第九十一話 三種の神器
入団式を終えて家に帰った幸多は、そのことを母・奏恵と統魔に伝えた。
統魔は生憎任務中ということもあって、多目的携帯端末のコミュニケーションアプリ・ヒトコトに伝言を残しただけだが、そのうち返事なり、通話なり、なにかしらの反応があるはずだった。
奏恵とは、たっぷり一時間くらい通話した。
奏恵は、幸多が念願の導士になれたことを心の底から喜んでくれた。
魔法不能者、完全無能者の幸多を根気よく育ててくれた母からしてみれば、想定していた未来とは大きく異なるものだろうが、それでも、幸多が望み通りに生きられていることは、それだけで喜ばしいことのようだった。
幸多も、そんな母の声を聞いて、素直に嬉しくなった。
「もうすぐ検査の時期だし、そのときは家に寄るよ」
「そう、そのときは唐揚げをたくさん振る舞わなきゃね」
奏恵は、当然のように幸多の大好物を熟知していて、だからそんなことを携帯端末越しに言ってきたのだった。
幸多は、年に一度、生まれ育った医療施設で検査を受けることになっている。定期検診というのとは、少し違うが、まあ、同じようなものだろう。
奏恵は、幸多が生まれ育った皆代家に一人で住んでいる。水穂市山辺町にある、広い敷地内の小さな家だが、皆代家にとって幸運だったのは、山辺市内に赤羽医院という個人経営の診療所があったことだろう。
幸多は、そこで生まれた。
そして、その赤羽医院だからこそ、生まれることができたのだと断言しても良かった。
ほかの医院、病院ならば、生まれた瞬間に死んでいたとしてもなにもおかしくはなかった。
幸多の体には、魔素が存在しない。それは、本来、あり得ないことだ。この世界に存在するどんな生物も、非生物も、魔素を宿しているからだ。
この世は、魔素で出来ている。
そういったのは、魔法時代の魔法学者だが、事実のようなものだろう。
誰もが魔素を宿し、魔素の存在しない空間というものが存在しなかった。
どこもかしこも魔素だらけであり、故に、魔素の持たない幸多は、生まれながらに死ぬ運命だった。その運命をねじ曲げたのが、赤羽医院の院長であった赤羽亮二だ。
彼の機転が、幸多を生き長らえさせ、この世界に順応させるに至ったのだ。
それから十六年が経った。
毎年一度、幸多は、この魔素の存在しない体の状態を検査してもらうため、赤羽医院を訪ねている。
今年も、その時期が近づいてきていた。
翌朝、幸多は、当然のように学校に向かった。
昨晩、寝るまでの間に統魔から連絡があり、二時間ほど通話する羽目になった。導士としての先輩から、どうしても幸多に言っておきたいことがあるということで、色々な話を聞いた。
とりとめのない他愛のない会話は、だからこそ、終わることなく続き、いつの間にか眠ってしまったのだった。
朝起きると、通話時間は四時間ほどが記録されていて、統魔が幸多が寝てしまったにもかかわらず、長い間通話を切らなかったことを示している。
統魔にとっても、幸多が導士になったことがそれほど嬉しかったようだ。
しっかり朝食を食べて、準備をして、家を出る。
今日は、昨日の雨模様が嘘のように晴れていた。
朝から日差しが強く、気温の高まりを感じずにはいられない。
夏。
幸多は、熱を帯びた風の中、歩いて学校へ向かう。
法器に跨がり空を行く学生たちが、そんな幸多を見つけて、手を振ったり、挨拶を寄越してくれたりした。
なんだか不思議な気分だった。
少し前までは、幸多に対し、そんな風に挨拶してくれることはなかったような気がするし、気にも留めていなかったような気がする。そしてそれはきっと気のせいではない。
対抗戦に優勝して以来、幸多たち対抗戦部の部員たちに対する注目度は、極めて大きなものになっていた。特に主将であり、優勝を決定づける働きをした、魔法不能者である幸多への注目が高まるのも、自然の成り行きといえたのかもしれない。
だとしても、ここまで相手にしてくれるというのは、天燎高校での対抗戦の地位が向上したということだ。
天燎高校は、校風として、対抗戦を忌み嫌っていた。愚にもつかない、子供のお遊びであり、天燎財団系列の社員を育成するための学校には不要以外のなにものでもない、というのが、学校全体の考えであり、生徒のほとんどもその考えに染まっていたのだ。
しかし、幸多たちが熱闘を繰り広げ、あまつさえ優勝を手にしたことによって、対抗戦を取り巻く状況が変わった。
