第八百八十一話 覚悟について
任務に次ぐ任務。
一般的な小隊とは、そのようなものだ。
日々、任務に明け暮れているのであり、たまの休養日も、鍛錬や研鑽のために費やされていく。
導士たるもの、そうするべきだったし、そうあるべきだった。
消沈している時間などはない。
たとえば、星将が戦死し、戦団主催の葬儀が行われている最中であっても、任務は、全うしなければならないのだ。
故にこそ、大和市草薙町の町中を歩き回る。
巡回任務である。
真星小隊として久々の任務は、本来ならば浮かれても仕方がないほどのものだったのだが、戦団だけでなく央都をも揺るがしかねない大事件の直後ということもあって、四人全員、緊張感をもって任務に当たっていた。
「街、静かだね」
黒乃が、遠巻きにこちらを見ている市民の様子を窺いながら囁けば、真白が当然のように頷く。
「そりゃそうだろ。あんなことがありゃあな」
「うん。わかってる。わかってるよ」
黒乃は、兄の言葉を遮るようにいうと、市民の視線がいつもとは大きく違うことを感じ取っていた。
真星小隊が巡回任務を行えば、多少なりとも人集りができるものなのだが、今日は、いつもとは比べものにならないほどに控えめだった。
平日の午前中だということも関係しているのだろうが、それ以上に、城ノ宮日流子の葬儀が執り行われているということのほうが影響としては大きいのではないか。
星将ともなれば、その葬儀は、盛大なものとならざるを得ない。
星将は、戦団にとってのみならず、央都、いや、人類生存圏の維持に多大な貢献を果たした存在だからだ。だからこそ星将にまで上り詰めたのであり、さらにいえば、星将になってからのほうが数え切れないだけの戦功を重ねているのは、いうまでもない事実だ。
戦団本部で執り行われている大葬儀は、双界全土に中継されており、数多くの一般市民も擬似的に参列しているに違いない。
故に、町中に人出が少ないのではないかと思えたし、実際その通りだろう。
町中を歩いている市民ですら、携帯端末などで大葬儀の中継を見ているようなのだ。
「日流子様は、優しいひとだった。本当に……ただただ優しかったんだよ」
不意に義一が漏らした言葉に、幸多は足を止めた。その声音に籠もった感情の深さは、彼が少なからず城ノ宮日流子と関わりを持っていることを意味している。伊佐那家の人間なのだ。幼い頃から星将と面識があったとしてもおかしくはなかったし、手解きを受けていたとしても不思議ではない。
一方、幸多は、日流子とはほとんど関わりがない。
星将である。
戦団に対し格別な憧れを持っていた幸多にとっては、まさに英雄そのものといっても過言ではない存在だったし、実際に目の当たりにすれば、言葉を交わすことすらできないのではないかと思えるほどの人物だった。
所属する軍団も違えば、任務を共にすることもなかったこともあって、接点を持つことすらできなかった。
それそのものは、ほかの多くの軍団長にもいえることだが、軍団長のうち何名かとは面識があったり、鍛えてもらったことがある。
だから、というわけではないが、日流子と一度たりとも言葉を交わせなかったことが、どうしようもなく悲しかった。
星将は、歴戦の猛者であり、戦団が誇る英雄そのものだ。星将たちから学べることはいくらでもあったし、たった一言、言葉を交わすだけでも勇気が湧いたものだ。
それが、日流子からは得られない。
その絶対的な事実こそが、呼吸をも重くする。
さて、義一である。
彼は、普段通りに幸多の後ろを歩いていた。
真星小隊の先頭を歩くのは、いつだって真白の役割だ。防手こそが小隊の先駆けであり、真白はそのことを誇りにすら思っているのだろう。その足取りは、いつだって力強い。今日もそうだ。
小隊を引っ張るのは自分であるという意識が、彼の後ろ姿からも見て取れるほどだった。
つぎに黒乃、幸多が続き、最後尾を義一が歩いている。
必ずしも一列に並んで歩くことはなく、地形に合わせて変化する。黒乃と幸多が横に並ぶような形になることがしばしばだ。
いまも、そうだ。
ちょうど菱形になるようにして歩きながら、町中に異変はないかと見て回っているのだ。
「だから、なんだと思う」
「うん?」
「日流子様は、身を挺して、部下を護ったんだ。もちろんそれは、導士として、上官として当然のことなんだけれど」
けれど、と、義一は考えてしまう。
日流子は、戦団が誇る最高戦力の一角だ。星将に上り詰めたほどの導士は、数えるほどしかおらず、そこからさらに修練を積み重ね、魔法技量を磨き上げている。経験の数でも群を抜いているだろうし、その戦績たるや凄まじいとしか言いようがない。
