第九百十二話 西方境界防壁防衛戦(二)
開戦以来、幻魔の数的優位は揺るがない。
動きようがない。
オロバス軍の総戦力は八百万といわれている。その全戦力を動員することは不可能だとしても、三分の一ほどが動員されている可能性は高い。となれば、二百万から三百万もの幻魔がこの戦場に満ち溢れていると見ていい。
いや、エロス配下と思しき雷・光属性の幻魔も見受けられることから、もっと多いかもしれない。
軍を構成する幻魔の大半が霊級で、それに次ぐ数を誇るのが獣級なのだとしても、凶悪な怪物であることに変わりはない。霊級とて、状況次第では星将を殺しうる。そのような事態に発展する可能性が限りなく低くとも、だ。
そして、二重殻印持ちの獣級幻魔は、通常の獣級幻魔とは比較にならない戦闘力を持っていた。
魔晶核を穿つはずの一撃が、分厚い防御魔法に防がれる様を目の当たりにすれば、二重殻印のもたらす力の大きさを改めて認識するものだ。
幸多は、飛電改と雷電改によって、物凄まじい銃撃の嵐を起こしている。前方広範囲から肉薄する獣級幻魔の群れを攻撃しつつ、二重殻印持ちのしぶとさを実感していた。
特にマンティコアの厄介さは、想像以上だった。
二重殻印のマンティコアは、報告通り、死体を操って見せたのだ。
幸多率いる真星小隊が撃破した大量の幻魔が、黒い霧に包まれたかと思えば死体のまま動き出し、こちらの猛攻など全く意に介さずに襲いかかってきたのだ。もはや痛覚もなければ、心臓も存在しない死者の群れは、どれだけ弾丸の雨を浴びせても意味がなかった。
徹底的に破壊し、粉々に打ち砕いても、霧に操られ、攻撃してくるのだ。
「マンティコアの撃破を優先しな!」
荒井瑠衣の大声が前線に響き渡る中、幸多は、鎧套を銃王弐式から武神弐式へと置換した。撃式武器を転送し、代わりに二十二式大太刀・裂魔改を召喚するとともにその柄を握り締め、地を蹴る。
マンティコアの支配下にある幻魔の死体は、塵の如く消滅させなければ動き続ける。それらに弾丸を撃ち込むのは、ただの無駄遣いにほかならない。
故に幸多は、撃式武器ではなく、白式武器を手にしたのだ。
「大破壊!」
「閃飛電!」
黒乃が放った破壊的な魔法が、周囲に蠢く無数の死骸もろともにマンティコアを消し飛ばせば、義一の放った電撃が迫り来る死体の群れの間を飛び交い、足止めして見せた。そして真白の巨大な魔法壁が、死体たちの攻撃を防ぐ。
幸多は、そんな様子を一瞥する暇もなく、幻魔の死骸を切り飛ばし、進路を切り開く。
前方、マンティコアが二体、その醜悪な老人めいた顔をこちらに向けていた。落ち窪んだ目が、暗く赤く輝いている。無論、幸多を見ているわけではない。幸多の後方、真星小隊を始めとする荒井大隊の導士たちを見ているのだ。
幸多は、黙殺されている。
どれだけ鎧套を着込み、白式武器を握ろうとも、幸多の魔素質量というのは限りなく低い。この戦場で強力な魔法を連発している導士たちとは、比較にならないのだ。
だからこそ、幸多は敵陣に切り込むことができる。
戦場に満ちた莫大な魔素が目眩ましの如く作用し、幸多の存在を希薄にしてくれている。
地を蹴り、加速する。
手には裂魔改を、そして千手の四本の手には、それぞれ斬魔改、衝魔改、突魔改、断魔改を握らせている。
幸多が駆け抜ければ、それだけで死骸の群れがさらに粉砕されていくのは、千手が半ば自動的に周囲の敵を攻撃しているからだ。幸多の意識が、反射が、視界に映り込んだ敵を捉え、攻撃する。
マンティコアがようやく幸多を認識したのは、その眼前に着地した瞬間だった。老人の顔が、目を見開き、咆哮する。額に刻まれた二重の殻印、それによって得られた強大な力が渦を巻き、黒い嵐を引き起こした。
が、そのときには、幸多はマンティコアの顔面に大太刀を差し込んでいる。超周波振動による構造崩壊は、二重殻印によっても防ぐことはできない。マンティコアが絶叫したのは魔晶核を破壊されたからにほかならず、故に黒い嵐も消滅した。
動き回っていた死体のいくつかがその場に崩れ落ちたのがわかったが、まだまだ多い。
(多すぎる!)
