第八百七十九話 揺れ動く(二)
第五軍団長・城ノ宮日流子が戦死したという報せは、戦団本部のみならず、双界全土を駆け巡り、凄まじいまでの衝撃を与えた。
そして、戦団が掲げた恐府攻略、その足がかりとして行った先行攻撃作戦は、この事実によって大いなる失態の烙印《》らくいんを押されることとなった。
たった百人たらずの少人数による、大規模な〈殻〉への攻撃、それ自体が根本からして間違っているのであり、端から実行するべきではなかった――などと、戦団最高会議が紛糾したのはいうまでもない。
が、先行攻撃作戦の是非を問うべきときはいまではないだろう、という神威の意見に異論を挟むものもまた、いなかった。
日流子が死んだ。
その事実を受け入れることができないからこそ、軍団長たちは責任問題を追求したのであり、言葉を戦わせることによって、現実から目を背けようとしたのだ。
だれもが、日流子の死という絶対的な現実を受け入れがたいものとして見ていた。
日流子の死は、導衣から常時送信されている生体情報が消失したことによって、確認された。
しかもそれは、導衣が破壊されたことを意味するのではない。生命活動が停止したことを意味する情報が、衛星拠点へ、そして戦団本部へと送信されたのである。
もちろん、日流子の部下、人丸真妃、大黒詩津希は、日流子の亡骸を確認するまではそれを認めることなどできるわけがなかった。
だが、導衣が送信し、ノルン・システムが受信した生体情報は、導衣の誤作動、機能不全によるものだとは認められなかった。
導衣は正しく機能し、装着者の生命活動が停止したことを宣言したのである。
日流子の死は、確定事項となった。
ならば、せめて日流子の亡骸だけでも確保したいというのが第五軍団全導士の意見だったが、戦場に戻るという選択肢などあろうはずもなければ、簡易拠点が破壊された以上、〈殻〉に留まることもできず、衛星拠点へと帰投している。
真妃などは激しく悔やんだが、そのことを責める声はなかった。
帰投を命じたのは、作戦部であり、戦団本部である。
そしてそれは、日流子の判断といっても過言ではなかった。
日流子が、トールから真妃たち部下を護るためにこそ、己の命を擲ったのである。
その彼女の覚悟を無駄にしないためにも、真妃たちを撤収させる以外の選択はなかった。
あの場にいた全員を日流子に合流させたところで、トールの星象現界によって一網打尽にされて終わっただけのことだ。
それならば、犠牲を一人に押し止めるほうが遥かにましだというのが、日流子の考えだったのだろう。
「わたしは、そうは想いませんが」
とは、真妃の意見である。
真妃は、幻想空間上で展開されていた戦団最高会議の場に召喚され、星将たちの視線を浴びた。だが、それらの視線は、真妃に同情こそすれ、彼女の責任を追求するものはなかった。
その事実こそ、真妃の心胆を寒からしめるのだ。
日流子が死に、自分が生きているという事実が、受け入れがたい現実が、彼女の意識を塗り潰している。
「わたしたち百名よりも、日流子様お一人のほうが、余程――」
「そのような考えは、よくありませんよ」
真妃を制するようにして伊佐那麒麟が頭を振れば、神威が静かに頷く。
「そうだ。城ノ宮軍団長が自ら選択したことに口を挟む道理はない。己の命の使い方を選ぶことができるのは、強者のみ。弱者には、死に方すら選べない。城ノ宮軍団長は、強者として、導士として、胸を張って死んでいった。それだけのことだ。己が弱者だと恥じ入るというのであれば、精進することだ。城ノ宮軍団長の死を無駄にしたくないというのであればな」
神威に見据えられ、真妃は、息が詰まった。ただただ首肯するしかない。
そういわれてしまえば、返す言葉などあろうはずがなかった。
死者に語る口はなく、残された生者にできることなど限られている。
いや、死者に対してしてやれることなどなにもないのではないか。
日流子は、死んだ。
そう、戦団は認識した。
日流子は、英霊となったのだ。
城ノ宮日流子の葬儀は、大々的に行われることとなった。
星光級の導士・星将にして、第五軍団長である。
戦団でも指折りの魔法士であることに疑いはなく、その魔法技量たるや、やはり戦団でも上から数えた方が早いほどの人物だった。
その死がどれほどの損失となるかなど、想像しようもない。
ただただ、衝撃ばかりが戦団を、双界を駆け巡り、導士のみならず、双界住民のだれもが言葉を失った。
