第八十八話 師弟の契り(一)
十二軍団の兵舎は、戦団本部敷地内の中心の大部分を占める本部棟を大きく包囲するように存在している。
本部棟の真北に第一軍団の兵舎があり、時計回りに第二、第三軍団の兵舎が大きく間隔を開けて並んでいるのだ。
全部で十二ある兵舎は、それぞれまったく異なる特徴的な外観をしていることは、よく知られた話だった。
軍団制になる以前の部隊制の頃からそうだったが、部隊にせよ、軍団にせよ、魔法士の集団は、その長の影響を色濃く受けるものだ。気風しかり、在り様しかり。
兵舎もそうした影響を多分に受けるものであり、軍団長が変わった際には、外観が大きく作り替えられるということでも知られていた。
現在の戦闘部十二軍団長は、五年前の光都事変後に行われた戦団大再編によって制定されたものである。それ以前は十二部隊制であり、それぞれ部隊長たる星将によって掌握されていた。
それら十二部隊を収めていた十二人の星将、その半数に当たる六人の星将が命を落としたのが、光都事変だ。光都と央都を巡る騒動が予期せぬ形で幕を閉じることになったその大事件によって、戦団は大再編を余儀なくされた。
そうして新たに星将に任じられ、軍団長に任命された一人が、第七軍団長の伊佐那美由理である。
幸多は、第七軍団の兵舎を眼前にして、立ち尽くしていた。
空は曇ったままだが、雨は上がっていて、傘を差す必要はない。気温は低いが、生温い空気が全身に纏わり付くようであり、気持ちが悪かった。湿気が多いのだ。
第七軍団の兵舎は、氷の城、とでもいうべき外観をしていた。実際にそれは氷などではないのだろうが、透き通った氷の結晶で作られた城のような建物であることに変わりはない。
伊佐那美由理は、氷属性を得意とする。故に氷の女帝という二つ名で呼ばれ、畏れられている。その居城たる第七軍団兵舎が氷の城だというのは、有名な話だ。
戦団は、広報部を通じて、様々な情報を央都市民に提供している。戦団は風通しのいい組織を目指していると二屋一郎もいっていたが、その風通しの良さというのは、なにも戦団という組織の内側だけの話ではなかった。
戦団と市民の間でも風通しをよくしなければならない、という考えがあり、そのための活動の一環として、広報部は様々な手を打っている。
戦団は、市民の盾であり、杖である。故にこそ、市民との間に溝があってはならないし、互いに想い合い、理解し合えなければならないという考えが、戦団運営の根底にある、というのだ。
戦団広報部が市民に提供する様々な資料には、幸多も散々目を通してきたものだ。戦団本部の構造や、大食堂で人気の料理の数々、訓練施設なども、各種情報媒体を通じて見たことがあった。
十二軍団の兵舎も、そうだ。
しかし、実際に目の当たりにするのとでは、感じ方がこうも違うものかと、幸多は想ったのだった。
「きみは、皆代幸多くん、ですね」
不意に話しかけられて、幸多は、目線を落とした。高く聳え立つ氷の城、その壮麗さに見取れてしまっていて、目の前まで誰かが近づいてきていることに気づきもしていなかったのだ。
幸多の目の前には、同年代の少年が立っていた。背格好は幸多と然程変わず、黒一色の制服を身につけている。黒髪はともかくとして、特徴的な黄金色の瞳が一際目を引いた。
幸多は、彼に見覚えがあった。というより、央都市民の間でも結構な有名人のはずだ。もしかしたら統魔以上に知られていたとしてもおかしくはない。
かの戦団副総長の養子であり、伊佐那家の一員なのだから。
そして、彼には、決勝大会で助けられたことも覚えていた。
伊佐那流魔導戦技で獣級幻魔を圧倒する彼の姿は、さすがは伊佐那家の跡取りと目されるだけのことはある、と想ったものだ。
「伊佐那義一……」
「いきなり呼び捨てなんて、噂に違わずなかなかのくせ者のようですね」
「あ、いや、そういうつもりじゃなくて、その、つい……」
幸多は、彼の名前を無意識に発していたことに気づかされて、慌てた。心の中で呼んだつもりだったのだが、あまりに突然のことでつい声に出してしまっていたようだ。
「冗談です。誰だって最初はそういうものですし、気にしていませんよ」
彼は屈託なく微笑すると、幸多を兵舎内に進むよう促した。中性的と言うよりは女性的ですらある彼の容貌は、とにかく笑顔が引き立った。幸多が思わず見惚れかけるほどだ。
「決勝大会でのきみの活躍は、会場で見ていましたよ」
「そ、そうだったんですか」
「もしかして、緊張しています?」
「そ、そりゃそうに決まってますよ! なんたってあの伊佐那義一ですよ!?」
「どの伊佐那義一なんだか」
義一は、幸多の緊張と興奮のない交ぜになった反応に苦笑するほかなかった。義一を目の当たりにしてこのような反応を見せる相手というのは、少々新鮮だったのだ。
戦団内には、義一に対し、幸多のような反応を示す人間はいないのだ。市民ならばいざ知らず。
(そうか、彼はついさっきまで市民だったんだな)
義一は、納得して、微笑む。
義一のように星央魔導院に入学し、卒業とともに戦団に入ったような導士には、まったく想像のつかない感覚だ。星央魔導院に入学するということは、既に半分戦団に入っているようなものなのだ。戦団の導士としての自覚が、学生時代に求められ、叩き込まれていく。
するとどうなるか。
戦団の有名な導士との初対面でも、緊張するということがほとんどなくなるのだ。
義一も、入団直後から様々な軍団長と対面したが、緊張らしい緊張を覚えることがなかった。
