第九百八話 露払い(二)
オロバス軍の大半を構成するのは、やはり、霊級幻魔だ。
霊級幻魔は、最下級にして最低位の幻魔だが、故にこそ数が多く、この魔界に棲息する幻魔の大半が霊級なのではないかと考えられていた。
幻魔は、魔法士たる人間の死によって生じる膨大な魔力を苗床として誕生する生物である。
死の瞬間、魔法士は、通常よりも莫大な魔力を無意識的に錬成し、拡散してしまうのだという。そして、そうして生じた魔力が結晶化したものが魔晶核となり、獣級以上の幻魔の心臓となるのだ。
故に、魔晶核を持たざる霊級幻魔は、幻魔としての誕生の際になんらかの手違いが起きた結果、実体を持つこともできなかったのではないか。
幻魔らしい強大な力を持つことができず、故に魔晶核を形成することも、魔晶体を構築することも叶わなかった最弱の幻魔、それが霊級なのだ。
意志も薄弱であり、大きな魔素、魔力にただただ引き寄せられるままに行動するとされており、その行動原理は、本能的というよりは反射的といったほうが正しい。
霊級にも下位と上位があり、下位霊級幻魔ともなれば、ほぼほぼこの世から消えかけているのではないかというほどに存在感がなく、意志も感じられないほどだ。
上位霊級幻魔には、確かな意志があり、自我すら芽生えているようなのだが、それも、獣級以上の幻魔とは比較にならないほどに希薄だった。
とはいえ、幻魔は幻魔だ。人類の天敵であることに変わりはない。
そして、最大の難点があるとすれば、霊級には、物理的な攻撃が一切通用しないという点だ。
元より獣級以上の幻魔にも通常兵器は通用しないが、霊級の場合は、そういう次元ではなかった。
獣級以上の幻魔には、接触することが可能だ。だが、実体を持たない霊級は、触れようとしても擦り抜けてしまうのだ。
まさに霊体そのものといっていい。
だから、F型兵装やクニツイクサの兵装群とは、相性が最悪に近かった。
白式武器も撃式武器も、霊級幻魔には一切通用しなかったからだ。
全て、擦り抜けてしまっていた。
数百万の大軍勢を誇るオロバス軍だが、その最前列広範囲に展開するのは、闇属性の霊級幻魔シャドウ、スペクター、光属性の霊級幻魔フラッシュ、ウィルウィスプである。
シャドウは、その名の通り影のような霊級幻魔であり、地表に沿って移動する。大量のシャドウが移動すると、さながら黒い波が地を覆うかのようだった。
スペクターは、上位霊級幻魔であり、闇が擬人化したかのような姿をしている。想像上、空想上の幽霊そのものとでもいうべきか。地を這う大量のシャドウと、空中を移動するスペクターの群れが、闇の大津波を引き起こしている。
もう一方、双極属性の光の霊級幻魔、フラッシュは、まさに光そのものだ。形を持たない光の塊であり、さながら発狂する人間の顔のように見えるともっぱらの評判である。
光の上位霊級幻魔ウィルウィスプは、大きな光の球体であり、フラッシュよりも存在感があった。フラッシュとともに、こちらは光の洪水を起こしながら進軍してくるのである。
それらに対抗するのは、先陣を切る百機のクニツイクサであり、他の機体よりも派手な隊長機が、機銃・撃神の引き金を引いた。乾いた発砲音が連続し、弾幕が霊級幻魔の群れに殺到する。
霊級幻魔は、進軍を止めない。
それもそのはずだ。
霊体に実体兵器は通用しないのだ。
だが、姫路道春の機体は、銃弾を撃ち続ける。途切れることなく連射される特別製の弾丸は、霊級幻魔の大群の真っ只中に到達したかと思うと、突如として弾け飛んだ。そして、見えざる波動を拡散させれば、肉体を持たざる幽霊たちがわずかに反応する。
そこへ、他のクニツイクサたちが銃弾を叩き込めば、黒い津波も光の氾濫も、その動きを止めていく。霊級幻魔たちの断末魔が、戦場に響き渡る。
『さすがはイリア博士の魔素硬化弾! 効果覿面ですね!』
『うむ! 素晴らしい……!』
道春の唸るような声が聞こえる中、桜花は、大地を疾駆する。
霊級幻魔は、ただの雑魚だ。もっとも数が多く、場合によっては難敵たりうるのだが、しかし、対処法さえ確立されてしまえば、なんの障害にもならない。
