第九百二十五話 星々、瞬く(七)
ハヤグリーヴァの相手は、火倶夜に任せればいい。
美由理と蒼秀は、速やかにそう判断すると、オロバスにのみ意識を集中させた。
しかし、そうなると、こちらが不利になるのは明らかだ。
相手は、鬼級。
鬼級には、星将三人が共闘することでようやく互角になるかどうかというのが、戦団の考えだったし、正しい認識だった。
星象現界を高度に使いこなすことのできる星将三名を投入することで、やっとの思いで食い下がれるかもしれない――それほどまでの力の差が、人間と鬼級幻魔の間にはある。
隔絶した力の差。
それすなわち、生まれ持った魔素質量の差であり、絶望的にして埋めがたいものなのだ。
それほどの力を持った怪物が星象現界を使えばどうなるのか。
ただでさえ強力な魔法の数々が、その力の源たる魔力が星神力へと昇華されたことにより、何倍、何十倍にもその威力が引き上げられるのだ。
筆舌に尽くしがたいというほかあるまい。
事実、オロバスは、星霊の助けがなくとも、圧倒的な力を得ていた。
美由理と蒼秀が一方的に攻撃しているように見えたのも一瞬であり、つぎの瞬間には、オロバスの雄々しい咆哮とともに放たれた魔法の一撃が、二人を容易く吹き飛ばしたのだ。星神力で紡ぎ上げた魔法壁を貫通する威力が、星将たちに大打撃を与える。
さらに間断なく襲いかかってくる魔法の数々には、舌打ちをしている暇すらなかった。
そして、オロバスの放った魔法が流れ弾となってオロバス軍の陣容を一変させ、導士たちにも多大な損害を与える様を目の当たりにした。
オロバスの軽々しく放った一撃が、大地を引き裂き、多数の導士たちを殺戮したのだ。
美由理たち戦団の導士は、基本的には味方に被害が出ないように、万が一にも流れ弾が導士たちに当たることのないように注意して戦うが、オロバスはそうではなかった。
配下の幻魔の命に毛ほどの価値も感じていないのが、鬼級だ。
故に、どれだけ幻魔が巻き込まれようとも構わないとでもいわんばかりに魔法を連発するのであり、規模の大きな魔法も、破滅的な威力の魔法も、なにも気にすることなく行使できるのだ。
それがそのまま、戦況の悪化へと繋がっている。
破壊の嵐が、阿鼻叫喚の地獄絵図を描き出していく。
「やりたい放題だな」
「まったく。少しは味方の被害も考えろといいたいものだが」
「そんな人間的な感性を持ち合わせていれば、百年以上も相争わないさ」
「だな」
蒼秀は、静かに頷き、左手を振り上げた。オロバスの真下から立ち上った無数の雷が、馬面の幻魔を打ちつける。その魔晶体がわすかに焦げ付いたのも、一瞬。次の瞬間には、元通りに復元してしまっている。
星象現界の発動は、魔晶体の再生速度を飛躍的に向上させているようだった。
蒼秀が放ったのは、若雷という魔法だ。
蒼秀の星象現界・八雷神は、武装顕現型に分類される。全身に雷光で編み込まれた衣を纏うその姿は、雷神そのものといっても過言ではない。そして、頭、胸、腹、背、左手、右手、左足、右足の八つの部位に彼が編み出した八つの魔法が宿っているという特徴を持つ。
左手を振るえば若雷が発動するように、真言すら必要とせずに魔法を使えるようになるのが、八雷神の能力であり、強みだった。故に、彼の連続攻撃は、そのまま、連続的な魔法の発動となり、オロバスの瞬時に再生する魔晶体をひたすらに傷つけ続けた。
さらに、美由理が発動した氷魔法が、オロバスの巨躯を攻め立てる。無数の氷塊が雨霰と降り注いだのだ。氷塊は衝突とともに爆散し、氷霧を撒き散らす。周囲一帯の気温が急激に低下していく中、オロバスが吼えた。
「我は幻魔。万物の霊長にして、進化の極致に至るもの。人間如き矮小にして低劣な種とは、根本が違うのだ!」
「そんな低劣な種が編み出した技術で戦うのは、さぞや誇りが許さないだろうな」
「誇り? 誇りなど、そんなものはもはや荼毘に付したわ!」
「荼毘に?」
蒼秀は、オロバスの槍から放たれる黒き星神力の波動を大きく飛んで躱すと、虚空を蹴るようにして飛翔した。胸に刻まれた魔法を発動する。蒼秀の胸元から噴き出した雷光が、八雷神の上から彼の全身を包み込み、加速させた。燃え盛る電熱の塊となった蒼秀は、一瞬にしてオロバスとの間合いを詰めた。
「貴様らが、我から誇りを奪った!」
オロバスの怒声は、真言そのものだ。その全身に満ちた莫大極まりない星神力が、破壊的な魔法となって渦を巻き、蒼秀の全身を打ち据える。だが、蒼秀は止まらない。
