第九百話 神木神流(二)
銃。
かつて、引き金を引くだけで弾丸を撃ち出し、標的を撃ち抜く武器は、極めて高い殺傷力を誇り、故に、その存在感もまた、格別といって良かっただろう。
銃の発明、普及、発展、進化は、人類史そのものに多大な影響を与えたのではないか。
しかし、それはそのまま、魔法にも当てはまることだ。
しかも魔法は、基礎理論さえ理解してしまえば、ほとんどどんな人間でも使うことができる汎用的な技術だったものだから、銃の存在価値は急激になくなっていった。
魔法を使えるようになった人間にとって、銃は、児戯に等しかったからだ。
簡単な防御用の魔法ですら、銃弾から身を守ることができたし、極至近距離からの銃撃にすら対応可能なほどに魔法の練度は上がっていった。
銃のみならず、あらゆる武器、兵器が、魔法時代の到来によってその価値を失っていったのは、道理といっていい。
魔法は、あらゆるものの価値を激変させたのだ。
しかも、銃を始めとする通常兵器が通用しない怪物・幻魔の存在が確認されるようになれば、なおのことだ。
銃砲火器が一切通用しない怪物には、魔法こそが効果覿面だった。
魔法が時代を賑わせ、世界を席巻し、人類全体が魔法士になっていったのも、当然といえば当然の結果だ。
通常兵器は、廃れた。
魔法の誕生から二百年以上が経過した現代において、通常兵器に価値を見出す人間などいない。
魔法不能者ですら、そうだ。
なんらかの事情によって魔法を使うことのできない人間は、戦う力すら持たない存在であり、魔法士の庇護の下で生きることを享受する以外に道はなかった。
そして、それでいいのだと、社会が断言しているし、魔法不能者たちも理解していた。
戦団自体がそのような考えの元、魔法不能者の保護を率先して行っているのであり、魔法不能者が戦闘部への配属を望むことなどありえないことだった。
断じて。
だが、しかし、いままさに彼女の目の前には、この世の例外が存在している。
皆代幸多《まほううhのうしゃ》。
ただの魔法不能者ではなく、完全無能者たる少年は、魔法を使うことだけでなく、魔法の恩恵に預かることすら許されない稀有な存在だった。
にも関わらず、彼は、戦闘部への配属を志願した。
対抗戦優勝という入団切符を掲げて、だ。
それでもなお戦団最高会議は紛糾したが、護法院の高度な判断によって、彼の入団及び戦闘部への配属が許可された。
そして、伊佐那美由理の弟子となったことそれ自体が、大きな驚きでもって反響を呼んだことは、いまや遠い昔の出来事のようだ。
彼が戦団に入ってから四ヶ月と少しばかり。
この央都には、短期間で想像を絶するほどに様々な事件が巻き起こった。大規模幻魔災害が連続的に起き、〈七悪〉の存在が明らかになり、龍宮戦役があり、そして――。
「そう。その調子ですよ、幸多」
「は、はい!」
緊張感たっぷりとしか言いようのない幸多の反応に、神流は、微笑を湛える
魔界の一地域を模した幻想空間上には、獣級幻魔が十数体、動き回っている。幸多だけを敵と認識するように設定されたガルムとオンモラキたちは、彼を中心とする広範囲に展開しており、彼が狙いを定めることすら拒絶するようにして超高速で走り回り、あるいは、飛翔している。
ガルムが吼え、炎の息吹が迫ってくれば、幸多は、すかさず地上を滑走して回避する。
F型兵装と呼ばれる装備群に身を包み込んだ幸多の姿は、導衣だけを身につける魔法士とは比較にならないほどの重武装に見える。しかし、魔法を使うことのできない幸多にとっては、それが最善にして唯一無二の幻魔への対抗手段なのだ。
現代最高峰の技術によって生み出された新時代の通常兵器たるF型兵装は、魔法不能者に幻魔への対抗手段を与えた。
幻魔の肉体たる魔晶体には、一切の通常兵器が通用しない。銃を初めとする様々な武器、兵器が廃れていった最大の理由がそれだ。もし幻魔に通用するのであれば、魔法士ですら携行し、利用しただろう。
だが、そうではなかった。
戦術兵器を用いようとも、下位獣級幻魔に傷ひとつつけられなかったという事実は、人類の魔法への依存を加速させるのに十分すぎる理由だったに違いない。
もっとも、幻魔が登場したのは、魔法が普及しきった頃だという話であり、因果関係はまるきり逆なのだが。
