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第九十二話 青春の終わり

「随分とまあ、怒られたもんだ」

「あれはさすがにぼくが悪いかな」

はやし立てたおれらも同罪だぜ」

 呵々《かか》と笑う圭悟けいごの横顔は、夕日に照らされており、幸多こうたの目にはいつも以上に明るく見えた。

 放課後、幸多たちは家路についていた。

 対抗戦部は、当面、全ての活動を休止する方針だという。当然だろう。最大にして唯一のの目標であった対抗戦決勝大会での優勝を果たしたのだ。そのために結成された以上、即座に解散の運びになったとしても、おかしくはない。

 が、対抗戦部は、存続するようだった。

 それにはどうやら、天燎てんりょう高校の理事長天燎鏡磨(きょうま)の意向が働いているらしい。天燎鏡磨は、決勝大会における対抗戦部の活躍を目の当たりにしたこともあってか、いたく気に入ったようだった。

 また、万年最下位の汚名を返上しただけでなく、天燎高校を運営する天燎財団の評判も高まったという。天燎財団が対抗戦を忌み嫌う対象から、多少なりとも必要性を感じるようになったのは、そういう風向きの大きな変化もあるのだろう。

 その結果、対抗戦部は存続させ、来年以降の優勝も目指すべきである、と、理事長は教師一同に厳命したようだった。

 幸多がその話を知ったのは、ついさっきのことだ。

 幸多が図らずも学食で起こしてしまった大騒ぎは、担任の小沢星奈おざわせいなに説教される羽目になった。当然の結果だ。幸多が転身機てんしんきを使い、導衣どういを身につけたことは、それまで幸多を遠目に見ているだけだった生徒たちの興奮をも呼び起こしてしまったのだ

 導士どうしが転身機を使う場面を目の当たりにすることなど、そうあることではない。

 幻魔げんま災害が頻発するようになったとはいえ、現場に急行する導士というのは、既に導衣に着替えていることがほとんどだ。

 導士が転身機を使い、導衣姿に変身する光景は、見たくても見られないものだった。

 それが目の前で展開したものだから、幸多の周囲に人集りが出来、食堂が喧噪に包まれるのも必然だっただろう。

 幸多は、見知らぬ学生たちから、一緒に写真を撮って欲しい、撮影してもいいか、など、様々に声を掛けられたものだった。

 そんな騒ぎを聞きつけたのが小沢星奈だ。

 彼女は幸多たちを呼び出し、説教した。

 もっとも、そのあとには、一緒に写真を撮って欲しいといってきたものだが。

 幸多が導士になったという事実は、導衣を身につけたことによって、決定的なものとして印象づけられたのだった。

「……圭悟くんは優しいよ、本当」

「は、冗談だろ」

 圭悟は笑い飛ばそうとしたが、幸多は笑わなかった。彼の優しさというのは、彼の言葉によって現れるものではない。

 言外の、行動によって現されるものだ。

「本気だけど」

「気持ち悪いぜ、まったく」

「なんでだよ」

「そういうの、慣れてねえからよ」

 圭悟が夕日を見遣り、目を細めた。西の彼方に沈もうという太陽は、いままさに赤々と燃え上がっている。初夏。太陽はまだ高い。

 吹き抜ける風は、夏の熱を帯びている。すぐにもっと熱くなることだろう。

 この地獄のような世界にも、四季はある。

 幸多は、そんな夏の始まりを制服に滲む汗とともに実感しながら、圭悟に問うた。

「ひとつ、聞いていい?」

「なんだよ、改まって」

「圭悟くんは、どうして、ぼくの味方になってくれたの?」

「ん?」

 圭悟が、想像だにしなかった幸多の質問に、多少、戸惑いを覚える。幸多がそんなことを聞いてくるとは思ってもみなかったからだ。

「ぼくが今日、あんな風に怒られたのは、きみがいたからだよ」

「責任転嫁かよ」

「そうじゃなくて」

 幸多は、苦笑する。言い方が悪かったのは間違いない。飛躍しすぎたのだ。

「……あの日、きみがぼくの味方になってくれて、そして散々に手を尽くし、協力を惜しまなかったからこそ、ぼくは、いまこうして導士になることができたんだ。もちろん、皆がいたからだけれど、最初は、圭悟くん、きみなんだ。きみがいたから、皆が集まった。皆が集まり、一丸となって、決勝大会を戦い抜くことができた。その最大の理由は、紛れもなく、きみだ」

