第九百十七話 圧倒(三)
『新たな固有波形を確認、特別指定幻魔四号です!』
「なんだと」
「特定四号?」
「ああ、皆代幸多を殺しかけたという、鬼級か」
『座標は、オロバスの至近距離!』
情報官からの報せを聞いて、美由理は己の神経が急激に研ぎ澄まされていくのを認めた。
特別指定幻魔四号。
通称・特定四号は、魔像事件と総称される一連の魔法犯罪、その最初の犯人である央魔連幹部・長田刀利の魔力から誕生した鬼級幻魔のことだ。鬼級幻魔のほとんどは、自分で名付け、名乗るものだが、魔像事件の鬼級は暴走し続けた末に姿を消したため、その名を知ることができなかった。
故に、四番目の特別指定幻魔に認定されたのであり、特定四号と呼ばれるようになったのだ。
オロバスへの怒りが、あの特定四号の存在によって増大していくのがわかる。細胞が熱を帯びている。体内の魔素という魔素が燃え盛っているかのようだったし、魔力が星神力へと昇華していくのを止められない。
止める必要がない。
「ああ」
静かに、頷く。
脳裏には、天空地明日花を庇った幸多が、青ざめた鬼級幻魔の拳によってその腹を貫かれる光景が過っていた。ヤタガラスによって撮影された記録映像は、一度見ただけでも忘れようがない。
常人ならば、魔法士ならば、即死していてもおかしくないほどの一撃であり、致命傷。
幸多が生きていたのは、奇跡に等しい。彼が特別な措置を受けた完全無能者だからであり、彼の体内の分子機械が命を繋ぎ止めていたからだ。
弟子を、幸多を殺そうとした鬼級幻魔がこの戦場にいるとなれば、美由理がその魔力を燃え上がらせるのも無理からぬことだ。
火倶夜の千草色の目は、そんな美由理の瞳の奥に渦巻く激情を見て取っていたが、一方で、極めて冷静に状況を分析してもいた。
「鬼級が二体か。まずいわね」
「ああ。だが、斃すべきは変わらんだろう」
「それもそうね」
蒼秀の冷徹にも聞こえる声には、安心感すら覚えるものだ。
美由理が氷の女帝と呼ばれるわりには激情家であり、その顔面を覆う鉄面皮が意識的に感情を制御しているからこそのものだということは、火倶夜にはわかりきったことだった。幼い頃の美由理は、それこそ、感情表現の豊かな、可愛らしい娘だったのだ。
それがいまや氷の仮面を被っているかのように振る舞うのは、そうしなければ、いつ感情が爆発してもおかしくないくらいに情の深い人間だからだ。
愛が、美由理を突き動かしている。
それがわかるから、火倶夜は、今回、同じ戦場にいられることに安堵していた。万が一、美由理が暴走したとしても、火倶夜ならば止められる。
星将の、軍団長の役割はただ一つ。
鬼級幻魔の討伐である。
それにこそ全力を尽くすべきであり、それ以外のことに意識を割くべきではない。
『特定四号の現在座標を送信!』
「荒井杖長、水足杖長は、各軍団の杖長と協力し、特定四号に対応しろ」
「ということよ。山王、神明の両杖長、よろしく」
「味泥、佐比江、聞いているな。特定四号の座標を確認次第、動け」
軍団長たちの指示が飛べば、各杖長から反応があった。
軍団長たちが指名した杖長は、それぞれ、星象現界の使い手である。
星象現界は、戦団魔導戦術の最秘奥というだけあって、だれもが絶対確実に体得できる技術ではない。どれほど研鑽を積み、鍛錬を重ねようとも、血反吐を吐くほどの猛特訓を繰り返しても、習得できるとは限らないのだ。
星象現界の体得には、ある種の才能が必要なのかもしれないし、なにかしら原因や理由があるのかもしれない。
そこを解明することができれば、戦団の戦力はさらに一段階も二段階も向上することは間違いなく、そのために戦団魔法局は、日夜、星象現界の研究に勤しんでいるというわけだが、結果は出ていない。
星象現界を発明したという時点で、魔法局はその大任を果たしたと言っても過言ではないのだろうが。
それはそれとして、鬼級幻魔に対応できるのは、星象現界の使い手だけだ。それ以外の導士には、あまりにも荷が勝ちすぎている。犠牲が増えるばかりだろうし、足を引っ張りかねない。
「我々も行くぞ」
蒼秀が眼下に広がる戦場、その遥か前方を見遣りながら告げたのは、敵陣に動きがあったからだ。
