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第八十九話 師弟の契り(二)

 第七軍団兵舎軍団長執務室は、兵舎の一階最奥部に位置している。

 兵舎の構造は極めて簡素であり、出入り口から続く廊下の右側に大部屋が並び、左側に小部屋が並んでいる。左側をさらに奥に行けば、個室が無数に並んでいて、それらが軍団員の宿舎となっている。

 兵舎は三階建てだが、二階三階のほとんどの部屋が軍団員個人のための部屋となっている。風呂も手洗いも食堂もあるが、兵舎の食堂は食事専用の空間といった意味合いが大きいらしい。

 本部棟には大食堂があり、豊富な種類の料理が取り揃えられているため、兵舎の食堂よりも本部棟の大食堂で食事をするものの方が多いという。

 そういった話は、戦団に関する様々な情報を調べる内に知ったことだ。そして、大抵の情報の裏付けは、統魔とうまによって取れている。

 幸多こうたがそうした情報を脳裏に巡らせていたのは、限りない緊張感をどうにかして緩和できないものかと考えた末のことだった。

 今現在置かれている状況に注目するのではなく、まったく別のことに注意を向け、意識を割くことで、緊張を低減させる。

 そうしなければ、伊佐那美由理いざなみゆりが隣を歩いているという事実に心臓が破裂しそうだった。

 伊佐那美由理は、見るからに凜とした女性だった。足取り一つとっても流麗という言葉が似合う、そんな人であり、ふと見れば、その瞬間に見惚みとれてしまいかねない、そんな魅力に溢れていた。

 昔から、そうだ。

 幸多は、昔から伊佐那美由理の強烈なファンだった。

 伊佐那美由理の魔法士としての、導士どうしとしての戦いぶりを映像で見て以来、彼女こそが最高の導士なのではないかと思うようになったのだ。それからというもの、伊佐那美由理の関連商品ならばなんでも購入し、親を困らせたものだった。

 幸多の愛用している多目的携帯端末は、天曜電機てんようでんきが戦団広報部と協力して開発した最新型多目的携帯端末マギアクスの伊佐那美由理モデルだが、これも母に無理を言って買ってもらったものだった。

 最初に出逢ったときは、幻魔災害の真っ只中だったということもあったのか、入学式で頭がいっぱいだったからなのか、今ほど緊張していなかった。そのことを思い出すと、よく冷静でいられたものだ、と、幸多は想う。

 そしていま、幸多は、頭の中が真っ白になりそうなほどの緊張と興奮の中にいた。

 伊佐那美由理率いる第七軍団に配属されるというだけでも、天地が引っ繰り返るほどの衝撃と興奮に包まれるというのに、まさかのまさか、師弟の間柄になるなど、考えられることではなかった。

 ありえないことだ。

「入りたまえ。少々手狭だが、寛ぐくらいはできるはずだ」

 美由理は、軍団長執務室の特殊合成樹脂製の扉を開くと、幸多に先に入室するように促した。美由理にも、幸多が極度の緊張をしていることが伝わってきているが、そんなことに構ってやれる余裕はない。

 軍団長執務室は、美由理のいう通り、最高位の導士である星将、そして軍団長という立場の人間が使うには、少々狭さを感じるような部屋だった。しかも、室内を彩る、氷で作られたような彫像の数々のおかげで余計に狭く感じられるのだ。

 それら彫像も、美由理の趣味趣向などではない。第七軍団の副長と杖長たちが勝手に作り、勝手に配置したものだ。いずれも本物の氷ではなく、特殊合成樹脂で氷の質感を再現したものだった。高級品だということだが、美由理にはその価値がわからない。

「これではまるでわたしが自己陶酔野郎だと思われるだろうから先に言っておくが、これらはわたしの指示でもなければ、趣味などでもないぞ」

「は、はい」

 幸多は、緊張感が解けるどころかいや増していく中で、氷像の如き彫像の数々を見回した。執務室の四方八方に配置された氷像は、伊佐那美由理を模したものであることがわかる。そして、それらが彼女の象徴的な戦いの場面を描いたものだということも、美由理の熱烈なファンである幸多には、すぐにわかった。

 特に目についたのは、廃墟で戦う美由理の彫像である。

「光都事変……」

「一目でわかるのか」

「はい、大ファンですから」

 幸多が思わず力強く言い切ってしまったのは、聞かれた以上、支持者としては当然の反応だった。が、相手が相手だ。支持している相手本人に面と向かっていうことではない、という事実に気づき、幸多は焦った。顔面が急激に熱くなる。

