第九百十八話 特別指定幻魔四号
「特定四号!?」
幸多は、驚きの余り声を荒げたが、それも無理のないことだっただろう。
クニツイクサの銃撃が織りなす弾幕が獣級幻魔の群れを制圧していく中、幸多もまた、凄まじい数の銃弾を敵陣に撃ち込んでいる、その最中だった。
特別指定幻魔四号の固有波形が確認されたという報せが飛び込んできたのだ。
特別指定幻魔とは、固有識別名を持たない鬼級幻魔に与えられる呼称であり、通称だ。壱号がサタン、弐号がバアル、参号がアスモデウス、そして四号が、央魔連幹部・長田刀利の魔力から誕生した鬼級幻魔である。
特定四号。
幸多の記憶に深く焼き付いたその化け物は、生まれた瞬間からまるで暴走しているかのようだった。鬼級幻魔らしからぬ知性を感じさせないその有り様は、獣級以下の幻魔にすら劣るのではないかと思わせるほどだったのだが、力だけは鬼級に相応しいものだった。結局、その個体名はわからず仕舞いであり、後に特別指定幻魔四号とされた。
以来、戦団は当然のように特定四号の存在を追い続けていたが、しかし、結局なにもわからないまま現在に至っている。
長田刀利の死の原因も、魔力の暴走として結論づけられたし、連続的に発生した魔像事件との関連を疑われこそしたものの、決定的な証拠など見つからなかった。魔像事件の全容は、いまもなお、解明されていない。
〈七悪〉の暗躍がまことしやかに囁かれているが、それも定かではない。
そして、それももはや遠い昔の出来事のように感じるのは、幸多が任務や訓練に意識を集中してきたからであり、過去に囚われている場合ではないからだ。
いま、目の前で起きていることに集中しなければ、生き残れない。
そんな世界だ。
「鬼級が二体……想定内ではあるけれど」
義一は、雷光の帯で妖級幻魔サキュバスを雁字搦めにしながら、いった。肉感的かつ妖艶な姿態を誇る妖級幻魔は、義一の攻型魔法にも高笑いしながら翼を広げ、振り解こうとする。そこへ漆黒の槍が飛来し、頭蓋を貫いていったものだから、幻魔も憎たらしげに叫んだ。魔力が渦を巻き、雷光の帯が吹き飛んでいく。
さすがは妖級幻魔というべきだろう。
義一と真白の連携攻撃でも、斃しきるのは簡単なことではない。
しかも、サキュバスの胸には、二重殻印が刻まれていた。増大した魔力は、破壊の力となって吹き荒れる。
「妖級も二重殻印持ちかよ」
「そうみたい」
「本当、厄介だね」
サキュバスが甲高い叫び声を上げて魔法を放ってくるのを目の当たりにすれば、真白がとっさに魔法壁を強化した。黒い魔力の渦が光の壁に激突し、凄まじい衝撃が周囲に拡散していく。大気が震撼し、大地に亀裂が走ったほどだ。
サキュバスの周囲に控えていたバイコーンたちが思わず怯むほどの余波だが、幸多たちは、むしろ身を乗り出している。
幸多は、飛電改による銃撃で獣級幻魔を掃討しつつも、雷電改の一丁をサキュバスに向けた。無数の弾丸が怒涛のようにサキュバスに殺到するが、妖級幻魔は、嘲笑い、空を舞った。
空中高く飛び上がった幻魔が、しかし、つぎの瞬間地上に落下してきたのは、味方の攻型魔法が撃ち落としたからにほかならない。
幻魔の敵は、幸多たちだけではないのだ。
「妖級も、随分とまあ、しぶとくなったじゃないか!」
荒井瑠衣の大音声は、前線の導士たちに勇気をくれるようだった。
瑠衣は、歌うように魔法を発動させる。その歌声そのものの真言が、戦場に渦巻く狂気と熱狂、そして恐怖を吹き飛ばしていくかのようだった。
自分たちが命の危険を曝しているという事実を忘れさせてくれるかのような、そんな歌唱。そんな魔法の数々。
獣級幻魔を蹂躙し、妖級幻魔をも圧倒する煌光級導士の魔法技量。
「さっすがは姐さん!」
「いつから舎弟になったの」
黒乃は、兄の豹変ぶりに驚きつつも、瑠衣ならば仕方がないとも思ったりした。第八軍団では居場所などどこにもなかった九十九兄弟だが、第七軍団には、真星小隊という確かな居場所を見つけただけでなく、理解を示してくれる上官にも恵まれたのだ。
中でも瑠衣は、真白を真星小隊の要だ、柱だと妙に持ち上げてくれるものだから、彼が気を許すのも無理のない話だと思えた。
黒乃だって、そうだ。
