第八百八十二話 軍団長たち(一)
城ノ宮日流子。
魔暦百九十年五月二十一日、この世に生を受けた。
城ノ宮明臣、日流女の第一子であり、ただ一人の子供であった彼女は、二人から多大な愛情を注がれて育てられただろうことは、想像するまでもない。疑いようのない事実だ。
日流子が、実の父である明臣からの限りない愛情を照れることもなく受け止め、全力で返す様を、星将たちはよく目の当たりにしていた。
彼女ほど、親に対する愛情を臆面もなく表現できる人間は、そうはいないのではないかと想わされるほどだった。
両親が戦団情報局で働いていたということもあり、物心ついたときには戦団の導士としての薫陶を受けていたという。
よくあることだ。
導士の家系に生まれれば、導士への道を歩んでいくのが自然の理の如くであり、そのことに疑問を持つもののほうが少なかった。
戦団最古参たる長老たち、つまり、護法院の子や孫が当然のように戦団に所属し、導士として日夜命を懸けているように、だれもがそのように考え、そのように行動する。
故に戦団が存続できているといっても、言い過ぎではあるまい。
明臣も日流女も、日流子が戦団に入ることそのものには反対はしなかったし、それどころかそう願ってすらいたのだが、しかし、戦闘部に入ることだけは望んでいなかった。
戦団に入るとしても、戦闘部以外の部署に配属されることを望み、彼女自身にも度々そのようにいったようだが、日流子は、それだけは聞くことはできないといっていたらしい。
長じて、星央魔導院に入学した彼女は、第十四期生の中でも頭抜けた成績を残している。
特に戦闘用の魔法技量が高く、戦闘部に相応しい人材として期待された。
明臣は、その事実に頭を抱えたらしいが、しかし、日流子の決意と覚悟を無下にはできないと考えたようであり、むしろ彼女の成績を褒め称えたようだ。
星央魔導院を卒業後、すぐさま戦団に入り、戦闘部第五部隊に配属された彼女は、めきめきと頭角を現していった。並外れた魔法技量と、基本に忠実で、決して基礎を疎かにしない彼女の在り様は、導士の規範であるとだれもが褒めそやしたものである。
彼女は、戦闘部導士の鑑のような人物だった。
その日流子が、死んだ。
鬼級幻魔トールから、部下の命を守るために、己が命を灼き尽くしたのだ。
『……いうまでもないことだが、火倶夜。あんたのせいなんかじゃあねえからな』
通信機越しに明日良が告げてきた言葉の意味は、火倶夜も重々承知している。
軍団長会議が開かれることになったのは、城ノ宮日流子の葬儀が行われた後のことだった。
央都四市、衛星拠点に散らばった軍団長が一堂に会する機会などそうあることではなく、今回もそうだった。日流子の葬儀にも参列できなかった。強引にでも参列したかったが、そんなことをができるわけもない。
特に火具夜は、恐府の警戒を強めなければならないのだ。
動くに動けない。
故にレイライン・ネットワークを用いて通話しているのであり、幻板越しに軍団長たちの顔を見ていた。
だれもが日流子を失ったことを悲しんでいたし、幻魔への怒りを新たにしていた。
第十一拠点に滞在中の火倶夜は、執務室にあって、会議に参加している。火倶夜の周囲には、全部で十枚の幻板が展開しており、彼女を含め、軍団長が勢揃いしているのだ。
ただ一人、日流子を除いて。
「ええ、わかっているわ」
『だったら、いい』
明日良のぶっきらぼうな、しかし、他人への気遣いを決して忘れることのない振る舞いは、昔から変わらない。一つ年下の、魔導院時代からの後輩は、いまや同格の同輩であり、故に言葉遣いも彼本来のやや乱暴なものとなっているが、そんなことで彼の細やかな気遣いを隠せるはずもない。
ちなみに、だが、導士に上下関係はない。
導士とは本来、全員横並びであり、階級は、その導士個人の成績、戦績を示すものに過ぎない。
星将だから偉い、などということはないのだ。
もっとも、そうした戦団の理念は、いつごろからか形骸化していて、階級主義とでもいうべき有り様になっているのだが、そればかりは致し方のないことなのだろう。
組織とは、そういうものだ。
「でも、わたしたちがトールを斃せていれば、城ノ宮軍団長が死なずに済んだのは、事実よ」
『ああ、そうだな』
明日良の返答は、肯定。
