第八百九十五話 オロバス領警戒任務(二)
オロバス領から飛び出してきたのは、獣級幻魔ばかりが百体ほどだ。
数の上では、二個小隊八名を大きく上回る。
しかし、戦力的には、どうか。
幸多は、瞬時に転身機を起動し、分厚い装甲で全身を覆った。不安など一切感じなかったし、恐怖心などあろうはずもなかった。
闘衣・天流の上から鎧套・武神弐式を装着し、白式武器・斬魔改を手にすれば、獣級幻魔と対等以上に渡り合えるのだ。
そして、幸多が武装したときには、二個小隊全体の戦闘準備もまた、終わっている。
まず前面に展開されたのは、真白が速やかに編み上げた防型魔法だ。分厚い光の壁が河岸に聳え立つと、幻魔の進撃を食い止めたのである。
幻魔たちがけたたましい怒声を発したのは、魔法壁に激突したからにほかならない。怨嗟に満ちた声は、真言となって雷の嵐を巻き起こした。
百体の獣級幻魔のうち、その半数近くが二重殻印持ちだ。
下位獣級幻魔ユニコーンが三十体、同ライジュウが五十体、同サンダーバードが二十体。いずれも雷属性の幻魔である。
ライジュウとユニコーンが対岸から川に飛び込み、電光を発しながら迫り来れば、サンダーバードが雷鳴を響かせながら頭上を舞った。
ライジュウは、雷が異形の獣と化したかのようが姿をした怪物だ。全身が常に電光を発しているだけでなく、電光の如き素早さで移動し、そのたびに稲光が尾を引いた。大気が焼け焦げた臭いが鼻を突くようだった。
ユニコーンは、頭部から一本の角を生やした白馬だ。全身が真っ白な体毛に覆われているようだが、しかし、その体毛こそが電光そのものであり、その電光を角に集め、放電することによって破壊的な攻撃を繰り出してくることで知られている。
そして、サンダーバード。その名の通り雷光を纏う怪鳥は、ライジュウ同様に稲光の尾を曳きながら上空を飛び回り、雷雲を生み出していく。魔法によって作り上げられた雷雲が、サンダーバードのみならず、雷属性幻魔たちの魔法の威力をも高めるのだ。
「さすがは英雄小隊の英雄三号!」
「だれが三号なんすか!」
真白は、後ろからの称賛に思わず言い返したが、満更でもなかった。
瑠衣が褒め称えたのは、真白の反応速度と防型魔法の性能の高さだ。真白が構築した魔法壁は、前方のみならず、頭上にも至り、サンダーバードが奇怪な鳴き声とともに降り注がせる雷の雨を撥ね除けて見せている。
真星小隊がなんの不安もなく任務に勤しむことができるのは、防手・真白のおかげだということは明白だ。真白が常に堅牢強固な防型魔法を駆使し、維持できるからこそ、小隊一同、安心して戦えるのだ。
瑠衣は、真白こそが真星小隊の要なのかもしれないと思いながら、律像を練りあげていく。
無論、真星小隊の他の導士たちの活躍も、見ている。
真っ先に敵陣に突っ込んでいったのは、隊長の幸多だ。近接戦闘用の鎧套を身につけた幸多は、魔法壁の外へと飛び出すと、大上段に振りかぶった大太刀の一閃でもってユニコーンの角を切り落とした。
ユニコーンの魔晶核こそ、その角なのだ。
魔晶核とは幻魔の心臓である。通常、頑強極まる魔晶体の内側に隠されているものだが、幻魔によっては、常に外部に露出している場合がある。
ユニコーンの角がそうであるようにだ。
しかし、ユニコーンは、角を守るために常に防御魔法を張り巡らせており、簡単には傷つけることも破壊することもできなくしているのだ。だが、幸多の斬撃は鋭く、強烈であり、容易く切断してしまった。
ユニコーンが断末魔の叫びを上げ、その巨躯が崩れ落ちていく。
幸多には、その様を見届ける暇もない。頭上から雷が落ちてきたからだ。すぐさまその場を飛び離れ、視界の片隅に飛び込んできたライジュウの体に斬魔を突き立てる。ライジュウが怒号を発した。が、それが断末魔となったのは、義一の攻型魔法がその魔晶体を削り取ったからだ。
魔晶核を大きく抉れば、幻魔は絶命するしかない。
とはいえ、幸多に義一に目線を向ける余裕はなかった。怒濤のような攻撃が、幸多に迫っている。
それはそうだろう。
真白が展開する魔法壁の外側に出ているのは、幸多一人なのだ。
幻魔たちが幸多に攻撃を集中させるのも無理からぬ話だったし、それこそ、幸多の思惑通りだった。
幸多は、武神弐式を装着することによって、その身体能力を飛躍的に向上させている。超人的な運動能力が可能とした超高速機動によって戦場を飛び回ることにより、幻魔の注目を集めつつ、敵陣を掻き乱していく。
ときには刃を振るい、ときには攻撃を躱し、とにかく移動し続ける。
そこへ、黒乃の魔法が炸裂する。
「破断氷刃」
