第八百七十三話 大地を穿つ(八)
トールが、喜び勇んで振り下ろした大金槌は、激しい雷光を帯びていた。それそのものが破壊的な威力を秘めた魔法なのは、疑いようもなかった。
雷魔将の称号通り、トールは雷属性を得意とする鬼級幻魔である。簡易拠点を壊滅させた雷も、トールの攻撃魔法だった。
それも極めて破壊力の高い魔法であり、日流子が生き残れたのは、直撃を免れられたからにほかならない。
そして、生き残れたからこそ、こうしてトールを相手にできている。
だが。
(こちらは……星将一人)
日流子は、金槌の一撃を矛で受け止め、雷光が矛を伝ってくる様を見たが、顔色一つ変えなかった。日流子の足元から突き出した岩石の槍が、天之瓊矛に激突し、雷光を受け取ると、地面へと伝えていく。
さながら、避雷針のように。
すぐさまその場から飛び退けば、トールが踏み込んできた。十メートルを超える巨躯だ。一歩の踏み込みで、日流子の稼いだ距離が無に帰する。
だが、それでいい。
トールは、もはや日流子に釘付けだった。
日流子の星象現界・天之瓊矛が内包する莫大な魔素質量に誘引されているかのようだ。
日流子は、矛を振るい、地中から岩石の槍を次々と突出させては、トールの進撃を食い止めようとしたが、そんなものでは巨人の猛進は終わらなかった。眼前に出現した巨大な岩柱を軽々と吹き飛ばしながら、前進を続けるのである。
その間、日流子の目は、崩壊した拠点内に動く導士たちを見ている。雷の直撃を逃れ、生き残ったのはおよそ半数。詩津希が真妃の治療に当たっていたようであり、安堵する。
杖長二人が生き残っているという事実は、この上なく大きい。
トールが、日流子の動きに合わせて隆起した岩盤を踏み潰すと、全周囲から無数の魔法弾が殺到した。導士たちがようやく状況に対応したのである。
相手は鬼級だ。
煌光級未満の導士には、自分の身の安全を第一に行動するべきだということは、日流子は何度となく部下たちに言い含めている。
だからこそ、部下たちはトールと距離が離れるのを待っていたのだ。
距離が離れ、さらにトールの意識が日流子に集中している状態ならば、攻撃しても問題ない。反撃を受けにくいからだ。
日流子は、常日頃の訓練の成果が今まさに発揮されていることを認めつつも、トールがそれらの魔法弾の直撃を受けても微動だにしない様子には、なんともいえない顔になる。
鬼級の魔晶体の圧倒的な頑強さは、生半可な攻型魔法では傷ひとつ付けることができないのだ。
「星象現界の力、こんなものではあるまい!」
トールは、導士たちの攻型魔法を喰らったという事実すら感じていないかのように、日流子に向かってくるのであり、その目は、彼女だけを捉えていた。
(星象現界に拘っている……?)
日流子は、天之瓊矛を振り回し、大地を揺り動かしてみせた。局所的な大地震が、トールの巨躯をもぐらりと揺らし、割れた大地が巨人を飲み込んでみせる。
「おおっ!?」
トールが思わず感嘆の声を漏らしたのは、想像だにしない攻撃を受けたからなのかもしれないが。
日流子には、トールの思考こそ、まるで想像がつかない。
星象現界について多少なりとも知っているのは、つい先程まで黒禍の森で第十軍団先行攻撃部隊と戦っていたからだろうし、そこで火倶夜たちの星象現界を目の当たりにしたからだろう。
鬼級幻魔と対峙したのであれば、星象現界を出し惜しんでいる暇はない。
逃げるためにせよ、時間稼ぎにせよ、星象現界を使わずにはいられないほどの力量差があるのだ。
そして、トールは、それによって、星象現界という魔法技術を知った。
戦団における魔法の最秘奥。
魔法の極致にして、究極奥義。
幻魔は、生まれながらの魔法生物である。幻魔にとって魔法とは呼吸そのものであり、手足の延長にほかならない。
学び、覚え、体得しなければならない人間にとっての魔法とは、まるで異なる代物なのだ。
故に魔法技量を磨く必要もなければ、伊佐那流や朱雀院流、戦団式といった流派や教義も存在せず、ただ本能の赴くまま、無意識のうちに繰り出すのが幻魔の魔法なのだ。
〈殻〉も、そうなのだろう。
