第九百三十二話 星々、瞬く(十三)
「エロスまで現れたそうだよ!」
「冗談きついで、ほんまに」
「冗談じゃないからね!」
「尚更やん」
「尚更だよ!」
瑠衣と朝彦が軽口を叩き合う中、統魔は歯噛みした。
この戦場に鬼級幻魔が三体も現れてしまったという事実には、絶望感すら禁じ得ない。
今現在、辛うじて戦線が持ち堪えているのは、星将たちがオロバスを抑え込み、杖長たちがバルバトスを辛うじて食い止められているからだ。
しかし、それもいつまで持つかどうか。
星神力を消耗し尽くし、星象現界が解除されれば、その瞬間、勝敗は決するだろう。
こちらの敗北が決定的なものとなるのだ。
鬼級の圧倒的魔素質量の前には、人間の魔素質量などたかが知れている。我慢比べになれば、消耗戦になれば、負けるのは人間なのだ。
だから、なんとしてでも早急に鬼級を斃さなければならない。
バルバトス攻略の糸口を見つけ、撃破する。
撃破できなくとも、撃退できればいい。
どうせ、幻躰だ。そうに違いない。鬼級幻魔が幻躰を用いず攻め込んでくることなど、通常、ありえないのだ。
幻躰さえ破壊すれば、即座に再構築した幻躰を戦場に送り込んでくる可能性は、極めて低い。
光都事変のオロバス、エロスがそうであったように。
(いや)
統魔は、胸中で頭を振る。
バルバトスを撃退などで終わらせてはならない。バルバトスは、アーリマンの僕だといった。撤退させるようなことがあれば最後、双界に暗躍すること間違いないのだ。〈七悪〉ともども跳梁跋扈し、双界の安寧を脅かし続けるだろう。
放ってはおけない。
滅ぼすべきだ。
だが、どうやって。
統魔は、朝彦を見た。上官は、彼を手招きしていた。
「さて、どうしますかね。一人一人、死んで頂けると、ありがたいのですが」
バルバトスが猟銃を掲げ、引き金を引いた。乾いた発砲音とともに、杖長の一人が撃たれた。が、致命傷ではない。すぐさま治癒魔法によって傷口が塞がれる程度のものだ。
バルバトスの星象現界・星を射落とすものは、百発必中の命中力こそ誇るものの、狙いを定められないという欠点があるようだ。
狙いを定める必要がないからこそ、絶対に命中するとでもいうのかもしれないが。
いずれにせよ、厄介ではあるが、厄介の範疇に留まっているのは不幸中の幸いと考えるべきだ。
無論、当たり所が悪ければ、即死の可能性を秘めているのだが。
瑠衣の歌唱が響き渡り、杖長たちに力を漲らせる。
本来ならば攻手こそが瑠衣の本領を発揮する役割なのだが、この戦闘においては補手に専念した。そうしなければ、バルバトスの星象現界に対応しきれない。
攻撃は、他の杖長たちに任せればいい。
佐比江結月の雷神弓が雷光の矢を連射し、宮前彰が氷形剣を振り翳して吹雪を起こす。山王瑛介は、黒天大殺界の精度を高めるべく全神経を集中させ、神名真緒の暗夜の死徒がバルバトスを狙撃する。
星象現界による、星神力を込めた攻撃の数々は、だがしかし、当然のように致命傷にはならない。
朝彦が陽炎を駆使して背後から斬りかかるも、銃でもって受け止められ、嘲笑われた。
「見え透いていますよ」
「せやろな」
朝彦は、冷笑した。陽炎は、使用者の姿を消す能力を持つ。しかし、通常のそれは光の屈折を利用したものに過ぎず、視覚に頼らない幻魔にはほとんど通用しないといっても過言ではない。
だが、朝彦が度々バルバトスの攻撃から逃れて見せたように、陽炎の真の能力を発揮すれば、幻魔の視覚からも隠れることが可能なのだ。
その場合、朝彦も無力にならざるを得ないし、故に使い勝手の悪い能力なのだが。
「けど、それでええんや」
「はて?」
バルバトスは、朝彦の冷ややかな笑顔に疑問を持ちつつも、引き金を引いた。サジタリウスが銃声を響かせれば、朝彦の脇腹に穴が開く。朝彦の表情に変化がない。
瞬間、凄まじい衝撃が、バルバトスの側頭部を貫いた。
「なっ……」
バルバトスは、すぐさま右を見ようとした。側頭部からの一撃によって頭が砕かれ、視界が乱れる中、虚空に染み出してくるものがあった。皆代統魔だ。彼の全身全霊の力を込めた一撃が、油断だらけの鬼級幻魔の頭部を粉砕したのだ。
光を帯びた拳による打撃。
ただの拳撃などではない。
