第九百二話 ノルン・シスターズ
『あなたは、筋が良いですね』
神流に面と向かって褒められたことがただただ嬉しくて、幸多は、訓練の最中、そのときのことを度々思い出すことで精神的な疲労を吹き飛ばしたものだった。
連日連夜、幸多は、猛特訓を行っている。
もちろん、任務もこなしながらだ。
空白地帯の巡回や衛星拠点の防衛任務である。それら任務を終えた後、眠るまでのわずかばかりの時間をも特訓に費やしているのだ。
そうでもしなければ、女神の試練とでもいうべきこの課題を乗り越えることなどできないという確信がある。
幸多はそのように捉えていたし、事実、その通りだろう。
そしてそれは、漫然と、惰性で繰り返すだけでは意味がない。
徹底的に集中して体に叩き込み、意識に染みこませ、脳髄に刻みつけていく。
神流に学んだことを反復するように繰り返していくのだ。
そうすることで、ようやく、幸多はこつというものが掴めてきたような気がした。
超高速で不規則に動き回る標的を狙い撃つ。
そのためには、やはり、あらゆる撃式武器の性能を熟知し、仕様を完璧に把握しておく必要があった。そして幸多は、撃式武器について知りうる限りのことを知り、飛電改や閃電改など、撃式武器の種類によって性質や性能そのものが大きく違うということも改めて理解した。
拳銃、狙撃銃、連発銃、突撃銃――撃式武器の大まかな分類こそ理解していたし、性能が異なるということもわかっていたものの、その性能差が戦闘に与える影響については理解の範疇になかったのだ。
ノルン・システムによる銃撃時の補助は、幸多に撃式武器に関する情報の取得、更新を不要なものとした。
ただ幻魔に銃口を向け、引き金を引くだけで命中するのだから、当たり前といえば当たり前かもしれない。
『わたしたちが甘やかしすぎたせいもあるのよね』
などとヴェルザンディが苦笑したものの、しかし、鎧套に備わっている機能を使うことそのものが問題ではあるまい。
銃王、銃王弐式は、ノルン・システムとの接続によって、幸多のようなズブの素人を、本来ならば扱いの極めて難しいはずの銃の名手にしてしまっていた。
それそのものは素晴らしい機能だ。
おかげで幸多は、数多の幻魔を撃滅してこられたのだから、なにもいうことはない。
もし女神たちの補助がなければ、幸多の実戦は大きく遠のいたかもしれないし、龍宮戦役に投入されたとしても、あれほどの活躍はできなかっただろう。
そして、もしレイライン・ネットワークが機能不全に陥る可能性がないというのであれば、幸多がこうして銃の訓練に勤しむことはなかったに違いない。
ノルン・システムによる補助と支援に、鎧套の性能に頼り切って戦い続けることになったのではないだろうか。
だから、良かった。
幸多は、自分がいかにいびつで不安定な足場の上に立っていたのかを理解するとともに、ヴェルザンディたちに感謝したものだ。彼女たちが持ちかけてくれたからこそ、こうして特訓に汗を流し、成長の実感を得ることができている。
十一月が終わろうという頃には、ノルン・システムの補助を切った状態でも、問題なく撃式武器を扱えるようになっていたのだ。
百発百中とはいかないが、命中精度は飛躍的に上がった。
幻想空間上に積み上がった幻魔の死骸の山を見つめながら、幸多は、小さく息を吐いた。飛電改がばら撒いた弾丸は、幻魔の魔晶体をずたずたに引き裂き、魔晶核を粉砕している。
「すごいすごーい! さっすが幸多ちゃんね!」
「連日の猛特訓の成果が出ていますね。本当に素晴らしいですわ」
「最初からこうしておけば良かっただけだよ」
「そうだね。その通りだよ」
大喜びのヴェルザンディ、ウルズとは打って変わって辛辣な言いようのスクルドではあったが、しかし、その声音には、幸多への賞賛が込められていた。だから、というわけではないが、幸多は、訓練の様子を見届けてくれた女神たちに笑顔を向けるのだ。
撃式武器の訓練を提案してくれたのは女神たちである。
幸多は、そんな訓練が必要だなどと考えたこともなかったし、撃式武器の制御は、システムに任せておけばいいとさえ思っていた。
しかし、だ。
幸多と女神たちを繋いでいるのは、ネットワークである。ネットワークが不安定な戦場では、女神たちの補助や支援を受けられるとは限らない。
そして、その戦場が央都のすぐ側にあり、戦団が目前の攻略対象として掲げているという事実もあるのだ。
だからこそ、幸多は、睡眠時間すらも削って、訓練漬けの日々を送った。
その結果、妖級幻魔の戦闘速度にもついていけるようになったのだから、いうことはない。
