第九百二十話 星々、瞬く(二)
荒井瑠衣の星象現界・燃えろわたしの反骨魂が発動すると、周囲の魔素密度が爆発的に膨れ上がった。彼女の周囲に展開していた複雑にして精緻なる律像が、星神力によって力の形を具現する。
化身具象型星象現界であるそれは、影法師の如き二体の星霊である。星霊たちは、瑠衣の魔法力を飛躍的に高めるだけでなく、瑠衣の意志に呼応するようにして魔力の練成、星神力の昇華、律像の構築すらも行うのであり、魔法の発動を容易にするという代物だった。
つまり、法機や導衣に仕込んだ簡易魔法を使うのと同じような要領でもって、自身が得意とする攻型魔法を連発できるのだ。
しかも、いずれもが星神力によって強化された魔法ということもあり、その威力は、獣級以下ならば一撃で消滅するほどであり、妖級にも致命傷となりうるだろう。
当然、鬼級にも通用する。
「合い言葉は音!」
瑠衣の放った漆黒の波動が、バルバトスの痩せ細った体を軽々と吹き飛ばす。強力な魔法壁に護られていても、星神力で放たれた魔法を相殺しきれないのだ。
だが、バルバトスは、平然としている。
空中で身を翻すと、虚空を撫でるような身振りをした。手の先から波紋が広がり、波動が拡散する。破壊的な力の奔流であるそれは、瑠衣が次々と放つ攻型魔法の尽くを消し飛ばしながら、瑠衣へと殺到した。
そして、瑠衣の眼前で止まった。
「一人で突っ走ってもいいことないよ、瑠衣姐」
瑠衣の目の前に颯爽と現れ、バルバトスの魔法を防いで見せたのは、第七軍団杖長・宮前彰である。煌光級三位の彼は、第七軍団における数少ない星象現界の使い手であり、特定四号に対応するべく最前線へと招集された杖長だった。
真っ青な髪の青年の右手には、青く透き通った刀身を持つ剣が握られており、その切っ先に分厚い氷壁が生み出されていた。その氷壁を半ばまでくり抜かれているのが、バルバトスの魔法の威力を示している。
宮前彰の背筋に嫌な汗が流れたのは、多少見積もりが甘かったという認識があるからだ。
「助かったよ、あっきー」
「貸し、一つっす」
「添い寝したげよっか」
「冗談でしょ」
「はあ?」
彰は、瑠衣の軽口に付き合いつつも、バルバトスの細身に光の剣閃が走る様を見ていた。
「何処見とんねん、隙だらけや」
吐き捨てるような味泥朝彦の声は、しかし、はっきりと耳朶に届く。光り輝く斬撃が、バルバトスの魔晶体を切り裂き、鬼級幻魔の形相を一変させた。
バルバトスが咄嗟に周囲を爆撃したものの、そのときには、朝彦はその場から姿を消している。
「おう、久しぶりやな、おふたりさん。元気そうでなによりや」
などと、朝彦が平時のような口振りで挨拶してきたものだから、瑠衣は苦笑した。常在戦場の心得を持つべしとはよくいうが、それにしても、と思わざるを得ない。
瑠衣たちに合流した朝彦の手には、光り輝く太刀が握られていた。秘剣・陽炎。彰と同じく武装顕現型星象現界である。
ちなみ、彰の星象現界は、氷形剣という。まさに氷属性の魔法の極みというべき星象現界であり、切っ先から氷壁を生み出したように冷気を自在に操る能力を持つのだ。
「あんたも元気だね、あさっち」
「相変わらずなんやねん、そのあだ名。だっさいで」
「いいだろ、可愛いじゃないか」
「そうか?」
「まあ、いいと思うよ」
朝彦の疑問に応えたのは、佐比江結月だ。彼女のどうでもよさげで気だるげな声が聞こえたときには、雷光の矢がバルバトスの左肩を貫いている。佐比江結月もまた、星象現界の使い手なのだ。
バルバトスに対応するべく動員されたのは、六名の杖長であり、全員が星象現界の使い手だ。
鬼級幻魔である。
星象現界の使い手でなければまともに相手にならないというのは、至極真っ当な判断だ。
佐比江結月は、煌光級三位であり、雷属性を得意とする。露草色の髪を靡かせる彼女の手には、琥珀色の大弓が掲げられていた。武装顕現型星象現界・雷神弓。
バルバトスは左肩に刺さった矢を抜き取ると、投げ捨て、杖長たちを睨み付けた。