魔素硬化弾――通称・実体化弾。
日岡イリアが発明した最新兵器は、F型兵装、クニツイクサ共通にして最大の問題を一瞬にして解決する画期的な代物だった。
実体を持たないが故に攻撃することができない霊級幻魔の魔素を凝固、硬化させることによって仮初めの肉体を与え、F型兵装等による攻撃を可能としたのである。
超周波振動技術の応用という話だったが、詳しくは知らない。聞いても理屈などわからないだろう。確かに作用し、見事に機能しているのだから、それだけで十分だというのが、操者たち共通の意見だった。
クニツイクサにとって最大の難敵ともいうべき、最弱の敵を撃滅することが可能になったのだ。
(考えるべきは、目の前の敵のことだ)
桜花は、引き金を引き、銃弾をばら撒く。
次々と撃ち込まれる実体化弾が、無数の霊級に仮初めの肉体を与えていく。霊級の半端な魔素質量ではありえない現象を、超周波振動の応用によって可能としているのであり、そこにクニツイクサが弾幕を浴びせれば、瞬く間に大量の霊級が断末魔の声を上げ、消滅していった。仮初の肉体は、爆散すると、死骸すら残さない。
霊級幻魔は、幻魔の心臓たる魔晶核を持たない。
故に、幻魔最大の特徴にして脅威である再生能力を持たないのだ。
霊級がその体を失うのは致命的であり、痛撃そのものだった。
故に、実体化した霊級への弾幕は、そのまま、霊級たちを殲滅しうる。
事実、クニツイクサは、瞬く間に数千体以上の霊級を撃滅して見せたのであり、オロバス軍の動きに変化を起こさせた。
オロバスが、槍を掲げたかと思うと、陣形そのものが大きく変動したのだ。
『オロバス軍に変化あり!』
『霊級幻魔では埒が開かないと判断したようだな!』
『当たり前です!』
(つぎはなんだ?)
桜花は、霊級幻魔を一体でも多く撃滅するべく銃撃していたが、霊級たちが速やかに引き下がったのを見て、手を止めた。弾丸は、有限。いまもなお天燎財団系の工場で大量生産されているとはいえ、無駄弾を撃つわけにはいかない。
霊級が後方に下がれば、突出してくるのは、当然のように獣級幻魔の大軍勢だ。
どの〈殻〉にもいえることだが、霊級に次ぐ数を誇るのが、獣級である。
実体化に失敗した幻魔が霊級ならば、実体化に成功した幻魔の中で最下級に位置するのが、獣級だ。
オロバス配下の幻魔は、大半が闇属性である。しかし、今回オロバスが動員した幻魔の半数ほどは、光属性と雷属性で構成されている。それらがエロス配下の幻魔だということは明白だ。オロバスは、闇属性の幻魔以外、配下に持たない。
また、オロバスが動員した幻魔には、二重殻印というものが刻まれている。
『二重殻印の幻魔は強化されているという話は、聞いているな』
『はい!』
『もちろん!』
『獣級とはいえ、気を抜くなよ!』
「わかってますとも!」
桜花は、叫び、獣級の群れが怒濤の如く押し寄せてくる様を見た。
闇属性の獣級幻魔の群れである。歪曲した二本の角を持つ黒馬バイコーン、額に第三の目を持つ大蛇アスピス、白い小鳥の姿をした病害そのものたるカラドリウス、闇を纏う魔犬バーゲスト、そして、獅子の如き巨躯に老人のような顔を持つ魔獣マンティコア。
それらが大群を為して攻め寄せてくるのだ。
これまで何度となく訓練し、実戦経験を積んできた桜花ですら、一瞬、怯みかけるほどの迫力があった。だが、彼は、歯を食い縛って、立ち止まり、引き金を引いて見せる。
撃神を乱射して弾幕を張り巡らせれば、獣級幻魔の殺到をわずかでも遅らせることに成功する。
(なにを恐れることがある!)
桜花は、己を叱咤する。
(おれたちは、生身じゃないだろ!)
クニツイクサは、遠隔操縦の兵器である。
戦っているのは、クニツイクサという巨人であって、桜花自身ではない。
幻魔の脅威に曝されているのも、幻魔の攻撃を受けているのも、幻魔を撃破しているのも、桜花本人ではないのだ。
であれば、恐れるものなどなにもないではないか。
(おれたちは、露払いだ!)
本命たる戦団の導士たちを極力消耗させないことにこそ、クニツイクサの役割があるのだ。