多少、眠気が意識を苛んでいるが、それだけだ。
「これで、安心」
「安心?」
「言ったでしょう? じきにシステムが完成するわ」
「システム……」
幸多は、ヴェルザンディの言葉を反芻するようにつぶやいて、彼女を見た。幻想空間に降臨した女神たちは、相も変わらぬ神々しい姿であり、幸多を取り囲むようにしている。ユグドラシルという名の大樹の化身そのもののような姿は、いまや幸多にとってかけがえのないものといっても言い過ぎではあるまい。
彼女たちの手助けが、幸多を成長させてくれている。
「ユグドラシル・システムへの統合が行われれば、わたくしたちの存在そのものが消えてなくなる可能性があります」
「ぼくたちは補機に過ぎないから。本来ならそれが正しいんだけど」
「でもでも、わたしは嫌だな! せっかく幸多ちゃんと知り合えたのに! 触れ合えるのに!」
ヴェルザンディがおもむろに抱きついてきたかと思えば、幸多の身を包み込んでいた鎧套が消えて失せた。幸多の意志ではない。ヴェルザンディが幻創機を操作したのかもしれない。
ノルン・シスターズは、戦団の中枢にして根幹とも言える存在だ。レイライン・ネットワークに繋がっている機器を操作することなど造作もない。
それこそ、央都中の様々な機械を支配し、操ることだってできるという。
「幻想空間であれば、ほかの皆さんとも触れ合えるのですが」
「体温を感じたのは、幸多が初めて」
ウルズもスクルドも、ヴェルザンディの意見を肯定するかのような発言をして、幸多を困らせた。
幸多も、彼女たちとこうして触れ合えなくなる可能性に直面すれば、寂しいし、哀しい気持ちがわき上がってくるのだが、かといって、どうすることもできないという事実も認めざるを得ない。
ユグドラシル・ユニットが手に入り、技術局が総出で調査し、解析した結果、ユグドラシル・システムの再構築が行われる運びになっている。
それそのものは、戦団にとっても長年の悲願でもあった。
ノルン・システムは、ユグドラシル・システムの代替品に過ぎない。それも大きく性能の低下した代替品だ。
世界中のレイライン・ネットワークを掌握し、地球全土の情報をも支配するのがユグドラシル・システムである。
一方、ノルン・システムは央都を中心とした小規模のネットワークを掌握しているだけであり、央都の外、幻魔が支配する〈殻〉などではその権能を完全には発揮できなかったし、だからこそ、地球全土の全容を把握することができなかったのだ。
そもそも、かつて地球を一つにしていたレイライン・ネットワークが破綻しているということも、大きいのだろうが。
ともかく、それならばより高い性能を発揮することができるであろうシステムに乗り換えようとするのは、至極当然の結論だ。そのためにノルンの女神たちがどうなるのかなど、構っていられることではない。
幻魔殲滅、人類復興という大願を果たすためには、大きな力が必要なのだ。
ユグドラシル・システムを手に入れることができれば、戦団は、さらなる飛躍を果たすことができるかもしれない。
そうでなくとも、情報面に関して盤石になることは確かだろう。
ノルン・システムに足りない部分を補って余りあるのが、ユグドラシル・システムであるはずなのだ。
とはいえ。
「ぼくも、寂しいよ」
幸多は、ヴェルザンディの幻想体を抱きしめて、いった。
すると、ヴェルザンディのみならず、ウルズとスクルドまでもが幸多に抱きついてきたものだから、慌てた。
女神たちの体温を感じ取るのは、この特異な肉体のせいなのか、それとも、幻想空間のせいなのか、幸多にはよくわからない。
しかし、それによって、彼女たちが確かに存在しているのだと実感するのである。
体温、表情、息遣い――どれをとっても、女神たちの実在性を確信させるにたるものだ。彼女たちには感情があり、強い想いがある。
それがはっきりと伝わってくるから、別れを惜しみたくもなるのだ。
いまここで分かれれば、二度と逢えなくなるのではないか。
そんな気分が、幸多を長時間、幻想空間に留まらせた。
「オロバス領の動きが活発だという話は聞いているな?」
「はい」
義一は、美由理の質問に即答した。
基地司令執務室には、美由理と義一の二人しかいない。
基地司令にして第七軍団長である美由理は、執務机にあり、無数の幻板を展開していた。幻板には、様々な情報が表示されていることが、義一の目からもはっきりと見えた。
オロバス領周辺の記録映像が大半だ。
巡回任務中の小隊と激突し、殲滅された幻魔の死骸ばかりが映された記録の数々。
それは、オロバス軍が央都方面への侵攻を企てている証左ではないか。