第八十六話 師弟制度
「まず、自己紹介をさせてもらいますね。わたしは、朱雀院火留多。戦団戦務局戦闘部で長をやっているものです。こちらは二屋一郎くん。戦闘部の副長で、わたしのお目付役なのよ」
「部長の妄言は聞かなくてよいからな」
「妄言だなんて、本当のことでしょうに。まあ、いいわ」
火留多が二屋一郎に頬を膨らませる様は、どうにも可憐に見えたものだから、幸多たちはどう反応していいものか戸惑ったのだった。
どうにも想像上の彼女との乖離が甚だしい。
朱雀院家といえば、伊佐那家の分家であり、魔法の黎明より長らく魔法社会に君臨してきた家柄だ。その家の頂点に立つ当主たる火留多は、もっと荘厳な人間だとばかり思っていた、というのが、幸多の率直な感想だった。
「あなたたちの決勝大会での戦いぶりは見させてもらいました。運営委員会が選び抜いただけのことはあって、本当に素晴らしい、手放しで褒め称えられるものばかりでした。あなたたちならば、きっと、良い導士になれるでしょう」
火留多は、新人導士たち一人一人に視線を巡らせ、告げた。
「そして、あなたたちが戦闘部に入ることを決断してくれたこと、戦闘部の長として感謝します」
「それは誰もが出来ることではない。央都市民のため、人類復興という大願のためにこそ、己が命を使い果たすという約束なのだからな」
「副長はそういうけれど、辞めたくなったらいつ辞めてもいいのよ。そのことを非難するものは戦団内にもいないし、市民の中にもいないでしょう。戦団の、戦闘部の一員として、一日でも戦ったのなら、それはとてもとても誇らしいこと、素晴らしいことよ。だから、胸を張って、辞めていいの」
火留多がそう断言すれば、二屋一郎も黙って首肯する。
戦闘部は、戦団の実働部隊であり、花形部署といっていい。常に最前線にあって、日夜幻魔と戦い続けているのだ。故にもっとも戦死者が多く、離職者、退職者の多い部署でもあった。
その事実は、幸多たち入団希望者もよく知っていることだ。
戦団に、戦務局戦闘部に入るということは、死にに行くようなもの――それこそ、この央都に住む誰もが知っている常識といっていい。
火留多は、語る。
「総長閣下は、皆胸を張って死んでいったなんていうけれど、誰だって本当は死にたくないし、そんなの真っ平御免でしょう。わたしだって、そう。部下の一人だって死んで欲しくはないわ。でも、現実として、死はそこにあるのよ。目の前に、隣に、真後ろに、幻魔という死は待ち受けている。だから、わたしたちが戦わなければならない。わたしたち戦闘部の導士たちが、命を張って、央都市民を死から遠ざけなければならない。でなければ、人類復興という大願を果たすことは出来ないものね」
優しく、穏やかに、慈悲深く、しかし厳然として、彼女は、告げた。入団希望者には、現実を突きつけなければならなかったし、動かしがたい事実を伝えなければならなかった。
それでも戦闘部に入りたいというのであれば、止めることはしない。
むしろ、歓迎し、全身全霊でもって、戦うための術を教え、生き残るための技を叩き込もう。
そういう想いが、彼女の口をついて出た。
幸多は、さらに続く火留多の話に耳を傾けながら、その想いの深さに感じ入った。
入団式というのは、要するに戦闘部長である朱雀院火留多からの口頭による説明がほとんどであり、それ以外の補足説明を二屋一郎が行った。
幸多たち入団希望者には、なにか特別に行わなければならないことはなかった。
ただ、二人の話を聞いているだけで良かった。
「さて、これできみたちは戦団戦務局戦闘部の所属となるが、戦闘部には全部で十二の軍団があるということは知っているだろう。新規入団者には、配属先の希望を述べることが可能だ。無論、人事の兼ね合いもあり、希望通りとはならないこともあるが、述べるだけならば自由だ」
「ああ、そうだわ。皆代幸多くんと草薙真くん、あなたたちの配属先は決まっているから、安心してね」
