第八百九十一話 女神の試練(五)
「でも、どうして?」
幸多は、千手と雷電改を転送しながら、女神たちに質問を投げかける。
戦場の風景は変わらない。
ムスペルヘイムの紅く燃え盛る大地であり、そこを幸多が爆撃の如き弾幕で殲滅し尽くした幻魔たちが、再び出現し埋め尽くしていく光景は圧巻といっていいだろう。
ガルム、オンモラキ、スザク、それに加えて、オルトロスやケルベロスまでもが幸多を包囲するように布陣し、威嚇を始める。人類に対する明確な敵意がプログラミングされた幻想体たち。そこには強烈な存在感があるのだが、しかし、人類の遺伝子に刻まれた恐怖が呼び起こされるほどではない。
幻想は幻想に過ぎず、現実ではない。
「幸多ちゃんを特訓するためよ」
「それはわかってる」
両腕に抱えていた二丁の飛電改も、一丁だけにして、狙いを定める。
まずは、前方上空から飛来するオンモラキへ。
「ぼくは結局、ヴェルちゃんたちに頼り切りだった。ヴェルちゃんたちが狙いを定めてくれていたからこそ百発百中だったのも、これまで戦い抜いてこられたってことも、理解しているよ」
そんなことはわかりきったことだと想いながら、幸多は、引き金を引く。
飛電改の銃口から吐き出される無数の弾丸が、迫り来る獣級幻魔の群れを攻撃し、進撃を食い止めるも、やはり、死に至らしめることができない。超高速で飛び回る飛行型の魔晶核には、掠りもしていないからだ。
どれだけ魔晶体を破壊しても、心臓が無事ならば意味がない。
幻魔とはそういう生き物だ。
幸多の射撃の命中精度が悪いのもあるが、幻魔も急所に当たらないよう、致命傷にならないように射線を見て、飛び回っている。
「だからだよ」
スクルドが、少しばかり困ったような口調でいってきた。
「これまでの戦闘は、全部、レイライン・ネットワークの範囲内で行われてたんだよ」
「わたくしたち統合情報管理機構が、レイライン・ネットワークを通じて、情報の収集、管理、掌握を行っているということは、幸多様も御存知のはず」
「うん」
幸多は、引き金を引き続ける。
そのまま飛電改を振り回すことで、全周囲から殺到する幻魔たちに弾丸の雨を浴びせるのだが、どう足掻いても接近を阻むことしかできない。幻魔たちも銃弾の嵐を躱すように駆け巡り、あるいは炎の壁を構築して銃撃を遮っている。そうして、少しずつ幸多との距離を詰めてきているのである。
仕方なしに縮地改を駆使して左前方へと滑走すれば、目の前にガルムの群れが壁の如く立ちはだかった。弾幕を浴びせ、怯んだところに銃弾を集中、魔晶核の破壊へと至る。
ガルムが一体、断末魔の声を上げた。
「まず、一体」
スクルドの冷静な声が、幸多の脳内に響く。
地を蹴って飛び上がり、ガルムの壁を飛び越えつつ、眼下に銃弾を滝の如く降り注がせれば、またしても絶叫があった。それは怨嗟の声でもあった。幻想空間上に再現された、呪いの声。
ノルン・システムに蓄積された膨大な戦闘記録は、再現された幻魔の完成度を極限にまで高めている。
「五体」
「すごいすごい、さすが幸多ちゃん!」
「中・遠距離で当たらないなら、至近距離で連射すればいい……ってことにはならないよね」
幸多は、ヴェルザンディの賞賛にも喜ぶことなく、着地と同時に左右に弾丸をばら撒いた。オンモラキとオルトロスが迫ってきていたし、ケルベロスの放った火球が近づきつつあった。集中射撃で火球を破壊し、幻魔の群れの接近を阻む。
「かつて、レイライン・ネットワークは、この地球全土を巡る情報通信網でした」
とは、ウルズ。
魔法時代の到来とともに既存の情報通信網に取って代わったのは、エーテリアル・ネットワークと呼ばれる情報通信技術である。魔素の性質を活用した情報通信網は、確かに既存の技術を遥かに凌駕する通信速度を実現した。
しかし、世界中を巡り、人々に超光速通信の恩恵を与えたエーテリアル・ネットワークだったが、問題点が露見すると、その不安定さを危惧した技術者たちによってレイライン・ネットワークという新世代の情報通信技術が開発されたのである。
それは、だれもが学校等で学ぶことだ。
レイライン・ネットワークによって、一切の遅延なく、音声や映像、情報のやり取りができるのだと。
故に、レイライン・ネットワークが発明され、発表されると、あっという間に地球全土を席巻した。
世界中を巡り、繋ぎ、結び――膨大な情報が、ネットワーク上に溢れかえるまで時間はかからなかったという。
この双界という狭い世界ですら、日夜大量の情報で溢れかえっているというのに、人口二百億を越えていたという時代には、人々の様々で雑多な情報で満ち溢れていたことは想像に難くない。それがどのようなものだったのかまでは、幸多には想像もつかないが。
燃え盛る大地の上を滑走し、飛来するオンモラキを連射し、さらに上空にも牽制の射撃を行う。
スザクが、火の雨を降らせていた。