鬼級幻魔が構築する巨大な結界たる〈殻〉は、空間展開型の星象現界に似て非なるものだが、しかし、星象現界同様の魔法技術などではないのかもしれない。
本能が、そうさせている。
故にこそ、トールは、星象現界に興味を持ったとでもいうのか。
「しかし、この程度ではな!」
トールが大地の大穴から飛び出してくると、上空から雷の雨を降らせてきた。
鬼級が、無造作に、無意識に乱射される魔法の数々は、星神力によって放たれる魔法に匹敵するかそれ以上の威力を持っている。
当然、それ相応の魔法でなければ対抗できるわけもない。
日流子は、舞い踊るようにして天之瓊矛を振り回し、大地を震わせ、操り、頭上を覆う巨大な天蓋を構築して見せれば、同時にトールの足元から無数の岩石の槍を突出させた。雷の雨を受け止め、受け流しながら、着地した瞬間のトールの脚に突き刺せば、さしもの鬼級もわずかに怯んだ。
わずか。
ほんのわずかだ。
瞬時に全身に雷光を漲らせて岩石の槍を吹き飛ばし、日流子を包み込む岩盤の天蓋を金槌で叩き壊す。呆気なかった。一瞬にして爆砕し、粉々に消し飛んでしまったのだ。
だが、トールの目は誤魔化せない。
「その魔素質量、隠れようがないぞ!」
トールは、地中を超高速で移動する魔素質量を認め、呵々《かか》と笑った。
四方八方から飛来する魔法攻撃を雷光の一閃で吹き飛ばし、大地を踏みつけて、雷撃を地中へと走らせる。すると、背後に巨大な岩塊が飛び出してきたかと思えば、その真っ只中から日流子が現れ、トールの後頭部に矛を振り下ろした。その双眸が、光を帯びていた。
まばゆいばかりの、星の煌めき。
「良いぞ! 良い!」
にやり、と、トールは笑い、雷光の波動でもって日流子を弾き飛ばした。
日流子は、歯噛みし、だれかに受け止められるのを感じとった。
「日流子様、申し訳ありません!」
「ここから先は、わたしたちも一緒です!」
「真妃、詩津希」
日流子は、真妃が戦線に復帰できるほどの状態だということに安堵するとともに、詩津希共々に星神力を漲らせているのを感じた。周囲を律像が複雑に入り乱れ、虚空を席巻していく様は、圧倒的だ。
「ほう、ほかにも星象現界の使い手がいたか!」
トールが攻撃の手を止めたのが星象現界の発動を見届けるためだということは、その反応からも明らかだった。
日流子への追撃が可能だったにもかかわらず、真妃と詩津希の魔素質量の爆発的な増大を目の当たりにして、これは、と思ったのだろう。
なぜ、トールがこれほどまでに星象現界に興味を持っているのかはわからない。
鬼級幻魔がこのような反応を示した例は、これまでなかったはずだ。
少なくとも、日流子は知らない。
「影狼」
「金剛武神拳!」
真妃と詩津希がそれぞれに星象現界を発動させると、トールは、その両目を大きく見開いた。莫大な星神力が、それぞれに異なる性質の星象現界を具象するのである。
真妃は、闇属性を得意属性とし、星象現界もまた、闇属性である。彼女の影が大きく膨れ上がったかと思うと、弾け飛んで漆黒の狼が出現した。彼女の身の丈を超える大きさの狼は、声なき声で咆哮し、大気が震え、星神力が拡散していった。
一方、詩津希は、地属性を得意とし、武装顕現型の星象現界の使い手である。爆発的に膨れ上がった星神力は、一瞬にして彼女の両腕に絡みつき、無数の宝石が煌めく巨大な籠手となった。それこそが彼女の星装であり、近接戦闘に特化した武器である。
態勢を整えた日流子が矛を構えて大地を揺らせば、真妃が影狼の背に横乗りになって隆起した岩盤上を駆け上がっていく。詩津希は、足元の地面を殴りつけると、その反動を利用して、一瞬にして遥か上空へと到達した。だが。
「星象現界、良いではないか!」
トールは、三者三様の星象現界を目の当たりにして、歓喜に満ちた表情をするのである。
その表情が、その反応が、日流子には気に入らない。
まるで、遊ばれているようだ。
いや、実際その通りなのだろうが。
矛を振り翳し、支配した大地を思うままに操る。トールの足元の地面が口を開くようにして巨大な亀裂を生み出すと、トールの巨躯が半分まで埋まった。
トールが、笑った。
雷鳴が響き渡る。