見る目が変わったのだ。
いまや天燎高校内で対抗戦の話題を聞かない日がないくらいだった。
もっとも、そうした熱気が永続するとは幸多も思っていないし、一過性のものだろうと考えていた。ただ、対抗戦部が存続する可能性は高いものと見ていて、その場合、圭悟たちはどうするのだろうと思うのだ。
幸多は、来年以降の対抗戦には出られない。
規則上、導士が選手として出場することは、高校に在学中であっても許されなかった。
対抗戦部に在籍することは可能かもしれないし、練習に付き合うことも、不可能ではないだろうが。
とはいえ、それも来年の今頃の、幸多を取り巻く状況次第ではある。導士としての任務に忙殺されるようなことがあれば、練習の手伝いすらできまい。
「おはようございます、いいお天気ですね、導士様」
校門が見えてきた辺りで恭しく声を掛けてきたのは、だれあろう、圭悟だった。
幸多は、彼を半眼で見つめた。
「なにそれ」
「導士様におかれましては、お気に召しませなんだか」
「導士様なんて呼ばれる立場じゃないんだけど」
「そんなそんな、市民を守護してくださる――って、めんどくせえな、これ」
「だったらなんでそんな風に挨拶してきたのさ?」
「いやあ、そのほうが気分が出るかなあって思ったんだが、そんなこともなかったぜ」
「はあ」
幸多は、思い切り嘆息して、圭悟の相も変わらぬお調子者ぶりに笑みを零した。彼の明るさには、いつだって救われる思いがする。
校門前には、登校中の生徒たちがたくさんいて、幸多や圭悟に挨拶したり、手を振ってくれることも少なくなかった。
「なんだかんだで、人気者はつれえな」
「よかったね、圭悟くん」
「なにがだよ」
「人気者になれて」
「ああん?」
圭悟が睨みを利かせたときだった。空から法器に跨がった二人が降りてくる。真弥と紗江子だ。
「おっはよー、みんな今日も元気だねー!」
「おはようございます、お三方」
「おはよー」
と、法器から降り立つふたりに挨拶したのは、蘭である。
「中島、てめえ、いつの間に」
「いまさっきだけど」
などと、校門前でいつもの五人が揃うのも、普段通りの出来事だった。
幸多がその時間帯に合わせるようにしてミトロ荘を出るようになったのは、随分と前のことだった。いまとなっては当然のことなのだが、距離を考えれば、当たり前のことでもなんでもなかった。
七月も目前に迫っている。
当然だが、誰もが夏服になっている。
授業が始まるまでも、授業中も、ちらちらと幸多の様子を窺う生徒の数が増えた。
昨日の入団式に関する報道が、昨晩から今朝にかけて各種情報媒体で取り扱われていた。当然、戦団本部正門を潜り抜ける幸多の姿も映像として撮られており、様々な記事となって出回っていた。ネット上などは、そうした話題で持ちきりだった。
戦団史上初となる魔法不能者の戦闘部導士の誕生か――そのような記事、報道は、後を絶たなかった。
それはこれから先も増え続けること請け合いだ。
幸多が魔法不能者である以上、避けて通れぬ道でもあったが、多少、うんざりしないこともない。なににつけても、なにをするにしても、なにをしたとしても、そう報道される様が目に見えている。
戦団史上初の、魔法不能者の――そんな報道ばかりがされるのではないか。
統魔が、史上最年少の、戦団史上最速の、などという情報ばかり取り沙汰されたように、だ。
そんなものは気にするなよ、というのが、昨晩の統魔からの忠告だった。それはまさにありがたい先輩からの忠告だったし、幸多は素直に従うつもりだった。
報道など、気にしていても仕方がない。あることないこと書かれるのが当たり前だった。
導士は、ある種、人気商売のようなものだ。戦団も導士を売りに出しているし、その売り方もアイドル的な側面すらあった。
アイドル部隊と揶揄される小隊も存在する。
央都市民の生活と密接に関わる存在である戦団にしてみれば、導士たちをより身近に感じてもらうためにも、そうした広報活動は必要不可欠であり、だからこそ力を入れいているのだろうが。
(まあ、ぼくには関係のないことだけれど)
幸多は、魔法不能者の自分が広報の矢面に立つことはないだろうと、ある種の楽観とともに思っていた。
授業はつつがなく進み、昼休みになった。
学生食堂には、いつも通りの人集りがあったが、幸多たちは、いつもの場所に席を確保することに成功した。
