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第八百八十五話 蠢動(二)

 マンティコアがその翼を広げれば、闇そのもののような飛膜から、莫大な量の黒い霧が全身を包み込んでいった。

 それがマンティコアの得意とする防御魔法だということは周知の事実だ。

 実際、香織かおりの放った高威力の雷撃が黒い霧によっていとも容易く妨げられ、拡散していく。

 さらにルナの放った三日月や、つるぎの風弾も跳ね返されたものだから、皆代みなしろ小隊一同、顔を見合わせた。

「獣級よね?」

 ルナがあざなに問えば、彼女は静かに頷いた。

「上位ですが、獣級に違いありません。しかし……」

「どうも、様子がおかしい」

 枝連しれんは、マンティコアが飛膜から噴出させた黒い霧が急速に膨張ぼうちょうしていく様を見つめながら、炎の結界を構築した。

 防手ぼうしゅたる枝連は、当然のように防型魔法を得意とする。防型魔法の発動と維持に専念するのが役割であって、余程余裕がある状況でもなければ、攻撃に参加する必要はない。

 攻撃は、攻手に任せればいい。

 皆代小隊には、攻手こうしゅが三名もいて、そのうち二名が規格外とでもいうべき存在なのだ。

 統魔とうまとルナという二本柱がある限り、枝連は、防型魔法に全力を注げばよかった。なんの不安もなければ、このような状況であっても心が揺らぐこともない。

 そして、彼は、いままさに全身全霊の力を込めて、火属性の防型魔法・焔王護法陣えんおうごほうじんを構築したのだ。

 燃え盛る炎の結界が、皆代小隊全員を包み込むように展開し、分厚い魔法壁が張り巡らされる。外部からの攻撃を遮断する強力無比な結界は、轟然と燃えているように見えるが、護るべきものたちを焼き尽くすようなことはない。

 増殖し続ける黒い霧が炎の壁に激突し、逸れていく。

「うん?」

「なんだ?」

「なになに?」

 統魔たちは、マンティコアに集中攻撃を行いながら、黒い霧に阻まれ、決定打にならないことに疑問を抱いた。

 上位とはいえ、獣級幻魔だ。

 ベヘモスやリヴァイアサンのような規格外の超特大質量とも違うのだ。

 下位妖級幻魔にすら遠く及ばないはずの生命力、魔力の持ち主であるはずのマンティコアには、いま統魔たちが繰り出した程度の攻撃でたおせるはずだった。

 しかし、マンティコアは、黒い霧を噴出し続けていて、その霧は、ついには炎の結界をも覆ってしまった。

 視界が、黒く塗り潰されている。

「なにも見えないんだけど!?」

「ああ、そうだな」

 統魔は、香織の叫び声の鋭さに辟易へきえきしつつ、魔法壁の維持と律像りつぞうの構築をしながら考える。

 一カ所に集まった皆代小隊を護るように展開された炎の結界は、確かに六人を完璧に保護している。燃え盛る紅蓮の魔法壁が、黒い霧の侵入を妨げているのだが、視界もまた覆い尽くされてしまったのだ。周囲の状況がまるでわからなくなっている。

「マンティコアにこのような魔法を使うという記録はありませんが」

「いままで確認されなかっただけかも……なんてことはないか」

「ありえないとは言い切れませんが、可能性は限りなく低いかと」

「だよな」

 戦団の〈書庫〉に記録された幻魔の情報は、妖級以下の場合、正確無比と考えていい。

 妖級、獣級、霊級の幻魔には、ほとんど個体差がない。微妙な形状の違いこそあれど、能力に変化はなく、魔素質量や魔法技量も、同種ならば全く同じであると判断して良かった。

 過去何十年、何百年に渡る幻魔との戦いの記録から分析された記録の数々は、妖級以下の幻魔が画一的な存在であることを示していた。

 まるで大量生産されたコピー商品のように。

 故に、いま統魔たちの目の前で大量の黒い霧を放出するマンティコアの存在は、異様だったのだ。

「まあ……なにごとにも例外はある。たとえば、そうだな。機械型だって、これまでの歴史上、存在しなかった幻魔だろう」

「そうだな。あれも、そういう例外か」

「新種かもしれん」

 枝連が、魔法壁の維持に力を尽くす真後ろで、統魔は彼の背中の大きさを実感した。どんな状況でも決して動揺することのない防手は、いつだって頼りになった。

 そのときだ。

「ほー、新種のマンティコアやと?」

 聞き知った声は、頭上から聞こえてきた。とんでもない大声だった。

 この暗黒の霧の中にも届くようにと配慮してくれたのだろうが、思わず耳を塞ぎたくなるくらいだということもあって、統魔は苦笑を禁じ得なかった。

「それがどないしたんや」

 味泥朝彦みどろあさひこの声とともに降ってきたのは、光の波動であり、それは一瞬にして黒い霧を吹き飛ばし、統魔たちの視界に光を取り戻させた。故に、余計に眩しく感じたのだった。

