えれば、辻褄が合う。

 だとしても、多方面に影響力を持っているわけもないオロバスやエロスにそんな真似ができるはずがない。

 やはり、アーリマンだ。

 アーリマンこそ、この戦場の主宰者なのだ。

 美由理は、ハヤグリーヴァの双眸そうぼうが赤黒く輝く様を見た。重苦しいいななきが真言となり、その周囲に無数の黒い火の玉が浮かび上がる。

 オロバスの属性は、闇。その星象現界たるハヤグリーヴァの属性も闇である。黒い火球もまた、闇以外のなにものでもない。

 美由理は、前方を氷壁で閉ざすと、ハヤグリーヴァが放った火球を相殺した。

 爆砕ばくさいが、起こる。


 上空で起きた大爆発が轟音を響かせる中、蒼秀そうしゅう明日良あすらが巻き起こす嵐の中にいた。

 風属性攻型魔法・羅睺らごうは、明日良が星象現界・阿修羅あしゅらを発動している間のみ使用することのできる魔法の一つだ。

 星象現界発動中は、あらゆる魔法が星神力を源とするため、その威力は通常の数倍、数十倍に膨れ上がるとされている。そしてそれは事実だ。

 そして、羅睺もまた、そんな星象現界の恩恵を受けた魔法であり、極めて凄まじい破壊力を誇る攻型魔法だった。

 六つの巨大な竜巻が集合と拡散を繰り返しながら旋回し、天地を蹂躙じゅうりんするかのように暴れ回れば、まさに混沌そのもののような光景が描き出されている。

 明日良の思うままに暴れ狂う颶風ぐふうの中で、エロスの光り輝く髪が無数に閃き、光線を走らせた。それがエロスの星象現界だということはわかっている。身に纏っているということは武装顕現型であり、これまでの様子から攻防一体の強力無比な星象現界だということも、身を持って理解している。

 羅睺の竜巻を切り刻んで見せたエロスだったが、それは蒼秀に付け入る隙を与えることとなった。つまり、蒼秀はエロスの眼前へと肉迫し、女魔の両目が見開かれるのを目の当たりにしたのである。彼は、両手をエロスの剥き出しの腹に当てた。

山雷やまいかづち

 苛烈極まりない雷光が、エロスの視界を白く塗り潰す。


「アーリマン……やと」

 朝彦あさひこは、新たな鬼級幻魔の出現を目の当たりにして、一瞬、思考が停止したのを認めた。つぎの瞬間、状況を把握して、血の気が引く。

 鬼級という、人類が定めた等級においてはバルバトスと同等であるはずのそれは、しかし、明らかに圧倒的上位の存在であることを見せつけていた。つまりは、魔素質量だ。闇の肉体からほとばしる魔素質量が、重力さえ感じさせた。

 全身総毛立ち、汗が噴き出す。

 それは朝彦一人に起きた異変ではない。

 その場にいた全員が、アーリマンの魔素質量の絶大さを感じ取り、瞬時に体調に異変を来したのだ。まるで絶対者と対峙したかのような錯覚にさえ苛まれ、意識を席巻した。

 しかし、だからといって、この戦場から逃れようとはしなかった。

 杖長のだれ一人として、アーリマンから目を逸らさなかったし、黒天大殺界こくてんだいさっかいの外に出ようなどとはしなかった。

 ただ、愕然としてはいる。

 それが起きたのは、バルバトスに大打撃を与えたと思った直後だったのだ。

 アーリマンの出現。

 戦団が追い続ける鬼級幻魔集団〈七悪〉に属するものにして、〈傲慢〉を司る悪魔。

 悪魔を名乗る、幻魔。

 その姿は、やはり人間に近い。ただその全身は、暗黒の闇が人間の姿形を取っているのではないかと思うほどに暗く、黒い。

 身の丈にして、三メートルほどだろうか。

 やはり、人間よりはよほど高身長であり、全体的に大きい。

 その体と一体化しているかのような漆黒の衣には、禍々しくも赤黒い光線が走っていた。複雑怪奇な紋様は、律像りつぞうのようですらあった。

 そして、ぎょろりと開かれた双眸からは、赤黒い光が漏れ出している。

 幻魔特有の眼だ。

「アーリマン……!」

「待てや!」

 朝彦は、統魔とうまが即座に飛びかかるのを抑えようとしたが、間に合わなかった。統魔は、バルバトスの至近距離にいたのだ。当然、彼の目の前にこそ、アーリマンが立っている。

