第八百九十八話 さらなる試練
「というわけで、今回は先生に来てもらいました!」
「どういうわけなのか全くわからないんだけど」
「本当に?」
「……冗談だよ。もちろんわかってる、わかってるってば」
幸多が即座に訂正したのは、女神たちの視線の冷ややかさに居たたまれなくなったからだ。機械仕掛けの女神たちは、その感情表現豊かな表情一つとっても体温を感じられるくらいだったし、仮想人格などではなく、現実に心が存在しているのではないかと思ってしまうほどだった。
だから、幸多は、三女神の視線の温度を肌で感じ取るのだ。
ノルン・シスターズとの猛特訓の日々が始まって、半月が経過しようとしている。
大和市の技術創造センターでは、ユグドラシル・ユニットの各機能の検証が行われているというだけでなく、最終調整に入っているという話であり、彼女たちに残された時間はわずかばかりだった。
可能性の話ではある。
ノルン・シリーズがユグドラシル・システムへと再統合されることによって、ノルン・シスターズの自我ともいうべき仮装人格が消滅するとは限らない。
しかし、女神たちは、その可能性を危惧し、だからこそ、幸多を徹底的に鍛え直すことのできるこの機会を逃すわけにはいかないというのである。
もし万が一、システムの再統合によって自分たちの存在が消え去るようなことがあれば、幸多には独自に訓練してもらう以外になくなってしまう。
もちろん、彼女たちの誰一人として、幸多を信じていないわけではない。
幸多ならば、完全無能者でありながら魔法士に引けを取らない、いやそれどころか、並大抵の導士とは比較にならないほどの身体能力を誇る彼ならば、納得いくまで鍛錬と研鑽を積み重ねるだろう。これまでがそうだったのだ。これからもそう有り続けてくれるに違いないと確信してさえいる。
女神たちが心配するまでもないのだ。
だが、しかし、残された時間が少ないのは、なにも女神たちの事情だけではなかった。
恐府への総攻撃が、近々行われるかもしれない。
先行攻撃任務に端を発する恐府攻略作戦は、城ノ宮日流子の戦死によって戦略そのものの見直しが行われることとなった。そして実際、根本から修正され、改善された戦術案が日を追うごとに形を変え、そして、現実味を帯びたものへと成りつつあるのだ。
戦団は、その総戦力の大半を恐府攻略に動員、投入できるように調整している最中であり、そのために利用できるもの全てを貪欲なまでに活用していた。
たとえば、央都で日夜勢力争いを繰り広げる企業連や央魔連にも協力を呼びかけたのも、その一例であろう。
戦団からの協力要請には、魔法犯罪者を大量に生み出してしまったことによって求心力を失い、凋落し始めていた央魔連にとっては救いの手といっても過言ではなかったはずだ。故にだろう。彼らは、飛びつくようにして戦団への協力を約束した。
企業連は、元々、天燎財団に出し抜かるわけにはいかないと、央都防衛構想への協力を惜しまないという姿勢を見せていた。そして、戦団直々の要請とあれば、なおのこと、協力的な態度を見せるのは当然の帰結だろう。
戦団は、恐府攻略作戦に導士を大量に動員することによって、央都防衛を担う戦力が大幅に低下し、近隣の幻魔に攻め込まれる可能性をこそ、もっとも危惧していた。
そこで、央都防衛構想そのものに央魔連と企業連を組み込むことにしたのである。
央魔連には魔法士の提供を、企業連には技術の提供を求めた。
とにかく人手が足りないというのが、戦団が慢性的に抱えている問題だった。
そしてそればかりは、人類そのものが存亡の危機に瀕している現状にあって、致し方のないことだった。
人口を増やす以外に解決策などあろうはずもない。
故に戦団は、長らく央都という殻に籠もり、央都政庁が人口増加政策を推し進めるのを後押ししてきたのである。
そうしてようやく央都の人口が百万人を超えたのが、最近のことだ。
それでも、足りない。
もっと、もっと、と、戦団は人手を求めた。
百万の人口全部が戦団の力になる理由がない。央都市民のだれもが当然のように魔法を使えるからといって、人類皆魔法士だからといって、戦団の一員として、導士として強制的に働かせることはできない。
そんなことをすれば、戦団の理念が、根幹が揺らぎかねない。
そのため、戦団は、人手を欲する一方で、戦団の活動への参加を強要することはなかった。
そして、それがために常に人手不足という難題を抱えることになってしまっているのだが、こればかりはどうしようもないというのが戦団上層部の総意である。
そうした人手不足の解決策の一つが、央魔連との協力であり、央魔連の魔法士を動員したのだ。
もちろん、幻魔との戦闘に、ではない。
央魔連の魔法士たちは、一般市民に比べれば余程優れた魔法技量の持ち主であり、幻魔との戦闘をも考慮した訓練を日頃から行っている戦士である。しかし、戦団は、央魔連の魔法士は一般市民であり、導士が守るべき対象であると定義しており、彼らを戦場に投入するつもりはなかった。
では、央魔連の魔法士たちをどのように活用したのかといえば、企業連との共同作業に用いられたのである。
企業連には、央都に存在する多種多様な企業が名を連ねている。それら企業には、央魔連の魔法士たちとともに、各衛星拠点のさらなる要塞化に協力してもらったのだ。