もはや幸多になど構ってなどいられないといわんばかりであり、杖長たちもしてやったりといった反応だった。
なぜバルバトスが前線に現れるなり幸多にちょっかいをかけたのか、そのことについて議論している場合ではなかったし、考え込んでいる暇もない。相手は鬼級だ。放っておけば、多くの犠牲者が出る。
鬼級は、天災そのものだ。
存在自体許容できるものではない。
故に戦団は、可能な限りの戦力を動員したのだ。
バルバトスが、吼えた。怒号とも取れる叫び声が真言となって魔法が吹き荒れようとするも、しかし、その魔法は、一点へと収束していった。
「黒天大殺界」
第十軍団杖長・山王瑛介の真言が、どこからともなく聞こえてきたかと思えば、巨大な暗黒球がバルバトスを飲み込んでいた。
バルバトスだけではない。
杖長たちを含めた、周囲一帯にいた幻魔や導士たちをも瞬く間に包み込んだそれは、一種の結界を構築してみせた。即座に瑠衣や朝彦が導士たちに結界の外に出るように命じると、部下たちは素早く反応した。
鬼級幻魔の相手は、煌光級以上の導士に任せるべきだ、と、だれもが理解している。
星象現界も使えない自分たちにできることといえば、周囲の雑兵を殲滅することだけだ。そして、それだけでいい。それだけで、杖長たちの助けになるのだ。
幸多もまた、真星小隊一同とともに黒天大殺界から抜け出せば、すぐさま周囲に弾幕を張った。
結界の外には、大量の幻魔が蠢いており、その中には杖長への攻撃を企てているものも多数見受けられた。
「中に残りたかったんじゃない?」
義一に問われたものの、幸多は考え込むまでもないことだった。
「まさか」
手にした白式武器を振り回す。二本の腕と四本の千手でもって、都合六つの近接武器を手にしているのだ。獣級幻魔の群れに飛び込み、それらを振り抜けば、それだけで多数の幻魔に大打撃を与えることができた。
そのうえで、妖級幻魔を睨む。サキュバス、ヴァンパイア、ウェンディゴといった妖級幻魔は、鬼級とは比較にならないものの、強敵であることに変わりはない。
それらを足止めすることができれば、それだけでも意味がある。
「杖長には杖長の、ぼくたちにはぼくたちの役割がある。それぞれが担う役割を果たしてこそ、勝利があるんだ」
そんな当たり前のことを言いつのってしまうのは、そうでもしなければ納得できないからなのかもしれない。
バルバトスに殺されかけたという事実は、拭いがたい苦い記憶だ。
明日花を護るためとはいえ、一矢報いることもできず、ただ、腹を貫かれ、意識を失った。常人であれば、即死してもおかしくはないほどの一撃。致命傷。幸多が生きていられるのは、この特異な体のおかげであって、それ以上でもそれ以下でもない。
そんな肉体でも、鬼級幻魔とはまともにやり合えない。
幸多は、大地を疾駆してサキュバスに肉迫すると、妖級幻魔は艶美に嗤った。
甲高い嘲笑とともに、強烈な衝撃波が幸多の体を貫く。
そして、閃光がサキュバスの頭を吹き飛ばした。
上空に打ち上げられた幸多が目の当たりにしたのは、天から降臨する神々しい少年の姿であり、統魔の輝かしいとしか言いようのない有り様だった。
星象現界・万神殿を発動させた統魔の力は、圧倒的というほかない。
妖級幻魔すら雑兵のように容易く消し飛ばしていくのだから、言葉を失うだけだ。
しかも、その力は、統魔だけのものではなかった。
皆代小隊の四人が、星霊を星装として纏い、強大な力を振るって幻魔の群れを蹴散らしている。
皆代小隊だけで大隊以上の力を発揮しているのではないか。
しかも、統魔の魔力が並外れて膨大ということもあり、星象現界の持続時間が長く、継戦能力も高いという事実が、彼らの戦闘力を極めて高いものとしていた。
皆代小隊は、たった六名の小隊でありながら、戦闘部でも特筆するべき戦力に数えられつつあった。
「バルバトスは何処だ?」
統魔は、幸多を星霊に抱き抱えさせると、静かに問うた。
その目の奥には、怒りがあった。