圭悟がいち早く席取りに出向いていたからだ。
「今日は導士様誕生祝いということで」
「様はいらないかなあ」
「じゃあ、導士さん」
「それもどうなの」
「じゃあ」
「もういいって」
「おう」
幸多は圭悟と言い合った後、料理を注文した。
幸多が今日注文したのは、山盛りのクリームパスタとおにぎり三つだ。一見すると多すぎるが、幸多にしてみれば腹八分目といっても過言ではなかった。いや、もっと少ないかもしれない。
「それでどうだったんだ、昨日の入団式は」
「それそれ、入団式ってどんな感じだったのか、気になってたのよね」
「報道でも、あまり詳しく触れられませんし……」
「報道内容なんて、ほとんど憶測みたいなものだしね」
皆、入団式に興味津々で、テーブルに身を乗り出していた。
「入団式そのものは、特になにか珍しいことをしたわけでもなかったよ」
幸多は、料理の到着を待つ間、入団式でのことを四人に話した。
戦団本部正門前の人集りが想像以上だったこと、本部棟内部が想像していたよりも活発だったこと、常に人が動いていて忙しなく、誰もが懸命に働いていたということ。
戦団本部二階の戦務局区内戦闘部長室で、簡易的な入団式が行われたこと。
入団式には、幸多以外、星桜高校の菖蒲坂隆司、天神高校の金田朝子、御影高校の金田友美、そして叢雲高校の草薙真が参加していたということ。
「草薙くん、入団することになったんだ?」
「どうやら、そうみたい」
そのことについても、幸多は、真本人から多少詳しく聞いていた。草薙家は彼の弟の実が継ぐこととなり、故に真が入団できるようになったのだという。その経緯については他人の家庭の内情ということもあり、幸多が圭悟たちに喋ることはなかった。
いずれ、明らかになることなのだとしても、だ。
いま幸多がわざわざ言いふらすことではあるまい。
そして、入団式で導士必須の三種の神器を手渡されたことも言った。
「三種の神器ってさ、導衣と転身機、星印のことだよね?」
「さすが蘭くん、当たりだよ」
「持ってきてないの? 見せて欲しいなあ」
「さすがに学校には……」
興味津々といった様子で身を乗り出す真弥を紗江子が抑えたが、幸多は、にんまりとした。そして、ズボンのポケットに突っ込んでいた携帯端末を取り出す。
「これが星印だよ」
携帯端末に装着した星形の印章を見せびらかせると、四人が四人とも目を輝かせた。
「うあ、これがあの星印……!」
「すっごーい、本物だあ!」
「本当に星のように綺麗ですねえ」
「確かにこいつあ、導士様の持ち物だな」
圭悟たちが手放しに褒めるものだから、幸多は調子に乗って上着の胸ポケットからもう一つの神器を取り出して見せた。
「こっちは、転身機だよ」
なんだか自慢しているような気さえしてしまうが、親友たちに見せて欲しいといわれた以上、隠しておくのも悪い気がしたのも事実だった。
一見すると金属の塊のようなそれは、しかし、実際にはそうではなかった。転身機は、極めて精密な魔機であり、その機構部分を包み込んでいる外装部分は、魔法金属とも言われる合成金属製である。極めて軽く、しかも頑丈だった。
転身機は、導士が常に身につけているものだ。つまり、幻魔との激闘に耐えられる作りになっていなければならないということでもある。
「これがあの……」
「変身道具なのね!」
「想像していたものとは違いますねえ」
「転身機の現物なんて初めて見たよ……!」
蘭が特に目を輝かせるのは、わかりきったことではあったが、ほかの三人も幸多が想像していた以上に興奮しているようだった。
圭悟は、転身機の金属質の外装を見つめながら、その不思議な形状に心を躍らせている自分に気づいた。
「なあ、それ、使えるのか?」
「もちろん」
「使ってみて欲しい……なあ」
真弥に上目遣いで見つめられ、幸多は、調子に乗った。
「しょうがないなあ、一度だけだよ」
「うん!」
「転身」
幸多が起動言語を唱えると、転身機がまばゆい光を放った。光は、幸多の体だけを包み込む。それは一瞬、刹那に満たない時間に過ぎない。そのわずかばかりの時間で、幸多の全身を違和感が駆け抜けた。
そして、光が消え去ったときには、幸多の身につけているものが、夏用の制服から漆黒の導衣へと変わっていた。
その直後、食堂内が騒然となったのは、いうまでもない。