そんな日流子こそが、生き残るべきだったのではないか。
日流子に残された杖長たち、人丸真妃と大黒詩津希は、特にその事実について、だれよりも深刻に捉え、考え込んでいるに違いない。
生かすべきは日流子であり、犠牲となって散るべきは自分たちだったのではないか、と。
日流子と真妃たち。
その実力は、魔法技量のみならず、あらゆる面で日流子に軍配が上がるだろう。であれば、日流子一人を生かすために、自分たちこそが死ぬべきだったのではないか、などと考え込んでしまったとしても、なんら不思議ではない。
実際、義一ならば、どうしたのだろうか。
だれもが瞬間瞬間に最良の判断を取れるわけではない。
魔法という全能に近い技術を使いこなせても、未来を見通せるわけもないのだ。
いつ何時、重大な危機が訪れるのかもわからなければ、その窮地を脱する方法、逃れた結果を知る術もない。
日流子は、自分の命と、部下の命を天秤に架け、部下の命を取った。自分が命を燃やすべきときだと判断し、決断した。
義一は、考える。
いま目の前に立っている少年は、この真星小隊の隊長は、他人のためならば平然と己の命を投げ捨てることのできる存在だ。
そのことは、ついこの間――いや、それ以前からわかりきっていたことだ。
皆代幸多は、自分の命をなんとも想っていない。自分の命に価値があるなどと考えてすらいないのではないか。
自分以外のだれかのためにこそ、彼は行動している。
いつだって、そうだ。
だからこそ、考え込んでしまう。
「隊長も同じだよな」
真白が、まるで義一の考えを代弁するかのように口を開いた。
「え?」
「隊長も、日流子様と同じ状況に置かれたらきっと同じことをしたんじゃないかって、兄さんはいいたいんだと想う」
「そう、それ」
真白が黒乃の発言に相槌を打てば、幸多は、少しばかり黙り込んだ。
日流子が置かれた状況の詳細は、当然のごとく知っている。
恐府攻略の橋頭堡を築き上げるために行われた先行攻撃任務中、鬼級幻魔トールと遭遇したのだという。
鬼級幻魔トールは、朱雀院火倶夜の部隊とも交戦しており、続け様に日流子隊を襲撃、死闘を繰り広げた。その最中、日流子は、トールから逃げ切れないと判断したのか、自分が囮になることを考えたようだ。
自分がトールを食い止めている間に、部下たちを逃がそうとしたのである。
その判断が功を奏し、彼女の部下たちは助かったが、日流子は、命を落とした。
星将の死がなにを意味するのか日流子が理解していないわけもないが、しかし、自分が生き残るために部下を犠牲にするなどという判断ができるわけもなければ、だれ一人欠けることなく生き残る方法もなかったのだろう。
となれば、上官としての責務を全うする以外に道はない。
幸多であっても、きっと、そうしたはずだ。
いや、幸多ならば、余計にそうするだろう。
完全無能者よりも、魔法士たちを生かす方が、余程世の中の役に立つ。
「……どうかな」
幸多は、小さくつぶやくと、立ち止まったままの真白たちを追い抜いていった。
真白は、黒乃と義一と顔を見合わせ、すぐさま幸多を追いかけていく。
「ぼくは、ただやるべきことをやるだけだよ」
幸多は、そんな風にいったが、真白たちは、そういう考え方こそが、日流子のような結論になるのではないか、と想うのだった。
そしてそれは、決して悪いことではあるまい。
導士とは、斯くあるべし――だれもが、城ノ宮日流子を見て、そう想っていた。
日流子の立ち居振る舞いもさることながら、基礎を徹底して鍛え上げたような魔法の数々も、特別な才能のない導士たちにとっては、目標となった。
秀でた能力、優れた技術、特異な性質――そういったものを持っていなくとも、星将にまで上り詰めることができるのだ、と、日流子の存在が証明していた。
日流子は、その存在そのものが導士の規範として認識されるほどの人物だったのだ。
幸多と日流子に交流はないというが、しかし、その行動の根底には、同様の価値観があるような気がしてならなかった。
日流子は、やるべきことをやった。
その結果、命を落としたが、しかし、生き残ったものたちは、日流子に与えられた命を燃やし尽くす覚悟を持ったはずだ。
彼女の死は、決して無駄にはならない。
先行攻撃任務に参加してもいなけば、直属の部下でもなく、ましてや交流すらない幸多ですら、日流子の想いを受け取ったような気分でいた。
それが勘違いでも構わなかった。
覚悟とは、そういうものだろう。