もっとも、それは彼の身の上が大きく影響しているのだが。
彼は、伊佐那麒麟の養子である。養子となってからは、神木神威を始めとする、戦団の大幹部ともいえる人達となんらかの関わりを持つことが少なくなかった。そうした経験が、軍団長に対して緊張を感じなかったことに繋がる。
幸多は、そんな義一と他愛のない会話を交わしながら、しかし内心には緊張感を持って、兵舎の中を歩いて行く。
兵舎は、各軍団にとっての本拠地のようなものであるとともに、軍団に所属する導士たちの宿舎も兼ねている。もちろん、軍団所属となったからといって、必ずしも兵舎に寝泊まりしなければならないというわけではないし、大半の導士が兵舎以外で居住している。
兵舎に寝泊まりしている導士の多くは、その利便性から利用しているのだ。
兵舎は、戦団本部内にある。ということは、常に、どんな時間であっても、戦団本部内の様々な施設を利用できると言うことだ。
日夜訓練に明け暮れる導士たちにとって、戦団本部にある総合訓練所をいつでも利用できるということほど大きな利点はない。
幸多は、そのようなことを義一から説明された。
第七軍団兵舎の住人たちも、そうした理由で寝泊まりしているのだという。
兵舎の内装は、外観からは想像もつかないほどに簡素で、機能的だった。
「内側まで氷漬け、氷塗れだなんて、使いづらくて仕方ないですしね」
義一は、苦笑とともにいった。
「そもそも、この兵舎の外観は、姉の――軍団長の趣味じゃないんですよ」
「そうなんですか?」
「はい。軍団長は、兵舎の外観に拘りがなくて、だから、副長と杖長の皆で勝手に考えて、作り込んだんだとか」
そして、氷の女帝の二つ名に相応しい、氷の城を作り上げたというわけだ。
幸多は、義一から明かされた真相に驚きながら、おそるおそる聞いた。
「それで……美由理様は?」
「気に入ったんでしょうね。だから、なにもいわなかった」
「気に入ってはいるわけではないが、わざわざ取り壊して作り直させるのも悪いと思っただけだ」
「また、そういう……」
突如話に割り込んできた相手に対し、義一は、臆面もなく言い返したが、隣の幸多は、閃光のように貫いた緊張によって動けなくなっていた。
話に割り込んできたのが、伊佐那美由理だったからだ。
幸多は、伊佐那美由理の凜とした佇まいに見惚れるほかなかった。彼女もまた、漆黒の制服に身を包み込んでいるが、義一のそれよりも多少豪華な装飾が施されている。軍団長だからだろう。胸元の星印は、星光級を意味する五芒星であり、星将であることを示している。
すらりとした長身は、幸多よりも上背があり、冷徹なまなざしもあって、ある種の迫力を感じずにはいられなかった。
美由理は、幸多を一瞥し、それから義一に目を向ける。若い頃の麒麟に瓜二つの少年は、美由理の冷ややかな視線にも微動だにしなかった。
「案内御苦労、といいたいところだが」
「そこは素直に感謝して欲しいのですが」
「わたしが迎えに行こうとしていたのを邪魔したのは、どこの誰だ」
「ご多忙の身の上を案じてのことですが」
「まったく、口の減らない部下だ。これがほかの軍団長相手なら懲罰ものだ」
「口答えで懲罰だなんて、前時代の軍隊じゃないんですから」
義一はひとしきり笑うと、幸多に目配せをして、その場を後にした。
軍団長執務室までの案内役を買って出たものの、幸多をそこまで連れて行こうとしたところで当の軍団長が出てきたものだから、彼の役目が終わってしまったのだ。
(皆代幸多……か)
彼は、己の特別な眼を通して見た皆代幸多の姿を脳裏に思い浮かべた。身につけている衣服にこそ魔素は宿っていたが、彼の全身、髪の毛一本にすら魔素が宿っていなかったのだ。
人は彼を完全無能者と呼ぶ。
ただ魔法が使えないだけで魔法の恩恵を思う存分に受けることの出来る魔法不能者とは、根本からして異なるのが皆代幸多という存在なのだ。
そんな彼が魔法士を相手取って大立ち回りを演じ、勝利して見せた対抗戦決勝大会が、いまもなお市民の間で取り沙汰されるのは当然のことといえた。
かくいう義一も、あの幻闘の光景は、しばらく忘れられそうになかった。
ただ、いまいち納得できないことがひとつだけ、あった。
(姉さんは、なにをお考えなのでしょう?)
遠く離れていく伊佐那美由理と皆代幸多の後ろ姿を見遣りながら、義一は、訝しみ、小首を傾げた。
魔法不能者であれ、完全無能者であれ、戦闘部に引き入れるという事それ自体に大いなる疑問を抱いているが、それ以上にわからないのは、そんな彼をなぜ、美由理は弟子にしようとしているのか、ということだ。
美由理は、星将位につき、第七軍団長に任じられてからというもの、ただの一人だって弟子を取ったことがなかった。
義一が弟子入りを志願しても、断られた。
自分にはそのような余裕はない、といって、だ。
それは納得の行く理由ではあったのだが、だからこそ、いままさに納得が行かないのだ。
幼い頃から天才児として知られ、同年代でも最高峰の魔法士であるという自負を持つ義一ですら手に負えないというのであれば、完全無能者の彼など、もっと大変なはずだった。
義一には、美由理の考えていることがまるで理解できなかったし、納得性のある答えを提示して欲しかったが、いくら姉弟とはいえ、そんなことをいえるわけもない。
彼は、軍団長執務室に向かう二人から目を背けるようにして、兵舎を後にした。