二屋一郎の説明を補足するようにいってきた火留多の言葉には、幸多も驚かざるを得なかった。
「え? あ、はい」
「わかりました」
幸多は、真の横顔をちらりと見たが、彼はなにを考えているのかわからない表情をしていた。
真の配属先が既に決まっている、というのは、幸多にも理解できることだ。魔法士としての真の技量は、頭抜けている。それこそ、対抗戦出場者の中では、法子と双璧を成していた。彼ほどの実力者ならば、どの軍団だって喉から手が出るほどほしいのではないか。
しかし、自分はどうか、と、幸多は思っていた。
魔法不能者だけでも欲しくないだろうに、完全無能者だ。魔法による補助もできなければ、魔法で傷を塞ぐことすらできないようなものを部下にしたいかと聞かれれば、幸多だって絶対に拒否する。ただでさえ危険な仕事だというのに、命の保証が出来なくなる。
「皆代幸多、きみは第七軍団の所属となる。草薙真、きみは、第十軍団だ」
「第七軍団……」
幸多は、その言葉を反芻しながら、頭の中が真っ白になるのを認めた。
第七軍団といえば、伊佐那美由理が軍団長を務める軍団だった。
その会議が開かれたのは、入団式が執り行われる前々日、六月二十四日の夜中のことだった。
突如として決まったわけではなく、予定通りの日程であり、予定通りの時刻に開催されている。誰もが多忙であるということを考えれば、急遽会合が持たれることなど、通常あり得ないことだ。
会議は、レイラインネットワークを介することによって、参加者が央都の何処にいても構わなかったし、衛星拠点からも参加することが可能だった。
もっとも、衛星任務中であることを理由に半数が参加しなかったのだが。
「六人だけだなんて、集まりが悪いわねえ」
朱雀院火留多は、頬をふくらませるようにして、いった。
部長室内に展開した十二枚の幻板の内、六枚しか反応がなかったからだ。反応のない六枚は、会議への不参加を表明しているのと同じだ。
参加不参加は、星将側の自由だった。そしてそれは、この会議の目的を考えれば、当然のことでもあった。
「六人も、集まったんですよ、戦闘部長殿」
などと、注意するようにいってきたのは、十枚目の幻板に映っている赤毛の女だ。火留多と同じ髪色は、さながら燃え盛る炎のようだと評判だった。千草色の目は鋭く、その点は火留多よりも火留多の母・火流羅に似ている。
名は、朱雀院火倶夜。火留多の実の娘にして、第十軍団長である。
「そうですね。皆、多忙なんですよ」
火倶夜に同意したのは、第二軍団長の神木神流だ。戦団総長の神木神威と血縁関係にあるが、似ても似つかない、一見して大人しそうな女性である。濡れ羽色の頭髪を長く伸ばし、浅黄色の瞳を持ち、どこか奥ゆかしささえ感じさせる風貌だった。
「最近は幻魔災害が頻発しているものな」
第八軍団長の天空地明日良が、いう。彼は、豪放磊落という言葉がよく似合う人物だった。真っ青な頭髪と緑色の瞳が特徴的で、厳つい顔立ちに相応しい体つきを誇る。
「まあ、この場にいるのが暇人とはいいませんけどね」
苦笑交じりにつぶやいたのは、新野辺九乃一第六軍団長だ。英霊祭のときの場を弁えた大人しさはどこへやら、普段通りの格好に戻っている。つまり、女性ものの衣服を身につけているということだ。それが彼の趣味だった。中性的な容貌も相俟って、よく似合っている。
「多忙でも、これも仕事ですから」
とは、第四軍団長の八幡瑞葉。彼女は、翡翠色の髪が際立つほどに美しく、天色の目も綺麗だった。
そして、六人目の軍団長は、沈黙を保っている。伊佐那美由理である。漆黒の髪は映像の背景に解けるようだが、群青の瞳はいつになく輝いて見えた。
「そうよ、皆、お仕事なのよ。対抗戦が終わったのよ」
火留多が気を取り直すようにして、議題を提示する。各人の幻板には、事前に提供した名簿が映し出されているはずだった。