 幸多は、圭悟を見つめ、断言する。脳裏を過るのは、今日に至るまでの日々だ。それは輝かしい青春そのものであって、いつ思い返しても眩しく、照りつけるようだった。

「そんなこと……あるかな」

「あるよ。大ありだよ」

 幸多は、茶化そうとする圭悟に真面目な顔でいった。彼は、真面目な雰囲気から積極的に逃れようとするところがある。空気が少しでも重くなるのが嫌なのだろう。

 圭悟のそういうところも、幸多は嫌いではなかった。

「だからさ。あのとき、きみがどうしてぼくの味方になってくれたのかな、って、いまになって気になったんだ」

 幸多が疑問を投じれば、圭悟は投げ返すでも受け止めるでもなく、ひょいとかわしてしまう。

「気にすんなよ」

「気にするよ」

「はー、ああいえばこういう奴だったよな、おまえは」

「きみにいわれたくないけど」

「ほら」

「うん」

「……なんとなくだ。なんとなくなんだよ」

 圭悟は、どれだけかわそうとも言葉を投げつけてくる幸多に根負けした。

 幸多は、頑固だ。とにかく頭が硬い。こうと決めればねじ曲げることなく真っ直ぐ突き進む。そういう人間だということが、この二ヶ月余りでわかってしまった。

 入学早々、曽根伸也そねしんやに立ち向かったのだって、そうだ。本当ならば、すぐにでも逃げ出して、教師なり警察部なりに任せれば良かったのだ。幸多の身体能力ならば、それができた。しかも余裕でだ。だが、そうしなかった。

 あのときの彼には、曲げられないものがあったのだろう。

 たとえ暴力沙汰になったとしても、立ち向かわなければならなかったのだ。

 そういう人間なのだ、と、圭悟は、いまならばはっきりと理解できる。

 たとえば、そう、たとえば今年対抗戦に優勝できなかったとしても、幸多は決して諦めなかっただろう。来年、再来年の優勝を目指し、そのために奮起したはずだ。それこそ、今ままで以上に力を入れて、一年間をかけて鍛えに鍛えたことだろう。

 そうして、高校の三年間で優勝できなかったとしても、戦団戦闘部に入る夢を諦めたりはしなかったはずだ。

 幸多には、そういうところがある。

 それは圭悟には、たまらなく眩しい。

 まさに光だった。

「本当に、ただ、それだけなんだ。おまえが面白そうな奴だってのは、入学式の日にわかった。全身燃え尽きたみたいに焦げやがって、笑いを堪えるのに必死だったんだぜ」

「そうだったんだ。別にウケを狙ったわけじゃないんだけどな」

「だとしてもだ。あんな格好で来られたら、笑わない方がどうかしてるだろ」

「おかげで制服一つ台無しになったんだよね」

「そりゃ自業自得だろ」

「そうだけど」

 そこは、否定の出来ない事実だった。あの日、制服が黒焦げになって使いもにならなくなったのは、幸多がガルムに掴みかかったからであって、無視して逃げていれば、そんなことにはならなかったはずなのだ。

 だが、悲鳴を上げている女性がいて、無視できるわけもなかった。

 女の人を抱えて逃げれば良かったのかもしれない、などとも思うが、あのときは、そんなことを考えている余裕はなかった。

 幻魔のことで頭がいっぱいだったのだ。

 その結果、逃げ遅れた女性を助けることができ、さらに圭悟が興味を持ってくれたというのであれば、大正解だった。

「それから、曽根伸也の事件があっただろ」

「翌日だったよね」

「あいつ、なんだったんだろな。いまならわからんこともないんだけどな。おまえはいまや天燎高校最大の有名人だからな。そんなおまえに突っかかるってんならな」

「入学初日の話題が気に食わなかったんだろうね。それとぼくが魔法不能者だったことがさ」

「これだから差別主義者は駄目なんだよ。頭が硬いっていうか、な」

「……そうだね」

 幸多は、圭悟の意見にそっと肯定することしかできない。生まれてこの方、無意識的な差別は数え切れないほど受けてきている。それは、この魔法社会に生まれ育ったのであれば、致し方のないことだ。社会が魔法至上主義を根本に成立し、全てが魔法の存在に拠っているといっても過言ではないのだ。

 そんな世界で、魔法の使えない人間の扱いが悪くなるのは、当然の帰結だった。

 とはいえ、曽根伸也ほど差別的な人間は数えるほどもいなかったのではないか。

 不能者差別は時代遅れというかつての圭悟の言葉は、決して間違いではない。根絶されたわけではないにせよ、多かれ少なかれ存在するにせよ、幸多が不快に感じるほどのものはそうあることではなかった。

