第八百九十三話 完成
状況が、動いている。
城ノ宮日流子の死が、停滞気味だった戦団の、いや、央都の状況そのものを大きく動かし始めたのだ。
恐府攻略作戦は、本来、長期的視野に基づいて計画されていた。
半年やそこらで解決できる問題ではないということは、戦団の人間ならばだれの目にも明らかだったのだ。
何分、戦団には、同時に動員できる戦力に限りがあり、恐府という特大の〈殻〉を攻略するためには、現在動員可能な戦力では到底不可能だということもまた、わかりきっていた。
仮に、恐府に隣接する三カ所の衛星拠点から、全戦力を動員することができたとしても、たった千五百人である。
それでは恐府を攻略するにはあまりにも足りなすぎる。
故に、戦団は、長期的な計画を立てた。
まずは、先行攻撃部隊によって、〈殻〉攻略の橋頭堡たる簡易拠点の構築から始めることとした。これによって恐府内部に戦団の拠点を次々と作り上げたうえでそれを維持しつつ、オトロシャ軍の戦力を削っていこうと考えたのだ。
そこにオベロンとの接触があった。
殻主オトロシャを裏切り、戦団との共闘に踏み切ったオベロンは、恐府に関する様々な情報を戦団にもたらした。
そして、それらの情報によって、長期計画の正しさが証明されている。
つまりは、オトロシャ軍の戦力を削れるだけ削り取ってから、本腰を入れて攻略に移るべきなのだ、と。
オトロシャ軍の総戦力は、スルト軍を遥かに凌駕する二千万百万である。その大多数が獣級以下の幻魔なのだとしても、量より質こそが魔法士の掟なのだとしても、戦団の動員可能戦力と比較した場合、圧倒的な差があることは明白だ。
全戦力を差し向けたとしても、物量で押し潰されかねない。
それらの戦力を削れるだけ削り取って、ようやく、まともに戦うことができるだろう。
となれば、半年、いや、一年以上の長きに渡る戦いとなることは、明白だった。
そのためにも先行攻撃任務を成功させなければならなかったが、これが失敗に終わってしまった。
それも想定外の大失敗だ。
いや、可能性そのものは、考慮の内にあったはずだ。
なにせ、恐府には、オベロンを含め、四体の鬼級幻魔が潜んでいるのだ。
先行攻撃任務中、それら鬼級と遭遇する可能性は皆無ではなかったし、そうなった場合には、部隊が全滅することだってありうることだった。
星将一人の命で部隊の半数近くが生き残ることができたというのであれば、上々と見るべきなのか、どうか。
相手は、鬼級なのだ。
本来であれば、星将三人でようやく対等に戦えるかもしれない相手なのだ。
恐府には、そんな化け物が四体もいる。
オベロンは、現状、戦団と協力関係にあるのだが、だからといって信用しきっているわけでもなければ、油断していい相手でもない。いつ敵に回るのかわかったものではなかったし、だからこそ、戦団は、恐府の鬼級を四体と数えていた。
四体の鬼級を相手にするというのであれば、十二人の星将を投入する必要があるのではないか。
しかし、当然のことながら、戦団にそのような余裕はない。
十二人の星将、つまり十二軍団長を同時に動員するのは、簡単なことではないのだ。
十二軍団は、人類生存圏を外敵から護るべく、央都四市と十二の衛星拠点に振り分けられており、常に様々な任務に当たっている。
央都市内では、ここのところ頻発していた大規模幻魔災害の再来に備えなければならなかったし、魔像事件の如き魔法犯罪が再び起こらないとも限らない以上、警備の手を緩めるわけにはいかなかった。
衛星拠点など、尚更だ。
近隣の〈殻〉の動きを警戒しつつ、日夜変化を続ける空白地帯を巡回し、ダンジョンを発見すれば探索、制圧しなければならない。
戦力に余裕がないのだ。
「そこで、我々の出番というわけだな」
天燎十四郎は、興奮を抑えきれないという表情で、いった。
彼の見ている先に、この央都の未来が詰まっているといわんばかりだ。
事実、その通りだろう、と、曽根伸治は考える。
水穂市内にある高天技術開発製造工場に、天燎十四郎と曽根伸治はいた。
高天技術開発によって研究、開発が推し進められていた汎用人型戦術機クニツイクサは、戦団技術局の介入によって、紆余曲折の末、ついに完成した。
そして、完成されたクニツイクサの性能を鑑みるに、高天技術開発だけでは未完成にもほどがあったと確信するしかなかった。
戦団技術局第四開発室の積極的な介入は、高天技術開発の技術者たちにとっても喜ばしいものだったらしい。
天燎財団の技術者集団〈思金〉を前身とする彼らには、戦団技術局の技術力、開発力に強い憧れすら持っていたという。技術局の導士たちと同じ目的のために働けるというだけでも感涙ものだと漏らすものもいたほどだ。
そうして、双方の技術者が協力し、クニツイクサは完成に漕ぎ着けた。
天燎の技術者たちが作り上げた土台に、戦団技術局の知識が血肉の如く取り込まれ、完璧なる新兵器として産声を上げたのである。