それは、対抗戦の結果を経て提出された入団希望者の名簿である。ただ名前が記されているだけではない。情報局が収集した各人の様々な情報が詳細に記載されている。中でも重要なのは、魔法士としての才能であり、技量だろう。得意属性に関する情報も、必要不可欠だ。
「今年の対抗戦が熱かったことは認める」
「凄かったねえ。天燎が優勝するなんてさ」
「あれは本当の大番狂わせでした」
「歴史に残る名勝負といっていい」
「まあ、そうね」
星将たちが対抗戦について言葉を交わすのは、毎年の恒例ではあった。
会議の口火を切ったのは、火具夜である。
「草薙真くんはわたしが引き取るとして、残り四名のうち――」
「さすがにそれは横暴すぎませんか、火倶夜軍団長」
「おれは構やしねえが」
「いいんだ?」
「属性が合わねえからな。そりゃあ、部下としては欲しいが、弟子となれば話は別だ」
「でしょうね。わたしも弟子としてならば、取りません」
瑞葉が、明日良の意見にに肯定的な反応を見せた。
この会議は、毎年、対抗戦決勝大会の数日後に行われる。
対抗戦は、戦闘部の人材発掘の場だ。対抗戦の優勝校及び、優秀選手は、全員、勧誘対象となった。ただし、勧誘対象になったからといって、誰もが入団してくれるわけではない。学生側にも選ぶ権利があるからだ。戦団にそうした強制権はない。
入団希望者が全く現れなかった年こそなかったものの、二人だけの年もあれば、三人だけの年もあった。そういう意味では、今年の五人は決して少なくはないだろう。
この軍団長たちを集めた会議は、入団希望者五名の中から、師弟関係を結びたい人材がいるかどうかを聞くためのものなのだ。
魔法時代の黎明から、ある時代まで、師弟制度と呼ばれる慣習が魔法士たちの間にはあった。優れた魔法士は、選りすぐった弟子を育て、鍛えることにこそ、己が存在意義を見出すべきである、という考えに基づく慣習は、しかし、あるときを境に廃れていった。
戦団が師弟制度を復活させたのは、人類復興という大願を果たすためには極めて優秀で強力な魔法士が必要であると考えれたからだ。
戦団に所属する力有る導士は、数多いる導士の中から弟子を選定し、師匠として教え鍛えることをある種の義務とした。
これが戦団における指定制度だ。
だが、軍団長ほどの立場になると、数多くの導士たち一人一人に手解きしている時間的余裕がなかった。故に、限られた数名の弟子を選ぶことによって、星将としての務めを果たしつつ、後進の育成も成し遂げられるようにしていた。
対抗戦は、高校生魔法士たちの祭典である。
毎年、星央魔導院中等部を卒業し、戦団に入団してくる新人たちよりも、基本的には年齢を重ねている。そして、星央魔導院で魔法士としての基礎を叩き込まれ、育て上げられてきた導士たちよりも、実力的には低いものだというのが、定番だ。
そのため、対抗戦を経た入団希望者は、魔法士の原石のようなものだ、という感覚があった。
原石は、磨けば光るかもしれないが、そのためには相応の時間と労力が必要だ。再度基礎から教え直さなければならない場合もある。
それくらい、央都の一般的な中学における魔法教育と、星央魔導院の魔法教育は隔絶しているのだ。
しかし、央都の才能の全てが星央魔導院に集まるわけではないというのもまた、事実だ。
様々な事情で星央魔導院に通えなかったものもいるだろうし、高校生になってから魔法士としての才能に目覚めるものもいるだろう。そうした可能性を捨てきれないからこそ、対抗戦が行われるようになり、決勝大会後には、こうして星将たちによる選別が行われるようになったのだ。
そして、今回の会議では、やはり草薙真が一番人気だった。
彼は、魔法士としての技量が特に際立っていた。それこそ、星央魔導院卒業生と遜色がないどころか、それ以上といっても過言ではないほどの能力を発揮していたのだ。
草薙真を弟子にして育て上げたいと思う星将が数多く現れるのは、当然の結果といえよう。
