第九百十一話 西方境界防壁防衛戦(一)
弾幕が、オロバス軍の先陣をずたずたに引き裂いていく。
白銀の鉄巨人たちがその隆々たる腕で抱え込んだ巨大な銃器を撃ちまくり、迫り来る幻魔の津波に押し負けまいと、奮起しているのだ。
一発一発は致命傷にはならない。
魔晶体を撃ち抜き、損壊する程度だが、しかし、膨大極まりない弾丸は、ときに魔晶核を貫き、幻魔に断末魔を上げさせることに成功している。獣級幻魔程度、なんのことはないといわんばかりの家具役ぶりだった。
「やるー!」
「このままクニツイクサに任せられないかな?」
「それができれば苦労はしない」
「将来的には、そうなるかもしれませんが、現状、不可能だと思います」
「アザリン、れいせー」
「それが務めですから」
「まあ、そうだな」
統魔は、部下たちが口々に言い合うのを聞きながら、クニツイクサが戦場を滑走する様を一瞥するに留めた。いくら新兵器とはいえ、観戦している暇はない。
皆代小隊は、第九軍団の先陣を切っている。
第九軍団は、戦場左翼に大きく展開、布陣しており、既に各大隊、そして大隊を構成する無数の小隊がオロバス軍と交戦中だった。
第九軍団は、本来、葦原市の防衛任務についていた。故に、この非常事態に際し、最前線たる西部境界防壁へと送り込まれることになったのだ。
葦原市の防衛は、配備されたばかりのクニツイクサ百機と、第十二軍団に任せている。
万が一、葦原市内で大規模幻魔災害が起き、第十二軍団とクニツイクサだけで対応できないような状況に陥れば、戦団本部が動くだろう。
だから、安心して、オロバス軍との戦いに専念すればいい。
それもこれも央都防衛構想を根本から見直した結果だという話だが、そんなことは、統魔には関係がなかった。
統魔が考えるべきは、目の前の敵のことだ。
オロバス軍。
光都事変を引き起こした二体の鬼級幻魔のうちの一体であるオロバス率いる軍勢は、総勢二百万を越える幻魔の大群だ。
それらと正面きって戦うというのが、たった三千人にも満たない導士と新兵器クニツイクサ百機である。
これでどうにかなるのだろうかという不安は、動員された導士全員が抱くことかもしれない。
数の上では、圧倒的に不利だ。
霊級、獣級はともかくとして、妖級以上の幻魔が問題なのだ。
妖級以上の幻魔だけで十万以上、動員されているという。
それらはまだ前線に出てきてもいないが、戦団側と激突すれば最後、とてつもない戦いになるのはいうまでもない。戦団側も、少なからぬ犠牲を払う覚悟が必要だ。。
獣級と妖級とは、それほどまでに力の差があるのだ。
しかも、二重殻印なるものまである始末だ。
「撃光雨」
統魔は、おもむろに攻型魔法を発動させた。激流の如く押し寄せる幻魔の群れ、その頭上に閃光が瞬けば、光の豪雨が降り注ぐ。それはさながら破壊の嵐の如く吹き荒び、獣級幻魔を飲み込んでいった。
エロス配下の幻魔には、光属性と雷属性が多い。
一方、オロバス配下の幻魔は、大半が闇属性だ。
第九軍団が担当する方面には、光と雷属性の幻魔ばかりが展開しており、そのことから、エロス配下の幻魔なのだろうと推察された。そして、今回のオロバス軍の侵攻に際し、エロスが全面的に協力していることは疑いようがない。
この侵攻自体、エロスの指示なのではないかと考えられているほどだ。
エロスは、オロバスの主君であると見ていい。
ムスペルヘイムの殻主スルトが二体の鬼級幻魔を従えていたように、恐府の殻主オトロシャが三体の鬼級幻魔を支配しているように。
あるいは、龍宮の殻主オトヒメがマルファスを従えているように。
北西の〈殻〉シャングリラの女王エロスが、オロバスを支配し、使役しているのだ。
よって、オロバス軍が勝手に動くとは考えにくく、このたびの央都方面への進撃の背後には、エロスの意向があると見るべきなのだ。
(つまり、だ)
統魔は、光の雨が獣級幻魔を蹂躙していく光景を見届けることもなく、すぐさま異なる律像を構築していく。
そこへ、暴風が吹き荒れたかと思えば、一条の雷光となった香織が敵陣のただ中を駆け抜けていった。稲光が多数の幻魔を血祭りに上げ、そんな彼女の後を追うようにして、三日月上の光の刃が飛んでいく。
香織に追い縋ろうとする幻魔たちを、巨大な三日月が斬り伏せていったのだ。
