第八百八十三話 軍団長たち(二)
結局、今回の先行攻撃作戦は、大失敗に終わった。
第五軍団が築き上げた橋頭堡たる第一、第二簡易拠点は、トールとその配下によって攻め滅ぼされたのだ。
第三、第十軍団が各所に築き上げた簡易拠点も、そうだ。
これらも、オトロシャ軍の総攻撃を受けて壊滅している。
オベロンは、今回の結果に関しては、想定外だと述べていた。
まさかトールが己が領分を乗り越え、黒禍の森にまで飛び出してくるだけに飽き足らず、恐府内を暴れ回り、敵対勢力の撃滅に尽力するなど、とてもではないが想像しようのない結果だった、と。
そもそも、あの日、戦団が三方から先行攻撃部隊を送り込んだのは、オベロンからの提案に応じてのことだった。
オベロンがいうには、この日を置いて最良の機会はない、ということだったのだ。
というのも、恐府を取り囲む複数の〈殻〉から戦力が送り込まれることになっていたからであり、恐府の戦力がそれらの対応のために分散することがわかっていたからだ。
アトラス、ベリス、イシュタル、エノ、カロン、アガレスという複数の鬼級幻魔が、オベロンの誘引されるまま、戦力を送り込んできたのである。
オベロンは、恐府が膨大な外敵の攻撃によって混乱に陥ったときこそ、戦団が付け入る隙になると判断したのであり、そのためにこそ策謀を巡らせていたようだ。
そのような策略を練ることができるのであれば、なぜ、最初から他の鬼級幻魔の軍勢を頼みにしないかといえば、同じ幻魔だから、だという。
『幻魔を信用するものは、幻魔に滅ぼされます。それが幻魔の世の常。力こそ全ての魔界において、それが掟。それが理。それが法。故に、わたしはあなたがたを利用し、あなたがたもわたしを利用すれば良い。互いに利用し合っているという事実を認識さえしていれば、魔界の掟も牙を剥くことはありません』
などと、オベロンは臆面もなくいってのけてきたのは、戦団との初めて会議を行ったときのことだが。
それはそれとして、オベロンの策謀である。
オベロンの策謀に乗じた先行攻撃作戦は、大失敗してしまった。
オベロン自身、予期せぬ事態に動揺を隠せないといった様子だったし、戦団が重大な戦力を失ったという話を伝え聞いて、謝罪すらしてきたのは、火倶夜も驚いたものだ。
だが、オベロンからしてみれば、当然のことだったのかもしれない。
オベロンは、恐府を滅ぼしたいのだ。
そのための重要な戦力が欠けてしまったという事実は、彼自身にとっても喜ばしくはないだろう。人間のことをなんとも思っていなくとも、利用価値の極めて高い戦力であれば話は別だ。
軍団長の、星将の実力は、火具夜の戦いぶりを通じて理解しているのだ。
『戦力が分散しているとはいっても、たった百人かそこらでスルト軍以上の大軍勢を相手にするのがむちゃくちゃだったんだよ』
九乃一が苦い顔で告げれば、軍団長のがれ一人として異論を唱えなかった。皆、同じ気持ちだった。
どれだけ精鋭を集めようとも、少人数で圧倒的大軍勢に挑んだところで、勝ち目はない。
相手が妖級以下の幻魔しかいないというのであれば話は別だが、しかし、現実に三体もの鬼級が潜んでいて、いつどこで遭遇するものかわかったものではなかったのだ。
万が一の可能性を考えれば、たった百人程度で挑むべきではなかったのは、確かだ。
しかし。
『だが、外敵から央都を守りつつ、外征を行おうというのであれば、これ以上の方法はないぞ』
『まあ……そうなんだよね』
『結局のところ、そこに行き着きますね。ぼくたちは、あまりにも手が足りない。人類そのものが存亡の危機に瀕しているのだから、当然ですが……』
『十倍……いや、五倍程度でも戦力がありゃあな』
少しはマシなんだが、と、明日良はぼやくようにいった。
火倶夜も同じ想いだった。
戦団が戦力不足という絶望的な事実に直面するのは、なにもいまに始まったことではない。
いつだって、そうだった。
最初から、そうだったのだ。
地上奪還作戦の折から、地上奪還部隊の時代から、常に戦力不足であり、人手不足だったのだ。
たった数百人余りの地上奪還部隊が、この五十年でよくもまあここまで膨れ上がったものだと感心したいものだが、それで満足できるような現状ではないし、していいはずもない。
戦団には、全部署全職員全関係者合わせて総勢二万人程の人員が在籍している。