瑠衣率いる荒井大隊に編成されたことを一番喜んだのは、九十九兄弟に違いないと確信するほどだ。
そして、瑠衣の魔法を導く歌声は、黒乃にとっても聞き心地が良く、心胆寒からしめる二体目の鬼級幻魔の存在についても、冷静に考えることができていた。
二体目の鬼級幻魔が、この戦場に現れた。
その事実は、導士たちを恐慌状態に陥れてもおかしくないほどの出来事であるはずだ。
無論、オロバスの背後にエロスが控えている可能性は、当初からわかりきっていたことだ。だが、なればこそ、エロスならざる第三の鬼級幻魔が出現したことに混乱すら覚えたのだとしても不思議ではない。
だが、しかし、大隊を率いる杖長たちの果敢なる振る舞いが、歴戦の猛者としての有り様が、その背中を見る導士たちに勇気を与え、踏み止まらせるのだ。
幸多も、そんな導士の一人だ。
瑠衣の歌声に勇気を貰い、冷静さを見失わずに済んでいる。
そして幸多は、地に倒れ伏したサキュバスが攻型魔法の嵐に飲まれ、絶命するのを見届けることもなく、つぎの妖級幻魔へと雷電改の照準を向けた。
骸の巨人たちが、戦場を闊歩している様が視界に飛び込んできている。
ウェンディゴと呼ばれる妖級幻魔だ。全長五メートルほどだろう。元より図体の大きい幻魔の中でも巨躯を誇るそれは、上位妖級幻魔に類別されている。全身が禍々《まがまが》しい骸骨で構成されたような巨人であり、その鈍重そうな見た目とは裏腹にとてつもなく俊敏だった。
遠目に見る限りは、悠然と歩いてきているようなのだが、気がつけば、幸多たちの眼前にいたほどだ。獣級幻魔を蹴散らすような進軍速度であり、砂塵が舞い上がり、魔素が渦巻いていた。
オロバス軍の動きに変化が生じている。
霊級幻魔による浸透作戦が失敗に終わると、獣級幻魔の大攻勢を仕掛けてきたが、それも大した成果を上げられなかった。
故にオロバスは、妖級幻魔を前線に繰り出すことにしてきたようだ。
サキュバスといい、ウェンディゴといい、闇属性の妖級幻魔ばかりであり、いずれも二重殻印を持っていた。
つまり、通常の妖級幻魔よりも遥かに凶悪だということだ。
幸多は、眼前の敵に集中する。
この戦場に二体の鬼級幻魔がいるという驚くべき事実には、作戦部が対応するだろうし、星将たちがどうにか対処してくれることに期待するしかない。
元より、鬼級幻魔を相手に戦えるとは思ってもいないのが、幸多だ。
特定四号には殺されかけた因縁こそあるものの、そんなことに拘っていられるような立場ではない。
実力が、足りない。
鬼級幻魔と対等とはいかずとも、食い下がれるだけの力がなければ、まともにやり合うべきではない。
煌光級未満の導士が手を出して良い相手ではないのだ。
そう、考えていた。
だが。
「あれは」
幸多は、幻魔の津波の中を疾駆してくるウェンディゴたちを見て、その狭間に青黒い物体を認めた。引き金を引き、四丁の撃式武器によって弾幕を形成する。
弾幕は、幸多の銃撃だけではない。周囲に展開するクニツイクサたちもまた、幸多の銃撃に合わせるようにして機銃・撃神を連射した。前方に分厚い弾丸の壁を形成していくのである。
それによって獣級、妖級の接近を許さないだけでなく、遠方から飛来する無数の魔力体を撃ち落としていくため、敵軍の攻勢をも弱めることに繋がるだろう。
だが、そんな弾幕を意に介さないのがウェンディゴたちであり、青黒い物体だ。
幸多の目は、それがなんであるか正確に捉えていた。
「特定四号だよ」
義一の緊迫感に満ちた通達に、幸多は、雷電改の銃口をそちらに向けた。雷電改の咆哮にも似た銃声とともに発射される無数の弾丸は、しかし、青黒い物体を足止めするには至らない。弾丸の数々が直撃の寸前で吹き飛ばされ、周囲の獣級幻魔やウェンディゴの魔晶体に突き刺さった。
それどころか、義一や黒乃、大勢の導士たちの攻型魔法すらも、それの進軍を食い止めることはできなかったのだ。
青黒い物体は、真星小隊の前方の地面に突き刺さるようにして降り立つと、その回転を止めた。漆黒の長衣と青白い肌が、超高速回転によって入り交じり、青黒く見えていたようだ。
それは、幸多の網膜に焼き付いた顔を見せてきた。
「二度目まして、かな」
そしてそれは、長田刀利とよく似た声で話しかけてきた。