黒乃が放ったのは、氷属性の攻型魔法である。
巨大な氷の刃が戦場を旋回し、触れるもの全てを氷漬けにしていけば、そこに多種多様な魔法が炸裂し、さらに氷の刃そのものが破裂する。無数の氷の礫が、凍結した幻魔に殺到し、破壊していく光景は圧倒的だ。
「合い言葉は音!」
「氷華烈風!」
「閃光輪蛇!」
瑠衣率いるロックハート小隊の面々も、真星小隊に負けてはいられないとでもいうように次々と魔法を発動し、幻魔を撃破していく。
そうして、戦いは終始、幸多たちの優勢で進んだ。
やがて、戦いが終わったのは、百体あまりの幻魔を殲滅したからだ。
オロバス領のすぐ外側。
〈殻〉の内側には、いまにも飛び出してきそうな様子の幻魔が数多といて、故に瑠衣は、速やかにその場を離れるように指示した。
獣級幻魔百体との戦闘は、それなりの消耗を強いるものだ。
しかも半数近くが二重殻印の持ち主だった。
「確かに二重殻印は厄介だね」
瑠衣は、もはや遠く離れた戦場を見遣りながら、いった。
本来であれば、幻魔の死骸の一つでも持って帰りたいところだったが、そんなことをしている場合ではなかった。
あのままあの場に留まり続ければ、オロバス軍の幻魔が際限なく襲いかかってきた可能性が高い。オロバス領の様子を確認する任務とはいえ、そのために戦い続けるのは得策ではない。消耗しきった末に妖級以上の幻魔が出てこないとも限らないのだ。
もし万が一、オロバスが襲来するようなことがあれば、目も当てられないだろう。
故にこそ、瑠衣は、部下たちに引き上げるように命じたのだ。同時に、オロバス領近辺の警戒をより強める必要を実感した。
オロバス軍の幻魔は、〈殻〉に近づいた敵を攻撃するように命じられているのではないか、と、瑠衣は考えたのだ。
そんなことは、いままでなかったことだ。
少なくとも、川越しに〈殻〉内部を覗き込んでいただけで攻撃を仕掛けられた例は、九月以前には記録されていない。この何十年の記録を遡っても、だ。
それはつまり、オロバス領内部で何事かが起きているということなのではないか。
その証左が、二重殻印だ。
オロバスとエロスの殻印を合成したそれは、幻魔に多大な力を与えており、オロバスが何事かに備え、戦力を増強しているのではないかと予感させた。
悪い予感だ。
そして、こういう場合、悪い予感というのはよく当たるものだ。
「はい。通常の幻魔よりは余程手強くなっているかと」
「まったく、厄介だよ」
瑠衣は、進路に視線を戻しながら、いった。広大な空白地帯の一点に、一台の輸送車両が二個小隊が戻ってくるのを待ち侘びているようだった。
二重殻印。
それが確認されたのは、つい先日のことだ。
皆代小隊と味泥小隊によって確認されたそれがなにを意味するのかと言えば、殻印が、直属の殻主のみから与えられるものだという定説を覆したということだ。
殻印は、殻主への忠誠の証である、と考えられていたし、実際、その通りではあるのだろう。
殻印を刻まれた幻魔は、殻主の命令に従うよりほかはなく、仮に死を命じられたのであれば、死ぬしかないのだという。
では、二重殻印は、直属の殻主以外の殻主にも忠誠を誓っているとでもいうのだろうか。
「どう思う?」
「ええと……」
不意に瑠衣に問われて、幸多は、考え込んだ。
「素直に捉えれば、やっぱりそういうことなんじゃないですか?」
「だよねえ」
瑠衣は、幸多をイワキリの助手席に座らせると、自身は運転席に座った。
小隊長同士ということもあれば、幸多を鍛え上げなければならないという第七軍団全体の想いもあった。
幸多は、龍宮戦役の英雄の一人である。
だが、あまりにも未完成であり、あらゆる面で不足が目立った。
小隊長として、導士として、彼が不足している部分を完璧に補うことができるようになれば、彼が超一流の導士へと成長を遂げれば、第七軍団に多大な利益をもたらしてくれるのではないか、という期待があった。
魔法不能者にして完全無能者である彼に期待しすぎるのはどうなのか、という声がないではない。
が、しかし、幸多がこれまでに積み上げてきた実績を考慮すれば、当然の結果だろう。
瑠衣などは特に幸多に期待していたが、それでも美由理ほどではあるまい、などとも思っている。
第七軍団長・伊佐那美由理は、戦団に入ったばかりで未知数極まりなかった幸多を弟子にするほどの熱の入れようだったのだ。
美由理が弟子を取ることそれ自体が、第七軍団を揺るがす大事件だった。
しかもその弟子が魔法不能者だったのだから、杖長などは大騒ぎである。
だが、いまならば、美由理が幸多を弟子にした理由がわかる気がした。
幸多は、放っておけないのだ。