幸多は、周囲を飛び回り、さらに複数のマンティコアを撃破していった。
二重殻印のマンティコアは、その能力故、最前線より少し後方に隠れていることが多く、幸多以外の導士には多少攻撃しにくいようだった。魔法で遠距離攻撃を行おうにも、防御魔法に阻まれてしまうのだ。
だからこそ、幸多の出番だ。
幻魔の死骸が増えれば増えるほど、死んだまま動き回る幻魔の数もまた、増えていく。そして、それらを相手にするということは、消耗を強いられるということにほかならない。
消耗戦となれば圧倒的に不利になるのは、こちらだ。
幻魔の魔力総量は、人間とは比較にならない。
数の上でも圧倒的にオロバス軍のほうが上なのだから、消耗戦を続ける道理はない。
「まったく、嫌になるねえっ!」
瑠衣の大音声が幸多の頭上から降ってきたかと思えば、強烈な振動波が幸多の前方、幻魔の群れを押し潰した。
頭上を仰げば、ロックハート小隊の面々が飛行していることがわかる。マンティコア掃討のため、前進してきたのだろう。
現状、マンティコアの撃破を最優先にするべきであるという指示が、全隊に送られている。
マンティコアが存在している限り、こちら側の数的不利が変わることがないのだ。いや、むしろ、悪化するだけだ。
マンティコアの操る死骸は、ただ闇雲に攻撃してくるだけなのだが、しかし、それこそが厄介だった。死んでいるのだ。なにも恐れるものもなければ、思考することすらない、無軌道な存在。そんなものと正面切って戦うのは、あまりにも馬鹿馬鹿しい。
故に、幸多は、マンティコアを探して戦場を駆け巡る。
遭遇するのは、死骸ばかりではない。生きている幻魔のほうが多かったし、それらを切り倒しながら進路を開いていく。
すると、
『突出しすぎだ。部下と合流したまえ』
「は、はい!」
美由理からの指示が飛んできたものだから、幸多は、目の前のマンティコアを撃破すると、四方八方から飛んできた魔力体を千手の武器で撃ち落とし、飛び退いた。
すぐさま真星小隊に合流すると、真白がにやにやしていた。
「怒られてやんの」
「当然だよ」
「うん。いつものことだけどさ」
真白のみならず、義一、黒乃にまで呆れられて、幸多は、なんともいえない顔になった。反論のしようがない。
幸多は、自分がなにをするべきなのかということばかり考えていた。
この完全無能者としての特性を駆使すれば、幻魔の大群の中に紛れ込むことは容易く、虚を突くことも簡単なのではないか。
そんな幸多の思惑は、当たった。
幻魔の群れの中に飛び込んでも、幻魔たちが幸多を敵と認識するまでに多少の時間を要した。その時間が幸多に有利に作用し、多数の幻魔を撃破せしめたのだ。そしてその勢いに乗じて、マンティコア討伐に乗り出してしまったものだから、味方と離れ離れになっていった。
見かねた美由理が指示を飛ばしてくるのも無理からぬことだったし、師匠の声だからこそ、幸多は冷静になれたのかもしれない。
冷水を浴びせられたような感覚の中で、真星小隊一同の戦場を見回す。
やはり、死体の群れこそが、オロバス軍の崩れかけた前線を再構築している。
最初に突貫してきた幻魔たちは、こちらに斃され、殺されることが目的だったのではないかと思えるほどだ。
生きている幻魔よりも、死骸と化し、マンティコアに操られる幻魔のほうが余程厄介だ。生きているのであれば、殺せばそれで終わりだ。しかし、死骸は、操っているものを斃さない限り、動き続ける。
「で、何体斃したんだ? マンティコア」
「二十体くらいかな」
「すごいね、さっすが隊長」
「あの短時間でねえ」
「皆が敵を引きつけてくれていたからね。だから、どうにかなったんだ」
幸多は、眼前に迫ってきた死骸を裂魔で両断し、さらに断魔を叩き込んで粉砕しながら、いった。真星小隊一同も、死骸の掃討に多少なりとも力を割かなければならず、消耗を強いられている。
前線に展開する小隊は、どこもかしこも同じ状況だ。