特に日流子が率いていた第五軍団は、軍団長の死という絶望的な現実に飲まれていた。日流子に直接指導を受けたものばかりだ。だれもが日流子を尊敬して止まなかったし、日流子のためならば喜んで命を差し出す覚悟があった。
日流子こそが生きがいであると公言して憚らなかったのだ。
それなのに、死んだのは、日流子だった。
その事実が、第五軍団の導士一同を動揺させている。
第五軍団長の座は、適任者が見つかるまでは空席のままとなり、副長である美乃利ミオリが軍団長代行を務める運びとなったのも、この衝撃の大きさを伺わせる出来事だろう。
美乃利ミオリは、大再編によって軍団制へと移行する以前、戦闘部第五部隊を率いていた美乃利ミドリの娘である。美乃利ミドリの薫陶を受けて育った、模範的な導士ともいうべき人物である彼女は、日流子にとっては良き副長だった。
ミオリにとっても、日流子ほど支え甲斐のある軍団長はいなかったし、そんな彼女の最期を見届けることすらできなかったという事実には、失意しかなかった。
ミオリは、日流子の葬儀が執り行われる中で、自分になにかできることはなかったのかと考え続けていた。
「日流子は、優しい子だった」
城ノ宮明臣の声が、わずかに震えているのは、当たり前のことだっただろう。
彼の愛娘であり、もはや唯一の肉親であった日流子が、命を落としたのだ。
それも無理難題としか言いようのない先行攻撃任務の最中、鬼級幻魔トールと遭遇した結果である。
避けようと思えばいくらでも避けられたであろう悲劇は、しかし、現実として起き、戦団にとって決して小さくない損害をもたらしている。
「本当に、優しい子だったんだ」
明臣は、幻板に大写しにされた葬儀を見ていた。
愛娘の葬儀が、戦団の活動を喧伝するために活用されていることそれ自体は、どうでもいいことだった。
日流子自体、己の死を利用できるのであれば存分に利用して欲しいと考えるだろう。
日流子は、徹頭徹尾、導士であった。
導士の中の導士の呼び声が高く、日流子をこそ規範とするべきであるという声も聞かれるほどだった。
己の死が、導士たちの士気を高揚させ、結束力を強めることに繋がるのであれば、存分に使ってほしいと願ってすらいたのではないか。
だから、それはいい。
大した問題ではない。
日流子の尊厳が踏みにじられているわけでもなければ、むしろ、日流子が築き上げてきた導士としての実績、功績の数々が賞賛されているのだから、良いことだと受け止められた。
戦団が主催する日流子の葬儀は、双界全土に中継されており、今現在、何十万人もの市民が注目しているに違いない。
軍団長である。
軍団長と言えば、戦団最上位の導士であり、人類最高峰の魔法士なのだ。
その死が社会に与える影響というのは、とてつもないものだ。
いつだって、そうだった。
軍団制となる以前、部隊制のころから、部隊長を務めた星将の死は、社会全体に多大な影響を与えたものだ。
日流子の死も、双界の人々になにかしら影を落とすに違いない。
明臣のように心臓を鷲掴みに掴まれるものは、いないだろうが。
「物心ついたときには、わたしや妻のことを気に懸けてくれていた。わたしたちが情報局の仕事にかかりきりだったからなんだろう。あの子は、わたしたちが無理をしていないか、疲れているんじゃないかと、ことあるごとに聞いてきたんだよ」
明臣の脳裏には、幼い頃から現在に至るまでの日流子との想い出ばかりが過っていた。
明臣は、よく親馬鹿といわれた。それほどまでに日流子を溺愛していたからだったし、自慢の愛娘だったのだ。
「わたしたちにとって、あの子は、日流子は、生き甲斐そのものだった」
それを、奪われた。
イリアは、葬儀の様子を見守る明臣の後ろ姿を、ただ見ていることしかできない。
ユグドラシル・ユニットの最終調整中だった。
ようやく、ユグドラシル・ユニットとノルン・ユニットの全統合の目処が立とうとしていた矢先である。
日流子が戦死し、戦団という組織そのものが大きく揺らいでいた。
導士たるもの戦死は付きものだ。
戦闘部の導士ならばなおさらであり、死ほど身近で、日常的なものはない。
しかし、星将の、軍団長の死となれば、話は別だ。
日流子と関係の深い導士たちほどのその衝撃は強く深いものとなるだろう。
明臣が、失意の底に沈むのも無理からぬことだったし、イリアには、彼の気持ちは少しはわかった。
愛するものの死ほど、絶望的なものはない。