第八百九十九話 神木神流(一)
神木神流。
戦団戦務局戦闘部第二軍団長にして、星光級導士。つまりは星将である。
神木の家名からも想像できるように、戦団総長・神木神威とは血縁関係にある。
神木神威の実弟、神木神土を祖父とし、神土の娘・神蘿の子としてこの世に生を受けている。
神威の弟・神土は、地上奪還部隊には加わっていないどころか、長年、神威との間に尋常ならざる確執があったと噂されている。
神木家は、階級制度があった時代のネノクニにおける二級市民だったという。
二級市民など、一級市民とは比較にならない立場であり、一級市民に良いように扱われるだけの存在だったという話だが、神威が地上奪還部隊を率い、地上奪還作戦を成功させたことによって、神木家そのものの立場が危ぶまれる事態に陥ったのだといわれている。
神威は、地上奪還作戦によって鬼級幻魔リリスの〈殻〉バビロンを制圧、央都の土台としたのだが、それをネノクニ統治機構に差し出さなかった。
地上奪還部隊側からしてみれば当然の判断は、ネノクニの人々にとっては許されざる反応だったというのも当たり前の話だろう。統治機構のみならず、その事実を知ったネノクニ市民の多くが、地上奪還部隊やそれに関わる人々に反感を抱いたのだとしても、致し方のないことだ。
ネノクニ市民には、統治機構にとって都合の良い情報しか伝えられていないのだから、地上奪還部隊の事情など、心情など、知りようもなかった。
ネノクニにおける神木家の立場が危うくなっていったのも、そうした過程である。
地上における神威の権勢は、央都の成立以降いや増す一方だったが、ネノクニの神木家の置かれている境遇というのは、反比例するかのように悪化していった。
神木家がようやく立場を取り戻したのは、地上奪還作戦の実情が明らかになってからのことである。
そして、ネノクニの階級制度が撤廃されたこともまた、大きい。神木家のみならず、ネノクニ市民を取り巻く環境そのものが激変したのだ。
もっとも、そのころには、神流は、地上に上がっていたのだが。
神流は、物心ついたときには大伯父である神威に関する話を良く聞かされていた。それも、大人物として、英雄としての神威に関する逸話ばかりだった。
彼女の母・神蘿が祖父・神土とは違い、神威のことを端から否定することがなかったというのが大きいのだろう。
神威がネノクニ政府と対立したのには、なにか深い事情があるのではないか、のっぴきならない理由があるのではないか、と、神蘿は考えたようだ。そして、地上奪還作戦の実態を知り、伯父に深く同情したようだった。
そんな母から大伯父のことを聞かされれば、否が応でも逢いたくなるというのが人情というものだろう。
神流は、幼い頃から地上に上がるのが夢だった。
地上に上がり、神威に逢い、その力になる。
そのためにはどうすればいいのかと考えた末に導き出した結論は、力を付けることだった。
魔法士として一人前になれれば、魔法技量を徹底して鍛え上げれば、地上に上がることも夢ではないのではないか。
子供心に導き出した答えは、明確にして明瞭だった。
そう、神流は、子供のころから鍛錬と研鑽の日々を送ってきたのだ。
だから、幻想空間での訓練というのは、慣れたものだった。
この魔界そのものを模した幻想空間も、いまや見慣れた景色といっても過言ではない。
太陽のない青ざめた空には、青白い雲が無限に変化し続けていて、複雑怪奇な空模様を形成している。吹き抜ける風は生温く、魔界が常に異常気象に覆われていることを示しているかのようだ。
異形といっていいほどに起伏に富んだ大地は赤黒く染まり、あらゆる生物が死に絶えた結果を見せつけている。
もちろん、こうした景色は、戦団が誇る最新鋭の幻創機によって演算された代物に過ぎない。
超現実的な、幻想の賜物。