「あ、いや、その、なんていいますか……」

 しどろもどろになる幸多を見つめながら、美由理は、彼の緊張ぶりを察した。

「いや、気にしなくていい。導士を目指すものの多くが、先人、先達への憧憬どうけいから道を歩み始めている。わたしも、伊佐那麒麟(きりん)に憧れ、ああいう人になりたいと想い、ここまで来たのだ」

「じゃあ、ぼくは伊佐那美由理を目指します」

「それは無理だな」

 美由理は、幸多の褐色の瞳を見据え、にべもなく告げた。

「はい?」

「きみは、魔法士ではない」

「それは……」

 幸多は、ぐうの音も出ない正論を叩きつけられて、現実に引き戻されるような感覚に襲われた。緊張も興奮も吹き飛び、冷徹な事実が眼前に立ちはだかる。

「そうだろう。きみは、魔法不能者だ。それもただの魔法不能者ではなく、完全無能者。あのあと、色々と調べさせてもらったよ」

「あのあと……ですか?」

 幸多は怪訝な顔になったが、美由理は、執務室内の片隅を指し示した。

「まずは、座りたまえ。立ったままでは疲れるだろう」

 美由理の指し示した一角には、長椅子と机が配置されていた。その椅子も机も彫像と同じ素材で出来ているのか、氷の塊から削り出して作ったもののように見えた。

「は、はい……」

 幸多は、美由理に言われるまま、長椅子に腰を下ろし、入団式で渡された鞄と自分の鞄を足下に置いた。

 美由理が対面の椅子に座る。すらりと伸びた長い脚が、彼女の鍛え上げられた肉体の素晴らしさを思い知らせるかのようだった。

「あの後、というのは、きみと初めてあった日の後のことだ。きみは、忘れているかもしれないが」

「四月八日のことですよね! 忘れるわけがないじゃないですか!」

「そ、そうか、すまない」

「あ、いや、ぼくのほうこそ、すみません。突然大声出したりして」

「謝るのはわたしのほうだ。きみの記憶力を疑ったわけではないのだが」

 美由理に謝られて、幸多は恐縮するしかなかった。が、一方で、あれだけ衝撃的な出来事をたった二ヶ月、三ヶ月あまりで忘れるわけがない、というのも事実だった。

 伊佐那美由理と出逢い、一言二言とはいえ、言葉を交わしたのだ。

 それは、生涯忘れられない想い出になるといっても、言い過ぎではあるまい。

「ともかく……あの一件は、わたしにとって驚くべきことだった。魔法不能者であるきみが幻魔に立ち向かったことだけでもそうだが、そのきみが完全無能者だったという事実を知れば、衝撃も受けよう」

「それは……まあ……」

 そうだろう、と想わざるを得ない。

 一般市民が幻魔に立ち向かう事例というのは、決して存在しないわけではないはずだ。誰もが魔法を使うことの出来る社会で、己の魔法士としての実力を幻魔相手に試してみたいという欲求を持つことは、なにもおかしなことではない。

 実際、黒木法子くろきほうこは何度か幻魔を撃退したという事実があり、幸多の兄弟である統魔も、十二歳の頃に幻魔を討伐している。

 一般の魔法士が、暴れ回る幻魔を討伐したことで、市から表彰された事例も、枚挙に暇がない。それくらい、幻魔災害が頻発しているということでもあるのだが。

 しかし、魔法不能者が幻魔に立ち向かった事例は、存在しない。

 歴史をさかのぼって見ても、一例もあるのかどうか。

 魔法以外なにも通用しない化け物を相手に魔法不能者が挑みかかるのは、自殺行為にほかならない。

「そして、そんなきみが戦団に入った。それも戦闘部にだ。誰がきみの面倒を見ようなどと想う。誰もきみのような完全無能者の面倒なんて見たがらないし、世話もしたくないはずだ。きみのために割く労力を他に割り当てたほうが、遙かに増しだとな」

 美由理は、客観的な事実を述べているだけだった。それはだれもが想うことであり、考えることであり、合理的で理性的な結論だ。どんな魔法士であっても、完全無能者皆代幸多を部下にすることに魅力を感じることはあるまい。