幻板上の彼の真っ直ぐな視線は、火倶夜を射貫くようだった。彼の中の幻魔への怒りが、表情に現れている。
明日良だけではない。
相馬流人、神木神流、播磨陽真、八幡瑞葉、新野辺九乃一、伊佐那美由理、麒麟寺蒼秀、獅子王万里彩、竜ヶ丘照彦――軍団長のだれもが、日流子を失った哀しみと、同輩を奪われた怒りに心を燃やしているはずだ。
特に同世代の神流、流人は、日流子と親しくしていたということもあり、日流子が戦死したという報せを聞いたときには、とてつもない衝撃を受けていたに違いない。
軍団長が、戦死した。
まるで天地を支える柱の一つが折れたような、そんな衝撃が戦団を駆け巡り、導士たちに動揺が広がったのはいうまでもない。
軍団長とは、戦団の、戦闘部の最高戦力である。
軍団長に匹敵する戦闘力を持った導士など、ほかにはいないのだ。副長や杖長ですら、見劣りする。
鬼級幻魔相手には、星将が三名、最低でも必要だとされている。
星将と杖長二名では、圧倒的に物足りないのだ。
それほどの力量差がある。
故に、星将が一人欠けたというのは、戦団にとってこの上なく重大な出来事なのであり、軍団長会議が開かれることになったのだ。
そして、会議を持ちかけたのは、火倶夜である。
火倶夜は、日流子の戦死に責任を感じていた。
日流子は、トールに殺された。
導士のだれかが彼女の死を直接確認したわけではないが、しかし、生命反応が消滅し、以降、一切確認されないというのであれば、疑う道理もない。
日流子は、死んだ。
火倶夜がトールを取り逃したがために、死んでしまった――そのような結論に至っても、仕方のないことだ。
トールは、日流子の元へ向かうまで、火倶夜たちと激闘を繰り広げていたのだ。そのまま足止めできていれば、日流子を生かすことに繋がったのではないか。
日流子戦死の報から今に至るまで、火倶夜は、そのことばかりを考えている。
益体もないことだとわかっている。どれだけ別の可能性を考えたところで、トールをあの場に食い止め続けることになんの意味もなければ、勝ち目もないのは明らかだ。時間をかければかけるほど、火具夜たちの死が近づくだけのことだった。
トールが撤退してくれたことに心底安堵したのも、事実なのだ。
わかっているが、あらゆる可能性を模索してしまうのが人間の悪い癖だ。
過去は変えられないし、変わらない。
万能の力たる魔法を以てしても、時間を飛び越えて過去に至り、既に起きてしまった出来事を改変することはできない。
失われた命は、永遠に取り戻せない。
『だが、斃せなかった。斃せるわけがなかった。それも事実だ。そうだろう?』
『恐府にはオベロンを含め四体の鬼級がいる。そんなことは最初からわかっていたのよ。先行攻撃任務中に遭遇する可能性も、皆無ではなかった』
『そもそも、オベロンと遭遇している。トールやクシナダ……いや、オトロシャと交戦する可能性を考慮しなければならなかった』
『先行攻撃任務そのものが無茶だったんだよ』
軍団長たちが口々にいうのも無理のない話だ。
先行攻撃任務は、恐府攻略の前哨戦であり、戦団最高会議において必要不可欠と判断されたことである。
恐府は、広大な〈殻〉だ。オトロシャさえ撃滅すれば、あるいは殻石さえ破壊することができれば、恐府は崩壊するが、それでは意味がない。
ムスペルヘイムは崩壊させるだけで良かったが、戦団は、恐府を制圧することに重きを置いている。
つまりは、殻石の霊石化である。
とはいえ、ムスペルヘイムのときのように真星小隊を送り込み、殻石の所在地を探し当てさせるなどという博打染みた真似ができるわけもない。
恐府の守りは鉄壁であり、故にこそ、少しずつでも削り取っていくべきだという考えになったのだ。
そうして、先行攻撃任務が提案されたのだが、その結果がこれだ。
戦団戦力の要たる軍団長が一人、命を落とした。
『軍団長は、星将は確かに強力な魔法士だ。戦団最高戦力といわれているし、その自負もある。だが、星将一人と杖長数名では、万が一にも鬼級と遭遇した場合、時間稼ぎが関の山だ』
「ええ。その通りよ」
火倶夜は、実感を込めて、美由理の発言に頷いた。
鬼級幻魔トールは、星象現界を発動した火倶夜と二名の杖長を相手に平然とした様子だった。
日流子が命を賭したのも、だからこそ、だろう。
そうしなければ、部下たちを守れなかったからだ。