そして、クニツイクサの弾幕が、崩壊した敵陣に致命的な攻撃を叩き込んでいった。
戦果は、上々だ。
「上々やな、上々」
頭上から聞こえてきた野放図なまでの大声は、第九軍団杖長・味泥朝彦のものであり、彼が小隊を引き連れて舞い降りてくる様を見た。そして、前方の風景に激変が起こる。
味泥小隊の一斉攻撃が、すぐさま再構築されようとしていた幻魔の陣形に大打撃を与えたのだ。光の刃が乱舞し、巨大な竜巻が幻魔たちを飲み込み、破壊的な濁流が押し流していく。
「大隊長」
「いつも通り、朝彦の兄やんって呼んでくれたっても構わへんで」
「だれがいつそんな風に呼んだんですか」
「おう、いつも通りの切れ味やな。安心したわ」
「はあ……?」
「気負いすぎやで、自分」
朝彦は、統魔のすぐ側に降り立つと、さらに律像を展開し、敵陣を見据えた。
オロバス軍は、一向に減る気配がない。
「七支宝刀」
草薙真が使い慣れた擬似召喚魔法を発動したのは、敵陣のど真ん中だった。右手の先に生じた燃え盛る炎が一振りの剣を構築し、七つの刃を持つ刀身を形成するまでに時間はかからない。そして、具現した七支刀は、瞬時に七つの切っ先から熱光線を撃ち出し始める。
そのまま、真は、幻魔の群れの中から脱出した。攻撃を七支刀に任せてしまえば、つぎの手を考えることができる。疑似召喚魔法は高度な魔法技術であり、故に使いこなすことさえできれば、真の戦闘能力を飛躍的に高めてくれた。
すると、羽張四郎が生み出した炎の腕が真の腰を掴み取って、自分の元へと引き寄せた。幻魔の猛攻が、真に殺到していたからだろう。間一髪というところで事なきを得る。
「戦術・草薙真は、いくらなんでもむちゃくちゃすぎるな」
「しかし、効果的だ」
「そうだねえ」
草薙小隊の隊員たちは、隊長の魔法技量の凄まじさに舌を巻く想いだった。元より、彼がとんでもない魔法的才能の持ち主だということは知っていたつもりだ。対抗戦決勝大会の戦いぶりを見たときから、才能の片鱗を感じ取っていた。
それが第十軍団に配属され、朱雀院火倶夜の弟子となってからは、より顕著なものとなった。既に開花していた才能が大輪の花を咲かせていく様を見ていたのだ。そんな彼の隊員募集に応じる気になったのも、部下になったのは間違いではなかったと確信する。
真は、擬似召喚魔法を軽々と発動し、制御している。
それだけでも凄まじいというのに、みずからの命を戦場のど真ん中に放り込むことになんら躊躇がない。
死を恐れていないかのようだ。
「これくらいできなければ、彼にはおいつけませんから」
「彼?」
「幸多くんです」
「ああ、隊長の想い人か」
「はい」
「えーと……」
「隊長って冗談が通じないところ、あるよねえ」
などと、軽口を叩き合いながら、草薙小隊は、第十軍団の先陣で戦い続けている。
朱雀院火倶夜率いる第十軍団は、右翼にその一千名の導士を展開している。
一千名の導士は、全部で十の大隊に別れ、十名の杖長によってそれぞれ率いられている。
杖長は、平塚蒼子、山王瑛介、神明真緒、滝山平輔、築地桔梗、都由乃時雨、遠矢浜楓、氷室進、御崎鈴奈、夢野紅の十名。
そして、副長の平塚光作も当然のように参戦しており、軍団長・朱雀院火倶夜とともにこの戦場にあった。
火倶夜は、第十軍団の一進一退の攻防を眼下に見下ろしつつ、オロバス軍の動向に注視している。
「鬼級が出張っている以上、戦力を温存しないといけないのが辛いわね」
「しかし、それが火倶夜様の務めなれば……」
火倶夜を見つめる平塚光作の表情には、苦労性な彼の性格が滲み出ていた。いつ火倶夜が戦場に飛び出すのか、気が気でないのだ。
この五年、副長として火倶夜の補佐を務めてきた彼だが、それ以前からの付き合いもあり、火倶夜の性格は、身を以て理解しているつもりだった。
部下だけを命の危険に曝している現状を良しとはしない性格であり、いまこの瞬間にも最前線に飛び込みたいという欲求と死闘を繰り広げているに違いない。
表情そのものは、平静に見えるのだが。
火倶夜の目は、オロバスの動きをこそ、見据えている。
馬面の鬼級幻魔は、部下たちに指示を飛ばすばかりで、前線に出てくる気配がない。
それがどうにも不自然に思えてならなかった。
なにか企んでいるのではないか。