第九百三十一話 星々、瞬く(十二)
「光都事変の英雄、五星杖が同じ戦場に勢揃いすることなんざ、この五年、一度だってなかったんだ。覚悟してもらうぜ、鬼級幻魔ども」
明日良は、颶風を巻き起こして戦場に降り立つと、エロスとオロバスをそれぞれ睨み付けた。
エロスの乱れ髪が、無数の光跡を虚空に刻みつけ、ついでのように明日良の右足と左手を寸断する。激痛は一瞬。つぎの瞬間には痛みは消えて失せ、噴き出した血液だけが視界を彩った。鮮烈な赤は、死の色だ。
気がついたときには、手も足も元通りにくっつていたし、神経も繋がっている。寸分違わぬ肉体の復元。さすがは、戦団医務局が誇る女神の御業というべきか。
エロスが目を細める様を見て、明日良は嗤う。
「瞬間瞬時瞬速の復元再生は、なにもてめえらだけの専売特許じゃねえのさ」
空を蹴り、エロスに殺到すれば、眼前に馬頭人身の星霊が現れる。隆々たる巨躯を誇るそれが、オロバスの星象現界ハヤグリーヴァであることは知っている。
その双眸が禍々《まがまが》しく輝く様を見て、彼は、告げた。
「阿修羅」
瞬間、明日良の星象現界が発動した。その全身に充溢していた星神力が体細胞を引き裂かんばかりに吹き出せば、渦を巻いて嵐を巻き起こした。物凄まじい突風が、ハヤグリーヴァを軽々と吹き飛ばす。
阿修羅は、武装顕現型星象現界である。
術者たる明日良の姿をまさに阿修羅の如く変貌させることから、そう命名された。明日良本来の二本の腕以外に、星神力によって形成された四本の腕が彼の背中側、両肩の上辺りと下辺りに出現し、その上で全身を翡翠色の絢爛たる装束で包み込む。
神話に登場する鬼神とでもいうべきその姿は、全身から噴き出し続ける星神力も相俟ってこの上なく威圧的であり、破壊的とさえいって良かった。
まさに阿修羅そのものだ、と、愛はいつものように感心する。
明日良とともに戦場に辿り着き、彼の手から離れた愛は、当然のように星象現界を発動していた。愛女神と名付けられた空間展開型星象現界があればこそ、明日良は、強引としかいえない突撃を行うことができたのであり、イリアが二人を死闘の真っ只中へ転送できたのだ。
そして、愛女神の力は、蒼秀たちの傷をも癒やしていく。欠損した肉体すらあっという間に復元してしまうのは、愛女神の能力もそうだが、星将たちの星神力の膨大さもあればこそだ。
火倶夜は、二人もの星将が援軍としてこの戦場に投入されたという事実に驚きつつも感謝した。
「助かったわ、めがみちゃん。これで、全力で戦える」
「まるでこれまで全力ではなかったような言い方だな!」
オロバスが吼え、地面を踏みつけた。大地が激しく震え、地割れが起きると、その間隙から無数の黒い刃が噴出する。それらが火倶夜へと殺到するも、黒い刃が捉えたのは、虚空に舞う火影に過ぎない。
火倶夜は、燃え盛る火の鳥となってオロバスへと飛びかかり、その腹に拳を埋め込んで見せた。魔晶体をも抉る打撃。オロバスの見開かれた目が、火倶夜を睨む。火倶夜の拳が真紅の猛火を噴き出し、オロバスを焼き尽くさんとすれば、さしもの鬼級幻魔も火倶夜を蹴り飛ばした。距離が開く。
だが、その瞬間である。
無数の氷塊が降り注ぎ、オロバスの行動範囲を制限した。冷気が満ち、熱気が失せたのは、一瞬。つぎの瞬間には、凄まじい熱量がオロバスに肉迫した。火倶夜だ。
紅蓮の猛火そのものとなって迫り来る火倶夜に対し、オロバスは、槍を取り出した。振り下ろし、斬撃を飛ばすも、火倶夜は一切怯まなかった。
オロバスの斬撃によって顔面を切り裂かれようとも、火倶夜は飛翔し続けたのだ。紅蓮の大鳥となって空を翔る火倶夜は、またしてもオロバスに直撃し、今度は大爆発を起こした。
閃光と轟音が連鎖する中、エロスはといえば、二人の星将と相対していた。明日良と蒼秀である。まるで風神と雷神と対峙しているかのような、そんな感覚の中で、エロスは、長い髪を自在に操って見せる。
光を帯びた頭髪の軌跡は、そのまま苛烈なまでの斬撃となり、無数の剣閃がエロスの周囲一帯を縦横無尽に切り刻んでいく。虚空を、魔素を、星神力を。
「気をつけろ。奴らは、もはや当然のように星象現界を使う」
「あれも、星象現界かよ」
蒼秀からの忠告を受けて、明日良は、唾棄した。虚空を切り刻む無数の光線は、さながら結界のようであり、その間隙を縫って接近しようにも、それだけで致命傷になりそうだった。