降り注ぐ無数の火球は、なにかに接触すると爆発し、破壊の嵐を巻き起こした。だからこそ、幸多は、地上から火の雨を撃ち抜かなければならなかったし、そのためならば弾幕を張り巡らせるだけで十分だった。
もちろん、上空からの攻撃にばかり対応している場合では、ない。
地上では、ガルムだけでなく、オルトロスやケルベロスが幸多への攻撃を苛烈なものにしていた。魔法攻撃が乱発し、猛火の渦で大地を飲み込むかのようだった。それらの猛攻を躱し、捌き、逃れ、超高速滑走で移動し続けることによって敵に狙いを定めさせず、一方、こちらは狙いを定める必要があるのだから、幸多は、全力を尽くさなければならなかった。
幸多の動体視力を以てしても、簡単なことではない。
弾幕を張るだけでは、幻魔を滅ぼすことはできない。
「しかし、魔天創世後、世界全土を結んでいたレイライン・ネットワークは不安定となり、いまやわたくしたちの掌握下にあるのは、わずかばかり。このわずかばかりの支配圏を脱すれば、途端に、わたくしたちの幸多様への補助、支援の精度が落ちてしまうのではないか――」
「イリアちゃんがね、そう危惧していたのよ」
「博士が?」
「うん」
「日流子ちゃんが死んでしまったでしょう。あのとき、日流子ちゃんとの通信ができなくなっていたのよ。それもこれも、ネットワークが安定していなかったからで、恐府攻略を当面の目標とするというのなら、直視しなければならない大問題なのよ」
「大問題……」
幸多は、大地を駆け抜けながら、息を呑む。ただ、引き金を引くことしかできない。
城ノ宮日流子の戦死は、幸多にとってもとてつもなく衝撃的な事件だった。大事件などという生易しいものではない。天地がひっくり返りかねないほどの出来事といっても言い過ぎではあるまい。
いや、ある意味では当然の、当たり前の結果だということは、わかっている。
相手は、鬼級幻魔だ。
鬼級幻魔と戦ったのであれば、生き残れたことを幸運だったと想うほかないし、撃破できる可能性のほうが低いとみるべきだった。
龍宮戦役では三体の鬼級幻魔と交戦しているが、多数の死傷者を出した上で勝利することができたのは、戦団側がそれだけの戦力を投入したからに他ならない。
それでも、辛勝といっても過言ではない結果だった。
星将一人、杖長二人では、鬼級幻魔を足止めすることはできたとしても、撃破することなど困難を極めるだろう。不可能に近いとさえいっていい。
日流子が部下を撤退させるべく、鬼級を食い止め、その結果命を散らせたというのであれば、納得の行く結末というしかなかった。
だとしても、幸多たちにとっては、言葉を失うほどの事態であることに変わりはない。
星将が、命を落とした。
戦団の最高戦力たる軍団長が、だ。
恐府攻略の足がかりたる先行攻撃任務中である。
戦団は、恐府攻略に関し、戦略そのものから見直す羽目になった。
先行攻撃任務そのものが間違いだったと認めたのである。
少人数での恐府への攻撃は、それまでは上手くいっていた。戦団側の被害は最小限に抑えながら、恐府側に、オトロシャ軍に打撃を与え続けていたのだ。だがしかし、鬼級幻魔と遭遇し、星将が命を落としたというのであれば、話は別だ。
恐府攻略のための橋頭堡を構築し、維持し続けるには、鬼級幻魔を退け続ける必要があるということがわかったのだ。
鬼級幻魔トールが、雷神の庭防衛のために能動的に活動していることが判明したのだ。
それが最初からわかっていれば、雷神の庭への先行攻撃任務は、もっと慎重に行われたかもしれない。
だが、オベロンの情報を以てしても、わからなかったことだ。
こればかりは、どうすることもできない。
そして、レイライン・ネットワークに生じた問題。
「〈殻〉内部でネットワークが安定しないということは、幸多ちゃんを支援できない可能性が高いというおkと。だから、わたしたちの支援を切った状態で戦ってもらってるってわけ」
「いまさらこんな初歩的な訓練、したくないかもしれないけど」
「初歩的とはいえ、幸多様にはこれまでの戦闘経験がありますから、想定以上の速度で上達しておりますわ」
「……なるほど。そういうことか」
幸多は、女神たちの三者三様の励ましを聞きながら、火の玉となって突っ込んできた一体のオンモラキに意識を集中させ、引き金を引いた。乾いた発砲音とともに閃光が生じ、弾丸が、毛のない鶏のような怪物を貫き、断末魔を上げさせる。
真っ直ぐに突っ込んでくるというのであれば、どれだけの速度だろうとも、命中させることそのものは難しくはない。
女神たちによる支援は受けられなくとも、銃王弐式の補助機能そのものが失われているわけではないのだ。
銃の扱いが必ずしも得意ではない幸多でも、銃王弐式さえ装着していれば、なんの問題もない。
ただし、こちらも動かなければ、だが。
オンモラキを一体撃破した瞬間、火の雨と無数の火球が殺到してきたものだから、幸多は、咄嗟にその場から逃げ去った。
爆炎が、幻想空間を燃え上がらせる。
幸多の特訓は、始まったばかりだ。