第八百九十七話 兵器幻想
松波桜花は、高天技術開発第六実験小隊の一員である。
天燎高校を卒業してからというもの、天燎財団の関連企業・天峰機器に勤めていた彼は、長らく代わり映えのしない生活に刺激を求めるようになっていた。
そんな折、彼に転機が訪れる。
天燎財団が高天技術開発を設立、新規事業として立ち上げたのである。
そして彼は、財団関連企業全体に対して行われた人材募集に応じ、高天技術開発へと異動してきたのだ。
天峰機器は、財団における最先端の魔機開発を担う企業ということもあり、財団内でも一、二を争う人材の集まりだった。
高給取りばかりであり、なぜ、そんな企業から将来性も明らかではない高天技術開発への異動を志願したのかと疑問ばかりが、彼の周囲では上がっていた。止めたほうがいいのではないか、と、暗に彼に囁くものもいたほどだ。
しかし、松波桜花は、そうした周囲の声を黙殺するようにして、新天地に移動し、それが正解だったのだと実感していた。
新天地は、なにもかもが新鮮だった。
数年来、なんら変化のない日常に飽き飽きしていた彼にとって、それはまさに夢のような日々だったのだ。
なにせ、彼が配属された第六実験小隊は、ついこの間発表されたばかりの新世代兵器を取り扱っていたのである。
人型汎用戦術機クニツイクサ。
全長三メートルほどの巨人のような機動兵器は、操者による遠隔操作でもって幻魔を撃滅する、まさに新時代、新世紀のロボットなのだ。
松波桜花は、そんな操者の一人に抜擢されたのであり、日夜、クニツイクサの操縦訓練に勤しんでいる。
専用の操縦用機材は、神座と名付けられた白い筒状の物体であり、その中には一人用の座席がある。座席に座り込めば、それだけで神経接続が行われ、操者の意識がほぼ完全にクニツイクサと同期するのだ。
同期直後、暗転があった。
幻想空間への転移と同じような感覚。
すぐさま視界が開くと、眼前には、燃え盛る炎の大地が広がっていた。
『これは、つい先日、戦団が制圧したムスペルヘイムを模した幻想空間だ』
第六実験小隊長・姫路道春の重々しい声が、まるで巨人の耳に届くかのようにして聞こえてくる。
『この広大な大地が、龍宮戦役の舞台だったというわけだな』
姫路道春が多少の感慨を込めてつぶやくのも無理からぬことかもしれない。
天燎財団の一員とは言え、一般市民に過ぎない彼らにとって、このような光景を目の当たりにする機会など一切存在しないのだ。
もちろん、竜宮戦役に関する報道は膨大極まりないほどにあったし、幻魔との戦争に関する記録映像は溢れ返るほどに存在する。そして、それら記録に基づく幻魔との戦いを幻想空間上で体験することそのものは不可能ではない。
だが、そうした体験は、極めて擬似的なものにほかならない。
なぜならば、幻想空間上に〈殻〉を再現することは許されておらず、一般市民には、このような光景を目の当たりにすることはできないのだ。
幻創機を用い、幻想空間に飛び込むことは、一般市民でも自由にできる。しかし、一般市民が利用できる幻想空間には、実際の戦場は存在しない。
当然だろう。
極めて当たり前の、道理に過ぎない。
戦団が、戦場は導士のものだという考えを持ち、一般市民には戦場とは無縁の日常生活を謳歌して欲しいという意志があるからだ。
そして、市民は、そんな戦団の意向によって、安穏たる日々を享受できているのである。
そのことで戦団に不平不満をぶつける市民はいない。
地獄のような戦場の現実を体験したいという一般人など、そういるものではないからだ。
だからこそ、桜花は、こうして日々、実戦そのものの光景の中に飛び込むことができるという事実に、興奮すら覚えるのかもしれない。
自分は、もはやただの一般市民ではないという実感が、細胞を沸き立たせている。
『龍宮戦役の主戦場は、あっちのほうらしいですが』
などといって、一体のクニツイクサが指差したのは、ムスペルヘイムの奥ではなく、南西方向である。
緋焔峡谷と呼ばれる紅蓮の炎が燃え盛る地帯、その向こう側に立ち上る巨大な火柱が見えた。
緋焔門である。
緋焔門を越えた先こそが龍宮戦役の主戦場であることは、有名な話だ。
そこで戦団と龍宮の幻魔が共同戦線を展開し、ムスペルヘイムのスルト軍と死闘を繰り広げたのだといい、鬼級幻魔アグニを撃破したのだという。
スルトは、ムスペルヘイムの中心で斃されたという話だが。
『そうだが……』
困ったような声が、姫路道春の機体から聞こえてくる。