 ただの足手纏いが増えるだけだ。

 戦闘部に入る魔法士というのは、足手纏いには成りようがない。ある程度の実力があり、戦闘能力を持っているからだ。

 幸多は、魔法という最低限の戦闘能力すら持っていない。

 それなのに、対抗戦で優勝したからという理由だけで戦闘部に入ってしまった。

 それは、戦団としては予期せぬ事態というべきだろう。

 そして、戦闘部も作戦部も、幸多が入団を希望するなどとは思ってもみなかったのだ。だから、このような状況になってしまった。

「対抗戦の規則の見直しをするべきだ、と、他の軍団長たちはいっているし、わたしもそれには大いに賛成だ。きみのような例外が、二度と現れないように」

 美由理のある種の宣告ともいえる言葉を聞いて、幸多には何も言えなかった。戦団側の立場になって考えてみれば当然のことをいっているに過ぎないのだが、幸多には、そういう視点がなかった。

 ただ戦闘部に入りたい、そのために対抗戦で優勝しなければ、優勝さえすれば戦闘部に入れるに違いない――自分のことだけで頭がいっぱいだったのだ。

 冷静になって考えてみれば、美由理の言い分は極めて正しく、故に、幸多は自分の愚かしさに直面し、恥ずかしさのあまり息苦しささえ覚えるのだ。全身が熱を帯び、燃えるようだった。

 だが。

「そして、だからこそ、わたしがきみを引き受けた。きみは、わたしが、必ずや最高の導士に育て上げてみせると誓った」

 予期せぬ言葉に顔を上げると、美由理が決然とした目で幸多を見つめていた。蒼穹を想わせる瞳が透き通るようで、輝いているようで、とにかく綺麗だった。幸多が想わず見惚れるのも無理のない話だろう。

 数秒間見つめ合って、ようやく幸多は疑問を口にする。

「……どうして、ですか?」

「どうして?」

 美由理は、むしろその質問の意図ができないとでもいうように苦笑した。

「きみはわたしのようになりたいのだろう。ならば、わたしの弟子になり、わたしの言うとおりに鍛えられれていればいい。それでは満足できないか?」

「い、いえ、そんな! 満足です! 大満足なんですけど、でも……」

「なにが気になる?」

「ぼくは、美由理様のようにはなれない、と仰ったじゃないですか」

 なのに、どうして、という想いが渦を巻く。複雑だった。嬉しさと疑問と喜びと違和感が入り交じって、幸多の頭の中で混沌が生まれつつあった。

 美由理は、そんな幸多の心境を理解してか、静かにうなずいた。

「そうだ。きみは魔法が使えない以上、わたしと同じ、最高峰の魔法士にはなれない。だが、きみには類い希な身体能力と頑健極まりない肉体がある。鍛え方次第では、最高峰の導士にならばなれる可能性がある」

「最高峰の……導士」

 幸多は、美由理の言葉を反芻はんすうするようにつぶやく。その言葉に込められた想いがどれだけのものなのか、幸多には計り知れない。

 強く、高く、深く、重く。

 幸多の胸に響き、心に刻まれ、脳に焼き付いていく。

 美由理が、問う。

「不満か?」

「そんな……まさか!」

 幸多は全力で否定した。不満など、あろうはずもない。

 美由理は、微笑した。

「ならば、師弟の契りを交わすとしよう」

「はい……!」

 幸多は、力強く頷いた。感無量だった。それ以外言い様のない状況だった。

 幸多が戦団最高峰の導士の一人と考え、最も憧れ、最も熱心に追い続けてきた星将が、自分の上司になってくれるだけでなく、師匠役を買って出てくれるなど、まるで夢みたいな話だった。

 本当に夢を見ているのではないか、とすら想った。

 試しに右の頬を抓ってみると、痛かった。

 美由理が、幸多の行動を訝しむ。

「なにをしている?」

「夢なんじゃないかと思ってやってみたんですけど、痛かったんで、現実なんだと再確認できて……」

「そうか。だが、夢だったほうが良かったと思うかもしれんぞ」

 美由理は、幸多のわずかに腫れた頬が急速に癒えていく様を目の当たり西ながら、続けた。

「わたしの教育は、きみが想像しているような生優しいものではないのだからな」

 などと美由理は告げてきたが、幸多は、そんな想像をしたこともなかった。美由理の弟子になれるなど、夢にも思わなかったことなのだ。

 そして、幸多と美由理の師弟関係は、この日、この瞬間に始まった。

 



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