 彼は、例外だったのだ。

 そんな彼が姿を消して、はや三ヶ月近くになる。

 曽根家がなにかしら動いているという話は、怜治れいじ亨梧きょうごから耳にしているが、それによって彼が発見されたという報せはなかった。情報通のらんもなにも知らないらしい。

 曽根伸也は、葦原あしはら市を出ていったのではないか、というのが、もっぱらの噂だ。

 魔法至上主義者であり、己の魔法技量の高さに酔い痴れていた曽根伸也のことだ。魔法不能者に襲いかかった挙げ句、返り討ちにあったとなれば、恥ずかしさの余り天燎高校の生徒たちに合わせる顔がないと考えるようになったとしても、不思議ではない。そして、遭遇する可能性の少ない別の市に移り住んだのだとしたら、合点がいく。

 曽根家の人間だ。金ならばいくらでもあるだろうし、生活に困ることはないはずだ。

 そんなことを話したのは、つい先日、大会が終わった後のことだった。

「頭の硬さでいえば、おまえも相当だけどよ」

「そうかな?」

「自覚がないのがその証だ」

「うーん」

 幸多には、圭悟の言い分がまるで納得できなかった。柔軟性は十二分にあるつもりだったからだ。あらゆる状況に対応できなければ、導士になどなれるわけがない。そう叩き込まれ、常に臨機応変に考えを変え、体を動かせるようにしているつもりだった。

 それが頭が硬いと指摘されてしまったのだ。

 幸多も難しい顔にならざるを得なかった。

「ま、それが面白いんだが」

「面白いの?」

「おまえを見ていると、飽きねえんだよ」

「そっか。だから、楽しそうだったんだ」

「おうよ。対抗戦部の二ヶ月間、楽しかったぜ」

「ぼくも……うん、なんだか青春って感じだった」

「青春……ねえ」

 圭悟は、はにかんで、街の彼方を見遣せいしゅんった。圭悟の家はもうすぐそこだ。天燎高校から近い距離に彼の実家はある。だから毎日歩いて学校に行って、歩いて帰っているのだ。

 この会話も、もうすぐ終わる。

 いつもならば、また明日、などと幸多と言葉を交わし、別れるだけで、そこになんの感情も湧かなかった。

 だが、いまはどうだろう。

 妙な寂しさが、圭悟の胸の奥に浮かんでいた。

 ここで別れれば、もう二度と逢えなくなるのではないか。

 圭悟は、幸多を見た。夕焼けに照らされた彼の横顔は、既に少年のそれではなかった。いや、いままで通り、どこか幼さすら感じる丸みを帯びた、愛嬌のある顔に変わりはないのだが、導士となった彼からは、以前の彼とは大きく異なる力を感じるのだ。

 導士は、この秩序を守護する偉大な存在だ。

 幸多も、その一人になった。

 親友が、遠い存在になってしまったような感覚があって、取り残されてしまったような錯覚すらもあった。

 だから、だろう。

 圭悟は、いわなくてもいいことをいってしまった。

「……それもこれまでか」

「なんだか寂しいことをいうね」

「そうだろ。おまえももう導士だ。立派な大人の仕事だぜ、導士様は」

「そうだね。その通りだ」

 圭悟が冗談めかしていってきたことは、疑いようのない事実だった。

 幸多は、導士となった。

 これからは、戦団戦務局戦闘部に所属する導士として生きていくことになる。天燎高校の学生であることに変わりはないが、だからといって毎日学校に姿を見せることはできまい。

 戦闘部の職務は、幻魔災害の鎮圧であり、魔法犯罪者の制圧である。

 いつ命を落としてもおかしくない仕事だった。

 特に幸多は、魔法不能者にして完全無能者だ。初任務で死ぬ可能性も、大いにあった。

 それでも、幸多は戦闘部の一員として、戦団の導士として、幻魔と戦う道を選んだ。

 もう二度と、央都市民のありふれた日常には戻らない。

 そういう覚悟を以て、幸多は、入団した。

「じゃあ、ここでお別れだな」

 圭悟が切り出したのは、彼の家までの道と幸多の帰路がちょうど別れるところまで来たからだった。

 夕日は眩く、この空と大地を紅く燃え上がらせていた。およそ三ヶ月前となんら変わらない町並み。

 変わっていくのは、幸多の人生だ。

「うん。また、明日」

「おう、明日な」

 明日も、学校には通う。

 けれども、と、幸多は一抹の寂しさとともに実感するのだ。

 青春は、終わった。


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