オロバスの顔面を雷光で編んだ掌で掴み、そのまま、空中を駆け抜けていく。
戦場の奥へ、押し込むように。
美由理も蒼秀を追って戦場の奥へと向かったが、火倶夜も二人を追わなければならなかった。ハヤグリーヴァが強引に拘束を解き、オロバスを追いかけたからだ。
「鬼級が当たり前のように星象現界を使うだなんて、世も末だな!」
「いやまあ、それはそうなんだけどさ」
幸多は、真白の怒りともつかない叫び声に頷きながら、サキュバスの魔法を飛んで回避した。サキュバスの妖艶な笑みは、人間を嘲笑うものでありながら、魅了するものでもある。
魔法士ならば、場合によっては虜にされるかもしれない。
しかし、幸多には、なんの効果もなかった。
サキュバスが用いる魅了魔法は、精神魔法の類だ。そして精神魔法は、精神という不確かなものではなく、対象の魔素にこそ、作用する。
魔素は、万物に宿る。
精神とて例外ではない――らしい。
そして、だからこそ、幸多には全く効果がない。
魔素を一切宿していない完全無能者だからだ。
これまでの戦闘訓練でも度々指摘されてきたことだったし、実際の戦闘でも稀にあったことだが、このような激戦の最中、完全無能者としての数少ない利点が発揮されるのは、決して悪いことではない。
サキュバスが目を見開いたのは、魅了魔法が通用しなかったからだろうし、その隙を幸多が突いたからだろう。斬魔改を振り抜き、首を切り離す。それでもまだ、サキュバスは死なない。魔晶核を破壊していないからだ。
サキュバスの魔晶核は、右脇腹にあると相場が決まっている。そしてそこは、サキュバスの体でもっとも守りの硬い場所でもあった。しかもこのサキュバスの露わになった胸元には二重殻印が刻まれている。
通常のサキュバスよりも頑強なのは、いうまでもない。
故に幸多は、まずサキュバスの力を削いだ。サキュバスが怒りに唇を震わせながら肉体の復元に力を注ぎ始めた瞬間、その急所に突魔改を突き入れる。
千手が握り締めた槍の穂先が、魔晶体の強固な外殻を貫き、魔晶核に致命的な一撃を叩き込めば、サキュバスが断末魔の声を上げた。怨嗟に満ちた叫び声は、しかし、幸多の耳には届かない。聞き届けている暇がなかった。
透かさずその場から飛び離れ、降り注ぐ雷撃を躱した。ユニコーンだろう。
幻魔は、相変わらず四方八方に存在する。
杖長たちとバルバトスの戦場たる黒い結界を取り囲むようにして、無数の幻魔が展開しているのだ。
だが、戦況は、少しずつ変わりつつある。
皆代小隊の活躍によって、戦場各地に潜んでいた二重殻印持ちのマンティコアが激減し、暴れ回っていた不死者たちがその活動を停止していったからだ。
不死者は、導士たちに消耗を強いるだけの存在といっても過言ではない。戦闘能力がないというわけではないが、意志がなく、魔力もなければ、魔法攻撃を仕掛けてくるわけでもないのだ。動き回る障害物に等しく、ただただ厄介なだけだった。
かといって無視することはできない。
マンティコア殲滅に皆代小隊を当てたのは、正解だったということだが。
そして、それによってオロバス軍の最前線に妖級幻魔が現れるようになった。
幸多が斃したサキュバスがそうであるように、ヴァンパイア、ウェンディゴといった闇属性の妖級幻魔が多数姿を見せるようになれば、光属性、雷属性の妖級幻魔も戦場各地で暴れ回っており、多数の負傷者が出ているという話だった。
戦死者も既に百名に迫りつつあるという。
戦況は、激化の一途を辿っている。
そして、主戦場というべきは、鬼級幻魔の居場所となるだろう。
軍団長たちとオロバスは、戦場の後方へと移動しつつあるが、バルバトスと杖長たちはといえば、山王瑛介の星象現界の中だ。
黒天大殺界と呼ばれる暗黒球に視線を向けても、内部を覗き見ることはできない。
その中には、統魔がいるはずだった。
幸多は、統魔の様子を心配しながらも、頭上から飛来した魔力体を切り落とした。
鬼級幻魔との戦闘に、幸多が立ち入るわけにはいかない。
それが上からの命令ならばともかく、そうでないのであれば、やるべきことをやるべきだ。
幸多には幸多の使命があり、役割がある。
それこそ、いま目の前にいる妖級幻魔を一体でも多く撃破できれば、それだけで貢献できるはずだった。
幸多は、骸の巨人を見た。
無数の死骸が積み重なって出来たような巨人が、数え切れないくらいに最前線へと押し寄せてくる様は、圧巻というほかなかった。