幻魔のソン・ジアは、魔法に依存しきっていた人類が、過去の遺物たる武器、兵器と別れを告げる最大の理由となった、というべきかもしれない。
ともかく、F型兵装である。
魔法不能者にも力を――日岡イリアが掲げた理想は、窮極幻想計画として護法院に承認された。技術局第四開発室は、そのためにこそ誕生したといっても過言ではない。
そして、第四開発室技術者たちの研究成果としてF型兵装が誕生し、実戦に投入され、成果を上げれば、さすがは日岡イリアだと賞賛の声が満ち溢れたのはいうまでもないことだが、同時に、央都に千人はいるであろう魔法不能者にある種の希望を与えたはずである。
新世代の通常兵器・F型兵装と、それを巧みに操る皆代幸多の存在は、魔法不能者にとって光明そのものなのだ。
幸多は、これまで数多くの任務をこなしてきた。数多の獣級幻魔を撃破し、妖級幻魔すらも討ち斃してきている。故にこそ、輝光級二位にまで昇格しているのであり、彼の実績を疑う理由はない。
実力もだ。
銃王弐式を駆り、戦場を疾駆する彼の姿は、歴戦の猛者の如く頼もしい。
ガルムとオンモラキの猛攻を掻い潜りながら、狙いを定め、引き金を引く。乾いた発砲音とともに撃ち放たれた銃弾は、わかりやすいように光の尾を曳いて虚空を射貫き、オンモラキには掠りもしなかったが。
しかし、既に数体の幻魔を撃ち殺しているという事実があり、それが幸多の自信に繋がっているようだった。
神流は、幸多に助言するべく、その頭上を飛行魔法で移動している。
なぜ神流が彼の師匠に成り代わって指導しているのかといえば、銃の扱いに長けているからにほかならない。
幸多の師・伊佐那美由理は、伊佐那家の人間である。伊佐那家の人間たるもの、魔法以外の武術、戦闘技術に長けていたが、しかし、銃の扱いに関していえば、神流のほうにこそ一日の長があり、それ故に美由理が直々に神流に頼み込んできたのだ。
神流には、美由理からの頼みを断る理由がなかった。
幸多の強化は、戦団戦力の底上げに繋がるからだ。
元より、幸多に教示したいと考えていたというのもある。
そして、幸多は、善い生徒だった。
神流の教えを素直に受け取り、すぐさま実践することができた。
ただ狙いを定め、撃てばいいわけではない。
確かに、いま彼が手にしている二十二式突撃銃・飛電改は、突撃銃と呼ばれる自動小銃の一種である。単射と連射を切り替えることが可能であり、その連射速度たるや、大量の銃弾をばら撒き、弾幕を形成することすらできるほどである。
しかし、ただ闇雲に撃つだけでは、幻魔に命中したとして、魔晶体を削る取るだけで終わりかねない。それでは、意味がない。
幻魔を斃すというのであれば、魔晶核を破壊しなければならないからだ。
魔晶核は、幻魔の心臓というだけでなく、力の源なのだ。魔晶核が無傷で稼働し続ける限り、幻魔の肉体は容易く再生し、活動し続ける。
もちろん、魔力は無尽蔵ではないし、魔晶体を破壊し続ければ、そのうち力尽き、動けなくなるかもしれないが、獣級幻魔如きに消耗戦を仕掛けるのは愚策というほかない。
それになにより、幸多が撃っている銃弾は、消耗品にして高級品であり、無闇矢鱈に乱射していい代物でもないのだ。
無論、それで幻魔を撃滅できるというのであれば、いくらでも撃っていいだろうし、銃弾を惜しんだ挙げ句命を落とすなどあってはならないことだが、しかし、銃弾を消耗しすぎた結果、肝心なときに撃てなくなるようなこともまた、あってはならないことだろう。
幸多に弾数を制限をした訓練を行ったところ、何度となく戦死したという話を聞いている。
幸多が、ノルン・システムによる補助なく、超高速で動き回る幻魔を撃ち殺せるようになれば、無駄弾は減り、銃弾が足りずに幻魔に殺される可能性は激減する。
神流は、その一助となるためにこそ、幸多の猛特訓に付き合っているのであり、様々に助言しているのだ。
ただ言葉で説明するだけでなく、ときには実演して見せ、幸多に感覚として理解できるようにしてきたつもりである。
そして、この短時間の猛特訓は、確実に成果を上げつつあった。
いま幸多が放った銃弾が、オンモラキの頭蓋を貫き、そのまま魔晶核を破壊し、絶命させたのを見れば、火を見るよりも明らかだ。
幸多は、女神たちによる支援を受けることなく、高速戦闘の最中に幻魔を捕捉し、撃ち殺すことができるようになりつつある。