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第九百二十八話 星々、瞬く(九)

 欠けた月がきらめき、つぎの瞬間、全身が凍り付いていたことに気づかされたのは、これで二度目だ。

 なにが起きたのか、と、オロバスは考える。

 星神力せいしんりょくによって生み出された超高密度の氷の牢獄に閉じ込められただけでなく、全身の細胞という細胞が凍結し、結晶構造そのものが壊死していくような感覚の中で、だ。

 オロバスの全身を飲み込んだ巨大な氷塊は、突如、どこからともなく現れた。前触れもなく、律像りつぞうも見えなかった。

 ただ、月が輝いただけだ。 

 伊佐那美由理いざなみゆりが背負う月が光を発した次の瞬間、オロバスは、氷漬けにされていた。そして、星神力の氷が、破滅的な威力を伴って彼に襲いかかり、その堅牢強固な魔晶体を内部から破壊し始めていた。急速に。加速度的に。

 オロバスは、えようとした。しかし、全身が凍てついていては、発声器官を震わせることもできなければ、魔法を発動することもできない。

 最初の一撃よりもさらに凶悪にして強烈な氷結魔法が、オロバスの意識をも凍てつかせているかのようだった。

 故に彼はハヤグリーヴァを求めたが、星霊は、炎の魔女と激闘を繰り広げていた。紅蓮と燃える火の粉が舞い踊る中、黒き星霊と火の鳥の化身が激突し、星神力が周囲を震撼させる。そして、ハヤグリーヴァの力が減衰し始めていることもわかる。

 オロバスは、凍てついた視界に映り込む二人の人間を見ていた。一人は、星象現界の月を背負った女だ。伊佐那美由理。氷属性の魔法を得意としており、オロバスをも氷漬けにし、一時的とはいえ、一切の行動を封じ込めるほどなのだから、とてつもない魔法技量の持ち主だといっていい。

 もう一人は、雷光を帯びた男。麒麟寺蒼秀きりんじそうしゅう。雷光の装束を纏ったその姿は、雷神そのものといっても遜色はない。雷属性魔法の使い手なのは、一目瞭然だ。

 そして、麒麟寺蒼秀がその全身全霊の力を込め、星神力の雷を形成していく様が見て取れた。

 オロバスをこの氷塊もろとも粉砕するつもりなのだろう。

 オロバスは、しかし、それこそ好機に違いないと踏んだ。

 オロバスの力は、いまや全て氷結してしまっている。あらゆる力がこの氷の牢によって封じ込められていて、身動きひとつ取れなくなっているのだ。

 通常、ありえないことだ。

 あってはならないことだ。

 ここは、オロバスの〈殻〉ハヤシラス。オロバスがその本領を発揮することのできる領域であり、侵入者が全力を出し切れない結界なのだ。

 なのに、押し負けている。

 それも、たかが人間如きにだ。

 たった三人の人間を相手に手間取るなど、鬼級幻魔の風上にも置けないのではないか。

 そう思うと、怒りが沸き上がり、はらわたが煮えくりかえった。

 だが、怒りだけでは、激情だけでは、氷漬けの現状をどうすることもできない。オロバスを封じ込める氷塊は、時間の経過とともに巨大化しているようだった。周囲に集まった幻魔たちをも飲み込み、なにもかもを氷の世界に閉じ込めていくように肥大し続ける。

 蒼秀が掲げた手の上の雷球が通常の何倍、何十倍にも膨れ上がると、〈殻〉内の淀んだ大気を灼き尽くしていった。空気中の魔素が電光を帯び、火花を散らせる。そして、蒼秀は、氷の獄に閉ざされた怪物を見下ろした。