オロバスを背に乗せた双頭の巨馬が咆哮し、眼前の幻魔を踏み潰すようにして駆けだしたのである。その様子を見れば、オロバスが部下を雑兵とすら認識していないことがわかるだろう。鬼級にとって、妖級以下の幻魔の命など、取るに足らないのだ。
いや、もしかすると、鬼級同士ですらそのような感覚なのかもしれない。
「オロバスを撃滅する」
「ああ」
「そうね」
三人の星将は、虚空を貫くようにして飛翔した。
皆代小隊の行動が、戦場に劇的な変化をもたらしたのはだれの目にも明らかだった。
統魔の星象現界・万神殿とルナの星象現界・月女神の力が、並み居る幻魔を圧倒し、二重殻印すらものともせずに殲滅していく。
星象現界は、鬼級幻魔対策とでもいうべき究極奥義だ。
妖級未満の幻魔など、障害物にすらならない。触れただけで蒸発していくかのようにして吹き飛ばされていくのだから、圧倒的としか言いようがないだろう。
統魔自身が星装を纏い、光の刃でもって幻魔の大群を薙ぎ払えば、八体の星霊たちが縦横無尽に戦場を駆け巡り、マンティコアを探す道中、そお進路上の幻魔を撃滅していくのである。
膨大な数の幻魔が織りなす黒と白の津波を、様々な属性の魔法によって塗り潰し、滅ぼしていく。
皆代小隊の面々も同じだ。統魔の星霊を星装として身につけた彼らは、まさに一騎当千の力を得ていた。幻魔の群れを一網打尽にし、マンティコアの黒い霧に包まれた不死者たちも尽く消滅させていく。
そして、黒い霧の元を辿って、マンティコアを滅ぼすのだ。
そうしているうちに、妖級幻魔の大群が皆代小隊に集中した。
当然だろう。
皆代小隊の快進撃を食い止めなければ、オロバス軍の戦術そのものが破綻しかねない。
しかし、統魔にしてみれば、それもまた狙いの一つだった。
オロバス軍の圧倒的な戦力、その一部でも皆代小隊で引き受けることができれば、味方の負担が少なくなる。
故にこそ、統魔は、とにかく暴れ回り、目立とうとしていたのだ。
彼の思惑通り、オロバス軍の主戦力たる妖級幻魔が大群を為して押し寄せきたとなれば、彼は、星霊たちを展開し、星域を構築した。
三種複合型星象現界の面目躍如というべきか。
戦場の真っ只中に構築された光に満ちた神殿は、怒濤の如く迫り来る幻魔の群れを拒絶するのではなく、むしろ受け入れていく。
闇属性の妖級幻魔サキュバス、フィーンド、ヴァンパイア、そしてウェンディゴたち。さらに獣級、霊級の幻魔がまさに濁流そのものとなって光の神殿の中に飛び込んできたのは、統魔が神殿の中心に立っていたからにほかならない。
幻魔は、魔素質量に引き寄せられる。
オロバスからの命令があったのであれば、なおさらだろう。
四方八方から殺到する数千、いや、数万の幻魔を感覚として把握しながら、統魔は、一切動じることなく律像を展開した。
ヴァンパイアが肉食獣のように獰猛な顔で牙を剥き、フィーンドの群れが鋭利な刃物のような爪を輝かせ、サキュバスたちがその妖艶さを競う合うように迫り来れば、ウェンディゴの巨躯が大地を激震させ、大量の獣級、霊級が視界を覆い隠していく。
統魔は、それら幻魔の群れをただ冷ややかに見ているだけだ。
皆代小隊の面々も、統魔のことを信頼しきっているから、救援しようなどとはしない。自分たちが為すべきこと、やるべきことを果たすべく、戦場を飛び回っている。
マンティコアの殲滅こそ、いま最も優先するべきなのだ。
統魔は、その過程で妖級幻魔を一手に引き受けているだけに過ぎない。
多数のマンティコアが、星域に足を踏み入れていることも感覚として理解している。
彼は、拳を振り上げた。
「万神礼讃」
真言とともに律像が拡散し、魔法が発動する。
黄金色の光が、統魔の網膜を塗り潰したかと思えば、神殿そのものが極大の光の柱となり、神殿内に乗り込んできた全ての幻魔を飲み込んだ。そして引き起こされるのは、超絶的な爆砕の乱舞だ。押し包み、すり潰し、ねじ切り、攪拌し、粉々に打ち砕いていく。
断末魔を聞いた。
だがそれを聞いたときには、統魔は、既にその場にはいなかった。
たかが妖級以下の幻魔の群れに時間を割いている場合ではないのだ。
戦況が、動いている。
「特定四号だと」
統魔の脳裏には、あの幻魔の青白くも秀麗な顔があった。