 統魔がアーリマンに攻撃したのは、無意識の反応だった。アーリマンを認識した瞬間、攻撃のことしか考えられなかったし、肉体が躍動やくどうしていた。距離は、詰めるまでもなかった。全身全霊の一撃を、アーリマンの腹に叩き込む。そして、星神力を解放すれば、それだけで大打撃になるはずだった。

 だが、統魔の拳は空を切った。

「な――」

 統魔が我が目を疑ったときには、視界は激しく流転していた。突如、統魔の背後に現れたアーリマンが、彼を軽々と放り投げたのだ。

 そして、黒い魔力体が統魔を追撃したが、それらは瞬時に反転し、アーリマンに殺到した。黒天大殺界の能力だ。

 山王瑛介さんのうえいすけは、冷や汗を流しながら、息を吐いた。バルバトスの体内からアーリマンが現れた直後、一瞬頭の中が真っ白になったが、即座に星象現界の対象を切り替えることに成功したのは、日頃の訓練の成果といえるだろう。

 黒天大殺界は、空間展開型星象現界だが、対象を定めなければその効力を最大限に発揮することはできない。

 それは暗夜の死徒シャドウ・サーヴァントにもいえることであり、神明真緒しんめいまおもまた、魔法の対象をアーリマンに指定し直している。アーリマンの影から、アーリマンを模した星霊を具現させたのである。そして影法師がアーリマンに組み付こうとするものの、根本から破裂してしまった。

 アーリマンは、影の変化に反応すらしていない。

 その赤黒い目は、統魔だけを見ていた。

 右腕を掲げ、闇の塊を生み出すと、空中で態勢たいせいを立て直した統魔に向かって撃ち放った。だが、やはり、闇の塊は、空中で反転し、アーリマンに向かっていく。

「さすがは大殺界。アーリマンとて、厄災にまみれるわけや」

 朝彦は、陽炎かげろうの能力で己の姿を消すと、空中で星霊たちを集めようとする統魔の元へと向かった。有無を言わさず統魔をかっさらい、杖長たちの元へと降り立つ。

 地上に降ろされた統魔は、姿を現した朝彦に食らいつくように叫んだ。

「大隊長! おれは――!」

「おれは、なんや?」

 冷ややかに問い返す朝彦の目は、統魔を見ていなかった。

「おれらがやらなあかんのは、あれの対処や。アーリマン。サタンよりは弱いんやろうけどな、バルバトスなんかより遥かに凶悪やで、あれ」

 朝彦の普段通りの言葉遣いは、むしろ統魔を冷静にさせるものだった。

 統魔は、静かに立ち上がり、アーリマンに目を向けた。

 黒天大殺界の重力場がアーリマンの攻撃魔法を封じ込めているものの、それらのどれ一つ取っても必殺の一撃であることは疑いようがないだろう。

 なにせ、暗夜の死徒が触れるだけで蒸発してしまうほどなのだ。

 そのたびに暗夜の死徒は復元し、アーリマンに襲いかかるのだが、時間稼ぎにすらなっていなかった。触れようとした瞬間に爆ぜるのだ。そして、そのたびに神明真緒は星神力を消耗し、いまや肩で息をするほどに疲弊していた。

 アーリマンの力は、絶大だ。

 そのとき、統魔は、アーリマンの目の奥が輝くのをみた。

 それは星のきらめきに等しく、故に、彼は叫んでいた。

 なにを叫んだのか、統魔自身にもわからなかった。

 わかったのは、つぎの瞬間、その場にいた全員が岩塊に押し潰されていたということであり、統魔がアーリマンの手の中にいたということだ。

 首を掴まれ、掲げられていた。

「こんなものか?」

 アーリマンの声は、低く、重く、まるで深淵の奥底から響いてくるかのようだった。

 赤黒い瞳の奥に、星が瞬いていた。

 星象現界だ。


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