完成以来、工場はすぐさま量産体制に入った。
これまでネノクニから少しずつ転送されていた材料の数々も、戦団との協力体制によって大っぴらに運び込むことができるようになったこともあり、製造速度もまた飛躍的に向上している。
一機、また一機と、クニツイクサが完成しているのである。
やがて、十四郎たちは、一人の人物と合流した。高天技術開発技術部門長・天原竜彦である。
「戦団がクニツイクサの活躍に期待されているというのは、本当でしょうか?」
「本当だとも」
竜彦の質問に対し、大見得を切ってみせたのは、もちろん、十四郎である。彼の立ち居振る舞いは、自信に満ち溢れていた。
「総長閣下直々に声がけされてね。期待している、と。総長閣下がだよ? 信じられるかい」
「総長閣下が……」
とても信じられる話ではない、と、竜彦は目をぱちくりとさせた。
それに関しては、伸治も同感だった。
戦団総長・神木神威といえば、気難しい人物として有名だ。戦団の創設者であり、地上奪還部隊の隊長でもあった彼は、央都のため、市民のために命を懸けている急先鋒というべき人物だが、だからこそ、そう簡単に気を許さない人物なのだといわれている。
だれもが気安く話しかけられる相手でもなければ、市民の前に姿を見せることもほとんどなかった。
英霊祭や絢爛群星大式典のような戦団行事ならばともかく、それ以外では、滅多に人前に姿を見せないのだ。
それでも、市民は、神木神威のことを尊敬しているし、場合によっては、信仰の対象にもなり得た。
地上奪還を成し遂げた英雄の一人にして、大英雄。英雄の中の英雄にして、導士の中の導士、そして星将の中の星将とも呼ばれる人物である。
そんな人物から直接期待の言葉をかけられたとあれば、十四郎が興奮するのも無理からぬことだったし、その恰幅の良い体を揺らしながら歩く様が堂々としているのも、当然なのかもしれない。
「ということは、クニツイクサの真の初陣は、恐府攻略作戦になる……と考えてもよろしいのでしょうか?」
「そうだ――と、いいたいところだが」
十四郎は、竜彦の目を見て、苦笑した。
「さすがにそういうわけにはいかんよ。完璧に仕上がったとはいえ、一度も試していないものを重要な作戦に投入するのは考え物だ」
「それは……そうでしょうね」
「うむ。総長閣下も、そこのところはよく考えられておいでだ。そして、クニツイクサが大量生産された暁にこそ、恐府攻略作戦を発動するとも仰られていた。それだけ期待されているということだ」
十四郎の脳裏には、神威と直接会話した際の光景が、記憶が、映像となって浮かんでいた。神木神威の威厳に満ちた姿は、十四郎には刺激が強すぎたといっても過言ではあるまい。
天燎財団総帥・天燎鏡史郎の二男として生を受けた彼は、財団の意向として、戦団を敵視してきた。しかし、戦団がなくてはならない世の中だという事実は認識していたし、戦団があればこそ、財団が成り立っていることもまた、現実として理解していた。
戦団という組織の存在意義、存在理由について、十四郎ほど熟知しているものは、もしかすると戦団内部にもほとんどいないのではないか、と、自負するほどである。
故に、戦団の頂点に君臨する人物と直接話し合う場が設けられたという時点で、十四郎は興奮を隠せなかったものだったし、天にも昇るような気分だった。そして、実際に面と向かって言葉を交わした結果、彼は、神木神威という人間に惚れ込んでいた。
神木神威の中の英雄性に、心を打たれたのだ。
「それで、操者の数は十二分に揃ったのかね?」
「第一陣の百名が、操縦訓練の真っ只中です」
「ふむ。百名か」
「じきに第二陣、第三陣と増員していきますよ」
「千名」
「はい?」
「一千名は欲しいな」
「それはまた……」
「総長閣下が我々に期待しているのは、戦力として、だ。しかし現状、クニツイクサは、妖級以下の幻魔に対する露払いの側面が強いことは否めない。鬼級を相手に戦えるかね?」
「不可能ですね」
竜彦の即答ぶりには、さすがの十四郎も苦笑いするほかなかったが、しかし、わかりきったことでもあった。
クニツイクサは、戦団技術局との強力によって、完成した。
窮極幻想計画に用いられた技術をふんだんに取り入れることによって、以前にも増して戦闘力を向上させたクニツイクサだが、しかし、鬼級幻魔を相手に戦えるほどの力は発揮できなかった。
妖級幻魔ならば、対等以上に戦うことも不可能ではないのだが。
仮にクニツイクサを千機、二千機用意できたとしても、鬼級幻魔には勝ち目がないのだ。
戦いが数の時代は、遥か過去のものとなった。
魔法は、質こそが肝要であり、数は重要ではないのだ。
それでも、クニツイクサは必要とされている。
導士には導士の役目があるように、クニツイクサにはクニツイクサの役割があるのだ。