真っ先に名乗りを上げた朱雀院火倶夜に対し食ってかかったのは、神木神流だった。二人が特に熱心だったのは、魔法の得意属性が同じだということも大きいだろう。
魔法には属性というものがあり、魔法士は属性に得意と不得意があった。得意属性が同じならば、師匠として不足はないのだ。
師弟間における属性一致、不一致問題は、度々話題となり、問題に発展したこともあった。
もっとも、第九軍団長麒麟寺蒼秀は雷属性を得意とするが、彼に弟子入りしている皆代統魔は、光属性を得意としている。つまり、師弟間で属性が一致していないのだが、統魔は問題としていない。
要するに、師弟関係で最も重要なのは、二人の関係性であり、それには波長の合う合わないという問題もあれば、時間を掛けて構築することによって解決していくこともある。もちろん、時間を懸けて破綻していくこともある。
だから、闇属性を得意とする新野辺九乃一も、草薙真の師匠に名乗りを上げた。
そして、話し合いの結果、草薙真の師匠の座を勝ち取ったのは、朱雀院火倶夜である。彼女は、勝ち誇るようにして、高笑いしたものだった。
話題は、別の入団希望者に移った。
「魔法不能者の彼は、さすがに誰も弟子にしないよねえ。ぼくだって御免だもの」
「おれも嫌だねえ。面倒見きれねえよ」
「さすがに遠慮するわ」
「そうですね」
誰もが師匠に名乗りを上げないという点で話題になったのは、もちろん、皆代幸多だった。彼が話題として取り上げられないわけがなかった。対抗戦参加者で唯一の魔法不能者であり、入団希望者の中でもただ一人の魔法不能者なのだから。
そして、誰も手を挙げないこともわかりきっていたし、会議を主催した火留多も、こうなることを予期していた。
だが、それは別段、悪いことではない。星将の、軍団長の弟子になれるのは、戦闘部の中でもほんの一握りなのだ。弟子になれないもののほうが圧倒的に多い。そして、魔法不能者を敢えて弟子にしようとする物好きなど、いるはずはない。
誰もがそう思っていた。
しかし。
「皆代幸多はわたしの弟子にしたいと考えているが」
それまでほぼほぼ沈黙していた伊佐那美由理が、突然話に入ってきたかと思えば、会議に居合わせた誰もが想像できないことを言い出してきたものだから、一瞬、場が静まりかえった。
静寂を破ったのは、火留多だった。
「……はい?」
「まじで?」
「本気なの、美由理?」
火留多を含む全員が、美由理の言葉を疑い、真意を測りかねた。火具夜などは身を乗り出して、美由理の映る幻板を覗き込もうとしていた。
一方の美由理は、なにがそんなに驚くことがあるのかといわんばかりに身じろぎ一つしなかった。相も変わらぬ仏頂面は、彼女の氷の女帝という二つ名を思い出させるほどだった。
「大真面目だが、なにか問題でもあるのか? まさか、わたし以外に彼を引き受けるつもりがあるとか」
「それはないわよ……ね?」
火倶夜が一同に問い質せば、だれもが首肯した。
しかし、火倶夜には、不思議に思えてならなかった。ただでさえ、美由理が会議の場でなにかしらの意見を述べることが稀だというのに、言うに事欠いて、魔法不能者を弟子にしたい、などとは、どういう了見なのか。
火倶夜は、美由理のことはこの場にいる他の誰よりも詳しく知っているという自負があった。子供の頃からの付き合いだったし、火倶夜にとって美由理は可愛い妹そのものだった。
それなのに火倶夜には到底理解の出来ないことをいいだしたものだから、多少の混乱は仕方のないことだった。
美由理は、当代最高峰と呼ぶに相応しい魔法士である。そのことは火倶夜のみならず、この会議に参加している誰もが認めることだろう。
その彼女が、魔法不能者を弟子にしたいなどと言い出した事実は、誰もが怪訝な顔をせざるを得ない。
しかし、当の美由理本人はといえば、詳しいことはなにも語らず、弟子として引き受けることができた事実に安堵していた。
会議は、それからも続いたが、ほかの三人の入団希望者には、師匠を名乗り出るものはいなかった。