超高密度の星神力の塊であり、鬼級幻魔の魔晶体を粉砕するだけの力があった。
バルバトスの視界が揺らいだ。
世界が、震える。
「ああ……」
バルバトスは、己の使命が果たされたのだと認識した。
この日、このとき、この瞬間のためにこそ、自分が生み出され、活用されてきたのだと理解する。
まだ、滅びてはいない。魔晶核は無事だったし、魔晶体の復元も始まっている。だが、復元速度よりも、統魔の打撃による破壊速度のほうが速かった。その事実に震えるのは、なにか。
破壊の力は、さながら波紋の如くバルバトスの全身へと行き渡っていく。右側頭部から頭頂部、左側頭部へと至った頃には、首、肩、胴体へと波動が駆け抜け、下半身へ、足の爪先までもが破壊されていくような感覚があった。
一瞬。
ほんの一瞬の出来事に過ぎない。
統魔はまだ、拳を打ちつけた態勢のままであり、その双眸が見開かれ、紅く黒い瞳が輝きを発していた。それが星の如き煌めきであることは、バルバトスにもはっきりと理解できたし、認識できるのだ。
彼は、星に愛されている。
それはそうだろう。
当然の結果だ。
道理としか言い様がない。
「さすがである」
声が、聞こえた。
遥か深淵の彼方から、バルバトスの意識を塗り潰すようにして。
「さすがは、皆代統魔」
「なっ」
統魔は、衝撃の余り、頭の中が真っ白になった。
いままさに激変が起きた。
統魔は、朝彦の作戦通り、陽炎の能力によって姿を隠した。そして、杖長たちが生み出した隙を突き、バルバトスの側頭部に全力の一撃を叩き込んだのだ。統魔が持ちうる全ての星神力を集中させた一撃。並大抵の幻魔ならば瞬時に消滅するほどの威力は、鬼級幻魔にも通用した。
バルバトスの頭部が吹き飛んだだけでなく、魔晶体が瞬く間に崩壊していくのを目の当たりにしたのだ。
そして、砕け散った魔晶体の中から噴き出したどす黒い闇の奔流は、統魔の拳を絡め取り、全身をも拘束してしまった。
闇の中に赤黒い双眸が輝き、統魔を射竦める。
闇が人の形を成すまでに時間はかからなかった。バルバトスの魔晶体が粉々に砕け散り、闇の中に飲まれていく。
姿形は、人間に近い。鬼級幻魔なのだから、当然というべきなのか、どうか。しかし、全身が闇そのもののように真っ黒であり、顔面も黒く塗り潰されているようだった。
人間に近いといえるのは、その体の形だけだ。それ以外のほとんど全てが闇であり、人間と同じなどとは口が裂けてもいえなかった。
色素などではない。
まさに闇だ。
闇そのものが、どうにかして人の形を保っている、そんな印象を与えた。
「アーリマン――」
統魔が絞り出すように発した言葉は、アーリマンの右手によって喉を潰されたことで途切れてしまった。激痛が統魔の意識を席巻する。
そして、アーリマンは無造作に統魔を投げ捨てると、背後にいた朝彦を魔力だけで吹き飛ばし、さらに降り注いできていた魔力体の数々も消滅させた。
「アーリマン……やと」
「アーリマン……」
「あれが……」
「〈七悪〉の……」
「なんで……」
杖長たちは、予期せぬ事態に混乱さえし始めていた。
当然だった。
バルバトスとの戦闘が、統魔の参戦によってようやくこちらに傾こうとした矢先、〈七悪〉の一体、〈傲慢〉のアーリマンがバルバトスに取って代わるようにして現れたのだ。
その魔素質量は、バルバトスとすら比べものにならないほどのものであり、ただそこに立っているだけだというのに凄まじい重圧を感じずにはいられなかったし、背筋が凍るような戦慄を覚えた。衝撃が全身を突き抜け、意識を硬直させる。
統魔は、すぐさま星霊に潰れた喉を治させると、その場から飛び退いた。アーリマンと距離を取り、律像を展開する。
アーリマンの出現によって、状況は一変した。
アーリマンは、周囲を一瞥する。邪悪そのもののような眼差しは、昏く紅い光を湛えている。その視線に触れるだけで絶望感を覚えるのは、力量差を肌で実感できるからだ。
「余は、アーリマン。〈七悪〉が一柱にして、〈傲慢〉を司るもの。大いなる悪魔にして闇の王なり。人よ、滅び行くものたちよ、余に見せよ」
アーリマンの魔力が、闇となって吹き荒んだ。
「汝らの可能性を」
巨大な闇が、戦場を飲み込む。