隊長機は、目立つように頭部に独特な飾り付けがされており、一目でそれとわかった。隊長機以外のクニツイクサは、武装こそそれぞれ異なれど、外見上の際はない。
いずれも、白と銀を基調とする甲冑を纏った機械仕掛けの巨人そのものの姿をしている。
全長は三メートル程度。
故に、その目線は高く、慣れるまでにそれなりの時間を要した。
いまは、操者のだれもが当然のようにその目線の高さに慣れていたし、身振り手振りもお手の物だ。
松波桜花もそうだ。
もはや巨人の手足を自分の手足のように動かすことができるようになっていたし、自由自在に飛び回ることすらできていた。
当たり前だ。
クニツイクサの操者に選ばれてからというもの、連日連夜、それこそ、食事と睡眠の時間以外は、全て、操縦訓練に費やしている。
クニツイクサは、天燎鏡磨が企て、大々的に失敗した人型魔導戦術機イクサの後継機ではない。
天燎財団が戦団と協力して作り上げた新世代の兵器であり、人類の未来を担う存在なのだ。
その操者たちには、クニツイクサのみならず、人類の未来がかかっているといっても過言ではない。
操者たちにのし掛かる責任は重く、故に、日々、習熟に全力を尽くしているのだ。
『……ともかく、今回の訓練は、このムスペルヘイムの攻略にある。我ら第六実験小隊のみで、どこまで戦えるものなのか、その実験を予て、な』
『攻略ぅ?』
『うちらだけで、ですか』
『そうだ。我々だけで、だ』
隊長機が、その煌びやかな兜を振り回すようにして視線を動かせば、残りの三機の巨人たちもそれに倣った。
第六実験小隊は、四人の操者と二名の技師からなる。技師は、この幻想空間を制御しているだけでなく、操者たちの状態を常に確認しており、操者の生体情報が危険域に達した場合には、速やかに実験そのものを中止するのである。
そもそも、幻想訓練であって、実戦ではない。
なんの心配もいらないのだが、しかし、たった四機でこの巨大な〈殻〉の中を踏破しようというのは、不可能なのではないかと思わざるを得ない。
だが、同時に、これくらいできなければ、クニツイクサを新世代兵器とは呼べないだろう、とも思うのだ。
クニツイクサは、天燎財団が誇る技術者集団〈思金〉が、イクサの設計図から取捨選択し、さらに改良に改良を重ねて開発したものが雛形となっている。
その上で、戦団技術局第四開発室からの手が入り、さらなる改良が施されて、現在の形となった。
その性能たるや、雛形とは比べものにならないほどのものとなり、獣級幻魔程度相手にならないといっても過言ではなくなっていた。
事実、四機のクニツイクサを駆り、派手な隊長機を先頭に蒼焔原野のど真ん中を歩き始めたのだが、つぎつぎと湧いて出てくる獣級幻魔を即座に撃滅していくものだから、その光景を見守る技師たちは、クニツイクサの完成度の高さに満足感を覚えたものだった。
クニツイクサが使用する武装は、大きく分けて三種類ある。
一つは、隊長機が振り回している大型の槍である。機槍・衝神と命名されたそれは、クニツイクサの身の丈ほどの長さの柄と、その半分はあるだろう穂部を持つ長柄の槍だ。穂部は青黒く、鈍い輝きを帯びている。
隊長機は、衝神を振り回し、ガルムの群れを切り刻んで見せたのであり、魔晶核を破壊し損ね、生き残った幻魔には、機銃・撃神がさながら雷撃のような銃弾を浴びせ、絶命させた。
機銃・撃神は、大型の銃器だ。撃式武器・飛電改によく似たそれは、当然のように飛電改に用いられた技術が採用されている。
機槍・衝神がそうであるように、だ。
クニツイクサの武装には、第四開発室が推し進める窮極幻想計画によって生み出された数々の技術が採用されているのである。
起伏に富んだ魔界の大地を自由自在に滑走できるのも、万能地形滑走機構・神足のおかげだが、これも縮地改と呼ばれる鎧套の補助機構をクニツイクサ用に調整した代物だ。
そして、クニツイクサへの適用過程で生み出された新たな技術が、F型兵装にも活用されるという好循環を生んでいる――らしい。
そんな話を聞いた覚えがあるのだが、確かなことは、桜花にはわからない。
彼にわかることといえば、クニツイクサを駆っている間の自分は、まるで英雄のようだということだけだ。
燃え盛る魔界の大地を踏みしめながら、空飛ぶ幻魔に向かって勇躍する。
機剣・斬神を振り抜き、幻魔の巨躯を両断して見せれば、断末魔が背後に聞こえた。
『さすがはエースだね』
同じく第六実験小隊の野添祥子の賞賛に、桜花は、当然だといわんばかりの顔をした。
クニツイクサは、一般市民を英雄に変えるのだ。