このうち、戦闘部にはおよそ一万二千人ほどが所属しているということから、戦団の特色が良くわかるだろう。
戦団とは、戦士の集団であり、幻魔と戦い、幻魔から人類の未来を勝ち取るための組織なのだ。
故に、戦闘部により多くの人員が割り当てられるのは当然なのだが、それでもまだ足りない。いや、まだまだ、圧倒的に足りないのだ。
およそ一万二千人。
人口の一パーセント以上と考えると、多いのか、少ないのか。
いや、少ない。
少なすぎると断言していい。
この人類生存圏以外の全土が幻魔の領分たる魔界において、この程度の戦力では物足りないにも程があるのだ。
そんなことは、この場にいる軍団長たちだけでなく、戦団上層部の全員が、いや、全導士が認識していることであり、双界の住民も理解しているのだが、根本的な解決策が見当たらないまま、現在に至っている。
過去には、徴兵制を導入するのはどうか打診されたこともあったようだ。
そう提案した人物は、魔法的才能、導士としての素養の高い市民は、強制的に戦闘部に配属されるべきなのではないか、と、考えたのだろう。
しかし、その案は、案のまま、いつの間にか廃棄されていた。
確かに徴兵制を導入すれば、戦力不足は解決するかもしれない。いや、するだろう。それだけは疑いようがない。嫌々導士になったのだとしても、徹底して鍛え上げれば使い物になるだろうし、立派な戦士になるはずだ。
だが、そうしなかった。
理由は、知っている。
そして、その理由を支持している軍団長も多い。
火倶夜も、そんな一人だ。
故にこそ、この少ない戦力で現状を打開する方法を考えるしかないのである。
「ないものねだりをしたって、仕方ないわよ。どれだけ願ったって、突然戦力が増えることなんてないんだもの」
『そりゃそうだ』
『……それで、そちらはどうなんだ?』
「オベロン曰く、つぎの作戦まで日が開くそうよ」
『オベロンの野郎、信じて良いのか?』
「少なくとも、利用価値はあると見ていいわ。今回の作戦だって、オベロンの計画通りに事が運んでいたもの』
火倶夜は、軍団長たちの顔を見回しながら、いった。
幻魔との共闘など、以前の明日良ならば怒り狂って話にならなかっただろうが、いまの彼は、極めて冷静だった。
日流子の死が、逆に彼の頭を冷やしているのではないかと思われるが、本当のところはよくわからない。
無論、幻魔に対する激しい怒りを持っているのは、明日良だけではない。
この場にいる誰一人として幻魔は信用に値しないと思っているし、考えているのだ。
それでもなお、オベロンとの共闘に踏み切る羽目になったのは、そうでもしなければ、恐府を攻略することなど不可能に近いと判断したからにほかならない。
恐府は、この上なく広大にして強大な〈殻〉だ。
しかし、その前哨戦に過ぎない任務中に軍団長一人を失ってしまった以上、もはや、足を止めることはできない。
恐府攻略を完遂するまで、戦団は、前進を続けなければならない。
『前進とは、犠牲を伴うものである!』
日流子を弔うために執り行われた大葬儀の場で、戦団総長・神木神威は、声高らかにいったものだ。
『城ノ宮日流子は、戦団の前進のため、人類の前進のため、胸を張って死んでいったのだ! 彼女の死は、決して無駄にはならない! なぜならば、我々は、勝利に向かって前進し続けるからである!』
神威は、そのように断言した。
戦団は、足を止めてはならない。
前進し続けなければならないのだ。
でなければ、それまでに払ってきた犠牲に、失われてきた命に、面目が立たないからだ。
導士は、なんのために命を懸けて戦い、なんのために命を燃やし、なんのために命を散らせていくのか。
なんのために、今日に至るまで数多の導士が命を散らせてきたのか。
火倶夜にとっても、ほかの軍団長たちにとっても、親しい間柄の導士が、あっさりと死んでいった瞬間を目の当たりにしたことは少なくない。
星将として、軍団長としてここにあるということはつまり、そういうことだ。
数多の死線を潜り抜けた結果、この場所にいるのだ。
それだけ多くの導士の死を看取ってきている。
星将の死も。
日流子の死も、そんなありふれた死の一つに過ぎない。
過ぎないのだが、しかし、火倶夜たちは、考えざるを得ないのだ。
彼女の死に報いる方法について。