そしてさらに、人類生存圏の外周を囲うようにして、長大な防壁が建造されていったのだが、それも企業連と央魔連の協力があればこそだった。
元より央都四市の外周には、堅牢強固な防壁が聳え立っているのだが、それを人類生存圏といべき領域と、魔界の境界に建造したのだ。
境界防壁と名付けられたそれらは、大量生産された亜霊石と、超霊場発生装置ミカガミによって、隙間のない霊場結界に覆われている。
つまり、人類生存圏そのものを一つの巨大な〈殻〉とした――というのは言い過ぎにしても、長大な防壁で囲い込むことに成功したのである。
亜霊石は、各衛星拠点や擬似霊場発生装置イワクラなどに用いられていた擬似霊石とは製造工程の似て非なる代物であり、先日、日岡イリアが発明した新時代の擬似霊石である。
亜霊石の誕生は、擬似霊石の必要性を限りなく低くした。
擬似霊石は、霊石を技術的に再現したものであり、霊石結界を発生させる力を持つ。亜霊石には、擬似霊石のような球形の結界を構築する力はないが、ミカガミと組み合わせることで指向性の魔力場を形成することができた。
擬似霊石は、その仕組み故、大量生産することはできない。
一方、亜霊石ならば、時間と費用さえかければ、いくらでも作り出すことが可能だった。
そして、超霊場発生装置ミカガミの誕生により、長らく構想段階で頓挫していた長城計画を実行に移すことができたのである。
それこそが、境界防壁だ。
境界防壁は、その形状から護法の長城などとも呼ばれている。
人類生存圏の法秩序を外敵から護る長城なのだ。
ともかく、イリアだ。
彼女の発明が、根幹にある。
イリアの新発明、新技術は、戦団の、いや、人類そのものの窮地を救う力になるのではないか。
いや、それそのものは、いつものことではある。
イリアがもたらした技術革新によって、戦団の技術水準は飛躍的に高まったという圧倒的な事実があるのだ。
窮極幻想計画の過程で開発された数々のF型兵装もそうだが、それ以外にも数多くの魔機、法機、導衣が、彼女の発明の影響下にある。
そして彼女は、新技術の開発だけでなく、クニツイクサの改良、最終調整にも全力を尽くしている。
さらにいえば、日々の幸多の特訓にも、目を通してくれているのだ。
たとえば、ノルンの女神たちが幸多に無理難題を押しつけていないか、と、毎日のように確認しているのである。
女神たちの思惑は、理解している。
今後、幸多は、魔界を主戦場とする可能性が高い。
戦団全体の傾向として、そうならざるを得ない。
外征に力を入れるのであれば、人類生存圏の外が主戦場となる。
そうなれば、ノルン・システムの、ユグドラシル・システムの支援を、補助を受けることができなくなるかもしれない。
現状では、そうならざるを得ない。
システムは、レイライン・ネットワークがあればこそ、安定的に支援し、補助することができるのだ。
ネットワークが不安定な領域での戦闘となれば、女神たちの補助も効かなくなってしまう。
近接戦闘ならばまだしも、銃火器を使用した戦闘となると、幸多は、途端に女神たちを頼り過ぎる傾向があった。
いや、それは致し方のないことだった。
撃式武器も、銃王弐式も、そもそもがノルン・システムによる補助を前提としているのだ。
それらF型兵装を用いて戦う相手は、幻魔だ。
幻魔との戦闘は、超高速度で行われるものであり、狙いを定め、引き金を引くという行為そのものをその速度に合わせなければならず、生半可な技術力でどうにかできるものではないのだ。
幸多の身体能力、動体視力、反射ならば、不可能ではないはずだが、やはり、銃の扱いに熟達していない以上、超高速で飛び回る幻魔を狙い撃つのは困難を極めるようだった。
動かない的ならば、百発百中程度にまで命中精度を上げてきているのだが、しかし、実戦想定の訓練となると、銃弾は空を切った。
幸多の課題は、やはり、超高速戦闘での幻魔への銃撃であり、百発百中の命中力の確保である。
そのための猛特訓を日夜続けているのだが、中々上手く行かない。
それもあってか、幸多は最近の任務では、武神や護将を装備することが多かった。
命中させられない撃式武器を使うくらいならば、被弾覚悟の上で白式武器を振り回すほうが、余程容易く幻魔を斃せるからだ。
事実、その通りの結果になっている。
この半月の間、幸多は、真星小隊を率い、空白地帯を巡回するたびに幻魔と遭遇し、撃滅してきたのだが、それらの戦いで用いたのはいずれも白式武器であり、近接戦闘によって多数の幻魔を打ち倒している。
あれだけ頼みにしてきた撃式武器が、当てにならなくなってしまっている。
無論、女神たちの補助があるのであれば百発百中なのだが、彼女たちに頼ってばかりもいられないのが現実なのだ。
これから先の戦いを見据えれば、補助を切って戦うべきだったし、実際そのようにして任務を行っていた。
そして、いまも、今後の戦いを踏まえた特訓を行うべく、幻想空間にいるのだが。
空白地帯の混沌とした大地を模した幻想空間には、幸多と女神たちだけがいた。
そこへ、光が差したかと思うと、一人の導士が姿を見せたものだから、幸多は思わず息を呑んだ。
「久しぶりですね、皆代輝士」
穏やかな微笑とともに話しかけてきたのは、第二軍団長・神木神流そのひとだったのだ。