 だが、黒い霧が全て消え去ったわけではない。川周辺には大量の霧が滞留しており、どす黒くうずくまるそれそのものが不気味な怪物のように蠢いていた。

 地を這うような唸り声が聞こえたかと思えば、霧の中に幻魔の顔が浮かぶ。

 ずたずたに破壊されたバイコーン頭部であり、バーゲストの壊滅的な顔面であり、アスピスの潰れた頭であり、カラドリウスたちである。

「なんじゃありゃあ!?」

「隊長、うるさい」

「うるさいってなんやねん、うるさいって。端的過ぎて寂しいっちゅうねん」

「皆代小隊の皆さんが耳を塞いでいますよ」

「嘘やろ!」

 朝彦が躑躅野南つつじのみなみと普段通りのやり取りをしながら、炎の結界の中へと降下してくる。もちろん、二人だけではない。朝彦率いる味泥小隊が、第一衛星拠点からの援軍として皆代小隊に合流したのだ。

「なあ、皆代! 嘘やんなあ!」

「なにがですか」

「おれの声がうるさいって話や」

「さっきは、うるさかったです」

「嘘やん……!」

 なにやらとんでもない衝撃を受けたかのような反応を見せる朝彦を尻目に、統魔は、黒い霧の中に蠢く怪物たちを見ていた。

「統魔、あ、あれ……」

「ああ、わかってる」

 統魔は、ルナが腕にしがみついてきたのを振り払わずに、ただ、その異常事態を真っ直ぐに見つめるのだ。

「死体が、動いてる」

 黒い霧の中、統魔たちが斃したはずの大量の幻魔が、怨嗟えんさの声を上げながら動き出していた。バイコーン、バーゲスト、アスピス、カラドリウス――いずれもが、統魔たちの攻撃によって損壊した肉体のままに歩き出し、あるいは空を舞っている。

 黒い霧の中を自由自在に動き回っているのである。

 そして、黒い霧は、またしても大きく拡散すると、炎の結界を包み込み、幻魔の死骸が皆代小隊、味泥小隊を包囲した。

「おいおいおいおい、こらいったい、どないなっとんねん!」

「どうなっているんでしょう。皆代隊長、どうなんです?」

「どうもこうも」

「はい?」

「おれたちにもよくわからないんですよ。おそらくは、推定新種のマンティコアの黒い霧と関係しているとは想いますが」

「死んだはずの幻魔が生き返ったんだよ!」

 ルナが叫ぶと、南は朝彦と顔を見合わせた、味泥小隊の四人も、黒い霧の中に蠢く大量の幻魔を目の当たりにしている。そのどれもがまさに死体そのものような有り様であり、四肢がずたずたに引き裂かれ、あるいは徹底的に破壊された状態で、結界を攻撃しているのである。

 なんとも異様な光景だ。

 確かに、死んだはずの幻魔が生き返ってきたかのように思えなくもない。だが。

「死んだ生き物が復活することはありえへん。それがこの世の原理原則や」

 朝彦の冷ややかな声が、統魔の耳朶じだに染みこんでくるようだった。

「魔法は、万能の力、神の御業みわざ、奇跡の片鱗、神秘の具象――そんな風にうたわれて、世界に蔓延まんえんした。世界中のだれもが魔法を追い求めたんやな。魔法は、それほどまでに偉大な発明やった。それまでの常識を覆したんやから、まあ、当然っちゃ当然や。あらゆる疾患、あらゆる難病が、魔法によって解決されれば、死すらも克服できるんちゃうかって期待されたんや」

 朝彦の周囲には、高密度の律像が展開していた。急速に組み上がり、複雑に変形していく魔法の設計図は、それだけで見るものを圧倒する。

 さすがは次期星将候補の一人、と、その場にいるだれもが思うほどだった。

「せやけど、死だけは、覆せんかった。何十年、何百年と研究が続けられても、命を支配することはできんかったんやな」

 朝彦は、炎の結界を取り巻く死骸の群れを見回して、告げた。

「死んだもんは蘇らへん。絶対にな」

 それが真言しんごんとなった。

 無数の光刃こうじんが閃き、黒い霧の中を駆け抜けていくと、幻魔の死骸をさらに徹底的に切り刻んでいった。

 統魔たちも、それに合わせて魔法を発動させた。

 皆代小隊と味泥小隊の一斉攻撃は、黒い霧の中に破壊の嵐を巻き起こしたのである。


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