エロスの光を帯びた頭髪、それがこの鬼級幻魔の星象現界なのだとすれば、油断していいものではない。
「どいつもこいつも星象現界、星象現界。どうなってんのかねえ」
「始まりは、トールだ。恐らくな」
蒼秀は、告げ、右足を掲げた。足の裏から打ち出した稲光が、光線の隙間を縫うようにしてエロスに接近するも、瞬時に切り裂かれた。掠りすらしない。
その様を見て、明日良が四本腕を前方に掲げた。手の先に集めた星神力を風の塊とし、弾丸のように次々と発射する。光線に直撃するのもお構いなしの乱射は、ときに間隙を突破することには成功するものの、やはり、さらなる斬撃によって切り裂かれてしまう。
そして、一条の光線が、明日良の腹を切り裂いた。
「なるほど」
「なにがなるほどなんだい?」
愛は、明日良の傷口が瞬時に回復する様を見届けると、美由理たちを見遣り、さらに周囲を確認した。
愛女神の結界内は、星将と鬼級の戦場であり、妖級以下の幻魔が入り込む余地はない。とはいえ、幻魔は幻魔だ。殻主たる鬼級たちに命令されれば、どのような状況であっても乱入してくる可能性があった。
愛は、戦闘力そのものは大したものではない。元より補型魔法の使い手であり、入団と同時に医務局に配属された身の上である。多少なりとも戦闘技能を学び、ある程度は戦闘経験もあるが、しかし、本職の戦闘部導士とはわけが違うのだ。本来ならば後方で治療に当たるのが医務局同士の役割だった。
それなのに、この地獄そのものの最前線に出張ってきているのは、そうでもしなければ、この戦いを勝ち抜くことはできないだろうという確信があるからだ。
相手がオロバスだけならば、三名の星将でどうとでもなったかもしれない。オロバスが星象現界を使えるのだとしても、美由理たちも龍宮戦役の頃とは比べ物にならないくらいに強くなった。だから、食い下がれるどころか、撃滅して当然だと思ってすらいたのだ。
だが、そうはならなかった。
バルバトスにエロス――オロバス以外にも二体もの鬼級幻魔が出てきたとあらば、戦団側もどうにかして星将を投入するしかない。
そこで明日良と愛に白羽の矢が立ったのは、苦肉の策というほかなかっただろう。
明日良は純然たる戦力として、愛は、星将たちが全力で戦うための補助として、動員されることとなった。
愛に求められるのは、星将たちが不死身の存在となって、力尽きるまで戦えるようにすることだ。それこそが愛女神の能力なれば、なんのことはない。ただ星象現界を使い、そこにいればいい。
とはいえ、だ。
星将たちが鬼級に専念できるのは、妖級以下の横槍がないことが前提なのだ。妖級以下の幻魔が、エロスたちの命令でもって突っ込んでくるのであれば、それを阻止するのが、愛の役割である。
だからこそ、愛は、周囲を警戒する。
警戒しつつ、場合によっては、星将たちの援護をしなければならない。
愛女神の維持だけが、役割であって良いわけがない。
それでは、ただの置物と変わらない。
「威勢良く飛び込んできたわりには、手も足も出ないようね? あなたたち、あれから少しでも成長したのかしら? わたしを傷つけることもできていないようだけれど」
「そんな連中にオロバス共々幻躰を破壊され、逃げ帰った奴がなにといってやがるんだか」
「痴れ言を!」
「なんだよ、冷静なのは口だけかよ」
明日良は、苦笑しつつ、迫り来る無数の光刃の合間を縫って飛び回った。超高速移動は、導士ならばお手の物だ。特に明日良と蒼秀の星象現界は、戦闘速度に秀でている。
光刃の狭間を飛び回る蒼秀の姿は、まさに雷光そのものであり、鋭角的な軌道が光刃に触れれば、その一部を灼き払った。
「どうやら髪は髪に過ぎないらしい」
「なるほど、いいことを聞いた。ならこうすりゃいいってことか」
明日良は、蒼秀がエロスとの間合いを詰める様を見つめながら、六本の腕を頭上に掲げた。極限まで高めた星神力を真言とともに解き放つ。
「羅睺」
六本の腕から解き放たれた星神力は、渦を巻き、竜巻となって天に昇ったかと思えば、魔界の空を撹拌し、そのまま舞い降りてきた。巨大な六つの竜巻が大地に突き刺さり、星神力が螺旋を描く。地面を引き裂き、掘削し、土砂を舞い上げ、消し飛ばし、挙句の果てにエロスの光刃の数々を蹂躙していく。
エロスの周囲に構築されていた光の刃による結界は、あっという間に失われ、丸裸同然になったのだ。
そして、蒼秀が、エロスを眼前に捉えた。