 さすがは美由理だ。

 かつてオロバスに辛酸しんさんを舐めさせられ、絶望を味わわされた彼女は、このとき、この瞬間を待ち侘びていたに違いない。

 鬼級幻魔と戦うには、どうすればいいのか。

 それは、戦団導士たちが常に考えなければならない難問であり、星将にとっては命題といっても過言ではなかった。

 ただ星象現界を発動すればいい、というような単純な問題ではない。

 鬼級なのだ。

 妖級幻魔とすら次元の違うほどの力の差があり、星将が束になってかかっても、まともにやり合えるのかどうかすらわからないほどの強敵。

 そして、オロバスは、美由理の上官にして師の命を奪った存在だ。

 オロバスとの戦い方について、美由理ほど研究した星将はいなかったのではないか。

 無論、蒼秀も考えなかったわけではない。が、蒼秀のそれは、自身の魔法技量を磨き上げることに重きを置いた。

 自分たちがたおすべき敵は、オロバスのみではない。

 オロバスを含む全ての鬼級幻魔をこの世から消し滅ぼす。

 そのためにこそ、自分たちは存在している。 

 全てを封じ込める巨大な氷獄もまた、美由理が鬼級幻魔を討滅とうめつするべく編み出した魔法だ。 

 千陸百弐式せんろっぴゃくにしき無明月影むみょうつきかげという。

 見ての通り、鬼級を封じ込めるられるのだから強力無比な魔法であることに間違いないが、しかし、明確な欠点もあり、多用できるものではないらしい。

 もっとも、龍宮戦役りゅうぐうせんえきで用いなかったのは未完成だったからだそうだが。

 そして、無明月影が完成したのは、龍宮戦役での鬼級幻魔との死闘を経験したが故なのだ、と。

 アグニを斃し、スルト、ホオリとの連戦によって、なにかを掴んだらしい。

 蒼秀にはわかり得ないことだが、美由理の言に嘘はあるまい。

 事実、オロバスを拘束し、封じ込めることに成功している。しかも、オロバスは、氷の牢獄から抜け出せないでいるのだ。魔法力学における氷結状態に陥った鬼級幻魔は、その肉体を構成する魔素の全てを凍てつかされてしまった。

「本体を無力化しても星霊は動き続けるのが厄介ね!」

 火倶夜が、ハヤグリーヴァとの激闘の最中、叫ぶようにいった。ハヤグリーヴァは、オロバスの星象現界によって生み出された分身だ。その力は、オロバス本体に匹敵するといっても過言ではない。

 そんな化け物と一対一でなんとか戦い続けていられるのは、火倶夜だからこそだろう。

 火倶夜は、十二軍団長最高火力の持ち主だ。紅蓮単衣鳳凰飾を発動した彼女の一撃一撃が、高位導士の最大威力の魔法を遥かに上回るものであり、ハヤグリーヴァに命中する度に凄まじい破壊が起きた。

 しかし、相手が相手だ。直撃を受けてもすぐさま復元し、ものともせずに反撃してくるものだから、火倶夜には息つく暇もなかった。

 とはいえ、火倶夜が一人持ち堪えてくれているからこそ、この好機に巡り会えたのだが。

 オロバスを捕らえた。

 美由理の無明月影が鬼級幻魔を拘束し、その全身の魔素活動を奪い続けているいまこそ、オロバスを撃滅する好機だ。

幻躰げんたいだろうが」

「だとしても、破壊しないよりはいいさ」

「ああ」

 美由理の声は、いつになく冷ややかだ。

 師の仇敵を目の当たりにして激昂げきこうしている様子は見られない。いつものように冷静沈着であり、氷の如く凍てついている。故に、蒼秀は彼女を信頼しきる。

 そして、蒼秀は、掲げていた右腕を振り下ろした。手の先に浮かべた極大の雷球・土雷つちいかづちを遥か視線の先、氷の牢獄のただ中へと解き放ったのだ。

 雷球は、大気中の魔素を灼き尽くしながら、あっという間に氷獄へと到達した。直撃とともに爆砕が起こる。それも物凄ものすさまじいまでの爆砕の連続であり、氷の檻どころか、〈殻〉の市街地一帯を消し飛ばすかのようだった。

 破滅的といってもいいほどの星神力の嵐が吹き荒び、星将たちを包囲していた幻魔たちを飲み込み、消し飛ばしていく。断末魔すら発させず、影すら消滅させる。

 ハヤグリーヴァが火倶夜の目の前から吹き飛んでいったのも、そのためだろう。

 火倶夜は、すぐさま美由理たちの元へと向かい、そして、蒼秀の右腕が吹き飛ぶ様を目の当たりにした。切り口から鮮血が噴き出し、瞬時に蒸発したのは、彼自身が帯びた電熱のせいだろう。

「なっ!?」

 火倶夜は、即座にその場を飛び離れ、なにかが視界を掠めるのを認めた。複雑な軌道を描く光の帯。それが蒼秀の腕を切り飛ばしたのは間違いなかったし、どうやら美由理も傷を負っていた。

 左太腿がえぐられている。

 美由理は、激痛に顔をしかめながらもすぐさまその場から移動した。光の帯は、星将たちを追って虚空を駆け続ける。ようやく動きを止めたのは、蒼秀の雷撃が絡みついたからだ。

 眼下、大氷塊と大雷球の衝突によって生じた爆発は、視界を白く塗り潰すほどの煙と霧を発生させていた。だが、そんなものでは覆い隠せないほどに強大な魔素質量が厳然げんぜんとして存在しており、美由理は、おのが戦術の失敗を悟った。

「まさか、御出馬ごしゅつばなされるとは」

「あなたを失うわけにはいかないといったはず。でしょう、オロバス」

 震えるようなオロバスの声に対し、艶然えんぜんとした女の声が応じた。

 魔力が吹き荒れ、爆煙が吹き飛ぶと、そこには美貌の女魔じょまかしずくオロバスの姿があった。

 オロバスを従えるのは、鬼級幻魔エロスである。

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