そんな空間にあって、神流は、己の幻想体の感覚を確かめるのだ。手を開き、握る。手の指先から脚の爪先まで神経が行き渡っているような実感。それは紛れもない虚構なのだが、しかし、脳は幻想体を本物の肉体として認識する。
百六十五センチの身長は、女とはいえ、決して長身とはいえないだろう。しかし、鍛え抜かれた肉体は、常人とは比較にならない量の筋肉で詰まっている。それでいてしなやかさを失ってはいない。
魔法士である。
体を筋肉の鎧で覆うよりも、魔法技量を高め、魔素質量を増大させることにこそ、重きを置くべきだったし、実際、そのようにしている。
真眼をもってして視れば、この百六十五センチの肉体に魔素が充ち満ちているのがわかるはずだが、当然ながら、この場には真眼の持ち主はいない。
濡れ羽色の頭髪はやや長めながらも、戦闘の邪魔にならないように纏めてある。転身機を用いた導衣の装着時、髪型も変えられるように設定しているため、いつ何時、戦闘状態に移ることがあったとしても問題はなかった。
虹彩は、浅葱色。
普段から穏やかさが服を着ているような人だと言われることの多い神流は、いまもまた、穏和な表情でもって、一人の少年と向き合っていた。
皆代幸多。
輝光級二位の導士は、闘衣と呼ばれる導衣に似て非なる装備を身につけている。導衣が魔法使いの長衣を連想させるのであれば、闘衣は、軽装の鎧を想起させる形状をしていた。
それもそのはずだ。
幸多は魔法不能者であり、武器を用いて戦う唯一無二の導士なのだ。
そして、だからこそ、神流が呼ばれたのであり、彼女は、幸多のまなざしの真っ直ぐさに目を細めた。褐色の瞳が、多少の驚きによって見開かれていたが、すぐさま尊敬の念を込めたものへと変わっている。
幸多のそんな眼差しを見れば、神流は、かつての自分を思い出すようだった。
地上に上がったばかりの頃。星央魔導院に進学後。そして、戦団に入団してからの頃。
導士とは、常に憧れの対象だった。
導士になることができれば、神威の力になれるからだ。
神威の役に立ちたい――それだけが、彼女の全てだった。
導士になる根源がどのようなものであろうとも、その結果が、央都市民の、人類のためになるというのであれば、それでいいではないか、と、彼女は想うのだ。
それが復讐のためであっても、構いはしない。
しかし、と、神流は考える。
(そのために己の命を安くみるのは、考え物ですが)
皆代幸多という人間について、神流は、多少なりとも知っているつもりだ。
魔法不能者にして完全無能者たる彼が、なぜ、戦団に入りたがり、そのために対抗戦に挑戦し、優勝して見せたのか。
戦団導士としてなにを成し遂げたいのか。
復讐だ。
父親の命を奪った鬼級幻魔への復讐心こそが、皆代幸多の原動力なのだ。
そしてそれそのものは、必ずしも珍しいことではないというのが、この央都の有り様である。
魔界の真っ只中にある央都においては、幻魔災害で命を落とすことそれ自体は、決して珍しいことではない。
むしろ、ありふれているといってもいいだろう。
特にここ十年ほどは、幻魔災害の発生頻度がそれ以前に比べて格段に増えてきていることもあり、幻魔によって命を奪われる市民も少なくなかった。
それもこれも鬼級幻魔サタンの暗躍の結果である。
そして、目の前の少年は、サタンによって父親の命を奪われたのであり、だからこそ、幻魔への復讐を誓い、皆代統魔とともに戦団に入ることを望み続けてきたのだ。
だが、魔法不能者たる彼が戦団の一員に成るのは、簡単なことではない。
戦闘部以外の部署ならばともかく、戦闘部となれば、生半可な方法では認められるはずもない。
幻魔への直接的な復讐を成し遂げたい人間にとって、戦闘部以外の部署など、端から目に入っていなかったはずだったし、実際、彼は、戦闘部への配属をこそ望んだ。
戦闘部の一員となった彼は、伊佐那美由理の弟子となり、第七軍団の導士として活躍を続けている。
神流は、そんな彼の数少ない欠点を補うべく、馳せ参じたというわけだ。